日本のラプサンスーチョン

決まったお店で決まった曜日に、おいしい紅茶を淹れて出すのを仕事にしている年若い友人から、「日本のラプサンスーチョン」として最近意欲的に作られているという紅茶をごちそうになった。役目を終えた国産ウィスキー樽のチップで燻された紅茶は、独特の燻香がついた風合い、これをまた特別にロイヤルミルクティーにしてくださったので、ちょっと後を引く忘れられない味となった。紅茶は、静岡の明治から続く茶園、カネロク松本園のもので、英語ではSmoked Black Teaとなっている。中国のラプサンスーチョンにあやかって「フジサンスーチョン」というのも楽しい。味わいながら、昔ラプサンスーチョンと出会った時のことが思い出されるのだった。

もう40年以上も前のこと、エッセイストの熊井明子さんが、紅茶専門店でメニューの中にラプサンスーチョンを見つけ注文したところ、相当クセのあることを承知かと店主がためらう風だったので、グレアム・グリーンの作品に出てくることから試してみたかったと伝えて、お茶にありつけたことを書いておられた。これを読んだ時、あ、ラプサンねと思ったから、それより以前に私は名前だけは知っていたと思われるが、初めて名前を知ったのはどこだったのだろうか。そして、結局初めて実際にいただいたのは、数年前の中国茶のお稽古の中ではなかったろうか。

本場中国からイギリスへ広がる

ラプサン「正山」は「武夷山(福建省)」を指し、スーチョン「小種」は量が少ないことを言う。武夷山といえば岩茶が有名で、中国茶のクラスでこれがいただける時は特別な気分になるのだが、それからしたら、ラプサンが出てきた時は、取り立てて大事に扱われないのが驚きだった。イギリスでは、高貴な紅茶とされ、紳士も襟を正すと言われているというのに。テレビで、タレントのハリー杉山が、イギリスの由緒正しいお家柄の出身ということで、「うちではラプサンとアールグレイをミックスする」と、クセのあるものどうしの掛け合わせを誇り高く紹介していたのを見たこともあった。

中国とイギリスとのラプサンに対するこの評価の違いは何なのだろうと、中国茶のクラスの先生に伺い、いただいたお返事が以下のものである。


お茶の名前となっている正山(ラプサン)というところは、さらに産地を限定して、拉普山、桐木星村ということもある。1500年代から、山間在住者の作る茶の欧州輸出が盛んとなり、廈門(アモイ)港から出港されてBOHEAまたはWUYIと呼ばれた。WUYIは「武夷」の中国語読みだが、ヨーロッパ人にはBOHEAと聞こえたらしい。1600年代からオランダの商人を通じて、当時流行し始めた下午茶、つまりafternoon teaの用途に、英国王室や貴族階級に売り込みが始まったようだ。

茶の質は、当時極めて安価で粗雑であったと記載があるが、それは漢人が他のエリアで作る緑茶が繊細であまりに緻密すぎて、その茶葉と比較されたためではないか。

つまり、皇帝献上茶になるような龍井(ロンジン)や碧螺春(ビーローチュン)などは恐ろしく細かい芽を使う。それに比べるとラプサンは茶葉も大きく、発酵させて作るので葉の色も黒く、中国人の好みとは違うのである。商魂たくましい広東人が言葉巧みに持ち掛けたせいで、中国紅茶の7割くらいがこの地域から海外に出て行った。

欧州の人にとっては、中国由来のブラックティー=正山小種として、正統的に受け取られたのだと思われる。

幸いに水色の美しさとヨーロッパの硬水とのなじみ、キャサリン王妃の持ち込んだお砂糖などとよく調和して、afternoon teaとして定着。いずれにしても祁門(キーモン)紅茶などが出るまでは、独占市場で財を成したはず。茶葉で利を得た茶商の、山中に似つかわしからぬ大豪邸が並んでいたようで、今でもその名残が見られる。


このように教えていただいて、いろいろ腑に落ちた。ただ単に、本場中国であまり評価されないものが伝わり、ある意味間違って高く評価されるようになったという単純な話でもなかったのである。それには、歴史や文化の違いも大きくかかわってきたのだった。さらには飲むものだから、硬水・軟水の違いは大きい。ラプサンスーチョンの物語は、物が移動することで、より豊かになっていった例と言えよう。日本の浮世絵がただの包装紙としてヨーロッパに渡り、その価値が認められたように。

最初に挙げた、日本のラプサンスーチョンも文化の豊かな広がりを鮮やかに示している。その銘が「フジサンスーチョン」というのもその由来をしっかりと表しているのだった。中国茶の先生によると、茶葉がカットされていないフルリーフというのは、日本茶には珍しいとのことで、これもラプサンに倣ったのだろう。

中国茶の本によると、最近、中国では、独特のスモーキーな「松煙香」をつけない正山小種も生産されるようになったとのことで、これはイギリスでは受け入れがたいだろう。つけた香りでなく、茶葉そのものを楽しむ中国人らしいと、これまた文化の違いを再確認する話ではある。

シンガポール「留香茶芸」李自強 宗師の講義のプリントと伝統正山小種。伝統正山小種、老叢正山小種、清香正山小種・小赤甘、金駿眉の4種の名前がある。写真提供:中国茶のクラスメートで、2年ほど前に受講したというラプサンファンの高山新子さん

京都の中国茶の店「小漫」のラプサンスーチョンの包装紙。写真提供:中国茶のクラスメート、金本徳裕さん

グレアム・グリーン作「叔母との旅」

40年前にタイトルだけ知ったものの、その後読んではいなかったグレアム・グリーン(1904-91)の作品は「叔母との旅」で、このたびの機会に読むことにした。

グレアム・グリーン著, 小倉 多加志 訳『叔母との旅』(早川書房)Kindle版

まずはどのような物語かというと――

主人公ヘンリーは長年勤めた銀行を早期退職して、ダリアの栽培にのみ心を砕く穏やかな日々を送らんとしていた。高齢の母が亡くなり、その葬儀の場で、昔少年の時に会ったきりだった叔母オーガスタに50年ぶりに再会したのが運の尽き。叔母に引っ張られて、イギリス国内、またパリはおろかイスタンブール、果ては南米まで連れまわされる羽目に陥る。これが楽しい物見遊山どころではなく、ハチャメチャで、オーガスタは怪しげなものに手を染めているらしく、いわくつき人物にからまれ、警察沙汰になりヘンリーには金塊が転がり込んでくるは、留置所に放りこまれるは、散々な目に遭う。お葬式で、母だと思っていた人は母じゃないとあっさり告げてヘンリーをショックに陥らせた叔母は、天真爛漫、自由奔放で、なんともチャーミング。

この作品は、1972年に映画化され、オーガスタ役はマギー・スミスがつとめ、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。なるほど、辛辣でありながら愛すべきこの役は、演じるとしたら彼女が見事にはまっていて、見逃したのが残念だが、映画はかなり原作とは離れたものになっているという。それも道理、原作の面白さはあくまでも言葉による――叔母とヘンリーのドタバタを追いながら、そこには時代を見据えた大きな皮肉とユーモアが効いている。これを映像にするのは、無理というものである。

グレアム・グリーンは、映画『第三の男』の脚本製作に加わり(のちに本人が小説化)、これは監督キャロル・リード、演じたのが、男優にオーソン・ウェルズ、ジョセフ・コットン、トレヴァー・ハワードを揃え、女優はアリタ・ヴァリがしょって立ち、アントン・カラスのツィター演奏による主題曲と相まって、映画の方が名作と言われているくらい。『情事の終わり』も2度映画化されて、最近の1999年の『ことの終わり』と題されたものも、原作通りではなかったが、映画はそれはそれでよくできていた。

このように、グリーンの作品の映画化はそれなりのものではあるが、「叔母との旅」はやはり文学として読みたい。ただし、戯曲化は、確かにやりようによってはいけるかも。ジャイルズ・ハヴァガルによる脚本があり、日本でもシス・カンパニーが2010年に上演、2年後に再演もされている。去年2021年暮れにも加藤健一事務所が上演したから、これはなかなかよくできているのではないだろうか。とにかく登場人物すべてを4人の男優のみで演じ、主人公ヘンリーですら、演じる俳優が次々と替わるというのだから。

グリーンは、通った学校の校長が父という状況の中、反抗的だったというから、斜に構える態度は子どものころから筋金入り、国教会からカトリックへの改宗、共産党入党、スパイ活動、晩年のセクハラと、これだけでもかなりの曲者であることが明らかである。

「叔母との旅」とラプサンスーチョンの紅茶占い

ところで肝心の、「叔母との旅」とラプサンスーチョンの関わりに触れなければならない。ヘンリーと叔母オーガスタは、知り合って間なしに、オーガスタの友人に占いをしてもらうことになる。これが紅茶占いで、ラプサンスーチョンが使われるのである。(この本の訳者は「納山蘇種」という漢字を当てているが、中国茶の先生もご覧になったことのない表記だとか)

飲み方としては「きゅうすの中にいつまでも入れとかないの。その方が葉っぱの新鮮味がぬけないですむのよ」とのことだが、「ラプサンは葉っぱが大きいから出がいいのよ」というわけで、この葉の形を見て占う――「あんたも葉っぱを見ているといろんなことが浮かんでくるわよ」と言われたオーガスタの占い結果は――「おもしろいわね……とってもおもしろいわ」「いいこと……わるいこと?」「どっちもちょっぴりずつ」「いいほうだけちょっと言ってみて」「あんたこれからずいぶん旅行するわね。ほかの人と一緒に。大きな海も渡る。いろんな冒険もするわよ」「男の人と?」「そこまではわからないけど、あたしはあんたを知っているから、そうだとしてもおどろきはしないわ。一度や二度じゃなく命と自由を失いかけることもある。(中略)あんたの生活には何か謎があるわ」「そんなこと目あたらしくもない」「うんとたくさんごたごたが起こる……右往左往で大変」

一方、ヘンリーの結果は——「あなたもいろいろ旅行をしますね」「そいつはどうですかね。これまでずっとわたしはむしろ出不精でしたから。プライトンまで来るのだって、わたしにとっちゃ大冒険なんですよ」「旅行するのはこれからさきです。大きな海も渡ります。女性のお友達と一緒にね」「わたしと一緒かもしれないね」と叔母が言った。「かもしれないわ。葉っぱは嘘をつきません。(中略)あなたの生涯にも謎があります」「それはわたしもわかったばかりです」「ごたごたがたくさんあるし、右往左往ね。オーガスタの茶碗に出てるのと同じです」「そんなことはまずないでしょう。わたしはごく規則的な生活を送ってるんですから。週に一回コンサヴァティブ・クラブでブリッジをやります。もちろん庭仕事もします……ダリアのね」

母は誰かという生涯の謎に出会ったショックから抜けきれないヘンリーの必死の抗弁にもかかわらず、占いはドンピシャ当たり、二人して旅に出て右往左往することになるのである。という次第で、この後の二人の運命のカギを握っていたのが、ラプサンスーチョンだった。

ブラウニング作「ピパの歌」

さて、この作品は最後、次のように結ばれる――「来年は税関長の娘が十六歳になるので、わたしは彼女と結婚するつもりだ(中略)。もちろん年齢的にはかなりの開きがあるが、彼女はやさしくて従順な子供だし、花の快い香りが漂う暖かな宵など、わたしたちはよく二人でブラウニングの詩を読む」そして次の詩の最後2行が引用される。

The year’s at the spring

And day’s at the morn:

Morning at seven;

The hill side’s dew-pearled:

The lark’s on the wing,

The snail’s on the thorn;

God’s in his heaven—

All’s right with the world!

ヴィクトリア朝の大詩人ブラウニング(1812-89)のこの詩には、『海潮音』に収録され「春の朝」と題された上田敏の名訳がある。訳語の点からも、リズムの上からも、これ以外には考えられないほどの名訳!――最後の2行もさることながら、「The lark’s on the wing (’sの所はisの略) ヒバリは飛んでいる」というところを「揚雲雀なのりいで」とは、どうしたらこのような訳が出て来るのだろう――と讃嘆せざるを得ない。かくして、昔からこの詩は日本でもこの見事な訳詩で知られてきた。

時は春、

日はあした

あしたは七時、

片岡かたをかに露みちて、

揚雲雀あげひばりなのりいで、

蝸牛かたつむりえだひ、

神、そらに知ろしめす。

すべて世は事も無し。

この詩は、4部構成の一幕劇『ピパが通る』の第1部、「可憐な少女ピパが年に一度の休暇である元日の朝に、丘の上の邸宅の前で歌う無心の歌」である。先ほど触れた、この作品の戯曲化の翻訳者、小田島恒志氏は、「(主人公が、散々ひどい目に遭わされながら)終盤でこの詩を口ずさむのは、カトリック作家グリーンの世界観の表れだろう」としている。原作において、さらには特に劇において、一応の落ち着いた境地を示して幕を閉じるということだろう。

ところで、岩波文庫『対訳ブラウニング詩集』の訳注に拠れば、ピパがこの歌を歌うとき、「邸内では前夜主人が妻とその愛人によって殺害されていた。ピパの歌を聞いた愛人は強い良心の呵責にせめられて自害し、妻もまた男の冥福を祈りながら彼のあとを追う」という不穏な出来事が背景にある。

そのうえで、グリーンの作品に戻ってみると、そののどかさがあやしいまでにのどかで、何やら不穏な空気まで漂って来はすまいか。グリーンのことだから、そこまで企んでいる気がする――後ろでニヤッとしているのではないだろうか。これがすべて言葉でなされているということ、文学の技のしたたかさを思わずにはいられない。この時漂うのは、一筋縄ではいかないラプサンスーチョンの香――というのも出来過ぎの感がしないでもないが……。

『対訳ブラウニング詩集』富士川義之編(岩波文庫)

(8/18/2022)

*謝辞
カネロクの紅茶をご紹介くださったのは、「紅茶2cups」のYurikoさんです。
ラプサンスーチョンについて解説してくださったのは、中国茶教室「無茶空茶」の黄安希さん。黄先生には、いろいろご教示いただきすっかりお世話になりました。
クラスメートたちにも情報を提供いただきました。
皆様に深く感謝申し上げます。

なお、日本でラプサンスーチョンを入手するには、TeaPondルピシアフォトナム&メイソンなどから。