第5回は、巻上さんとホーメイの関わりを中心にお話をうかがっていきます。日本におけるホーメイの第一人者としてもよく知られている巻上さんですが、ホーメイのふるさとトゥバ共和国では、ホーメイ・フェスティバルの外国人審査員として20年以上も活躍。今ではトゥバ人が最もよく知っている日本人の一人に。はからずも二国の架け橋的な存在となった、巻上さんの思いとは?現地のホーメイ事情も満載です。(丸黄うりほ)

マキガミスタジオ入口で(2021年3月14日)

トゥバのホーメイ・フェスで20年以上審査員をしています

――ヒカシューと並行して巻上さんが積極的に関わってこられた活動の一つに、ホーメイがありますね。ここで最初に確認しておくべきかと思うのですが、巻上さんがずっとやってこられたのはモンゴルのホーミーではなくて、トゥバのホーメイですよね?このふたつは違うものなんですか?

巻上公一(以下、巻上) これはとても難しい問題なんですよね。本家争いの様相を呈していますから。

1992年に第一回国際ホーメイシンポジウムに参加したロシア音楽の森田稔さんによると、1991年くらいにモンゴルが、ホーミーをユネスコに無形文化遺産としてうかがいを立てたのを契機に、トゥバが「冗談じゃない、うちのほうが盛んだ!」っていうんで、こちらもユネスコに提言して、国際ホーメイシンポジウムというのが始まったようです。

――ホーメイは、フーメイって書いてあるものもありますね。トゥバも、トゥヴァって書かれることが多い。

巻上 僕は、国の表記はトゥバにしています。これは田中克彦が翻訳したメンヒェン=ヘルフェン著『トゥバ紀行』岩波文庫)に合わせています。もっともトゥバ語の発音や表記だとトィヴァなので、もうなんだか面倒くさいばかりです。

ホーメイという言い方も、本来はホーが曖昧母音で日本語で表せないので、フーメイと呼ぶ人もいます。ただしフーだとクチビル摩擦音の[f]を想起させてしまいますし、すでに市民権を得ているホーメイが日本語の表記として美しいので、ぼくはホーメイと呼んでいます。

――なるほど。トゥバのホーメイ。そのシンポジウムに行かれてるんですか?

巻上 シンポジウムを機に、2年か3年おきぐらいにトゥバでフェスティバルが行われるようになったんです。僕は1995年の第2回から参加して、その後はほぼ全部出てるかな。トゥバには20年以上、毎年1回か2回は行ってますね。

――巻上さん自身がホーメイを始めたのはいつですか?来日中のトゥバの歌手との出会いがあったと聞いていますが……。

巻上 田中泯が1994年に、オランダ国立オペラで知り合ったトゥバのアンサンブルを、自身のフェスティバル「アートキャンプ白州’94」に呼びました。その時、僕はヴォイスのアンサンブル「ボイスサーカス」(さがゆき、黒田京子、伊藤妙子、ネルソン・フュー、リン・リー、三橋美香子)を組んで同じフェスに参加していたんです。

それまでモンゴルのホーミーは日本公演を観たり、坂田明のTV番組や坂田さんから話を聞いたりして、知っていたのですが、トゥバのホーメイを初めて白州で聴いて、その歌の魅力に一気にはまりました。この時は、トゥバをチューバと日本語読みしていたり、情報がアメリカ経由に偏っていて、誤解も多かったです。

――現在は、トゥバのフェスティバルで巻上さんが審査員をされているんですよね。

巻上 審査員は第3回からずっとやっています。

塚村編集長(以下、塚村) じゃあ、トゥバのホーメイ界では権威ですね。

巻上 いやもう、長年行ってますから、ちっちゃかった子どもが大きくなって立派なホーメイ歌手になってたりね。おそらくトゥバのホーメイの人は全員知っていますよ。大統領(実際にはトゥバ共和国首長)まで知っているからね、ほぼみんな知り合いですよ。

塚村 トゥバって小さい国なんですか?

巻上 人口30万人くらいですね。ロシア連邦には22の共和国があって、トゥバ共和国もその一つ。モンゴルの北西にあって、南側が国境を接しています。

塚村 日本の一地方都市くらいの人口ですね。で、モンゴルよりトゥバのほうがホーメイが盛ん?

巻上 トゥバがたぶんホーメイのふるさと。で、その周辺国のハカス共和国、アルタイ共和国、このへんもホーメイ、ホーミーの総称としての喉歌が盛んです。でも文献も、もちろん録音もないので、わからないことが多いです。

どこから始まったかまだわからないうえに、今はさまざな国際交流があるでしょう。前はそんなに交流がなかったんだけど、交流が増えてきて、今まであまりやらなかったモンゴルの中国側、内モンゴル自治区の人がすごくやるようになったりとか。そしたら中国がユネスコに申請しますよね、そういう大きな問題もあります。カザフのほうでもやる人が増えてきたり。

ハカス共和国にはハイ、アルタイ共和国にはカイっていう別の喉歌もあるんです。英雄叙事詩の。それもトゥバの影響を受けてちょっと変容しているんですよ。

それから、カルムイキア共和国っていうヨーロッパに近い黒海とカスピ海の間にある国。ここをヨーロッパだとするならば唯一の仏教国で、端っこっていう意味らしいんだけど。ここがね、ほぼモンゴル系の人が住んでるんです。ややこしい歴史があるらしくて、彼らの先祖であるオイラートがヴォルガ川の下流まで到達して、そのまま残った人たちがつくった国なんだけど、ソビエトになってからシベリアのほうに移動させられて、そしてまたこっちに戻ってつくった国なの。もともとは新疆ウイグルのほうに住んでた人たち。だから、ここにも英雄叙事詩が残っていて。こうやって楽器を弾きながら、語り部をする。

――この楽器は?

巻上 アルタイのトプショールです。

――二弦の楽器ですね。このあたりにはたくさんの種類の弦楽器がありますね。そして、喉歌やホーメイの盛んなところって同時に口琴も盛んな印象があります。

巻上 口琴はシベリア全体で盛んですね。いちばん盛んなのはサハ共和国。サハは口琴を作る人がいっぱいいるんです。他の国には1人か2人しかいない。

塚村 ホーメイや喉歌を調べている研究者っているんですか?

巻上 いますね。トゥバだと音楽学者のゾーヤ・キルギス博士が唯一の専門家で、あとは楽器の研究をしている音楽学者ヴァレンティナ・スズケイ博士あたりが起源を調べてますね。日本では口琴研究者の直川礼緒でしょうか。あとは等々力政彦ですね。

本当のことはどうだかわからない。わからないから調べ甲斐があるかもしれませんね。僕にはまったく関係ありませんが。僕はただトゥバの皆さんに迷惑にならないようにそっとやっていますね。研究はものごとを整理する傾向があるので、せっかく未分化でわけがわからなくて面白かったものが、退屈な学校の授業みたいになるのは勘弁ですね。

最近の喉歌の人たちは、西洋音楽の影響できちんとしすぎていて、魅力減です。僕は田舎のローカルなホーメイが大好きです。

あと、中堅のホーメイ歌手たちの多くは、サンクトペテルブルクの演劇学校なんかで一緒に勉強しているんですよ。

塚村 へえ!

巻上 喉歌をやる人は各共和国にいるんだけど、たとえばトゥバの人たちも音楽留学でサンクトペテルブルクとかに行ってるわけですよ。ロシアにおいてはそういうところが権威的なんですね。で、そこで各共和国の優秀な人たちと出会うんですよ。自分たちの民謡の交流が始まるんです。相手に教わったりするわけね。すると共通の体験がそこで生まれていく。

そのことはまだ誰も書いてないんだけど、調べたら面白いと思っています。サンクトペテルブルクの芸術学校での、各シベリア共和国の文化の共有。それで一つ論文が書けるんじゃないかなと思っているんだけど。誰も書かないだろうな、そんなの知っているのは僕くらいだな。

――リアルですね。確かに、そうすると混ざっていくでしょうね。

巻上 そう。「青春のホーメイ」とか本が書けますね。

ゾーヤ・キルギス博士と

ホーメイをこえて、トゥバと日本をつなぐ存在に

――私が初めてトゥバの音楽のことを知ったのも巻上さんのおかげです。フンフルトゥHuun Huur Tuとか、アルバム『エニセイ・パンク』Yenisei Punk’(1995年)を出していたヤトハYat-Khaは、巻上さんが推薦されていたので聞きました。で、それを私が「これは本当にいいよ!」って人にいっぱい聴かせたので、周辺にファンがわりといます(笑)。

巻上 いいね。ヤトハのアルベルト・クベジンは、かつてフィンランドで活動していました。やはり彼はトゥバでは異色で、国内では活動しにくかったので。そのあとレコーディングなんかもイギリスでやったりしていますね。『エニセイ・パンク』は、かっこいいアルバムだよね。僕は日本盤の帯書きました。「世界で最も低い声、アルベルト・クベジンの喉歌は常識を打ち砕く。声の低周波マッサージに頭蓋骨はしびれっぱなし。」

彼が10年ほど前に出したアルバム‘Poets And Lighthouses’では、日本の戦後詩を歌っているんだよね。ペンギンから出てる『Post-war Japanese Poetry』っていう本があってね。

――ペンギンブックスから出ているということは、日本語の詩を英語に訳しているわけですか。

巻上 そう、それを歌にしているんですよ。そんなの、こっちも知らないじゃないですか。わりと暗いし、読まなかったんだけど。そのへんからヒントを得て曲にするんだと思って。

――へえ、面白いですね。

巻上 僕らではつかまえられないことがあるのかなと思ってね。トゥバの人が日本の現代詩を歌詞にするってことがね。山本太郎とか天野忠の詩は読んだことありますか?

塚村 読んだことありません……、巻上さんには教えられるばかりです。

――日本では、巻上さんがきっかけでホーメイや口琴やトゥバのことを知ったという人がかなり多いんじゃないですか。

巻上 そうですね。まあ長いことやっているからね。今年2月にもコロナ禍のなかで「熱海未来音楽祭2021年」の一環として、トゥバと中継でつないでホーメイ交流会をやりました。

――巻上さんはもしかしたらトゥバで一番有名な日本人なのでは?

塚村 銅像が立つんじゃないですか?(笑)

巻上 前にね、15人くらい連れて行ったときにバスで国境に入ったのね。そしたら、入国審査官に「パスポート出して!」「ロシア語わかる人!」って呼ばれてね。しばらくしたら僕の顔見て「テレビで見た。もういい」って(笑)。テレビに出ていると強いなと思った。トゥバのテレビにはよく出てます。いろんなフェスに呼ばれたりしても、だいたい取材がきますね。

あとね、3.11のとき。3月12日に日本を出発したんです。地震があって成田空港も結構きびしかったんだけど、トゥバには無事に行けた。「日本から来た」っていうと大騒ぎになって、朝のラジオから出まくって、めちゃ有名になりましたね。で、トゥバから日本にエールを送るみたいなコンサートをやってね。

――そういう国際親善大使的な役割もされてる。

巻上 そうなっちゃうよね。珍しい国に行くと責任とらなきゃなんなくなる。トゥバ人でセルゲイ・ショイグっていう政治家がいるんだけど、プーチンの右腕なんですよ。国防相のトップなの。だからトゥバで陸軍の演習やったりしているみたいで、プーチンもいつも夏になるとトゥバに来るのね。だから僕もトゥバのショルバン・カラオール大統領(共和国首長)と会談することになったり(2021年4月首長はウラディスラフ・ホヴァリクに交代)。要人とフェイスブックで友達になったりね(笑)。

――トゥバってそういう軍事的な要所でもあるんですか?

巻上 いや、軍事的にはなんの要所でもないです。どちらかというと忘れ去られた土地。だからホーメイが残ったんだと思う。中国が支配していた時期もあって、いまだに中国はトゥバを自分たちのものだって言ってるからね。トゥバからすると、ロシアと中国のどっちにつくか大きな問題だったの。中国はアルタイの一部も自分のものだって言ってるから、なかなか大変だよね。

グローバルよりもローカル、パーソナルなものに惹かれる

――ほかにもそういうところはありますよね。エストニアもソ連だったんですもんね。

巻上 エストニアの人はロシアのこと大嫌いだよ。ロシア語しゃべる人はまあいない、みんな英語です。ラトビアはロシア語のほうが通じる。リトアニアは微妙だけど結構ロシア人がいるんだよね。でも、ロシア語しゃべると怒られるんだよ。何度も行ってるから様子がわかるんです。

ヒカシューの録音に使っているマイクは、ラトビアのマイクロフォン・メーカーのものなのね。なので、ラトビアにはコンサートじゃなくて、メーカーの見学に行きました。どうやって作っているのか取材しに行ったんだけどね。

塚村 ラトビアはおしゃれな女性にも受けていますね。雑貨を買いに行ったりとか。

巻上 バルト三国の雑貨は人気あるんだよね。すごくかわいいのよ。リネンとか、ミトンとか、いいのある。ラトビアは街もすごく素敵だし。楽しかった。エストニアは進んだ国でね、開かれている。フィンランドに近いしね。

――バルト三国でヒカシューほどライブをしている日本のバンドはないのでは?

巻上 そうね、でもまだ行けてないところいっぱいあるんだけど。イギリスでもやりたくて、呼ばれてはいるんだけど実現してない。グラスゴーとか。じつはね、この3月は国際交流基金から採択されていて、アメリカ西海岸ツアーのはずだったの。だけど行けなくなっちゃった。初めての西海岸ツアーだったのに。

――西海岸が初めてとは意外です。

巻上 アメリカはニューヨークしか行ってないからね。サンフランシスコの近くのオークランドにミルズカレッジっていう大学があって、テリー・ライリーとか、スティーブ・ライヒとか、ミニマルミュージックの本拠地だったんです。いまはフレッド・フリスなんかも教えてるんですけど、やはりミルズで教えている打楽器奏者ウィリアム・ワイナントが大学でもやれるよ、ということだった。ところがミルズカレッジは、この3月、コロナの影響もあって、この秋から学生をとらないことを発表した(Mills College)。学位授与大学としての役割を終了するそうで、とても残念です。

テリー・ライリー(中央)、ギャン・ライリーと。

ほかにも結構知り合いがいたり、ロックバンドだとフェイス・ノー・モアのマイク・パットンとかよく知っているし、期待していたのに行けなくなってしまった。あと、バンクーバーもギタリストのゴードン・グルディナとレコーディングしたので、フェスで行く予定だったんだけど、全然ダメですね。難しい。

フェイス・ノー・モアのコンサートに飛び入り、2015年3月

来年2022年の3月にはエストニアをリベンジしようってことで、去年できなかった「1000  Kurge festival 千羽鶴フェス」(巻上公一インタビュー1/6参照)をやろうってことにはなっていますけどね。いいところだったからね、エストニア。ごはんもおいしくて。

――黒パンですね。「黒いパンの甘さたるや」って、歌までできちゃう。

巻上 黒パンはね、半端なくうまいですよ。ドイツのともロシアのとも違う。ドイツのはすっぱくてロシアのは普通のパンに近いんだけど、エストニアのは甘いんだよね。2斤買ってきて、みんなに食べさせてね。なにもつけなくてもうまい。毎日食べたい、ほんと最高。

――世界にはまだまだおいしいものがあり、音楽もあり、人もいる。ネットだけ見てわかった気にならず、知らなかった場所に出かけていくのは楽しい。そして、グローバルとかいって世界中同じ味とか服、音楽というのはつまらない。

巻上 そうだよ、グローバルよりもローカルがいいよ。そこにしか知られてないものがいい。もっと言えばパーソナルなものがいいわけよ。その人にしかできないもの、その人にしかできない作品が好きなんだ。

*その6(最終回)に続く

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