「東京も東北である」

 

東京に来て驚いたのは東北が近いことである。
福島なら新幹線で一時間半ほどだ。一時間半って。以前住んでいた彦根から神戸に行くよりも近いではないか。

彦根も神戸も近畿である。ところが、東京は関東で福島は東北である。いや、だまされないぞ。東京も福島も近畿からすれば東の北である。しかも彦根と神戸より近いのだから、二つは同じ類に入るべきである。わたしは心の中で東京は東北だと思うことにする。

そんなわけで八月、東北の端、東京から、東北の真ん中の福島に来た。二十年続いた福島の「わらじまつり」が、今年をもって「新わらじまつり」として生まれ変わるのだという。そのまつりの新たな物語を編んだのが渡辺あやさんで、音楽が大友良英さん、太鼓の総指揮をとるのが芳垣安洋さんとあれば、行かない手はない。新幹線で一時間半、降りた途端に空気が体温より高いのがわかった。盆地を陽であぶった暑さ。福島の夏だ。

練習は二時から。日陰を選んで、太鼓や櫓の置いてある吾妻通りの駐車場にたどりつくと、大友さんが「細馬くん竹ボラやる?」と大筒の竹を示す。表面に指で作ったワッカくらいの穴が開けてある。これを管楽器を吹く要領で吹くんだそうだ。わたしは幸いトロンボーンをやっていたので、唇をぶうぶう震わせたらほどなく音が出た。それにしてもこれは肺活量がいる。直径十数センチ、長さ数十センチの竹筒、その片方がぽかんと空いているだけなのだ。金管楽器のような細い管のつもりで吹いていたら、あっという間に息が切れてしまう。

しばらくボウボウやってるうちに、いっしょに吹いていた女子高生の一人が「ちょっと……」とうつむきはじめた。どうやら熱中症の初期症状らしい。気温は37度。そこで思い切り息を吸い、息を吹き込むというのを何度かやっていたのだから、わたしだってちょっと目眩がしている。もう一人の女子高生がつきそって冷房の効いた救護室に向かった。

……さて、残った竹ボラはわたし一人。あいにく一つ一つの曲の内容も全体の流れもまったくわからない。とにかく芳垣さんが合図を出すのを見て、ボウボウと吹く。ああ、東北の端から東北の真ん中に来て、夏のど真ん中、暑さのど真ん中で、わたしは知りもしない大ボラを吹いている。ボウボウやっているうちに、だんだん鳴りがよくなってきて、竹がびりびり言い出した。これも暑さのせいか。大友さんから「ボー、じゃなくて、ホラ貝でよくある、パウワー、って感じで」と注文がつく。パウワーってなんだ。ともかく、唇をテキトウに動かして、パウワーめいた音をめざす。とは言うものの、急ごしらえなので、吹き始めはどうしてもスカッと空振りめいた音になる。スカパウワー、スカパウワー。

「ちなみに竹ボラ吹くのは曲のいちばん最初だから」。これは大蛇とわらじとの大立ち回りの物語。竹ボラはその始まり合図なのだ。

ようやく勝手がわかってきたのが午後五時。二人の女子高生も復活して戻ってきた。トロンボーンの名手、今込治さんも急遽竹ボラに加わり、いよいよ祭りは始まった。パウワー!

それから何度スカパウワーを吹き、何回踊ったかわからない。芳垣さんの指揮とアレンジだから、リズムは明らかにまつり太鼓でありながら、その底に聞く者の腰を浮き立たせるようなビートがうねっている。田んぼを食い尽くす大蛇を退治すべく、村人たちがムカデに似せて作った大わらじが立ち向かう。大蛇にあわせてのたうつ太鼓、百足のムカデのごとく百人がかつぎあげる、大わらじの活躍を囃す太鼓。ようやく日が落ちて、逃げた大蛇のあとを追うように泥水が流れ出る、そのあとに肥えた大地が現れる。米もいい。桃もいい。人々はよろこびのあまり、何度でもわらじおどりを繰り返し、大わらじを担ぎ上げる。一番二番三番、七番まで歌い踊り、まだ気が済まない。スカパウワーまたスカパウワー。ここ福島も東京も東北で、ここにはすぐ来ることができる。

(8/15/19)