わけあって、サステナブル

文・嶽本野ばら

最近、無印良品を殆ど利用しません。昔は何でも無印で買っていたのですが……。多分、永澤陽一が監修を離れた辺りから徐々に足が遠のいたのだと思います。

永澤陽一はモード学園卒業後、渡仏、トキオクマガイに入り、1987年、熊谷登喜夫の急逝に伴い、後継者としてチーフを任された異例の経歴のデザイナーです。1992年には自らのブランド、ヨウイチナガサワを発表、翌年にはノーコンセプトバットグッドセンスの名義でカジュアル路線を提示しました。92年は激動の一年で、この年、永澤陽一は無印良品の衣料品ディレクターにも就任している。

最近はとりあえずサステナブルといっておけば意識が高いと誉められますが、それなら永澤陽一の仕事をもっと見直すべきだと思います。衣料品ディレクターという肩書きでしたが、彼が介入の後、彼のデザインの思想が、無印良品というブランド全体にモードとしての付加価値を与えたことは確実ですから。

2002年の神戸ファッション美術館で開催された回顧展を記念し出版された『NAGASAWA YOICHI』淡交社・刊 チュールを円形のアルミで装飾した(表紙写真)コレクションの他、ファスナーをネックレスとして加工した作品など初期の貴重な資料が並ぶ(筆者所有)

2002年の神戸ファッション美術館で開催された回顧展を記念し出版された『NAGASAWA YOICHI』。チュールを円形のアルミで装飾した(表紙写真)コレクションの他、ファスナーをネックレスとして加工した作品など初期の貴重な資料を収録。淡交社・刊(筆者所有)

元々、無印って西友やファミリーマートで展開するインブランドだったんですよ。「わけあって、安い」というコピーは1980年の立ち上げ当初、企画・監修者だったクリエイティブディレクターの小池一子さんが作ったもの。ラグジュアリーを求めバブルへと時代が突っ走る中、アンチテーゼとして出されたものですが、商品に「無駄な加工を省きました」などと記すスタイルは、ともすれば生協を想起させるダサいものになりかねなかった。でもそれをインダストリアルなクールさに変換したのが、永澤陽一のイズムでした。

シンプルイズベストを掲げるのは簡単ですが、デザインに於いてこれ程、難しい作業はない。永澤陽一はアンディ・ウォーホルに影響を受けたことを取材で語っていますし、ライアル・ワトソンの『スーパーネイチュア』をコレクションのテーマに据えたこともあるを吐露します。ハウスミュージックの基盤となったデトロイトテクノ(これらの多くのレコードジャケットは如何に意味も工夫も、なされていないかを競い合っていた)からのインスパイアも大きかったでしょう。

『Olive』1999年4月18日号は無印良品の大特集。かつての無印良品はオリーブ少女の心すらも鷲掴みにしていた。マガジンハウス・刊(筆者所有)

ブランドという付加価値で本来の商品の価値が解らなくなりつつある消費感覚に警鐘を鳴らす意味合いがあった――と、無印良品は当初のコンセプトをしかつめらしく語りますが、DCブームを煽りまくったセゾングループにそんなこと言われてもねぇ……。実際はパルコでお買い物して貰うのは嬉しいけど、西友も見捨てないでね、西友もオシャレにしますから――とラグジュアリーになり得ないものをラグジュアリーっぽく差別化する戦略だった筈です。

見事に成功し、クラフト紙、半透明のポリプロピレンやアルミニウムを用いた商品群は、ポストモダンな印象で僕等を魅了しました。無印の成功を受け、当時は単行本の本文にわざわざ藁半紙を用いることも流行りましたし、表紙を段ボールにしてしまう装丁も人気を得ました(こういうイレギュラーって実はコストが上がるのですけどね……)。

ボディに再生紙を使用した使い捨てカメラなど90年代の無印は攻めたアイテムを連発し、パリやロンドンにも進出した。写真は同上の『Olive』1999年4月18日号の誌面より

ボディに再生紙を使用した使い捨てカメラなど90年代の無印は攻めたアイテムを連発し、パリやロンドンにも進出した。写真は同上の『Olive』1999年4月18日号の誌面より

永澤陽一が無印に関わらなかったなら、無印は生協的な朗らかさから脱し得ず、イルカは友達と言い張るニューエイジ達から企業の偽善と糾弾を受け、すぐに姿を消していたかもしれません。永澤陽一は高度なデザイン力で質素なものがラグジュアリー化することの矛盾を解決してしまった。産業廃棄物をなくすのではなく廃棄物のイメージを押し出すことでエコロジーの概要を輪郭化させた。

僕は見栄えをよくするのではなく、トートロジーを含め、言語化すれば相反、矛盾に陥ることもある事柄を形象として成立させることがデザインの極意なのだと思います。法衣は厳粛ですが、法衣を思わせるコムデギャルソンのモンクファッションは暴力的ですし、レイプをモチーフにしたヴィヴィアンウエストウッドのワンピースはどんな被服よりもフェミニズムを凱歌している。優れたデザインが常に最高の機能性を持つのは、関数であるからでしょう。

ユニフォームを手掛けたり、オールラウンドの設計者である永澤陽一を最早、お洋服のデザイナーと定義するべきではないのかもしれませんが、かつてノーコンセプトバットグッドセンス――という文言に込められた彼の思想は、今こそ僕等に示唆を与えます。

しかしこの人、最初、インダストリアルな素材に注目したのは、帰国した時、ずっとパリにいたので日本で布を入手するコネがない。仕方なく人工芝やアルミなんかでお洋服、作っちゃえ! 背に腹はかえられぬ的な事情からだったそうです。

今の無印のデザインは昔と余り変わっていないようで、まるで違っていて、モードではないのですよ。無印に行かなくなった僕は、そこで揃えていたものを昨今、ほぼ、ダイソーに依存しています。ダイソーの半透明のA4クリアホルダー10枚入り――。めっちゃ、カッコいいんですよ。当然、100円ですしね。永澤陽一がマーチャンダイザーとして雇われているのでは?と勘繰ってしまいます。

今年、渋谷と新宿に高級ダイソー、スタンダード・プロダクツも出来ましたし。

(30/10/2021)

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