姫路マッシュルームから難波ベアーズを経て
東京・高円寺U.F.O.CLUB……。わらしべ長者のような旅はまだまだ続く。
(監修:山本精一/取材・構成:石原基久)

▲東京暮らしも早10年。

 

──道下(慎介)くんのベアーズ・デビューはいつになるの?

道下 高校生の時(1995年)です。話はちょっと遡るんですけど、ボクは姫路生まれで、ビートルズのコピー・バンドを始めて。まずは地元のマッシュルームに出たんです。マッシュルームってその頃、高田渡さん、三上寛さん、友部正人さん、あと裸のラリーズの水谷孝さんなんかも出てた。すごくないですか? そんなマッシュルームで働いてたのが、長谷川光平さん、ひろしさんや怖のふたりで。自分たちの演奏はめちゃくちゃヘタだったんですけれど、それをカッコイイと思ってやってたから、ものすごくスカムで面白かったみたいで。ほめられたもんやから、調子にのってオリジナルを作ったりするようになる。まだスカムの意味すらわかってなかったんですけど。

そんな感じで10代はヒマさえあれば、マッシュルームに行ってました。そんな流れのなかでベアーズの公開オーデションを受けて。それ以来ずっとベアーズにお世話になっています。LSDマーチでも公開オーデションを受けましたよ(1997年)。そしたら山本(精一)さんから結果報告の電話がかかってきて。「次、いつ出れる?」「どんな人とやりたい?」と訊かれたから、つい「有名な人とやりたいです」と返事してしまって。それで組んでもらった対バンが餃子大王だった。

それ以来、山本さんから電話をもらうことなんてなかったんですけど、12年ぶりにかかってきたのが「ベアーズのブッキングやってくれへん? 道下くんしかおらへんわ」って電話だった。山本さんにお願いされるって名誉なことじゃないですか。で、これは何としてでもやりたいな、と。当時まだ姫路に住んでたから、毎日、ベアーズに通うのって大丈夫かなという心配もありましたけど、これはチャンスに違いないと思って引き受けたんです。

──ベアーズのスタッフになってすぐの頃、「受付に座ってたら、山本さんが血相変えて『なんで君、受付に座ってんの!?』って怒られた」って言ってなかったっけ。

道下 えっ、そんなこと言ってました? 全然記憶ないです。それが事実としたら、冗談だったんじゃないですか? ボクが山本さんに怒られたのは、Hard-Onsってオーストラリアのバンドが来日した時、お客さんが全然入らなかったのに間違えてギャラをかなり多く渡してしまったとき1回だけ。怒られたというか、「お金のことはちゃんとせなあかんで」っていうような内容だったと思います。

──道下くんはその前にマッシュルームの店長もやってたよね。

道下 やってました。2003〜05年のあたりですね。最初、バイトでスタジオ当番とかチラシを作ったりしてるうちにブッキングも任されるようになって。気づいたら店長になってました。

──その経験はベアーズでも生かされた?

道下 どうなんでしょう。ライヴハウスの仕事の全体的な流れとかPAのこととかはマッシュルームでの経験が生きてるといえば生きてるんですけれど、出演バンドが違いすぎて。それだけでもう世界が違うというか、違う国で働いてるみたいな感じでしたからね。08年にオシリペンペンズに加入したのが大きかったですね。当時、[関西ゼロ世代]という括りがあって、名前は知られてたし、ライヴもかなりの数やってたので、いろんなバンドと知り合うことができてましたからね。あと、ミドリの後藤まりことバンド(XIRA XIRA FANTASTIC)をやったり、自分自身の幅が広がっていったのも大きかった。その経験がベアーズでの仕事にかなり影響したと思います。

オシリペンペンズ [左より中林キララ(g)・石井モタコ(vo)・道下慎介(ds)]  撮影:佐伯慎亮

──ベアーズで働いてたのは結局いつからいつまでになるの?

道下 09年11月から11年の3月まで。ざっくり1年半。短いんですよ。最初、姫路から通ってたんですけれど、さすがにライヴ終わって片づけて、それから帰るとなると、物理的に無理で。巨人ゆえにデカイのヴォーカルのミッコくん(水内義人)が大正に住んでたから、そこに転がり込みました。ベアーズで働く時には(JOJO)広重さんに占ってもらったんですよ。「ベアーズで働いて大丈夫ですか?」って。「大丈夫!いい感じになります」と背中を押してもらいました。ベアーズを辞める時も、それを人ヅテで耳にしたらしく広重さんから連絡があって「占ってあげるから来なさい。東京に行くんでしょ」と。「東京のどの辺りに住めばいいか」も占ってもらって、そのとおりにやってみた。気にかけてもらって、ほんとにありがたかったですね。

──オシリペンペンズはその時期、アルケミー・アーティストやったからね。

道下 LSDマーチもアルケミー・オムニバス『THE NIGHT GALLERY』に参加してたし(03年8月リリース)。実は広重さんとのつきあいも結構長いんですよね。マッシュルームに来てもらったこともあるし、ベアーズにも毎月のように出てもらってましたから。

──特に09年は非常階段30周年のアニバーサリー・イヤーでもあったから。

道下 そうですね。非常階段とペンペンズのツーマンもやりましたね。それも楽しかったし、働かせてもらってた頃のベアーズは、あふりらんぽ、DODDODO、neco眠るとか全国的に名前の知られた大阪の勢いのあるバンドが周りにいたので、ブッキングもやりがいがあった。さらに昔からお世話になってるギューンカセットの須原敬三さんや、フォーエバーレコードの東瀬戸悟さん、アシッドマザーズテンプルの河端一さんに助けられたり、なおかつ持ち込みイベントもいろいろあって。GEZANが自主企画をやり始めたり、クリトリック・リスのワンマン……盛りだくさんでした。で、この面白い雰囲気を形に残したいと思って、ベアーズ・コンピ『ベアリズム』の制作を始めたんです。

道下が企画・構成をしたベアーズ・コンピ『ベアリズム』。チコピドー、クリトリック・リス、オシリペンペンズ 、似非浪漫、下山(GEZAN)ら13アーティスト収録。2011年8月リリース。

『ベアリズム』発売記念イベントのチラシ。

──その『ベアリズム』のレコ発で、モタコくんとGEZANのマヒトくん(マヒトゥ・ザ・ピーポー)がケンカしたんやっけ。それを収めたのは山本さんの「ベアーズってこんなもんですわ」の一言だったってのが多くの人の記憶に残ってる。

道下 その時、ボクは既に東京に住んでて、仕事もあったんで大阪に行けなかったんですね。あとで聞いた話ですが、モタコくんとマヒトくんとスギムさん(クリトリック・リス)がわちゃわちゃなって。それにブチギレた山本さんをなだめるためにスギムさんが「これはプロレスみたいなもんなんです!」って言ったら、山本さんが「それ、どこの団体のこと?」ってわけがわからんことになったらしいです(笑)。

──ほかに山本さんに言われたこととか思い出すことってある?

道下 山本さんにはトイレの掃除とかチラシがきちんと並んでなかったりすると、よく注意されましたね。ライヴ後、掃除するのはどこのライヴハウスでも同じだと思うんですけれど、次の日にはまた新しいバンドを迎えるためにそこで一度リセットするっていうか。そういう、迎える側のプロ意識みたいなものを学ばせてもらいました。

あと、思い出すのは当時一緒に働いてたスタッフのことですね。サウンドチェックを済ませたら、本番までの間に食事していいことになってて。近くのマクドナルド(なんばパークス前店)にスタッフの誰かが買い出しに行って。階段とかでハンバーガーとかポテトを食べるのが定番で。アメリカのライヴハウスとかもそんな感じですよね。ベアーズの近くにインドカレーの店ができた時はナンとカレーを立って食べてました(笑)。

あと、保海(良枝)さんって昼間にサーフィンしてからベアーズに出勤してPAするんですよ。で、リハ中に「やばい!耳が聴こえんようになった。あ、ごめん、耳に海の水が詰まってたわ」とか……必ず一日の中に笑いがありましたね。ボクも大正のミッコくんの家から通天閣の近く(ベアーズ〜通天閣の距離はわずか1kmほど)に引っ越してスケボーでベアーズまで通おうと考えたことがあって。スタッフに相談したら、みんなスケボーを持ってきて。ライヴ後、ホールのとこ(客席スペース)で教えてくれるんです。保海さんも「私も持ってこよ」って翌日、持ってきたのはボクの身長より高いロングボードでひと漕ぎもできなかった。あのスケール感の違いは何やったんやろ(笑)。アメリカ村のカルチャーがベアーズ・スタッフにも浸透してて、殿井(静)さんも栗本(直美)さんもスケボーできるんですよ。びっくりしました。

──さすがベアーズ! アメ村なんて目と鼻の先やから。

道下 ベアーズ辞めたあと、ボクは上京して高円寺のU.F.O.CLUBで働き始めるんですけれど、山本さんはその後もずっとつきあってくださって。U.F.O.CLUBにライヴ出演もしてくださるし、ペンペンズと共演してもらったり。ボクが始めたレーベル(Donburi Disk)から、ギター・ソロのアルバムを2枚(『Lights』『palm』)を出したり、山本さんが歌ものライヴをやる時、ドラムを叩かせてもらったり……ほんといろいろ助けてくださいました。

山本さんのライヴのスタンスって面白いですよね。『フジロックFes.』とか日比谷野外音楽堂とか何万人、何千人とかの前でライヴをやるじゃないですか。その次の日はお客さんが10人ほどの小さなとこで人形劇やったり……振り幅がめちゃめちゃすごい! さらに、絵画、書道、陶芸、文学……マンガやアニメ、アイドルにもめちゃくちゃ詳しい! 週刊少年ジャンプも創刊号から読み続けててめっちゃ保管してるらしいんですけど、家の床ぬけちゃわないんですかね。そういう、生きる都市伝説的なところが山本さんにはあるんですね。ベアーズに面白い人が集まってくる秘密がそこにあると思います。ネットでベアーズのスタッフ募集とか見ると、「また働きたいな」って思いますもん。

あと、いまでもベアーズのスケジュールはチェックしてるんですけど、かなりハイセンスなブッキングが多くて、“音楽”と“音楽”でやり合ってるというか、チラシを見ただけで音が鳴ってる感じがする。そういうのに刺激されて、大阪に負けてられへんな、と。

──事前に送ってくれたチラシはどんな基準で選んだの?

道下 いやぁ、ネットで探して見つけたのがそれだけだったんです。それぞれにエピソードはあって…『偽ドラマンダラ』は08・09年に山本さんがやった『DRUMANDARA』に対抗してベアーズに出てる無名のドラマーを集めた企画。張り切り過ぎて、ドラムセットをステージに4台、客席にもパーカッションやシンバルを並べて、お客さんが全く入れなくなってしまった(笑)。

2009年11月に行われた山本精一企画による『DRUMANDARA』チラシ。

2011年2月に行われた道下慎介企画による『偽DRUMANDARA』チラシ。

『偽DRUMANDARA』当日のステージと客席。お客さんが入るスペースがない!?

『ギター早弾き大会』のほうはメンツもなかなかいい人選でボクも出たんですけれど、のこぎりでギターを切ったりカオスなイベントでした。優勝したのは河端さん。司会を佐伯誠之助さんに頼んでたんですけれど、河端さんの名前を間違えて、河端さんがキレてギターを佐伯さんに投げつけて気まずい空気で終わったことも忘れられません。

2010年12月のベアーズ・マンスリー。デザイン&文責も道下自身。

あと、毎年どこかしらで歴史を振り返る的なイベントをやってると思いますけれど、『関西アンダーグラウンド解体夜話』も、まさにそういう企画で。関西アンダーグラウンドの歴史も膨大な量になり過ぎて、個人で調べるのはなかなか難しいじゃないですか? たくさんの面白いことが知られずに埋もれていってしまうことはさみしい。だから、ベアーズに来る若いミュージシャン、お客さんたちに、それを伝えていくことは大事なことだと思ってて。初めて来る若いバンドマンとかお客さんがさらに興味を持ってくれそうなイベントを心がけていました。若い時ってお金はないかもしれないけれど、時間や自由に動けるパワーはあると思うんです。それを思いっきり解放する場所がライヴハウス。そういうところから、何か、新しいモノが生まれてきそうな感じがするんです。

2011年1月に開催された『関西アンダーグラウンド解体夜話』。こういうイベントはいろんな場所で繰り返し繰り返しやることに意味がある。

──最後に締めの言葉をお願いします。

道下 ベアーズって、繊細な歌もの、知的な音楽もやってるけど、めちゃくちゃアホなのもやってて。振り幅が広いのが面白いですよね。多ジャンルで一日でハードコア、ノイズ、サイケとかがグチャ混ぜ。それを楽しめる感受性豊かなお客さんってすごくないですか? 普通なら「ワケわからん」ってなると思うんですよ。それを楽しめてブログで感想を書いたりCD買ったり、ちゃんとアクションを起こせる。すごいなぁ。お客さんを見たら、そのライヴハウスがわかる気がします。あと、トイレでもわかる(笑)。

 

*メモ

  • 姫路マッシュルーム:1994〜2011年、姫路にあったライヴハウス。90年代、PLAYMATE、DROOP、怖(coa)などを次々輩出して、姫路は「ロックの恐山」とも呼ばれた。練習スタジオやたまり場となるスペースも併設。経営元はビジネスホテルで、ツアー・バンドには格安で泊まれる特典もあった。
  • 長谷川光平:マッシュルームを立ち上げ、ヴィジュアル一辺倒だった姫路のシーンに一石を投じた。1980年前後は東京で暮らし、吉祥寺ぐゎらん堂の常連だった過去あり。
  • ひろしさん:70年代、だててんりゅう〜頭脳警察〜裸のラリーズと渡り歩いた強者。さらにニプリッツ、ポートカスなどを経て、燻裕理名義でソロ活動中。
  • 怖のふたり:EDDIE(vo,b)とBILL(ds)。ノイズコアの女子ふたり組で90年代半ば、話題を集めた。EDDIE(ゑでゐ鼓雨麿)はいまもアシッドフォークバンド、ゑでぃまぁこんで活躍中。
  • 餃子大王:森かずおほか、メンバー全員が現役教師というゆかいなロックバンド。80年代にはインディーズチャートを席巻。テレビやラジオにレギュラー番組を持ち、スピッツと対バンしたことも。いまも精力的に活動中。
  • 関西ゼロ世代:2000年代初頭、頭角を現したあふりらんぽ、ZUINOSIN、オシリペンペンズ といった新世代バンドの総称。OORUTAICHI、ミドリなども含む。
  • 大正:大阪市の西部湾岸エリア。ベアーズとの距離は3kmほど。
  • JOJO広重:前回触れなかったが、中国の占い「断易」の鑑定士でもある。大阪・心斎橋と東京・下北沢に占いの店「占い〜FUTURE DAYS」を持っている。
  • 東高円寺U.F.O.CLUB:サブカルの街として知られる東京・高円寺に1996年からあるライヴハウス。ゆらゆら帝国、ギターウルフ、THE BAWDIESなど、数多くのバンドを輩出している。