『したたかな植物たち(春夏篇/秋冬編)』(ちくま文庫)などの読み物、『美しき小さな雑草の花図鑑』(山と渓谷社)などの図鑑、子ども向きの科学絵本まで、数多くの著書がある理学博士・多田多恵子さん。多田さんの本を読むと、ふだんは気にとめていなかった道端のありふれた草花や植物たちに「目がいく」ようになります。植物に対する心の解像度が高くなる感じとでもいえるでしょうか? それらに一貫して感じられるのは、人間の都合や利害をこえたところにある、まっすぐな自然へのまなざしです。ぜひこの連続インタビューを読んで、みなさんも自然と親しむ「新しいまなざし」や「きっかけ」を手に入れてください。全6回でお送りします。(丸黄うりほ)

自宅の庭で(2021年3月15日)

植物はどうやって生きているのかを知る「植物生態学」

——『美しき小さな雑草の花図鑑』(山と渓谷社)は、とても美しい本ですね。写真の背景が黒色なので花の色や造形美がくっきりと際立って、大げさでなく宝石のように輝いて見えます。人気も高く、昨年の春にシリーズの2冊目『もっと美しき小さな雑草の花図鑑』も出版された。

多田多恵子さん(以下、多田) 写真家の大作(晃一)さんと編集者さん、デザイナーさんと私とでタッグを組んで作り上げた本です。小さな花や雑草をマクロなレンズを通して見たとき、純粋に造形的な花の美しさだけでなく、今まで知らなかった植物の世界が見えてきます。視点を違うところにもっていくと世の中って違って見えるじゃないですか?

この本のページを開くと、視野がひとつ、ぱっとめくれて、新しい世界がひらけたという感覚があると思うんですよね。美しいと思うだけじゃなくて、美しさに気がつくこと。そして、気がついたことに驚くこと。少し意識の改革みたいなところがあると思います。——そうですね。植物の見え方が多田さんの本を読むと変わってしまうなと感じています。ところで、ご専門である植物生態学とはどういった学問なのでしょうか。一般の人にはあまりなじみのない言葉だと思うのですが……。

多田 植物はどうやって生きているのか、を知る学問です。

たとえば、私たちがほかの人のことを知りたいって思ったときに、顔写真と名前と生年月日とを見ても、それだけでは知ることになりませんよね。その人が、ふだんどんな生活しているのか、どんな考え方をしているのか、どんな好みか、社会とどんな関わりをもちながら暮らしているのか。本当はそういうことを知りたいですよね。植物についても同じことで、名前と写真と、何科で何という属かとか、見分けるのに役立つ特徴といった解説が図鑑には書いてあるけれども、それだけではその植物の性格とか生き方とかはわからないじゃないですか。

そこで、その植物が生活している野外(フィールド)に行って、どんな環境にどのように適応していて、どんな虫が花にきて、いつ芽生えて、どんな風に成長して、どんな一生を送っているのか、どんな動物や菌類と関わり合いながら生きているのか、といったことを解明していくのが植物生態学です。

それもいろんな視点や調べ方があって、ある植物を中心に調べている人もいれば、植物と鳥や虫などほかの生き物との関わりを見ていたり、生態系というレベルで見ていたり、植物と環境の関係を調べている人もいる。どのようなアプローチにせよ、植物はその場から動けず、単独で生きているわけでもないので、生育環境やほかの生き物との関わり合いの部分はとても大事になります。

自然界の生き物はみんなほかの生き物とつながりをもって生きています。そのなかには、協力関係もあれば、ライバルみたいにお互いに競い合う関係もあれば、食う食われるという関係もあるわけです。そういう関係を全部ひっくるめて自然界がなりたっているんですね。

——すごく範囲が広いですね。

多田 そうですね。植物は動物と違って動けませんが、タネというカプセルで空間を移動しているし、タネの休眠という形で時間を超えても移動しているわけです。さらに長い時の流れの中では適応や進化も起こる。さまざまなアプローチが可能です。

——手法としては観察がベースになるんですか?

多田 手法もさまざまです。私はフィールド中心で、自然の中で生きている植物たちを実際に観察することに興味がありますが、たとえば葉っぱの内部の環境と光合成の関係を実験を重ねながら調べていくとか、シミュレーションを行ってモデルを組み立てるとか、そういう手法の研究もある。人間も地球上の生き物だから、人と植物の関わりも研究対象になります。どういう視野、視点から見るかが大切なんですね。よく小学校や中学校で夏休みの自由観察ってやるじゃない? あれもじつは生態学につながっているんですよ。

塚村編集長(以下、塚村) そういえば、新型コロナが流行してからツバメの巣の作り方が変わってきたっていうのを小学生が観察して、それが注目されてニュースになっていました。

多田 コロナで人の流れが変わったからでしょうね。日本生態学会の大会では高校生の生物部の研究発表も行われているんですよ。

——子どもでも大人でも、身近なものを見つめていくことが生態学につながっていくわけですね。

多田 化学実験するわけじゃないから、高価で特殊な装置や研究室がなきゃだめだとか、そんなこともないので、誰でも自由に手軽にできる。たとえば、家の近くの花にどんな虫がきてるか、とか。植物に限らず広く生態学ということであれば、土を調べて、土の中にどんな虫がいるか。そういうのを調べて疑問をもち、その疑問をさらに調べていくと、何かがわかってくるんです。市街地の土と公園の土、自分の家の土、あるいは林と、どうちがっているだろう。社会的な問題に興味があるなら、開発されて雑木林の木が切り倒されると、その地域の虫の種類はどう変わるだろう、川にすんでる魚が堰が一個できるとどう変わってくるのか、とか。問題意識の持ち方でいくらでも問いが立てられる。

図鑑が好きで、山で遊ぶのも大好きな少女だった

——多田さんが植物生態学に惹かれたのは子どものときからですか?目指されたきっかけなどは……?

多田 目指したという感じではなかったですね。きっかけ、というか……。これは私が5歳のころの写真で、母と一緒です。背景はロッキー山脈。父の仕事の都合で、一年間アメリカに住んでいたんです。

父(久保亮五)は統計力学の分野で活躍した物理学者、母は中学や高校の化学の先生をしていて、二人とも生き物が好きでした。私はちっちゃいときからよく自然の中につれてってもらいました。家には子ども用の学習図鑑のシリーズがあって、ページを眺めたり解説を読んだりするのを日頃から楽しんでいました。植物だけではなく、動物も虫も鳥も岩石も宇宙も魚も貝の図鑑もあって、絵のあるページも巻末の文字だけのページも熟読しました。

図鑑で見ていたものを、野外で実際に見つけると、「あれだ!」ってわかるわけですよね。そうすると、たとえば大きな駅の人混みの中に、たまたま知り合いを見つけると、その人だけぱっと輝いて見えて、久しぶりだねなんてちょっと言葉を交わしたりすれば、その日が一日楽しくなりますよね。それと同じような感じかな。

——知ってる花があった!という感じですね。

多田 「こんにちはー」って、そういう気持ちになりますよね(笑)。それがうれしくって。植物だけじゃなくて、鳥でも石でも貝でも。

——花に限らず自然のものが好き。

多田 そうですね。実際の自然のなかで、図鑑に載っていたものを五感でとらえると、あたらしく発見することがたくさんあって。

——そんな感じで、好きな世界に入っていかれたんですね。

多田 楽しく自然な感じでね。家の庭にも木や草がいろいろ生えていて、草花をいじくったり、ミミズが跳ね回ったりとかも楽しくて。そうそう、小学生のときに好きだったのが『ロビンソン・クルーソー』とか『十五少年漂流記』、『ツバメ号とアマゾン号』のシリーズ。

——冒険ものですね。

多田 あれは冒険ものってとらえるのかな。自然の中でいろんなものを見つけていきますよね?

——一般的には冒険小説にジャンル分けされると思いますが、それをそういうふうに読まれたというのが多田さんらしい。

多田 両親にはよく自然の中に連れて行ってもらいました。母に教わったのは川遊び。渓流にダムを作ったり、渓流を遡って探検したり。

じつは今も同じことをして遊んでいるんですが、今見てもやっぱり、きれいだなと思う。川のせせらぎに反射している光と木漏れ日と、そのなかにツリフネソウが揺れてたりとか……。そういう瞬間がまぶしい。

父母は夏になると山の中の古家を借りてくれて。それが毎年続きました。父は大学で教えていたので、大学の研究室の学生たちも集まってその古家で勉強会を開いていました。東京は暑かったですが、山の中は涼しくて、学生さんたちは午前中の涼しいときに勉強に集中し、午後はテニスと魚釣りとかハイキングとかを楽しんで。

——うわ、なんて素敵!

多田 父がアメリカの大学で教えていたから。アメリカ流の夏の過ごし方や学生さんとの交流の習慣を持ち帰ってきたんですね。私もそれに便乗して。

——子どもとしては超ラッキーですね。

多田 自然好きになったきっかけの一つは両親が自然好きだったこと、もう一つは図鑑があったこと。あとは、やっぱり……、山に行くのも観光旅行じゃなくて、私一人でよく自由にさせてくれていたことがありがたかったですね。「そんなとこ、一人でいったら危ないわ」とかも言われなかったので、私は野山を自由に一人で歩きまわり、川を遡り、崖をよじのぼり。

——ワイルドな少女だったんですね(笑)。

多田 高校もワンゲルです。ワンダーフォーゲル部所属。顧問の先生や友達といっしょによく山に行きました。大学でもサークルや学科の友達と山に行っていました。

大学時代、朝日連峰で。

知識と実際に見たものが結びつく。頭の中で花火が上がる

塚村 大学の専攻は何ですか?

多田 東大は駒場の1、2年生はまだ専門が決まってなくて、3年生から専門の勉強が始まります。私は理学部の生物学科に進学し、植物学を専攻に選びました。

学部でも大学院でも、自然好きの友人を誘って、土日のたびに山に行っていました。私の場合は、登山というよりも植物とか鳥を見るのが目的の半分以上です。鳥も好きで、めずらしい鳥がいると聞いたらスタスタと出かける(笑)。

大学時代、日光白根山で。

塚村 本で見るだけじゃなくて実際に見たいんですね。

多田 やっぱり自分の目で見ないとね。というか、目だけじゃなくて、自分の感覚全部で感じないと。近づかないと声とか匂いなんてわからないでしょう、どんな虫が飛んでいたとか、まわりの光景とか、鳴き声とか、全部ふくめて自分の五感で体験する。

見ないと、行かないと、わからないことっていっぱいあるじゃないですか。たとえば、葉っぱ一枚の写真があったとして、どうやったって裏側は見られない。触れられないし、ちぎれない。匂いもかげない。

——そこに行って体験することが大事。

多田 生身の体験が自分の中に少しずつ積もっていく。その過程にはいつも、たくさんのキラキラした感動が伴っているのですね。たんに学問的にどうこうではなく。

見たかった植物や鳥に会えたっていう感動もあるし。そのときの自然全体の、夕日が沈んでいく光景だとか、カナカナ(ヒグラシ)が鳴いていたことだとか……。

山の中で日が暮れていくときって素敵なんですよ。だんだん日が落ちていくと、それまで鳴いていたエゾゼミが鳴きやんで、ヒグラシが鳴き始めてひとしきり鳴くと、またふっと静かになって、すると夜の虫が鳴きはじめて、フクロウが鳴いたりヨタカの声が暗い空をよぎっていったり。

人間の目のほうも、薄暗くなってくるときに、白いものがふっと浮き立つ瞬間があったりする。まっくらになると、周囲の音に鋭敏になったり、蛾を誘う花の香りが漂ってきたりして、普段はあまり使ってなかった聴覚とか嗅覚が際だって鋭敏になるんですね。そういう感覚って、その場にその時に行かなきゃわからない。

行くとやっぱり、思いがけない感動とか発見とか静かな瞬間とか、二度と味わえない貴重な体験がたくさんあるんですよね。

——自然の中で出会うことの思いがけなさって、本当にすごいものだと思います。たとえば、都会でお買い物に行く場合は、初めから「あれを買いましょう」、「それならあの店にあるでしょう」と思って、だいたい予想してでかけていく。でも、自然が相手のときは、たとえ観察という目的があって出かけたとしても、行ってみると……。

多田 え、そうだったの? 思っていたのと違うとか。

——それどころか、それまでまったく知らないとか、頭の中になかったようなものに偶然出会ったりしますね。

多田 知らなかったことを見つける。発見する。すると、ぱぁーっと、頭の中に花火があがるような感覚がある。

それと、もう一つ、図鑑や本で読んで得ていた知識と、実際の体験が結びつく瞬間、そのときにも頭の中に花火が上がる。二重に花火があがるんですね(笑)。

ひとつの事象と、別の事象が結びつく。意識の持ち方っていうか、そのへんの深いところが刺激されるのは楽しいですね。

——刺激されて、脳の違うところがパカッとあく感じ。

多田 そう、そんな感じですね(笑)。

(その2に続く)