【インタビュー】管理人・ミュージシャン 森本アリ その6/7
ミュージシャンであり、旧グッゲンハイム邸の管理人でもある森本アリさんは、塩屋でさまざまなイベントや企画を展開している「シオヤプロジェクト」の主宰者でもあります。活動内容があまりにも多岐にわたっているため、とても一言では言い表せないシオヤプロジェクト。今回は、その始まりと、代表的な取り組みについて。味わい深い写真とともにお楽しみください。(丸黄うりほ)

旧グッゲンハイム邸で(2026年1月29日)
“塩屋をいじる”スタートアップは写真展「塩屋百景」シリーズ
——「シオヤプロジェクト」を中心に、アリさんと塩屋のまちの関わりについてお尋ねしていきたいと思います。インタビューの1回目で、2007年から2008年にかけて開催された「塩屋百人百景」の撮影会・展覧会についての話題が出ましたが。

2007年の告知記事はこちら
森本アリさん(以下、森本) 僕は塩屋のまちとの関わりを、 “塩屋をいじる”と言ってるんです。そういう企画としては、「塩屋百人百景」の前に、実は「塩屋百景」という企画もやっているんですね。これは、まちの人に広く呼びかけて、塩屋で撮った写真を持ってきてもらって展示するという公募展で、コンクールみたいな展覧会だったんです。20人くらいの人が作品を出してくれたのかな。それが2006年です。
2007年の12月17日は寒いけれど晴れた日でした。朝、グッゲンハイム邸に集まってもらって、使い捨てのレンズ付きフィルム「写ルンです」を配って、夕方までに勝手に写真を撮ってきてもらう。それを現像して、2月に展覧会をしました。撮影された27枚の写真を120人分、一人ずつフィルムの時系列のまま、縦のロールプリントで展示したんです。ひとりひとりの一日の記録がまるで短編映画のようでした。
塚村編集長(以下、森本) 縦のロールプリントっていうのがいいですね。
森本 2007年当時、日本で縦ロールを現像できるラボは1カ所だけとのことでした。ベルギーでは、普通のまちのカメラ店さんでできました。だから、僕のベルギー時代の写真はほぼロールで保存しています。
塚村 レンズ付きフィルムを配布してまちを撮影する企画自体は、すでにある手法ですね。1996年に神戸旧居留地でC.A.P.が行った、白黒の撮りっきりカメラで、震災後に変化していくまちを撮って、あとで100枚を選んで写真集を作るというアートイベント「のぞき穴から見た街」に参加したことがあります。
森本 ベルギーにいる頃ですね。2006年の「塩屋百景」の反省もあって、次回どうしようと思っているとき、もともと塩屋の住人だった、竹中工務店にお勤めの松隈章さんから、「写ルンです」を使って塩屋のまちを撮影した写真展をやってみないか、と声をかけていただきました。松隈さんは、すでに富士フィルムの提供を受けて2006年に東京駅で「100人の東京駅」という写真展を行っていました。同じく、富士フィルムと提携して、塩屋のまちで、という話に僕はすぐに飛びつきました。
塚村 なるほど。松隈さんは1996年の旧居留地のC.A.P.の催しに参加されていたようですね。10年後に企画されたというのは、思い出深い経験だったのでしょうね。レンズ付きフィルムは当時は全盛でしたが、2006年はデジタルカメラが主流になって、また新たな価値がプラスされてます。
森本 あえてフィルムカメラを使うというのも楽しめる企画でした。そしてそれが、2009年の「塩屋百年百景」に続くんです。
——「百人」から「百年」に。
森本 タイトルは、メールをやり取りする中で「百人」を「 百年」とした誤入力が起きて、それで、これ面白いな、ということになって決まりました。2007年の「塩屋百人百景」で当時の塩屋を存分に記録できた実感があったので、今度は昔の塩屋に興味が沸々と湧いてきました。塩屋の古い絵葉書に出てくるハイカラな塩屋にびっくりしたこともきっかけです。
「塩屋百年百景」はまちじゅうに告知をして、昔の塩屋で撮られた写真を集めて展示するという企画でした。最初はすぐに集まると思ってたんですけど、そんなに集まらなかったので「プレ塩屋百年百景」という展覧会をとりあえずやってみたら、メディアで取り上げてくれて、海外や県外とか、昔塩屋に住んでいた人からも応募がありました。
僕が想定していたのは、たとえば同じ場所の50年前と今、みたいな比較できるような風景写真だったんですけど、集まった写真は風景の写っているものが意外と少なくて。まあ、観光地じゃないから、家族とか人のスナップのほうが多かったんですよ。それで、塩屋を借景とした大きな家族アルバムとして構成したんです。
——いつごろ撮影された写真が多かったんですか?
森本 昭和30年代、40年代くらいのものが多かったかな。でも1980年くらいを境にカラー写真が増えるんですが、カラーになったら、途端に写真のクオリティがめっちゃ下がるの、解像度は下がるしピントもあってなくて。だから、カタログにする時にはカラー写真を排除しました。
明治・大正の写真もありましたよ。この写真は大正時代だと思うんですけど、旧グッゲンハイム邸前所有者の川畑家の方にいただいたんです。この人たちは旧グッゲンハイム邸に1920〜30年代に暮らしてたんです。
——写真展は、「塩屋百景」「塩屋百人百景」「塩屋百年百景」と続いたと。
森本 そうですね。そして少し後になるんですけど、2017年には『塩屋借景』という本も出しました。写真もあり、絵もあるアート本です。だんだんとシオヤプロジェクトに才能豊かな人たちが集まってきたので出来た本です。
塩屋の地域資源を使い倒す!2014年命名「シオヤプロジェクト」
森本 “塩屋をいじる”ようなことを、当初は「塩屋百景事務局」という名義でやっていたんですけど、2014年に神戸市の文化課の人が視察に来たんですね。で、塩屋は坂道が面白いとか、階段がこうなってるとか、いわゆる観光名所にあたるようなものはないし、そんなものばかり案内して回ったら、「塩屋は地域資源が豊富なんですね」って言われて。こういうのは“地域資源”と呼べばいいのか!と思いましたね。
それで、神戸市からは助成金の案内があったんですよ。まちの再生活性化に寄与する文化芸術助成っていう幅のある枠で、助成金で作った成果物を売ったりしてもよかった。それで、“塩屋をいじる”ことを積極的にやっていくことになって、「シオヤプロジェクト」という名前をつけたんです。
——2014年に、シオヤプロジェクト名義になったんですね。先ほどから何度か森本さんがおっしゃる“塩屋をいじる”ということを、少し詳しく教えていただけますか?
森本 塩屋のまちを文化的に楽しむこと、遊ぶこと、まち歩きをすることかな。まちの文化祭の企画をしたり、空き家や古家の再生をしたり、まちの記録をしたりしています。
——塩屋はアップダウンがあって、山も近くて海も見えて風光明媚ですから、普通にまち歩きをしても楽しいですよね。
森本 まち歩きをして、いろんな発見をするんです。
——発見というのは?
森本 坂道や階段を作品化するっていうことですね。まち自体を使いまくる、使い倒す。塩屋には商店街があり、震災後も全然変わらない景色がまだ残っています。商店街の突き当たりには川が流れていて、川にはいろんな装飾物が出たりしてるんです。商店会でやってるのかなと思いきや、実際は、「田仲とうふ店」田仲盛秀さんの一人相撲みたいな感じだったのを、田仲さんの背中を見て育っている僕たちを含むまちの人が手伝っています。
——それも、シオヤプロジェクトですか?
森本 はい、田仲さんの作品は、僕は吸い上げてます。これは七夕の飾りの途中ですね。で、この方は沖永良部生まれ種子島育ちで、16歳で京都に出て修業して20代で塩屋に店を構えてずっと住んでおられます。田仲とうふ店の周りはちょっとした楽園になってます。僕は、田仲さんが故郷の亜熱帯のジャングルをつくってると言ってます(笑)
和久田善彦さん(以下、和久田) 田仲さんなどは、本当に昔からいる、いわゆる“まちのレジェンド”なんです。シオヤプロジェクトは会社組織ではないし、現在の主要メンバーは森本アリさん、小山直基さん、サラ・デュルトさん、デザイナーの藤原幸司さん、北条奈々さんの5人ですが、それぞれ固定した役割を担っているわけでもなく、週一でミーティングはしてるみたいですけど。そのほか建築家、写真家など塩屋在住のいろんな才能を持ってる人がいて、必要な時はその人たちが手助けをしてくれています。
森本 和久田くんもそんな一人。シオヤプロジェクトのことを紹介する文章を書いてくれたり。
塚村 「シオヤプロジェクトのこと」というペーパーにそのテキストがありますね。
シオヤプロジェクトとは、地元に暮らす当事者たちが徹底的に自分たちの住む町の足元を見つめ直す試みである。それは第三者が新しいものを作ったり誰かを呼んできてスベっている「まちづくり」の企画に決定的に欠けた視点であり、その成果として生み出されたさまざまなプロダクトの中でも象徴的なのが、森本アリによるフリーペーパー『レディメイド・シオヤ』(現在は絶版。アートブック『塩屋借景』に同内容を収録)だ。「既にそこにある」ものを発見するという遊びは、どんな町でも代替可能なものである。ここにある彼らのたくさんの遊びが、そのことを教えてくれる。塩屋はその独特の地形や歴史から特殊な町であると言われることも多いが、最も特殊なのはシオヤプロジェクトの中の人たちなのかもしれない。
——和久田善彦(編集者)
塩屋のすでにそこにあるものを面白がる「レディメイド・シオヤ」
——『レディメイド・シオヤ』とは?
森本 シオヤプロジェクトで初期にやったのが「レディメイド・シオヤ」っていう企画でした。塩屋のまちのレディメイド、つまり塩屋にすでにあるものを抜き出して面白がるっていうことでね。
たとえば、これは漁港で見かけたんです。塩屋では海苔の養殖をしてるんですが、海苔は収穫するときには海水を含んでいてドロドロのものなんですよ。ドロッとした海苔を収穫して、それを船からホースで工場に送る。だからこの辺にはホースの口がいっぱいあるんですね。その口を一番近くにあったもので手っ取り早く封をした結果、ゾンビが地獄から這い出てくるような光景が突然現れた。
——うわ、これは。面白いですね!
森本 次はこれ見てください。これは海の方での車の停め方です。土地が全然ないから、もうこの脱輪しそうなギリギリの状況で車を停めています。
——塩屋で見かけた面白いものが次々に出てきますね。
森本 そう、それを発見して写真に撮るのが僕のプロジェクト「レディメイド・シオヤ」でしたね。で、これが山の方での車の停め方。こんなピタゴラ装置みたいなことをして頑張って停めている。こうしないと回り込めないとか、そういう土地の問題から出てくるんですが、これも地域資源。
これはもう階段と坂道がイコールであるからこそつくれた、永遠に回れる坂段ですね。最近「循環型」と名づけました。こういうのがティピカルな塩屋的光景。
坂がきついから、坂の間に階段を作る。「共存型」と名づけました。

「循環型」や「共存型」については「坂調査隊の塩屋坂調べ」へ
これは、回り込んで見ると階段が二つ、同じ方向に向かっていて、無駄に豪華なシチュエーションって僕は呼んでます。
この階段は凹みがあるじゃないですか?
この凹みは何だろう?
駐輪場です。この駐輪場はまあ、家主が作ったDIY階段なんですけど、それが自転車に乗らなくなったのか、のちに凹みが埋められたんですよ。でも美しいでしょう?
それから「シルバーの休み所」。これは長い坂道の途中にある休憩所みたいなところです。豆腐屋の田仲さんが椅子を置いていって、DIYで折りたたみ椅子に板を付けたりして。それも日々変化していってて、その後、切り株が出てきた。この切り株は商店街にあったシンボルツリーが切られたんです、ちょっといろんな事情があってね、それを気の毒に思ったから、それをいろんなところに置いていて。で、一時期むっちゃかっこよくなってたんがこんな感じでね。作品でしょ? これが、もし直島にあったら作品として出せるくらいインパクトある。
田仲さんは流木のコレクションもしていてね、これはその流木を使って傾いてる家を勝手に直し始めて。僕は建築系の学生にレクチャーするときは必ずこれを見せて、これを手本にするようにと言ってます。
こちらは、もう一人のまちのレジェンドで、塩屋の奥の下代地区の自治会長を長年やってきた中塚信昭さんの作品。手書きの看板をあちこちに設置していて、素晴らしいものがいくつもあった。「ちょっと待て 捨てている あなたの心を拾いなさい」。ポイ捨てあかん、とは比べものにならない説得力ですよね。
継ぎはぎだらけの道は、私有地で両側の家の方が権利を持ってて、なので修繕がすごい細やかにされてつぎはぎだらけになってるし、これがある意味すべり止めにもなってるだろうと僕は思っています。

坂についてはフリーペーパー&Web「坂の可能性」に詳しい
シオヤプロジェクトは都市計画道路へのアンチテーゼでもある
森本 初期は「塩屋地図プロジェクト」と銘打った企画が多くて、塩屋の「すごろく地図」や「宝探しマップ」などを子どもたちと一緒につくったりもしていました。歩いてまちを知るっていうことを大切にしてるんですよ。「森本アリさんの 勝手に高低差学会」って名付けて、坂とか階段とかをひたすら歩く。
——何人かで歩くんですか?
森本 そのころは参加者からお金をとっていなかったけど、定員10名とかでした。あと、塩屋には昔から盆踊りの音頭があるんですけど、それが一曲30分もあって長いので、短い普及版を考える「新・塩屋音頭を考える会」とか。
これは神戸在住のイラストレーター山内庸資さんとやった「MARK IN THE CITY」。街歩きをして気に入ったところをスケッチして、それを後でイラストにして、シンボルマークとして描き入れていく。旧グッゲンハイム邸はトランペットマークで音楽会が行われてるところとか、そういう地図を作ってみたり。
これは、当時しおやに住んでいたコミックなんかも描くイラストレーターのスコットランド人、グレアム・ミックニーの「秘密の宝の地図」。ヒントが散りばめてあって、公園の滑り台の下になんかヒントがあって次の場所に行くとか、そういうロールプレイング的な街歩きをしたり。
この「ぶらり塩屋の町」は、すべての道を、塩屋在住の木版画家、西野通広さんと僕と小山直基で、ゼンリンの地図を頼りに塩屋の道という道をすべて歩き尽くして作りました。本来は観光案内所とか垂水区が作るようなものですけど、そんなことはやってくれないから、僕らが率先して作りました。で、これがその後、塩屋商店会の地図になってたりもします。
——「シオヤプロジェクト」がやっていることって、塩屋をネタに遊ぶっていう感じですか?
森本 そうです。とにかく塩屋をネタにしていじりたおす。
——それについて、塩屋在住の皆さんはどんな受け止め方をされてますか?
森本 たぶん、いつのまにか浸透してると思います。老人が古い家を手放したら、若い人が買ってリノベーションするっていう新陳代謝はここでは普通です。シオヤプロジェクトによるブランド化とは言いたくないですけど、その価値を感じてくれた人が移住してくれたりしているし。僕は都市計画道路のアンチテーゼとしてもやってるから。
——このインタビューの最初にも、都市計画道路の話をされましたね。
森本 そう、ここに16 m幅の道路を作るっていうのが、まちへのとんでもない破壊行為と思ってるから、細い道もそのままで面白いんだよっていうのを提示し続けてるつもりで。
——自動車道を作って街を整備しようというのは、まあよくある再開発と言えますね。そうじゃないまちの生かし方があるという考え方ですね。
森本 そのままを全肯定するってことですね。坂道がきついっていってもそれは直らないんですよ。道が細いと車もゆっくり走るし、道の真ん中を人が通ったりするようなまちだし。全然それはいいことだし、不平不満にしないということですね。
——富裕層や芸術家なんかが後から入ってきて、街をおしゃれに作り変えるジェントリケーションと呼ばれる現象が、ときどき話題になっていますが。
森本 はたから見たらそれに近いことかもしれませんが、地産地消でやることでもうちょっと血が通うと思っている。僕が言う地産地消っていうのは「人の地産地消」ね。たとえば、塩屋の音楽家だけが出演する音楽会などは、才能の地産地消とも言える。
音楽会でも外様が来て、一日1万人が集まって、次の日ほとんどの人がいなくなって、そのままその人たちは帰ってこないっていうまちづくりとか、まちおこしイベントがいっぱいある中で、それはおかしいなって常に思ってるから。僕らが音楽会をするときは、塩屋の人たちが中心になる。でも、企画自体を持ち上げてくれる外の人たちも来てくれる。
今、まちづくりとかっていうとね、自治体がマガジンハウスや電通やエイベックスと組んだりするんですよ。あれ本当に腹が立ってて。神戸は震災があったので、ものすごくプレイヤーが多いの。神戸じゅうの小さなまちを7時間かけて歩く、シオヤプロジェクトの「勝手にまち探訪」っていうイベントを明日もやるんですけど、そういうのの案内人にプレイヤーが参加していて、ずっとコミュニケーションを取り続けてるから。
——プレイヤーっていうのは?まちの人のことですか?
森本 まちをよく知ってて、まちづくりにも関わってるけど、全然企業的な話じゃなくて、そこに住みながらそこをいじってる、それぞれのまちのシオヤプロジェクト的な人のことですね。そういう人が神戸にはまあまあいて。
和久田 灘区には「ナディスト」とよばれる人がいます。慈憲一さん。町内の坂道に民間のコミュニティバスを走らせたり、全国からランナーが集まるマラソン大会を企画したり…。
森本 僕は都市計画とか好きじゃないし、まちづくりっていう言葉も好きじゃないんです。つくるっていう言葉があまりにおこがましいと思ってて。僕は“まち残し”しか基本的にはしてないと思ってる。
——まち残しは、まちづくりとは根本的な違いがありますよね。やっぱり森本さんにはまちに対する愛があるなと思う。
森本 愛という言葉も自分では言わないようにしてて。まちを紹介するときに、ここが一番だという紹介をする人も結構いるけど、一番とか好きとか愛とか言うと、僕は会話が成り立たないと思ってます。それよりもまあ、この坂道と階段がきついとか、それを面白がって「おかげでばあちゃんたちは元気や」っていう事象を並べていくことで、会話は成り立つと思ってて、基本的にそういう言い方をしています。
『しおやカルタ』は「メイド・イン・シオヤ」の真骨頂
森本 「メイド・イン・シオヤ」と銘打って、フリーペーパーを作ったり、売り物の印刷物とか出版物とかも作っています。「秘密の宝の地図」を描いたイラストレーター、グレアム・ミックニーの絵葉書セットとか、そういうのを売ってちょっとずつ小遣いを貯めて、別の企画を立てて自走できるようにもしてる。販売物もすごいバリエーションがあります。紙媒体はめっちゃ好きです。
『しおやカルタ』がその真骨頂で、これは時間をかけて作りました。塩屋在住のクリエイティブな人や塩屋を面白がってくれている人たちに「助成金があるから、何かやりたいことない?」ってメールで聞いてみたら、塩屋在住のおおたけなおこさんが「カルタを作りたい」と。
それで2年ぐらいかけて、まちの人を集めてワークショップをして、塩屋のいろんな特徴を集めて、読み札の言葉を練って 。おおたけさんが消しゴム版画で絵札を作って、字札は塩屋の「トランクデザイン」が組版して、活版印刷機で印刷、兵庫区の小さな町工場で箱を作ってもらって、箱詰めは人海戦術でみんなでやりました。読み札には一つずつ解説を付けていて、そのテーマに見合った人に書いてもらってるので、ちょっとしたエッセイ集のようになっているんですけど、県外の音楽家にも書いてもらってたり、和久田くんにも書いてもらいましたよね?
和久田 僕は旧グッゲンハイム邸について書きましたね。
森本 小学校の話だったら校長先生に聞くとか。商店街ともタイアップしてね。それを読んだらイメージが浮かび上がってくるような内容で、500部作りました。
「ようけある 何食べようかな 食堂しろちゃん」の「食堂しろちゃん」なんかは、オムチャーハンとか、僕はよく頼むんですけど、そういう表に出してない裏メニューがたくさんあるんですよ。カルタの影響で噂が広がって、裏メニューを頼む人が増えたりしてるらしい。『しおやカルタ』はほとんど出て、あと20部残ってるぐらいです。
——森本さんは、塩屋の面白さを細かいところから見つけてきて、本当に楽しそうにお話されますね。それって誰でもできそうだけどパワーがないとできない。細かいことを一つずつ見ていくのは、元気がないとできないと思います。小学生の時、旧グッゲンハイム邸の探検をしていた森本アリさんが、ずっとそのまま続いてる感じがします。子どもってそういう変なもの見つけるの上手ですよね。坂を歩き回るのも元気じゃないとできないし。
森本 でも、たぶん、とっくに飽きてるんやろうと思うけど。手を変え品を変えてまだまだ面白いと思えるものがいっぱいあると思う。
——まちでも遊ぶ、音でも遊ぶ。森本さんのその考え方は、どこでも生かしていけますね。
森本 そうそう、どこでもそのまちのカルタ作ったら、たぶん面白い。
まちがボリュームを変えないまま良くなる「シオヤアキヤ古家再生」
森本 シオヤプロジェクトのWebで展開している「塩屋+景 (ぷらすけい)」は、むしろ僕よりも小山直基プロジェクトなんですけど。妹のサラは「「塩屋はタオルミーナみたい」と母がよく言っていた」って書いてる。タオルミーナはシチリア島の斜面集落ですけど。まあ、ハッタリは多いんですよ(笑)、でもどんだけ言い切るかっていうことやと思ってて。和久田くんにも、「塩屋の「下から見るか?上から見るか」」という文章を書いてもらいましたね。
和久田 うちの家は塩屋でも屈指の急な坂の途中にあるんです。だから上から見るのと下から見るのでは違うものが見える。
——森本さんや和久田さんのような精神を持てば、自分たちのまちも違って見えてくるかもしれない。うちの地元も結構面白いかも、って見直すきっかけになりそうですね。
森本 塩屋だって海と山があるだけで何もないって言われるまちだったんですよ。観光的名所とか、いろんないいお店とか、そういうものがあるわけでもなかったから。今はとんがったお店とかも多くなったけど。
和久田 森本さんは自分では言わないかもしれないですけど、2007年に旧グッゲンハイム邸の活動が始まってなかったら、シオヤプロジェクトもなかっただろうし、塩屋はこんな感じになってないと思うんですよ。塩屋が地元だったけども出て行った、僕と同年代の人もいるんですよね。そういう人たちが若い頃は、居てもしゃあないまちみたいなイメージはちょっと持ってたみたい。
僕は、塩屋というのは、単に山と海が近いだけでもなくて、神戸のまちからいったん切り離されたような所にあるというのが特徴かなと思います。震災があった時にも須磨より東側は大きな被害が出たので、駅前が再開発されてるんですよ。でも塩屋はそこまで被害を受けなくて、そのせいで大きな開発がされてない。ここがもっと壊れていたら、16 mの幹線道路ができてたかもしれない。
今はたいてい、JRの駅を降りるとロータリーがあって、何らかの商業施設なりコンビニがあって、パチンコ屋があり、牛丼屋とかファストフードのチェーン店があって、というのが基本ですけど、塩屋の駅前にはロータリーもないし、大きな商業施設もないし、パチンコ屋もない、コンビニもない、チェーン店もないっていうかなり珍しいまちなんですよ。
で、それがど田舎ならわかるんですけど、そうでもない。この都心からの立地にこういう環境があるというのはすごい珍しいんですよ。僕らのような価値観で考えると、かなりラッキーな状況に置かれてるからこそ、シオヤプロジェクトみたいなこともできているといえる。
——まちを作り変えるのではなく、もともとあるものを生かして、そこに新しいお店なんかができてくるというのは、順番がいいですよね。
森本 新しいお店もわりとその価値観を共有してるから。古い建物をリノベーションすることがもう基本理念になってて、新築っていうのはなかなかできてこないですね。
和久田 そうですね。すでにある建物に入るパターンが多いんで。
森本 変わらないことをすごく批判的に見てた人たちも多かったと思うんですけど、そうやって足踏みしてる間に周囲の価値観が変わってきた。松隈さんは「塩屋は周回遅れのトップランナー」という表現を使ってますね。まあ、意味はよく分かる。周回遅れで、足踏みしてる間に、周りが変わってきて。開発開発って言ってたところから、ロハスな流れとかリサイクル重視とかっていうことを世界全体が言うようになったところまで、残れていたことに意味がある。
和久田 それを、そこに住んでる人たち自身がやってるっていうことの意味が大きい。シャッター商店街になってるからどうにかしたいってなった時に、たとえばそこに第三者的にコンサルが入ってきて、そのアイデアをきいて地元の人は一瞬盛り上がるって思うかもしれないですけど、それでコンサルが帰ったら終わりになったりするわけです。
森本 こういう「シオヤアキヤ古家再生」みたいなイベントはずっとやっています。古家や空き家は、日本では全国的に増え続けるものだし、それは結構前から着目してて。で、僕らはリノベーションして、街がボリュームを変えないまま良くなっていくっていうのがいいと思ってる。
和久田 土地の形状から再建築不可の物件が多いんですが、結論としてその家が、圧倒的に安いんですよ。
森本 家がつぶされると建て替えが難しい、だからリノベーションして住みやすいようにして、楽しく暮らせるんです。でも、新築の家も、ローンを何10年も組むような家がいっぱい建ってきてるんですよ。大邸宅が一軒なくなったら、そこに5軒10軒って建つんですよね。それで、僕らは資源の地産地消もしてるんです。これは塩屋の洋館から出たもの。
——古材のリサイクルですね。
森本 それを旧後藤邸でも使わせてもらってるし、旧グッゲンハイム邸でも使わせてもらってるし。なくなった洋館のものを循環させてます。小山邸では、プレハブの2階建ての倉庫にレスキューした洋館の建具を入れたら、なんか冗談みたいに豪華になった(笑)。
古家再生の流れで、本屋さんができたりもした。明石や神戸の図書館、個人書店さんを集めて、「町と本」っていうトークイベントを企画したんです。そのときに、「本屋を始める 本屋を続ける」という枠を担当してくれた有吉結子さんが、その2年後に塩屋に「舫書店」という本屋さんを開いてくれた。僕らとしては、大ホームランですよ。
——丁寧にお話くださって、ありがとうございます。シオヤプロジェクトについては塩屋のまちをよく知らないと理解が難しいのかなと思っていたのですが、おかげでだいぶわかってきました。
森本 いやいや、まだまだ。まちを使い倒すという意味では、ほかにもやっていることがあるんですよ。
*続きます
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