ムーンライダーズ 鈴木慶一 インタビュー「花形文化通信」NO.25/1991年6月号
5年の充電期間を経てムクッと復活したムーンライダーズ。

さすが出力○△メガバンド。
まるで’90年代の火の玉ボーイズと人は言う。

鈴木慶一、岡田徹、武川雅寛、かしぶち哲郎、白井良明、鈴木博文。メトロトロン、雷蔵、ソロアルバム、プロデュース……ここ数年の各人の活躍をあげるだけでもキリがない。そうそうたるメンツである。はちみつぱい時代から思い起こせば、まんま日本ロック史を語れる。その「偉大なるアマチュア」「永遠の2位体質」とも言われる音楽道楽ぶりをフルに発揮し、ようやく発表した『最後の晩餐』。アンディ・パートリッジのサーカス風メンバー紹介で幕が開く。何と素敵なポップス・パノラマ。

――本当に久しぶりのアルバムですね。

鈴木 みんな待ってたのね。ソロ活動の方に気持ちが行っちゃってたから、みんな。そういうのが一段落するまで待ってたと思うんだ。あと、バンドブームもあったし、静まるまで黙ってよう、そっちに目が行ってる時にオッサンが出てっても仕方ないと。きっかけは僕が『マザー』というファミコンのCDを出して、それを岡田君が聴いて、これってさんざん出すって言ってたソロアルバム名義でいけるんじゃないの?吐き出したんじゃないの? だからもうムーンライダーズやりましょうっていう彼の電話だったんだけど。それもそうかなと思ってね。それがおととしの秋で、じゃ、やろうって今度は僕がメンバーのいるスタジオや家に1人1人家庭訪問していって、やろうという話が岡田君から出てて、僕もやろうと思ってるんだけど、どう思いますか?と打診したの。反応は様々だったけど、徐々にやる方向にまとまっててね。でも、5年間も出していないからさ、僕らにとっちゃ、それがプレッシャーだったんだよね。たとえば学校を3日間ズル休みしたとするじゃない。4日目に登校する時ってすごく勇気いるでしょう。できることならもう1日休みたいと思いつつ、人目を気にしながら行くわけじゃない。そんな感じだったんだ、まさに。

――良かったですね。ズル休みが高じて登校拒否症にならなくて(笑)。

鈴木 ほんと(笑)。でも始めたらうれしいし、楽しいしね。ほら、みんなその間プロデューサー業をしていたりしてたでしょ。あれは非常に孤独なわけで、でも集まると、全員がプロデューサーなんだけど助けてもらえるんだな。こんなバンドって他にないと思う。それと6人だと特殊なハイテンションを生み出すんだよね。奥さんより長く一緒にやって来たわけだし。相手の気持ちがわかるんだよね。それもウラのウラまで。これって結局ウラがないってことでさ、表になっちゃう。

――もう終わったのかなって言う人もいたけど、ムーンライダーズは終わらないんですね。

鈴木 終わんないね。これだけ長くやってるともう解散なんかできないし、するもしないも同じっていう感じ。

――今度のアルバムを作る時に、何か決めてたこととかあるんですか?

鈴木 いつもみんなが作った曲が平均的に入ってるんだけど、今度はもう実力主義というか、市場経済の導入を図ったわけ。だからアルバムの12曲は60曲から選んだの。それも第三者に選択を委ねて。あと、ボーカルとるのは僕だけにして僕用の曲を書いてくると。それと、セールス的に成功をめざす!ってこと(笑)。

――聴いた時に『最後の晩餐』っていう何ともいえない終末観や空しいようなトーンを感じたんですが、そういうのは?

鈴木 最初にね、タイトルどうしようって言ってたら、前回が『DON’T TRUST OVER THIRTY』だから、今度は“誰が最初に死ぬか”じゃないのって冗談で言ってたのね。そしたら、それに合わせた曲ができてきて、冗談から出た誠っていうか。まあ、何となく死が身近なお年頃になっちゃったし、40年も生きてると、あっ半分越えたなってある日突然感じるんだよね。ただ、30歳になる時はイヤでしかたがなくて、その前後3か月すごい暗い気持ちでさ、20代にやって来たことは何だったんだろうとか思ったんだけど、40歳って全然平気なの。ハッピーなんだよ。だから、死にたいなんて思っていないし、他人に殺されるのも絶対イヤだけど、いつか人間は死んじゃうさという、怖いもの知らずの考え方なんだね、底にあるのは。マグニチュード38.5の強烈な地震が3日後に絶対来るとわかってても直前までインタビュー受けてガァーンと死んじゃう方がいいんじゃないかっていう。

――そういう諸行無常を受け入れる考え方や、ムーンライダーズ特有のいろんな主張があるように思います。

鈴木 うん。戦争はいけないと直接言わないけど、「はい!はい!はい!はい!」みたいに何でもはいはいと言ってると銃を持つことになるぞっていうようなね。すごく多岐にわたり出てる、今度のは。恋愛、日本、家庭、宇宙、歴史……、何でもありの文藝春秋のような(笑)。たとえば『犬の帰宅』というのは僕が音楽始めて以来一番早くできた曲だけど、弟の博文の娘が小6で学校新聞持っててさ、そこに人面犬の話がのってたの。緑色の液体を吐いて2m飛びあがります、おとなしいけど突然走り出したりしますって。あれは子供の噂だよね。でも実は人面犬って父親なんだよ。不気味でイヤな化け物というね。父親の下着をはしでつまんで洗濯機に入れる子供にとっちゃ。そういう父親は父親で帰宅恐怖症に陥ったりして。そういうイメージなの。あの歌は。

――時代が反映されているんですね。『涙は悲しさだけでできてるんじゃない』というのは?あれはすごい愛の歌ですね。

鈴木 “もし君が年老いて動かなくてもぼくは死んでゆくわけにはいかない”っていう所が重要なんだよ、あれは。愛する人が死んだら一緒に死んじゃうのが愛情か、ふみとどまって生き続けるのが愛情か?答えるのに3時間くらいかかりそうだけど、重要な問題だと思うんだ僕は。

――そういうような重要なテーマがちりばめられている。ただ、底抜けに幸福なのってないんですね、いつも。

鈴木 僕がハッピーじゃないんだ(笑)。というかね、デビッド・リンチ的な人間の暗部を見たいと思ってるの。で、もちろん細い日常のことを気にしないと生きてはいけないんだけど、死であるとか究極のもの?極大極小とか、極端な物に目が行っちゃうんだよね。デビッド・リンチは非常にまともな物を作ってるらしいけど、ところがあれだけ不気味な物にする。それは真実が不気味なんだ。わりと人が目を向けない暗い部分に目を向けながらポップ性を忘れない、あの境地に立ちたいんですよ、僕は。目標デビッド・リンチ。だから、僕はフォーク・ロックまぜこぜの所から出発してるけど歌詞はロック的だと思ってる、私小説にはならないからね。

――音はどうですか?実験集団みたいなところってあるし、今面白いと思ってるのは?

鈴木 ハウスだね。それしかないんだもん。残念ながら。一時のニューウェーブみたいに素人でも作れるという面白さがあるからさ。僕はずっと馬鹿にしてて聴かなかったんだけど、昨年ぐらいから環境音楽ハウスとかバイオハウスとか、エニグマみたいに宗教音楽を組み合わせたり面白くなってきたでしょう。今度、ブリープっていうピッピッという発信音の極めつけのが出てきたし。結局何でもありでさ、その辺がパンクやニューウェーブに気質が似てるよね。実は僕らも取り入れてる。そういう気持ちの良いサウンドに厳しい歌詞をのっけてるというね。

――これからはどういうふうに?また休んだりしませんか?

鈴木 いや、これから先の5年間は学校に通い出した5年間と考えよう。年1枚アルバムを出すし。今度は信用して下さい。政治家みたいだね(笑)。その5年で、20年目を迎えるわけでムーンライダーズ史上最も活発な5年にするつもりなの。僕も6月からソロアルバムのレコーディングに入るし。これは5枚のシングルが集まったようなA面B面……明と暗、明と暗という展開のね。そのあとムーンライダーズのレコーディングに入るんだよね。まあ、第2の思春期かな。肉体的にはちょっと衰えてくるけど補う精神力がどんどん増してくるでしょ。そのアンバランスが体が大人でも心は未熟っていう思春期と逆ではあるけど。人によっちゃ更年期という人もいるね(笑)。

――その向かってる方向はどこですか?

鈴木 どこへ行くんだか僕にもわかんない、それは。ウサギに聞いてくれって(笑)。

取材・構成 やまだりよこ/写真 浅田トモシゲ

「花形文化通信」NO.25/1991年6月1日/繁昌花形本舗株式会社 発行