コルドナータ・カピトリーノ(カピトリーノの丘の階段)2002年撮影, ローマ

 

「コルドナータ・カピトリーノ(カピトリーノの丘の階段)

文・写真 下坂浩和

 

建築を志す者にとって旅はさまざまな経験をもたらし、それまで知らなかった多くのことを学ぶきっかけになります。私も学生の頃に夏休みを使って、40日間のヨーロッパ旅行に出かけました。初めての海外で、リュックを背負った貧乏旅行でしたが、主要都市を移動しながら来る日も来る日も、名作と言われる建築を見てまわるという贅沢な旅でした。その時に訪れた空間は今でも鮮明に記憶に残っているのですが、今になって思うと、あそこに行った、あれも見てきた、という程度にしか見ていなくて、その建築がどのような社会背景で、なぜそのようにデザインされて、どうやってつくられたのか、そして、なぜ素晴らしいと思うのか、ということを深く考えながら見ることはできていなかったように思います。まだ建築家としての眼が養われていなかったのでしょう。

オランダ、ドイツ、オーストリア、イタリア、スペイン、フランス、イギリスをまわった旅のなかばで、ローマのトレビの泉を訪れた際、まったくの偶然で当時大学で造形演習を教えていただいていた彫刻家の故増田正和先生とお会いしました。その時、「ミケランジェロが設計したとても歩きやすい階段には行きましたか」と尋ねられたのが、このコルドナータ・カピトリーノでした。実は、私はその日の午前中にその階段を通っていたのですが、カンピドリオ広場の空間や造形にばかり気を取られていて、階段が歩きやすいか、ということはまったく意識していなかったのです。

次にローマに行く機会が訪れたのは10年以上経ってからでした。事前に情報を集めていた時に、イタリアの都市と芸術を紹介するテレビ番組を見たのですが、そのなかで彫刻家の安田侃さんがこのコルドナータ・カピトリーノを上りながら、やはり、「とても歩きやすい階段」と紹介されていたのを見て、改めて、これはもう一度見に行かなければ、と思ったものです。と、いうわけでこの階段は私にとって「階段には歩きやすい階段とそうでない階段があるらしい」ことを初めて認識した階段でもあるのです。

そんなわけで、2度目のローマでは、どうして歩きやすいのか、きちんと調べようと思って、朝早くこの階段に向かったのですが、着いたとたんに意表を突かれて驚きました。階段と言っても、一段一段が水平ではなくて、かなり傾斜がついているので、どちらかといえば小さな段のついたスロープと呼んでも良いものでした。なんだ、歩きやすさの秘密はそういうことだったのか、と理解しましたが、このときはきちんと寸法を測ってノートに描き写しました。実際に測ってみるという行為は、寸法感覚を身につけるためにはとても重要です。この階段の場合、一段の水平距離は約3.2メートル。大人の歩幅で5〜6歩の寸法です。ゆるい階段でもこの寸法が中途半端だと、歩幅が合わせにくくて歩きにくくなります。一段分の垂直高さは約43センチですが、そのうち段の高さは9センチで、残り34センチ分はスロープ状になっています。

 

コルドナータ・カピトリーノ(カピトリーノの丘の階段)2002年撮影, ローマ

コルドナータ・カピトリーノ(カピトリーノの丘の階段)2002年撮影, ローマ

 

コルドナータはイタリア語で、低い段のついた傾斜路のことで、そもそも、馬やロバが通れるようにつくられたものです。この階段を計画したのはルネサンスの偉大な芸術家ミケランジェロですが、人の歩きやすさだけではなく、馬に乗って上り下りするときにちょうど良い床面の傾きや段の寸法も考えてつくったにちがいありません。騎馬でこの階段を上り下りするところも見てみたいものです。

18世紀イタリアの画家で建築家でもあったピラネージは、ローマの景観を描いた銅版画を多数制作したことで知られていますが、その中にこの階段や階段の上の広場を描いたものがあります。広場には馬車がたくさん描かれているので、ひょっとしてこの階段を馬車で上ったのか、とも思いましたが、当時の車輪は鉄輪でしょうから、さすがに少しの段差でもかなりの振動で、のぼれなかったはずです。階段を描いた別の版画を見ると、この階段の右側の今は樹木が植わっているところに、さらに勾配の緩やかなスロープ状の迂回路があって、そこを馬車が上っていく様が描かれています。

コルドナータ・カピトリーノの実測スケッチ, 下坂浩和

(2019年7月17日)