南北に細長く、海に囲まれ、土地の起伏に富んだ日本には、じつに多様な生物が生息しています。しかし、いま生態系のバランスが崩れて各所で問題が起こっています。その中でも多田さんが特に警鐘を鳴らすのは、日本各地の野山で増えすぎている鹿のこと。増えすぎた鹿はその土地の植物を食べつくし、植生を変えて不毛の地にしてしまう……。いったい何が起こっているのか?ぜひ、お読みください。(丸黄うりほ)

自宅の庭で(2021年3月15日)

日本ほど生物の多様性に富んだ国はあまりない

——虫たちの目線で考えてみると、雑草の花だって十分に大きい。「ちっぽけな雑草」なんて言い方が人間目線であることに気がつきます。地球に住んでいるのは人間だけではないということを、人はつい忘れがちですね。

多田多恵子さん(以下、多田) 忘れがちですね。ちょっと話は植物のことからそれますが、いま西表島に行くとびっくりしますよ。島の美しい海岸線が場所によっては無数のプラスチックごみで埋め尽くされているんです。それこそ1メートルもあるような大きなものから、小さな細かいものまで、砂浜の波打ち際と林との境目あたりが、青や白やいろんな色をしたプラスチックのゴミだらけです! 見たときは衝撃的でした。海に出るにはプラスチックゴミの中を歩いて行かなくてはならないようなところも、たくさんあります。

——海外の島にプラスチックゴミが堆積している写真はネットで見たことがありますが、沖縄県の西表島でも、そんな状態なんですか?

多田 そうなんです。しばらく行かない間にゴミが堆積していて驚きました。

沖縄県・西表島の砂浜, 2020年11月

西表島の砂浜、波打ち際と林との境目にプラスチックチゴミが見える, 2020年11月

沖縄県の西表島, 2020年11月(撮影:多田多恵子。以下もすべて)

景観を破壊するだけでなく、ゴミから生まれるマイクロプラスチックの粒子は動物に飲み込まれるとその生命を危うくするなど生態系に大きな影響を及ぼして大問題になっています。

もうひとつ、どうしても話しておきたいことがあります。それは鹿の増加とその影響についてです。これもいま日本で起こっている大きな問題ですが、ご存知ですか。生態系への影響が大変深刻であるにもかかわらず、多くの人が知らずにいるので、私は機会があれば鹿の問題を話すようにしています。

日本は豊かな自然に恵まれた国で、世界でもトップレベルの生物多様性を有しています。大陸から離れた島国で、暖流と寒流が流れていて、温和な気候で豊かな水に恵まれ、豊かな森が広がっています。北は北海道から南は沖縄まで亜寒帯から冷温帯、暖温帯、そして亜熱帯の気候が広がって森の木の種類も異なり、さらに日本海側と太平洋側とでも気候が違うんですね。島国で島の数もたくさんあって、その中には小笠原諸島のような絶海の火山島があれば、琉球列島のように大陸と陸続きになったり離れたりした地誌的変遷をもつ島もある。世界でも類を見ないほど豊かな生き物の国なんです。

——日本人は、そんなことをふだんあまり意識していませんね。

多田 ええ。たとえばアメリカ合衆国みたいに広い国だったら、アラスカからフロリダまであるから、多様性があって当然ですが、日本のそれほど広くはない国土の中には亜熱帯の植物も高山植物もあり、高山も3000メートル級の山があって北極圏に生える植物まであるわけです。そこまで生物多様性が豊かな国って全世界でも稀有なんです。固有種つまり日本だけにしかいない植物とか動物がたーっくさんいるわけですよね。

さらに、日本には長いこと自然を崇拝する考えがあって、大きな木とか狼といった山の生き物を神様として畏れ、崇めてきましたよね。身近な里山の自然もとても大事にして、自然の恵みを持続的に長く使いつづける文化や循環システムが人々の生活に浸透していた。だからこそ、豊かな自然が保たれてきたんですね。

たとえば里山の雑木林では、木を切って薪や炭をつくり、小枝は火付けに使い、落葉を集めてたい肥にしていました。雑木林は20~30年ごとに切って薪や炭にするのですが、それはちょうど人の一世代と重なっていました。人の生活と寄り添って林の生態系が成り立ち、物質やエネルギーが循環していた時代があったんですね。

ですが、薪や炭が使われなくなり、海外からの安い木材の輸入も加わって、林業は先細りの状態になりました。人々は山を離れ、人口は都市に流出し続けています。明治時代以降、そして戦後の高度成長期時代に、循環型ではなく拡大生産へと突き進む中で、山や森はつぶされ、海は埋め立てられていきました。人々の生活が変化すると、自然への意識や感覚も変わってきて、実質的にも心情的にも、自然離れが進んでいったんですね。

——そうですね。田舎へ行くととても空き家が多い。耕されなくなった畑の跡や、放置された田んぼも目立ちます。

多田 そんな中で、いま、鹿がものすごく増えているんです。鹿っていうと、奈良公園のかわいい鹿を連想するでしょう。自然の象徴のようにも思えるんですけども、じつは今、各地で増えすぎて、大変なことになっています。

野生の鹿が日本中で急激に増えている

多田 増えすぎた鹿の影響で各地で林が壊滅しかけています。奈良の春日山もそうですが、小さな木や草や灌木は鹿に食べられて、鹿の口の届かない大きな木だけが残っています。さらに食料が足りなくなると、立木の皮をはいで食べるようになり、そうなると大きな木も立ち枯れてしまいます。もっと増えると、飢えた鹿は地面の落葉まで食べつくすようになります。これが続くと、林の腐葉土も失われていきます。そこに雨が降ると、残っていた表土も流れてしまい、ガラガラした石や岩盤が露出した状態の、いわゆる“はげ山”になっちゃいます。表土の流出したやせたはげ山には、木のめばえも若木も、もう育たなくなるんですね。

種子には休眠する能力があるんですが、土の中の種子もなくなっちゃうと、林は二度と再生しない。林には本来、低木や下草もあって、それを食べる虫もいて、その虫を食べる鳥もいるわけですけど、林が崩壊してしまうと、そんな虫も鳥も動物たちもみんな生きられなくなってしまう。日本は雨が多いですが、林が崩壊して表土も失われてしまうと、雨が降っても木は育たず、植物の生えない砂漠のような環境になってしまうんですね。

いま日本では鹿による食害の影響で、各地で林が崩壊する一歩手前の、林の地面がつるつるして草がなくて岩や角張った石がめだつ状態になっています。鹿は増殖率が高く、エサが豊富で天敵がいない環境では個体数が指数関数的に増えます。そして一カ所で増えて食べ物がなくなると、今度は移動して、また次々に増えていく。そのスピードがとても速い。植物が鹿に食べられないように対抗して進化する暇もなく、食べられてしまいます。それだから、鹿が増えたなと思うと、十年とかからず、わずか数年で植生が変わっちゃいます。

塚村 奈良の若草山などは芝で覆われていますが……。

多田 鹿が増えると逆に芝は増えるんです。芝生を維持するのに芝刈りをするでしょう。他の草は絶えてしまうけど芝は茎が地面すれすれに横に這って伸びていくので、芝刈りに強くて生き残ります。鹿はちょうど芝の地上部を刈り取るようにして食べます。つまり、鹿が毎日芝刈りしてるようなものなんです。おまけに芝は鹿を利用していて、実のついた穂を鹿に食べられても種子は鹿のうんちの中に無傷で出てきます。鹿は肥料付きで芝のタネまきをしてくれてるんですね。

——だから奈良公園は芝がきれいなんですね。

多田 そうですね。奈良公園には刈り取りに強い芝と、あとは、全体が有毒で鹿も食べないアセビが多いんですね。ふつうのものは食べられてなくなっちゃう。

塚村 ああ、それで。アセビが生け垣みたいに群生しているところがあります。

 多田 テレビで春日山を散策する番組をやっていました。林の中を行く道の光景で、一定の高さより下には若木も木の枝葉も下草もなくて、がらんとしていました。鹿が口のとどく高さのことをディアラインって呼んでいるのですけど、鹿がディアラインより低いものを食べつくしてしまった状態なんです。わずかな有毒植物を残して、あとは林の地面がつるつるになった感じ。

——春日山の原生林を食べているのは、野生の鹿ですよね? 春日大社の鹿は、奈良公園とうまく共存していますよね。

多田 春日大社で護られている鹿は、特別な群れです。人に慣れて奈良公園に代々住み着いている鹿の一群です。あの鹿たちではないんです。そのほかに、山に住んでいる野生の鹿の群れがいるんですね。

鹿に対抗する植物の進化

——野生の鹿は、奈良とか京都だけではなく日本中で増えているのですか?

多田 たとえば、この画像を見てください。宮城県の金華山です。金華山は全体が島で、その中で鹿が増えています。ここでも鹿がきれいな芝生をつくっています。青々と生えているのはワラビです。ワラビには毒が含まれていて、鹿は食べないから、残っているんです。人はアク抜きをしてから食べるから平気だけれど。

宮城県・金華山。芝生の中に生えているのはワラビ, 2006年6月

こういう金華山のような閉鎖空間だと、ある程度、鹿が増えると食べるものがなくなって数が減るので、鹿の個体数が保たれています。そういう環境だと、植物は鹿に対抗するために進化します。たとえばトゲの鋭いものは食われないで残るので、金華山のサンショウのトゲは計ってみたら15ミリもありました。トゲの鋭いものだけが生き残ったんですね。ちなみに東京のサンショウのトゲは5ミリでした。

金華山のサンショウ, 2006年6月

——確かに、金華山のサンショウのトゲは長くて鋭いですね。

多田 ほかにも、金華山のガマズミは、葉っぱが小型化しています。本州のガマズミの葉っぱと比べると、ほらこんなに違う。

金華山のガマズミ, 2006年6月

神奈川県のガマズミ, 2008年9月

塚村 葉っぱが小型になる?

多田 ええ。ちっちゃくなります。どうしてかというと……。庭木を刈り込んで立体的にするトピアリーがあるでしょう。小さい葉っぱだと彫刻みたいに形ができるけど、大きな葉っぱだと造形できないですよね。小さい葉をもつ木は、刈られても、残った葉の根元から次々に新しい芽が出て、新しい葉っぱがまた生えてきます。葉っぱは、刈り込みに対しては、ちっちゃければちっちゃいほど、再生する可能性が高い。つまり、葉は小さいほど、鹿に食われても生き残れるというわけです。だから、金華山ではガマズミの葉が小さくなって、見た目がツゲみたいになっています。葉が小型化したものが生き残ってきたわけです。

——へぇ。そうなんですね!

多田 しかも、面白いことに、鹿の口の届く高さまではかなりちっちゃくて、口が届かないところの葉はずっと大きいんですね。つまり、本来は小さくしたくないところをすごく無理して小さくしたわけです。小さい葉をちまちまつけることは、光合成をおこなう上では、コスト的には損になりますから。それでもこうして小さくしないと、食われて復活できなくて死んじゃうリスクの方が高いから、小型化を選んだということなんですね。

鹿が森の草木を究極状態まで食いつくす

——植物もただ食われるだけではない。

多田 そうですね。金華山は閉鎖空間で、鹿が増えすぎて餌が不足すれば鹿が減る、というサイクルが生じるので、サンショウやガマズミなど植物の一部は、鹿に対抗する進化ができたけれど、陸続きの場所では、鹿の増殖のスピードに植物の進化が追いつけないんですね。ある場所で鹿が増えてエサを食いつくしても、次の場所へ移動することができれば、そこでまた植物を食べてさらに増殖する。そうやって個体数も増えて分布も広がっていくんですね。鹿が森の草木を究極状態にまで食いつくした結果は、どうなるか? たとえば、この写真ですが、伊豆の天城山なんですけど、何月に撮ったと思いますか?

静岡県・伊豆天城峠付近, 2013年

——冬っぽいですね。

多田 これが7月。

——えっ、7月ですか? まったく緑色じゃないですね……。

多田 地面に、草も若木もまったく生えていない!

——普通、山の地面にはシダなんかがよく生えてますけど。 

多田 それがないんです。おまけに倒木がいっぱいあるでしょう。しかも、生えている木も根が土から出てしまって、浮いていますね。要するに、腐葉土が流出しているんです。落葉もほとんどない。登山道を歩くと、ガラガラした岩くずだらけで、足元からどんどん崩れていく。こんな状態は、天城山に限らず、日本各地の山で見られます。

7月の天城峠。林床植生がなくなり表土も流出。2013年

——うーむ。

多田 この写真は尾瀬ですけど、尾瀬にも最近、鹿が入り込んで、ミズバショウの葉もこんな具合に……。ミズバショウは春にまず花が咲いて、そのあと葉っぱが出てきます。その葉を食べられてしまえば、株も次第に小さくなっていくでしょうね。

群馬県・尾瀬、ミズバショウの食害, 2018年9月

——ミズバショウの花が見頃、というニュースは毎年のように見ますが、そのあとで……。ひどいですね。鹿を減らすにはどうしたらいいんだろう?

多田 尾瀬では、鹿の駆除および防護柵の設置を始めました。尾瀬ヶ原の植生が近年急速に変化して、鹿が食べないヤマドリゼンマイとかイネ科の草が広がって、貴重な湿原の生態系がこのままでは壊れてしまうということで、その対策です。

尾瀬、鹿の食べないヤマドリゼンマイが繁茂, 2018年9月

ニホンジカの植生被害度調査を知らせる看板。2018年9月

一般に、鹿が増えてくると、鹿の好きな植物が集中して食べられて減る一方で、ちょっと嫌いな植物は食べ残されるので目について増えてきます。たとえば低山なら、ヒトリシズカとかバイケイソウがやけに目につくようになる。日光などの高原地帯では、レンゲツツジやスズラン、クリンソウが増える。日光の千手が浜では、クリンソウの群生がみごとで観光名所になっていますが、じつはもともと、鹿が嫌う植物だから増えたんです。

観光に訪れる人々は、「うわぁ。きれいなお花畑〜!」と喜びますが、それは豊かな自然の象徴ではない。自然のバランスが崩れてきたことを示す警告なんです。

群馬県・長野原町、ヒトリシズカが増加している。2019年5月

長野県・入笠山、クリンソウの群生, 2015年6月

塚村 そういうお花畑をウリにしてるところって、結構ありますよね。

多田 あります、あります。知らないで喜んでいるわけです。最初のうち、鹿はちょっと嫌いなものを残すんです。毒のものや香りの強いものは食べないんですね。鹿が多くなってくると、だから、まずはヒトリシズカもとか、強い毒のあるレンゲツツジやバイケイソウ、スズラン、クリンソウ、においの強いマルバダケブキ、マツカゼソウなどの、「忌避植物」が群生する。

でも、もっと鹿が増えてくると、嫌いなものも食べ始めます。最初は少しずつ食べていくうちに、体も次第に慣れて、なんと、ある程度は食べられるようになるんですね。硬くて嫌だったはずのササも食べるし、毒を含む草だって食べちゃう。そうなると、もうは林の地面はつるつるで、何もない状態に……。

塚村 ちょっとこわい。

多田 この写真は三重県の御在所岳の山麓なんですけど、このあたりも鹿の食害がひどいんですよ。地面を見てもらうと、木の根っこが全部浮いちゃってるのがわかりますよね。もう腐葉土もなく、表土もなく、岩盤が露出してきているんです。

三重県・御在所岳山麓、鹿の食害が著しいヤブツバキ林。鹿の口が届く高さまで葉がことごとく食べられてなくなってしまっている。この境界線のことを「ディアライン」と呼び、はっきり現れているようなら森は深刻な状況に入っている, 2019年4月

ここには東海自然歩道があるのですが、通行止めの札が立っていました。とても危険だからです。足元はとがった石がガラガラした急斜面で、すぐ横は切り立った崖で。歩くそばから石が崖下の渓谷に転がり落ちる状態で、私も怖くて先に行けませんでした。ふつうは夜に活動することの多い鹿が、この付近では昼間から人の目につくところで葉っぱを食べていました。

御在所岳山麓のヤブツバキ林に鹿, 2019年4月

写真に写っているのは野生の椿の木です。椿の幹は固いのでなんとか皮をはがれずに生きてはいても、跡継ぎの若い木はありません。根も露出して、土もない。今後、ここはどうなるか……。

御在所岳。各所で森林の崩壊が進んでいる, 2019年4月

この場所を訪ねたのは2019年の春ですが、1999年の紀行文(「ぐるっと日本列島・野の花の旅」菱山忠三郎、山と渓谷社)に描写されていた花いっぱいの心躍る渓流の光景は、石ガラガラの荒れ沢と化していて、花ももうなかったです。20年の間に、まったく様子が変わっていました。

御在所岳に近い藤原岳は、希少種のフクジュソウの咲く山です。この山にも2019年に登りました。全体が石灰岩の山で、山頂付近には白い岩が羊の群れのように点在していて、なんだか不思議な光景です。この山も鹿が多くて、山頂付近は立ち枯れた木ばかりが白く目立っていました。元気に生えているのは、毒のあるアセビとツゲ、それにフクジュソウくらいのものです。フクジュソウもじつは有毒植物なんですね。

三重県・藤原岳。林床植生を失った斜面に点在するフクジュソウ, 2019年4月

 

(その4に続く)

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