【インタビュー】管理人・ミュージシャン 森本アリ その5/7

今回は、2025年12月に岩波書店から『即興がつなぐ未来  音楽と社会の狭間でおっとっと』という本が出た「音遊びの会」についてのお話。本は第4回 音楽本大賞2026の最終候補10作にノミネートされています。音遊びの会は、知的な障害のあるメンバーもいれば、大友良英さんのようなプロのミュージシャンもいる即興音楽のアーティスト集団です。森本アリさんは、音遊びの会のメンバーで、この本の共著者の一人。音遊びの会に関わることになったいきさつは?そして、そのことによって感じたこと、変わったことは?(丸黄うりほ)

旧グッゲンハイム邸で(2026年1月29日)

大友良英さんに誘われて「音遊びの会」に参加しました

——「音遊びの会」については、2025年12月に岩波書店から『即興がつなぐ未来  音楽と社会の狭間でおっとっと』という本が出ました。この本は代表の飯山ゆいさんをはじめ、メンバー自身の文章やインタビュー、座談会などで構成されています。森本アリさんも執筆者のお一人ですね。

音遊びの会 著 『即興がつなぐ未来  音楽と社会の狭間でおっとっと』2025年12月23日,岩波書店

森本アリさん(以下、森本) 音遊びの会は今、19名の知的障害のあるメンバーと、公称約40名ですが主に参加してるのは15名程度の障害のないメンバーと、約20名の保護者という構成です。障害のある彼らのことを僕らは便宜上「Aメンバー」と呼んでるんですけど、初期は「子どもたち」って呼んでいました。始めた頃は子どもだった人も20年もたったら、30歳前後になっていて、もう子どもっていうのは違うやろう、ということで、数年前からAメンバーと呼んで、そのほかをBメンバーと呼んでいます。

——本によると、「音遊びの会は、2005年、エイブル・アート・ジャパンの助成を受けた「音遊びプロジェクト」から始まりました」と書かれていますね。知的な障害のある人と、実験的な即興音楽で活躍する音楽家と、音楽療法などを研究する大学院生からなるプロジェクトとして始まったと。

森本 音遊びプロジェクトは、明治安田生命とエイブル・アート・ジャパンが共に実施していた「エイブルアート・オンステージ」の助成を受けて、神戸大学で音楽療法や現代音楽などを研究していた人たちが始めました。

当時、音楽療法を研究していた大学院生の沼田里衣さんが、障害のある子どもたちの演奏と、即興音楽を得意とする音楽家の演奏には共通点があると、それが一緒にセッションすることで、なにか面白い化学反応が生まれるんじゃないかと考えて、そこから始まったんです。

僕は、音遊びの会には2006年1月から参加してるんです。2005年の9月に音遊びプロジェクトが始まって、12月に神戸市東灘区の洋館、旧乾邸で「音の城」というライブというか発表会がありました。僕はそれを見に行って、翌月の1月からゲストミュージシャンとして参加しています。

参加のきっかけは、大友良英さんに誘われたから。大友さんは、即興演奏をするメインの音楽家として最初期からこのワークショップ・プロジェクトに呼ばれていました。大友さんは僕がベルギーにいた時代から旧知の人ですけど、東京の「円盤ジャンボリー」というイベントで出会った時、「これからしばらく神戸に何回も行くことになるから、アリくんのことちょうど考えてたとこなんだよ」って言われて。「アリくんに入ってもらえると、すごく助かるプロジェクトがあるから、参加してほしい」って。で、神戸大学の人たちと会って、参加することになりました。

——「音遊びの会」は、もともと沼田里衣さんが立ち上げて、森本さんは大友良英さんから紹介されて参加したと。

森本 そうです。で、1月からワークショップに参加して、3月に神戸の人工島、ポートアイランドのジーベックホールで開催された「音の海」という公演にゲストとして参加しました。この間は、大友さんと僕と以前から仲が良かったトランペットの江崎將史くんと、アーティストの林加奈さんがゲストアーティストまたはワークショップリーダーという立ち位置でした。まずはバンドのような連帯感を作りたい、そして、子どもたちのポテンシャルを持ち上げて一体感のある音楽を作っていくっていうのと、その子たちの特性を最大限に使えるようなアレンジ、形態で発表していくというプログラムを組みました。メインステージがあって、サブステージがあって、廊下や階段でも演奏して、会場全体を使い、30演目以上あったかな。とにかくいろんなことをいっぱいやったんです。その公演「音の海」が本当に素晴らしかった。

障害のある人が中心になって引っ張っていく音楽

——アリさんは最初はゲスト参加だったんですよね。その後、正式にメンバーになったということですか?

森本 音遊びの会にはそもそもメンバーという概念はあまりなかったんです。プロジェクトは一過性で終わるものとして建て付けがされていて、僕の場合、最初はゲストミュージシャンという扱いで謝礼が発生していました。でも、その後、助成金が発生しなくなって自走することになり、参加したい人だけが参加するようになった。でも、ほぼ全員がやりたいと思えたから、メンバーの出入りはありつつそのままずっと活動していたら20年たった、という感じです。

基本的な活動は月2回、日曜日の2時から4時にワークショップをするというのを、継続してやっています。その間に自主企画もやれば、本当に北海道から沖縄まで日本中いろんな場所に呼ばれてライブをしたり、ワークショップをしたりもしています。2013年にはイギリス遠征もしています。

——最初に参加した2006年3月の公演「音の海」が、本当に素晴らしかったとおっしゃいましたが、どういうところに魅せられましたか?

森本 1月にワークショップを始めた時は、全然コミュニケーションがとれなかったんです。でも、「音の海」では、障害のあるメンバーがどんどん客を煽っていって、めっちゃ踊り始めたりして。大友さんみたいな手練れのミュージシャンもいて、もちろんその人らもサポートしていくけど、全体を引っ張るのは障害のある人たちでした。

——障害のある人たちが主になって、むしろ引っ張る側に立っていたと?

森本 そうなんです。彼らがそこまで中心になって引っ張れるような機会はやっぱり少なかったと思うので、音楽表現でその機会を作れた、一つの場が作れたっていうこと、そして、その表現がとても面白かったっていうことに感動しました。

—— 最初はコミュニケーションが取れなかったのに?

森本 最初は、僕の理解が浅かったんやなと思います。まず共有できる音楽的な作法を作っていこうとしていました。100人の素人を集めたオーケストラをジェスチャーだけで指揮するといった実験をそれ以前にした経験があったので、そういうやり方で指揮をしたら、のれんに腕押しで、何の反応もなかったんですよ。

それで、「ああ、あかんわ、全然通じないわ」と思ってたらね、彼らが僕の指揮に反応をしなかったのは、どこかもっと高い所から、「あいつ、しょうもないことやってるな」みたいな目で見てたんやなと気づいた(笑)。後でコミュニケーションを取れるようになってきたら、そういう感じがしてきたんですよ。

で、彼らの表現の仕方が、僕の意識を変えたんです。僕は変わった音楽をしてる人間で、それまでも広い音楽表現への知識と意識は持ってるつもりだったけど、なんか彼らには、僕を斜め上に持って行ってくれるような瞬発力があってね。

——森本さん自身の意識が変わった?

森本 そう。彼らに会う以前に知っていた障害者の表現は、テレビでドキュメンタリーを見てても、僕には悲しいこと、残念に思うこと、悔しいことが多かった。それは、障害のある人たちが人並みのことをすることで賞賛を得る、たとえばビートルズの曲を3年かかってマスターして演奏して、なんかすごい評価されるみたいな。その人の面白い特性があるはずなのに、健常者と同じことがしっかりできた時に賞賛を得るような。

­­——よく頑張りましたね、みたいな評価のされ方ですね。

森本 美術ではアウトサイダー・アートの評価がもうすでに進んでいて、障害者の表現も、アートに内包されるようなことができていると思うんですけど、音楽はそうでもないんですよね。

——ワークショップから公演までの2カ月の間に何があったのでしょう?

森本 合計8回のワークショップをやったんですけど、ワークショップの後にむちゃくちゃ長いミーティングがあったんですよ。子どもたちの特性、得意なこと、苦手なこと、もっとこうやったらよくなるとか、そんな話をめっちゃした。そういうケアというか、丁寧に考えるっていうことがあってのことですね。今思うと、とても積極的で建設的な話し合いだった。

各自の得意なことに気づき、生かして広げていく

——音を出すっていうだけじゃなくて、人としての付き合いが、まずベースにあったということですか?

森本 たとえば、吉見理治くんは、ワークショップ中はずっと部屋の隅っこで固まってたんですが、休憩時間にトイレに入っていったんです。その子がトイレに入ってることを知らずに僕が入っていったら、トイレの中から一人演劇が聞こえてきたんですね。一人で三役ぐらい、男声になって、女声になって、時代劇みたいな、泥棒サスペンスみたいな。面白かったから、人を呼んで、3、4人でトイレの前で聞いていた。そういう外に出さない面白い素質のある子がいっぱいいて、その辺に焦点を当てていくってことかな、と。

また、「音の海」以降のことですが、僕はワークショップで藤本優さんとペアを組んだことがあって、藤本さんは元々トランペットを気に入ってトランペットを吹いてたんだけど、口が合わなくて音が出せなかった。けど、彼がトロンボーンに持ち替えた途端に、口が合って、爆音が出たんですよ。それで、僕はスライドトランペットで何かやってみようという試行錯誤をしました。その場でこんなんできる?みたいな感じで、↑↓↖︎↘↙︎↗︎︎〜→<∧>などの記号を並べた図形楽譜を書き始めたら、もう僕と藤本さんで一糸乱れぬユニゾンで演奏できてしまいました。それ以降、図形楽譜だけで楽曲を作って一緒に演奏したり、ちょっとした音楽フェスにも2人で呼ばれたりします。「藤本森本」っていうんですけど、ステージは10曲で5分とかです(笑)。僕たちにとっては「︎↗︎︎↘︎↗︎︎↘ー●︎ ↗︎︎↘︎↗︎︎↘ー● ーーーー ↗︎︎↘︎↗︎︎↘↗︎︎↘︎↗︎︎↘ 〜〜・↗︎︎●」は読み方の決まっている立派な楽譜です。

——2022年完成のドキュメンタリー映画『音の行方』は藤本さんの仕事中の様子から始まりますね。

森本 藤本さんはAメンバーの中で一人だけ年齢が高くて、僕よりちょっと年上なんです。障害はあるんですけど、家族が経営する会社で働いて、精密機械のパーツを作っています。歌のレッスンや水泳にも行って、映画にも一人で行けるような人ではあるんだけど、やっぱり社会生活をしっかり営めるかっていうとそうでもなくて。流暢な会話はしないけど精密な日記を書いています。

そういう各自の得意なことをどんどん見つけて広げていくというのが「音遊びの会」ですね。20年もやってたら、みんなもう他に類を見ない表現を堂々とやっていて、めちゃめちゃかっこいいです。

——「音遊びの会」では、各自の得意なことを生かしていくというのがポイントですね。

森本 そう。だからビートルズを3年かけて覚えるとかということに、僕がずっと疑問を持ってたのが、そうじゃなかったんだよっていうのは、それで実証できたなとは思う。

——その人の得意なことを、周囲の誰かが見つけていく?

森本 うん、見つけるというより気づくという感じですね。障害のある人が誰でもステージで音楽をしたら面白いかというとそんなことはなくて、「音遊びの会」に来ている人たちはもともと音楽が好きか、家族がその子に合ってると思ったのか、ケースはいろいろですけども、参加するようになってる時点ですでに大きな扉を叩いてるわけなので、まったく埋もれてる人とは既にちょっと違うかも。たとえば事業所に音楽家がいて、その子に勧めたりする。そしたら、やっぱり開花するというようなことはありますね。

すっこーんと超えていく、斜め上の表現

——音遊びの会の活動は社会的な意義も大きいと思うんですが、その音楽そのものの魅力、面白さについては、どんなふうに感じてらっしゃいますか?

森本 言語化するのが難しいですね。「通常では考えられない楽器へのアプローチ。今までに聞いたことがないような独特の響きのアンサンブル。単なる初期衝動では片付けられないオリジナリティ溢れるパワー。これまでどこにもなかった新しい音楽体験に満ち溢れた玉手箱のようなアルバム」って、音遊びの会の2枚組CD『OTO』の解説に書いてある。言語化したらこういうことになる、というのはわかるんですけど。

音遊びの会 2枚組CD『OTO』2011年, F.M.N. Sound Factory(プロデューサー:大友良英) 『solo&duo』と『band&ensemble』2枚分 全48曲。デジタルアルバムの配信&販売も。視聴はbandcamp へ 

本当に間近に見ていて思うのは、邪念がないっていうか。その時にそのことしか考えてないな、というのが僕はすごく好きです。僕らが即興演奏する時って、こう終わらせようとか、演奏しながらいろいろ考えるんですよ。特に手練れの演奏家の即興になると、誰かがやってることに合わせていって、加減したりバランスを取ったりすることが多々あると思うんです。音遊びの会にもそういうのがまったくないことはないし、あったら素晴らしいことにもなると思うけど。突出した自我が、到底太刀打ちができないような強さで進んでいく。僕なんかは彼らと共演してると自分がなぎ倒されていくような感じがして、すいません!参りました!ってやめることもある(笑)。そういう強さがあると思います。

——それは、健常者のミュージシャンと即興演奏を行う時とは感触が違う?

森本 うん、全然違う気がする。それは、よくコミュニケーションが大事だとか言うけど、僕はディスコミュニケーションもめっちゃ大事だと思う。通じるっていうのと、通じてるのかわからないという状態もやっぱりめっちゃ面白い。で、その通じてるかわからないところを、ずっと探り合って進んでいくようなことも、音遊びの会では結構ある。それも面白いと思ってるし、まったく聞いてくれへんわっていうのも、すごい刺激になるんで(笑)。

逆に、何かすごいことを考えてるのかと思ったら、考えてなかったり。高山優大くんがすごいブルージーな曲を弾いてると思ったら、「♪みんなみんなみんなかなえてくれる」って『ドラえもんのうた』を歌ってたりするんですよ。青木しおりちゃんが素晴らしい歌を歌ってると思ったら、お母さんに聞くと「これはシルヴィ・バルタンです」とか「カーペンターズです」とか、ほかにもフランスの童謡も。カバーとかコピーとかかもしれないけど、全然違うものに聞こえたら、それはもうオリジナルな曲だと思うんですよね。出所が高尚なものじゃなく、ラジオとかテレビで聴いたような曲が変容して面白いことになってるというのもまた、音遊びの会の面白さだなあと。

——プロの音楽家や演奏家、たとえば現代音楽を真面目にやっている人たちがいろいろなことを考える。どうやったら新しい表現や音が出せるだろうか、作れるだろうかと考えている人たちっていっぱいいると思うんですね。で、そういう人たちが考えてやってるものと……。

森本 そう、それをすっこーんと超えることがあると思うんですよね。

——超えることがある。

森本 うん、僕はそういうのを斜め上っていう言い方をしてるんですけど。想像してるところのはるか斜め上を、わーっと行くようなことがある。

——それはやっぱり、とらわれがないからですか?

森本 そうでしょうね。それとなんか、自信がある。そこなんですけどね、障害のある人が自信のある表現を人前でできることって、実は少ないと思うんですよ。やったらあかんよって常に言われる世界にいるんですよ。親にも施設でも事業所でも。それを全然言わないところが、音遊びの会やと思ってて。たまに長すぎると、ごめんここでやめましょう、みたいなことは言うんですけど、基本的にはそれがそのままで面白いねってなりますね。

——そのままで面白い。

森本 そう、そのままで面白い。

——それはすごいことですね。見本を示してくれないとできないとか言う人、たとえばアマチュアの音楽家だと、そういう人がたまにいるんですよね。そういうタイプは、ここにはあまりいらっしゃらないってことですか。

森本 藤本さんは「音遊びの会」に来たばかりの時はずっとピアノでメヌエットを弾いていて、今でも『見上げてごらん夜の星を』をトロンボーンで3コーラスきっちり吹いて終わる。心に訴える、とてもいい演奏をする。でも、そういった曲ではなくて、一つのモチーフをずっと続けるような演奏が、とてもかっこよかったりしますね。

有働綾子ちゃんは、ディズニーの『アラジン』のテーマとか、『冬のソナタ』のテーマとかを弾き語るんですけど、でたらめすぎてめっちゃ面白いんですよ。やっぱり型にはまらないっていうのが、そのままで面白い。

才能に光を当てる、自由に泳げるプールみたいな「場」

——音遊びの会の構成には、保護者も含まれていますね。

森本 障害のある子は一人では生きられないから、親が一緒にいることが多いんです。横でヒヤヒヤと見ている親と二人三脚になっている。音遊びの会では、それをポンって切って「お母さんたちはもう来ないでください」って言って、別部屋に入ってもらったりする。その結果、その子らが独自の表現をどんどん広げていった。親たちもお互いの心配事などを語り合う機会にもなり親たちのいい関係もできていった。

最近はあまりやってないんですけど、これまで親にも音楽に参加してもらっています。2006年の「音の海」でやった保護者だけの「掃除機アンサンブル」「グラス・コップアンサンブル」、この2つの演目のディレクションは僕の役目でした。その後もキッチンにあるものだけ持ち寄った打楽器アンサンブルとか、空き瓶吹奏隊とか。ワークショップのセッションに親が参加して、すごくいい音楽が生まれることもたまにあります。

——やっぱり、音遊びの会のような場が大事なのかなっていう気もします。

森本 うん、自由に泳げるプールを用意するみたいな意味ですね。それはあると思うんです。誰でもというわけではないんだけど、障害があって潜在的に才能のある人は結構いる。けれど、そこに光が当たることは少ないんじゃないかと。

——そういう人たちの埋もれてる才能、潜在能力を出せる場であるということですね。

森本 そうです。その通りなんだけど、もうある程度固定メンバーで、19人もいたらあんまり増やせないんです。ここ数年で2人増えたんですけど、すごく広げることができない。だから、一般参加ワークショップというのをたまにして、多くの人に来てもらったり、いつもの月2回のワークショップも何人か、ビジター枠を作って参加してもらえるようにはしています。その中で継続していって、一緒にやってて面白いなっていう子がだんだんメンバーになっていく。

——月2回のワークショップは、ここ旧グッゲンハイム邸でやってるんですか?

2025年6月15日 神戸市垂水区塩屋町「旧後藤邸」でのワークショップ(写真提供:音遊びの会)

森本 最初は神戸大学でした。神戸大学に関係する学生がいたから続けられたんだけど、その人たちがみんないなくなり、出ていかなければならなくなって。その次は兵庫区の和田岬にある「和田岬会館」を使えることになって、そこに7年いたんです。でも、そこも取り壊しが決まって。それで今はこの隣に建っている「旧後藤邸」と、長田区の地域コミュニティーセンター「神戸市立ふたば学舎」でもやっています。

——岩波書店から『即興がつなぐ未来 音楽と社会の狭間でおっとっと』が出ることになったきっかけは?やはり最初は大友さんから?

森本 大友さんは岩波からすでに単著が2冊出てて、その流れはあるんですけど。でも、この本を出したいと言ってきた編集者さんは大友さんとは関係がないんです。まだ20代の若い編集者で、「音遊びの会」の代表の飯山ゆいさんに「岩波ブックレット」という今回出た本よりも規模の小さい単著として本を出しませんかって言ってきてくれたらしい。

——あ、そうだったんですね。

森本 それで、飯山さんは自分だけで一冊は書けないけれど、「音遊びの会」には大友さんや細馬宏通さんもいるし、元代表の沼田さん、保護者代表の森真由さん、そして僕も含めて書き手がたくさんいるから、それで本を作りませんか?っていう提案をアレンジして返したんです。で、それはいいですねってなったけど、僕らがなんか岩波書店というものをあんまりイメージできてなくて、単なる読み物じゃなくて、もっとビジュアルが入ってくる本にしたいとか、題名とかもふざけすぎてて、企画会議に通りにくかったみたいです。文章もみんな書き進めてたんだけど、2年ぐらい寝かされてた。それで、タイトルを社会派寄りにした。すると、タイトルが決まった途端にGOが出たんです。

——大友さんは、この本の帯にもあるように「「音遊びの会」が始めたことが、わたしの人生をも変えることになる」と書いておられて、音楽家としての軸を中心にして正直な気持ちを書き綴っておられますね。対して、森本アリさんの文章は「表現者たち」というタイトルで、ほぼAメンバーの紹介になっています。アリさんは「親バカより親バカ」と保護者からからかわれると自分でも書かれていますが、メンバーに対して親のような愛情あふれる視点で、読んでいるほうもほっこりしました。

森本 『即興がつなぐ未来 音楽と社会の狭間でおっとっと』って、いいタイトルになったと思うんだけど、研究書であり実践書であり体験談であり、大きな社会のことを書いているようで小さな一個人のことも丁寧に吸い上げている。僕は音遊びの会のことを、一つの理想的な社会を積み上げられてるんじゃないかと思ってた時期がある、そこまで大それたものじゃないけど、即興音楽が紡いだ一つの温かいコミュニティーの実践にはなってますね。

 

*次回に続きます

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