音楽ばかりでなく詩までが即興で作られた最新アルバム『なりやまず』。今までのインタビューでは、おもにヒカシューの音の作られ方についてお話を聞いてきました。今回は巻上さんの詩作に焦点を当てました。2020年3月、初めての詩集『至高の妄想 巻上公一詩集』で「第1回大岡信賞」を受賞。歌として生まれたヒカシューの歌詞が、活字で読む詩としても傑作であることが、文学界においても多くの人の知るところとなりました。(丸黄うりほ)

マキガミスタジオで(2021年3月14日)

谷川俊太郎さんはファーストアルバムから褒めてくれた

――ここからは巻上さんの詩作についてうかがっていきます。まずは、なんといっても巻上さんの初めての詩集『至高の妄想 巻上公一詩集』(書肆山田)ですね。2019年12月に初版が出たこの本で、2020年3月に「第1回大岡信賞」(主催・明治大学、朝日新聞社)を受賞されました。

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巻上公一(以下、巻上) うん、よくとれたよね、こんな立派な賞。なんだか権威的すぎるよね。

塚村編集長(以下、塚村) おめでとうございます。こういうのって、突然連絡が来るんですか?

巻上 詩の賞はね、普通は主催者に2冊ずつ本を送るっていうことをみんなやっているようだけど。この賞の場合は、なんかしらないけど突然朝日新聞社から電話がかかってきた。

――この本に収められているのは、ヒカシューの楽曲の歌詞ですよね?

巻上 うん、でも全部じゃない。少し変えたりしているところもある。あとはまったく歌になっていないのが実は入っている。いちばん最後の「メテオールのドライバー」とか。

――「メテオールのドライバー」は、この詩集のための書き下ろしですか?

巻上 いや、詩はいっぱい書いてあるから、そのなかから選びました。詩集を作ろうと思えばもう3、4冊できる。ものすごく書きためてあるよ、まだまだいっぱいある。

塚村 詩は曲を作るための詩のほかに、詩としての詩を書くわけですか?

巻上 そうね、詩はずっと書いていて、なんとなく歌詞にならないやつは詩になっちゃうんだけど。

塚村 書いてて、これは曲になりそうっていうのがあるんですか?

巻上 うん、やっぱり曲にしないといけないので。歌は、活字にして読むものと違いがあるから。歌いやすさ、発話に注意しながら書き直したりしますね。聞こえ方も重要だから、それに注意を払いながらやっています。

ヒカシューの歌詞は、あまり歌として歌われていないことを歌にしようかなと思って書いてるんだけど。最初はバンドのためではなく、劇中歌として「幼虫の危機」と「プヨプヨ」を書きました。それは相当変だよね。

――衝撃でしたね、あれを初めて聴いたときは。歌詞が、巻上さんの歌声が、耳から入って脳にこびりつく感じ。

巻上 そんな歌なかったしね。いまでもそんな歌はないと思う。しかもメジャーで出せるなんて夢のような話ですね。

――ヒカシューの歌詞はこうやって活字で見ても、はっきりとした、しかもユーモラスなことばで綴られているのがわかりますね。そしてしっかりと意味がある。

巻上 ファーストアルバム『ヒカシュー』(1980年)が出たときから谷川俊太郎さんには褒めていただきました。なんの媒体だったかは忘れちゃったけどね。朝日新聞かPOPEYEかな。いまは会う事もあります。僕がプロデュースするJAZZ ART せんがわに出演してもらったり、『人間の顔』のリマスターの帯頼んだり、『生きてこい沈黙』の歌詞カードすぐ読んでくれたり、そんなこんな付き合いもあったので、この本の帯を書いていただきました。

なにしろ初めての詩集なんで、谷川さんに帯文をお願いしようと、息子の谷川賢作に聞いたら、直にファックスしてほしいと言われ(笑)、ファックスしました。そしたらすぐにゲラを送ってください、と返事があった。それで、書肆山田からゲラ送ってもらって。送った次の日にすてきな帯文が来たよ。なんて仕事が早い人なんだろうって思ったよ。

はじめっからことばが意味を道連れに音楽してるから、読んでると愉快になる。悪戯っ子みたいに自由な、思いがけない現代詩の登場だ!——谷川俊太郎

巻上 谷川さんの詩を一緒に歌っている覚和歌子さんが、『文春WOMAN』の特集「世界を知る読書64冊」の中の詩の本に取り上げてくれたりもしたんだよね。気にかけてもらえてよかったし、出してよかったと思う。書肆山田のおかげだ。

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マレーヴィチ「黒の正方形」から生まれた「至高の妄想」

巻上 でも、『至高の妄想』というタイトルをアマゾンで検索すると、「あなたは18歳未満ではありませんか?」っていうのが出ちゃうんだけどね(笑)、タイトルがエロっぽい方向に思われるらしくて。

――ええっ?なぜでしょうね?(笑)

巻上 「妄想」っていうことばがダメなのかな。

塚村 アルバム『あんぐり』に入っている「至高の妄想」は私も歌えますよ!「♪黒の正方形のひび割れ〜」。この歌詞はすごいですね。抽象画を見たまま歌っている、こんな歌、聴いたことないと思いました(笑)

巻上 マレーヴィチの「黒の正方形」は、モスクワのトレチャコフスキー美術館の新館にあるんだけど、僕は何回も見てます。それでヒカシューのメンバーも連れて行ったんですよ。そしたら共通の体験ができるじゃないですか。で、これを歌にしようと思って。

マレーヴィチはロシア構成主義の画家で、ただの正方形を描くっていうところが芸術的に行き着くとこまで行き着いたというのがあったのに、驚いたことにこの絵をよくよく見てみるとひび割れているんだよ(笑)。これってただの絵じゃんと思って。いわゆる普通の絵と同じように経年変化をしていて、そこが面白くて、ひび割れのことを詩にしてみようと思った。これって誰も注目してないんじゃないかと。北園克衛ぐらいかな、詩にしてるのは。

塚村 へえ、そうなんですね。で、2番は「♪白の正方形のくすみは〜」、こっちは白がくすんでたんですか?

巻上 くすんでた。ちゃんとした白じゃないし。それに確かね、X線で調査すると下に多彩な色彩が塗り込まれているらしいですよ。

塚村 それを歌う?歌にする? (笑)。しかも本のタイトルもそれ?(笑)で、受賞している(笑)

――巻上さんの詩って、これを歌にしちゃうんだ?と思うことが多い。発想が平凡な感じのJ-POPの歌詞とはだいぶ違いますね。

巻上 J-POPの歌詞ね、たまにちょっと耐えられないレベルのものありますね。これはディレクターがよしとしたのか?もうちょっと考えた方がいいのにと思うことはあるね。

――J-POPの歌詞ってなんで恋愛の歌が多いんですか?

巻上 僕も恋愛の歌は好きだし、多いけどね。恋愛の歌じゃないと売れないと思っているんじゃないですか?

塚村 小説も。村上春樹にも必ず……。

巻上 恋愛のちょっとエッチっぽい描写が(笑)あれは商売でやってるな、っていつも思っちゃう。

――確かにそうかも。

巻上 ノーベル文学賞はとれないと思うよ(笑)

塚村 そんなこと言って大丈夫ですか?

巻上 とれたら万歳だし、僕みたいなヤツに言われても傷つかないでしょ。だって映画に出てるから(笑)。日本人作家で近いのは多和田葉子さんでしょう。本当にいちばん近かったのは津島佑子さんだったらしいけど。でも残念なことに亡くなられたからね。津島佑子はとても好きです。すごく豊かで、謎の紀行文みたいになっているしね、スケールも大きくて素晴らしい。

だけど、海外に行くと村上春樹をどう思うかってよく聞かれるんだよ。3年くらい前にポーランドのジャズフェスに行ったときに、文学と音楽がテーマのインタビューがあって、ぼくと坂田明が受けたんだけど(笑)。インタビュアーが村上春樹のことを聞こうとしているわけよ。すると坂田さんが、「なんかつまんねーな」とか言っちゃってさ。「村上春樹よりもポーランドの文学のほうが面白いじゃないですか。日本で結構翻訳されていますよ。ゴンブローヴィッチとかシュルツとか」って言ったら、「ええっ!あれをどうやって翻訳するんだ?」って(笑)

大森一樹監督『風の歌を聴け』1981年。原作:村上春樹。出演:小林薫、真行寺君枝、巻上公一、坂田明ほか。Amazon prime Videoはこちら

 活字で書かれた詩には、紙のすきまがあって楽しい!

――巻上さんが個人的に好きな詩人は?

巻上 いちばん影響受けたのは寺山修司です。『寺山修司少女詩集』っていうのがあって、最近復刻されたのを買ったんだけど、それ今読んでも独特の難解さがある。中学三年生くらいに興味もって、お年玉で買えるもの全部買っちゃいました。その前は宮沢賢治とかを読んでましたけど。

塚村 リアルタイムで読んでいたのですね。

――寺山修司が流行ってた?

巻上 いやもう、スターだから。寺山さんて大スターです。ラジオドラマの復刻CDが出ているんですけど、僕は解説も書いていますよ。『恐山』かな。

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ラジオドラマがとてもおもしろいんですよ。当時NHKでずいぶん聴いてました。たとえば『コメット・イケヤ』とかね、コメットハンターの池谷さんが発見した彗星の話。音楽も武満徹さんがやっていたりとかね、それにすごい影響受けましたね。

――小説はどうですか?

巻上 実はそんなに読んでないです。内田百閒とか、深沢七郎とか、山田風太郎とか、澁澤龍彦の『高丘親王航海記』が好きでした。あと、唐十郎、筒井康隆、高見順も。少し古いし、趣味がバラバラですね。

外国のものは、ロシア語はじめてからロシア文学に興味をもちました。ペレーヴィンとか。アメリカのものは、フィリップ・K・ディックとか、ドナルド・バーセルミとかも。それからトマス・ピンチョン。

あとやはりロシア人だけど、ナボコフが面白いかな。サントクトペテルブルクでは、ナボコフの部屋や、ドストエフスキーの部屋に行きました。作品だと『青白い炎』とか。架空の詩人とその批評の話なんだけど、ナボコフはピンチョンの先生ですよね、確か。まさに同じスタイルで書いているわけです。宇多田ヒカルがあれを好きだって聞いてびっくりしたんだけど。

ナボコフはだいたい読みました。最近かなり出版されているので。デビッド・ボウイがすごくナボコフが好きで、最後から2作目のアルバム『ザ・ネクスト・デイ』に、ナボコフをテーマにして書いている曲もあります。そういうのあまり日本では紹介されないんだけど、おもしろいなと思ってみてます。やっぱりデビッド・ボウイは教養があるなと思って。中国だと莫言さんとか好きです。

――巻上さんも教養のかたまりですよね。ここ(マキガミスタジオ)の蔵書みてると、すごい。

巻上 いや、そんなことないですよ。相当偏ってます。

塚村 でも、そういうものを読んできたからこそ、アドリブでも詩が出てくるっていうことなんですね。

巻上 ヒカシューをはじめてからたくさんの詩人を知りました。西脇順三郎とか吉田一穂とか、全集を買ってみたり、結構かっこいいですね。

吉増剛三や白石かずこ、伊藤比呂美、川上未映子など、たくさんの詩人に自分のフェスにも来ていただきました。

――だから、この『至高の妄想』という詩集で賞をとられたっていうのは妥当ですよね。ご本人は意外だったっておっしゃるけど、私は現代詩として正統だと思います。

巻上 あ、そう(笑)。常にアウトサイダーなので、驚きですが、意外に正統派だと、文芸評論家の三浦雅士にそう言われましたね。

このあいだ「連詩の会」というのに参加したんです。大岡信が静岡で始めたイベントなんだけど。それでまあ僕が賞をとったから呼ばれて、5人の詩人、野村喜和夫を筆頭に、三浦雅士、長谷川櫂、マーサ・ナカムラそして僕、というメンバーが集まって、連詩っていうのをやりました。五行三行五行三行っていうふうにバトンタッチして作っていくんだけど、40篇作るんですよね、閉じこもって。前のができないと次のが書けないから、順番を待ってなきゃいけないんだけど。

塚村 それは同じ部屋で待つんですか?

巻上 ふたつくらい隠れ部屋もある。僕は全然いかなかったけどね。書けないときはそこに行ってしばらく一人になって書く。

そのとき、三浦雅士に「巻上さんの詩って案外大岡信に似てるね」って言われた。僕自身はそうは思ってなかったし、僕の活動が多岐にわたっているから「大岡信賞」とったんだって思ってたんだけど。「詩人として正統派で、とるべくしてとったんだよ」って言われた。「ほんとに?」って。そんなことは自分でも感じてなかったけど、文芸評論家が言うんだから、ありがたい言葉だなと思ってます。三浦さんは、マーサ・ナカムラにも鈴木志郎康の系列とか、いちいち参加者を解説していて面白かったです。

――この本の付録として「この詩集では、」という解説を町田康さんが書いていらっしゃいますね。40年たったいまでも「20世紀の終りに」を最初から最後まで空で歌えると。そこに巻上さんの詩の本質を見てらっしゃる。

巻上 そうね、最近よくつきあっていますね。家が近いのと義妹が彼のバンドのドラムスやったりしているので、たまにに会ったりしています。

――町田康さんは、町田町蔵の名でINUのヴォーカリストでもあった。

巻上 うん、そのころから知り合いだから。彼は10年くらい前に熱海に引っ越してきたらしいの。そのときすぐに会うことはなかったんだけど、最近は意外に気が合うなと思って。

――町田さん自身の作品も正統派の純文学ですね。そして、その文章は散文だけどリズム感がある。

巻上 そうそう、すばらしい。

――おふたりにはなにか近いものがあるのかなと思います。

巻上 ありますね、思いがけず気があってびっくりした。最近の町田さんの小説はとくにいいなと思う。初期は、大正時代の小説家かと思いましたね。僕も昔の小説が好きだから、強烈なオマージュに驚かされてました。いまは肩の力が抜けて、自分のものになっていて流石です。

――巻上さんの詩も純粋に詩集として、独立して読んでおもしろい。

巻上 いまの詩人より詩っぽいのかな。最近の詩人は散文的に書く人が多いよね。僕は短いのが好きなんですよ。この本のあとがきにも書いているんだけど、北島(ペイタオ)っていう中国の詩人がいるんだけどね。この人の「生活」っていう詩があるのね。それが一字「網」って漢字が書いてあるだけで終わりなんですよ。活字で書かれたことば。それが詩だっていうのが面白くてね。「網」って、ネットワークだよね。風通しもいいじゃないですか。活字の詩は紙のすきまがあって楽しいって僕は思っているんだけど、すきまがないのが最近増えてるんで。そういう意味では僕の詩は詩っぽいかもしれない。

――確かに巻上さんのことばにはすきまがありますね。読み手、聴き手にあるていど委ねてくれる。その「生活」という詩のことは、この詩集をまとめて出すきっかけにもなったと、あとがきにも書かれていますね。

巻上 詩集はまた出したいな。

――どんどん生まれてくるものがありそうですね。

巻上 うん。こつこつ書いているからね。

*その5に続く

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