身のまわりにある、ありふれた草花や雑草からでも入っていける、植物の世界。大切なのは、自分の目で見ること。そして、目だけでなく自分の感覚を全部つかって感じることだと多田さんは言います。人間の思い込みや自己中心的な感覚を一度相対化し、リセットしてみること。そのことによって見えてくるのは、より大きく、豊かな、そして不思議な植物たちの営みです。(丸黄うりほ)

自宅の庭で(2021年3月15日)

植物は考えていない。だけど、とてもうまくやっている!

——多田さんの本を読むと、植物は生きるためにこんな仕組みになっているのかと感心するとともに、植物のヤツってなんだか相当アタマいいよなぁ、もしかしたら身体のどこかで考えているのかな?脳とかないはずなんだけど?と思ったりもします。

多田多恵子さん(以下、多田) もちろん植物には脳も神経系もないし、考えてもいないです。でも、考え尽くしたかのように、うまいこと生きている。だからこそ、自然ってすごいな、進化っていう現象って面白いなって感じるんですね。

塚村編集長(以下、塚村) 植物に音楽聴かせたらどうこう、とかいうのも……。

多田 音楽ねぇ……。音楽を聴かせるとよく育つとかいうのはニセ科学ですね。植物は空気の圧力は感じます。山の稜線など、強い風が吹く場所、つまり空気の圧力が強い場所では植物はあまり伸びずに背が低いんですね。だって高く伸びたら折れてしまいますもん。音楽も大音量であれば空気の振動として感知する可能性はないとはいえませんが、人と同じように感情を持って「聴いたり」、喜んだりすることはないですね。植物はまるで考えているかのようにうまくふるまっていますが、だからといって人と同じような思考や感情があるわけではない。動物とは全く違う生き方をしている生き物なんです。

——私は自宅で10年以上、ひょうたんを育ててるんですが、蔓ってまるで先端に目でもあるかのようにうまく巻きつきながら伸びていくんですよね。ひょうたんだけでなく、あらゆる植物が、生き延びるために、子孫を残すために、まるで戦略を立てているかのように感じられます。

ベランダで育つひょうたんのつる(撮影:丸黄うりほ)

多田 つるは先端をぐるぐる回していて、支柱を探り当てると素早く巻きつくんですね。植物は光の方向も感じ取って、あたかも考えているかのように、光の方向に伸びます。植物は動物とは違う方法で、風を感じたり光を「見たり」しているんですね。そのためのプログラムをちゃんとDNAに刻みこんでいます。考えてみれば、光がない場所で葉っぱを広げても、葉っぱを作ったコストに対して得られるゲインが少ないから、収支がマイナスになってしまって、枯れてしまう。光の来る方角を見極めて、そちらに枝を伸ばしていくんです。

——人間だったら、目で光を感じますよね。植物はいったいどこで感じるんですか?

多田 目があるわけではないのですが、光の質を読み取るしくみを持っています。代表的なのがフィトクロムっていう物質で、赤い光とそれより波長の長い遠赤色光で、ちょうどスイッチがオンオフするように構造が変わるという面白い性質があります。これを使って植物は、昼夜の長さとか、自分の頭上に植物がいるかどうかを見極めるというか、検査しているんですね。

——検査している?

多田 そうですね。調べている、というか……。私たちには葉っぱは緑色に見えますけど、それは補色である赤色の光が葉っぱに吸収されてしまうから、緑色に見えているわけですよね。緑の葉は赤色光を吸収する一方で、遠赤色光はほとんど使われないので、遠赤色光は葉っぱを通り抜けます。植物はその透過光の波長を調べることによって、自分の真上に葉っぱがあるかどうかを知ることができる。フィトクロムを使って赤色光と遠赤色光のバランスを測っているんです。

——すごいことをやっているんですね。もし、人間がそれを感知しようと思うと、特殊な機械が必要です。

多田 植物はそういう仕組みをタネの中に持っているんです。たとえばタネがここにあるとして、いま自分にふりそそぐ光が、葉っぱがいっぱいある時の光だと、タネは芽を出さずに休眠する。眠ってチャンスを待つわけです。それで、光の性質が変わって葉がなくなったとわかると、「チャンスだ!」とばかりにびゃーっと出てくる。

よく、ビルが取り壊されてできた更地なんかで、一斉に草の芽が出てきますよね。あれは、それまで地面に埋まってたタネが「いまだー!」って出てきたところなんです。

フィトクロムの信号を合図に芽を出す植物がある一方で、温度変化から地表のようすをみてとる植物もあります。地表に何もなくなると、夜と昼の温度差がすごく激しくなるじゃないですか。そういうので検知する。あるいは、強い光がぱあーっと照ると土の温度って50℃近くになる。その高温を検知するタネもいて、これも「やったぜー!」って出てくる。

——多田さんの本に「センサー」って言葉が使われてますけど、まさにそれはセンサーですね。

多田 そうですね。動物は、そこが生活に適さなかったら別の場所に移動して暮らせばいいんだけど、植物は動けないから、環境を把握するアンテナを日頃から張っとかないといけないわけね。タネが芽を出すときのほかにも、枝をどっちの方向に伸ばすかというときも、どの部分に光がよく当たるか、それならこっちに投資を注いで枝を伸ばして、そうでない方は伸ばすのやめようとか、いろいろやってるわけです。

ファミレス花もあれば、高級レストラン花もある

多田 でもね。人間もなかなか鋭いセンサーを持っているんですね。そのへんの草や実を食べると、苦い味がしたり、渋い味がしたりするでしょう。それは私たちの舌がセンサーだからですよ。苦いのは、野生植物がしばしば持ってるアルカロイド、つまり毒の成分の味。あ、こいつはやばいぞとちゃんと舌が認識して、食べるのをやめろって警告しているんです。

渋いのはタンニンの味です。食べるとタンパク質が固まって消化が悪くなるというような影響がでます。酸っぱいのは腐敗のサイン。私たちだって、日頃はおいしいとしか言ってないけれども、野生動物としての、危険を察知するセンサーを持っている。逆に、快いと感じるものは安全だと感知してるわけよね。甘い味とかも。タンニンやアルカロイドの味を不快に感じるのは、長い間、人間も野生として戦いながら生き延びてきたからなんですね。

人間がこうしたセンサーで食べていいものとよくないものを察知しているのと、植物が光を「見て」自分の置かれている状況を察知しているのは、人も植物も考えているのではなく、体の中に構築された遺伝的なプログラムに沿って、環境に対応しているということなんですね。

——なるほど。

多田 植物ってほんとにうまくできてるんですよね。たとえば花の形。私は花をレストランにたとえて、「ファミレス花」とか「高級レストラン花」とかと呼んでますけれども。

いろんな客に来てもらいたい花は、中に入りやすい形で、外から蜜や花粉のごちそうが丸見えで、とまりやすいように平らで上向きで、しっかりしたつくりなんです。そういうファミレス花には、ハチとかハエとかハナアブとか甲虫だとか、いろんな虫が来るわけですよね。

そうかと思えば、特殊なお客さんしか入れないような複雑なつくりの花もある。たとえば花びらを立体的にして奥に蜜を隠していたり、細長い筒状の花にして細長い口がなきゃ吸えないとか、複雑な構造の奥に潜り込む能力がなきゃだめとか、ぶら下がる能力がなきゃだめとか、そんな会員制のレストランもある。

野の草花にしても園芸植物にしても、それぞれ花の形には工夫があって。それも植物が考えたわけじゃないけど、花粉をどう運ばせてタネをつくるかという中で、そういうふうになってきたんです。

——レストランはすごくわかりやすいたとえですね!飲食店のすみ分けのように、花もすみ分けしているんですね。

多田 園芸植物のように、人間が品種改良して八重や大輪にしたものもありますけど、野生の花にも驚くほど大きくてきれいな花もあります。たとえばアヤメは、野生の原種なのに、そのまま園芸植物になるほど花びらが大きくてきれい。何のためにそれほど大きくしてるのかというと、ただひたすら虫のお客を誘うためです。マルハナバチをリピーターとして花粉を運んでもらうために、その広告として大きな花びらを広げて、虫の着陸台になる。それだけのために、あんなに大きな美しい花をつくってるわけですよね。

——花を色とりどりにするのも、なにか意味があるんでしょうか?

多田 花の色にも深い意味があります。たとえば、ファミレス系の花は黄色か白が多いんですね。ハエや甲虫など多くの虫は明るい方に飛ぶ習性があって、そのへんの本能をくすぐっている明るい色で装うわけ。だけど、マルハナバチとかミツバチとか、学習能力の高い特別なハナバチ系のお客さんに来てほしいなら、万人向けの色じゃなく学習によって覚えてもらえる紫系統にしておく。すると、ハナバチご用達になるわけです。

——ほう、高貴な色ですね。

多田 そうそう(笑)。選ばれし民にアピールする色なのね。アゲハ蝶に来てほしい花は、朱赤色で飾る。アゲハは他の多くの虫と違って朱赤色を敏感に感じるので、アゲハがメインで来てくれる。形にも工夫があります。チョウの口は細くて長いストローなので、アゲハの花はわざと細くて長い筒の奥に蜜を隠しています。そうすれば、ほかの虫に蜜を盗まれないで済むからね。なぜ特別な色や形でお客さんを選ぶのかというと、特別なお客さんはリピーターとなって花粉を効率よく運んでくれるからです。花とお客の虫が、互いに密接に関わり合いながら共に進化してきたんですね。

——面白い!ほんとによくできているんですね。植物のサバイバルで、とくにすごいなと思うのは、生殖活動というか、自分たちのタネをふやすための仕組みでしょうか。植物は、人間みたいに自分の子どもを残そうというんじゃなくて、種全体の保存を目指しているのでしょうか?

多田 それは違います。種の利益とか、種の保存の本能っていうのは、進化学的には誤った考え方なんです。ちょっと昔の誤った考え方。

——あ、そうなんですね。

多田 自分の子孫を残せたものが、遺伝子を次世代に残していくんです。それは植物でも動物でもそうですよ。より多くの子を残せた遺伝子が勝ち残って、その種の特性をつくっていくんです。

虫の目線になれば、雑草の花だってかなり大きい

塚村 いまは雑草ブームだとも言われていますよね。書店に行ったら、多田先生の本だけでなく、いろんな雑草の本がいっぱい並んでいるのを見かけます。

多田 そうらしいですね。私も最近は雑草の本で注目されることが多くて、「なんで雑草が好きになったんですか?」ってよく聞かれるんだけど(笑)。もちろん雑草も好きですけど、別に雑草だけが好きなわけじゃないんです。

生き物はそれぞれ物語をもっていると思っています。オオイヌノフグリにはオオイヌノフグリの、ヤマホタルブクロにはヤマホタルブクロの物語がそれぞれにあって、それぞれちがう生き方をしていて、それぞれに面白いところがある。

よく「何の花が好きですか?」とも聞かれますが、それぞれに際立つ個性があって困っちゃう(笑)。それで、「いろんな草や木がいるので、特に何かひとつと言われても困ります」と答えています。オオイヌノフグリの花びらって造形としてきれいだな、ツユクサもなんてすばらしい造形だろうと思う。しかもそのきれいな造形のそれぞれに生きる知恵や工夫が隠されていて、それを知ると、さらに「だからこんな造りなんだね、君はこんな風にして生きているんだね」っていう気持ちになる。

——植物って造形だけでも素晴らしいけど、生きる工夫を知るともっと面白い。

多田 みんな雑草の花ってちっちゃいと思うでしょう。でもね、人間は生き物の中で大きい方から数番目くらいの大きさなのね。ゾウとかキリンとかカバは大きいけど、そのランクの次に人間がくる。人間ってすごく大きい生き物なんですよ。だから、人間のサイズで大きい小さいって言ってもね、それはあくまで人間の目線からの判断だからね。だってたとえば、直径5ミリの花が咲いていても、体長1センチのハナアブが飛んできてその花を見たら、自分のサイズの半分の大きさの花なんですよ。

——本当です!そういうふうに考えたら、雑草の花だってすごく大きいですね!

多田 ハナアブの目で考えたら十分大きいですよね。どういう立場から見るかによって、ぜんぜん見え方が違ってくるわけです。大きいとか小さいという概念だって、絶対的ではない。

——相対的ってことですよね。

多田 そう。人間サイズでいろんなことを判断したら、いかんのよ。

——つい、やっちゃいますね。

多田 ちっぽけな花とか。

——言っちゃいますよね。

多田 花にとっては、どうやって生きてきたのかを凝縮したのが、現在の形であるわけです。

——こういうものの見方を知ることで、自分たち人間の感覚もリセットされますね。当たり前だと思っていたことがそうじゃないかも、ということに気がつく。

多田 そう。だから「虫の目線で」見ることが大事。

——すると、ぜんぜん違う世界が見えてきますね。

エゾアジサイとハナムグリ(撮影:多田多恵子)

多田 それもね、目だけじゃないんですよ。人間はけっこう目が重要で、視覚で三次元空間をとらえているけれど、モグラだったら、それは音とか匂いで構築された3次元空間で生きているわけですよね。犬にしたって、音とか匂いには人間よりはるかに敏感じゃないですか。犬は犬で違う感覚世界に生きているので、人間の感覚で判断しただけでは全然わかってないことになる。人間は、犬の世界のごく一部しか気づいてないんだから。

それに、都会に住んでいる人間だと、普段食べるものも市場や八百屋さんを通ってくるから、自然の恵みを直接手にすることがほとんどないですよね。都会は自然とどんどん乖離してしまって、生活基盤のあらゆることが切り離されているから、自然のなりたちや営みが、自分たちの暮らしとは違う空間軸の上にあるように感じてしまう。そして、違う軸上のものを思いやること、想像することが難しくなってしまう。

——人間はおごっているんでしょうね。自分たちが見てるもの、知っているものが世界のすべてだと思いがちですよね。

多田 人間の意識と自然がどんどん離れてきています。それによって人間も自然環境もどんどん違ってきていることが、私は非常にこわい、危険だと思います。こんなことしてていいのかな、と。そう思ってしまう事態がじつはあちこちで起こっています。

(その3に続く)

*その1はこちら