【インタビュー】管理人・ミュージシャン 森本アリ その3/7
ベルギー留学時代から、いろいろなバンドやユニットを組み、ソロでも音楽活動を続けている森本アリさん。トランペットのほか、口琴や、ゲームボーイ、掃除機など楽器ではないものを演奏するという試みも。インタビュー3回目は、これまでの音楽活動を振り返って、「三田村管打団?」結成までの話をお聞きします。三田村管打団?は2025年8月、7インチアナログレコード「旅行/キネンジロー」付きの本『生活と音楽』が出版されました。版元「和久田書房」代表の和久田善彦さんも同席くださいました。(丸黄うりほ)

旧グッゲンハイム邸で(2026年1月29日)
口琴だけの「ビヨビヨ団」ゲームボーイの「fan club orchestra japan」
——ベルギーでの学生時代、「森の熊」というバンドを組んでいたということでしたが、1997年に帰国してからの音楽活動についてお聞かせください。
森本アリさん(以下、森本) 日本に戻ってきて、神戸で現代美術のインスタレーション作品を展示したんですが、なんだか手応えがなくて。
そんな時、音楽シーンでは、ボアダムスのニューアルバムが心斎橋のタワーレコードとかで1位になっていて、これはどういうことなんやろうと思いました。坂本龍一やテイ・トウワがプロデュースしたダウンタウンのユニット「GEISHA GIRLS」には小室哲哉も入ってるけど、ボアダムスも入ってて、大阪のアンダーグラウンドのよく分からんジャパノイズのバンドが、エンターテインメントのメジャーなところにいるっていうのがものすごく面白いと思いました。それで、美術やめたと思います(笑)。で、その辺りから意識的に音楽の方にシフトしていこうと。
最初は、高校時代の同級生たちと「残り11秒」ってバンドを組みました。沖縄芸大を卒業して神戸に戻ってきた友達も一緒に。ちょうど同じ頃、ラジオに出演するようになっていました。帰ってきてすぐにゲストとして出演したんですが、それが面白かったから、そのまま次の回からレギュラーで入るようになったんです。「エフエムわぃわぃ」っていうコミュニティ放送局です。
塚村編集長(以下、塚村) 「エフエムわぃわぃ」は、神戸市長田区の放送局ですね、1995年の阪神淡路大震災のときに、言葉のわからない外国人住民に向けて、多言語で放送を開始した。
森本 僕が出演した97年は開局2年目でした。ラジオ局は「カトリックたかとり教会」敷地内の「たかとりコミュニティセンター」にあって、出演していたのは「サタデー・モンド・スペシャル」という番組です。それは土曜日の夜7時から8時のすごくいい時間帯で、レギュラー出演者は僕より5歳から10歳ぐらい上の人たちでした。毎週、レギュラー出演されていた建築家の事務所で、土曜日の夜中に収録していたんです。
——音楽番組?
森本 そうです、毎回特集テーマを決めて、3〜4人の出演者が順番にセレクトした曲をかけるんです。「ギター特集」とか「ジャズボーカル」とかベタなテーマ回もあるけど、「切ない音楽」「奇妙な楽器」とか結構面白いテーマも多かった。
特集のほかにコーナーもあって、僕がとても大事に思っていたのは「リズムキングス・セレクション」というコーナーでした。「リズムキングス」は神戸の南京町にあったレコード店で、店長の藤岡さんがセレクトして3曲を紹介してくださるんですが、それが歌謡曲、ワールドミュージック、都々逸、河内音頭、江州音頭と、ホットなサムシングから重箱の隅を突くような珍曲まで、毎回いろんな音楽が飛び出しました。
ゲストのコーナーもあって、ゲストを呼んだりインタビューをしたりしました。
——ラジオを通じて、音楽の学びと出会いがあったのですね。
森本 僕はこの番組からいろいろ学んで、結局、番組が終了するまで5年間、参加しました。ゲストで出てもらった中に、口琴を演奏する集団「ビヨビヨ団」がいて、僕も口琴をやってましたから参加して、その後、ビヨビヨ団にいた女子2人、頃安陽子さんと曽田裕子さんを誘って、ゲームボーイのユニット「fan club orchestra japan」を組みました。
——口琴の次はゲームボーイ?
森本 1999年に父の実家があるベルギーに里帰りした時、友達がゲームボーイを使って音楽をつくる「fan club orchestra」というグループを始めていて、僕は時々客演していました。ゲームボーイというメディアを楽器として使うのがめっちゃ面白かったから、日本でもゲームボーイのユニットを作りたいなと思っていたんです。
それから、ライブで知り合ったサックス奏者の水谷康久くんを誘って、4人組の「fan club orchestra japan」を結成しました。ちなみに水谷くんはいま「ゑでぃまぁこん」でサックスを吹いています。2000年ごろ、4人全員がゲームボーイをそれぞれ4台持って1つのミキサーを1人ずつ所有して、で、それを束ねたミキサーに16台のゲームボーイの音が入るような構成です。大きなテーブルに16台のゲームボーイが並んでる、そんな音楽会をやってました。
今もソロで、ゲームボーイの演奏をしています。でもゲームボーイが最近、液晶が見えなくなったりして壊れ始めて、8台持っているのに、使えるゲームボーイがもう2台しかないんです。それで、いろんなごまかしをしながら演奏してます。ほかにも、口琴とか掃除機とかサンプラーとかも使ってソロライブをしています。
——森本さんは現在、ソロや三田村管打団?、音遊びの会、塩屋楽団のほか、チューバ奏者の高岡大祐さんとのユニット「口八丁」、トランペットだけの楽団「ぺ・ド・グ」、エレキギターデュオ「もだえ」、電子楽器デュオ「カメアリ・エレクトリック」、また「DJアリマイラブ」としてDJなど、参加しているグループやユニット名を挙げるだけでもきりがないほどですが……。
森本 いろんな人と知り合うようになったのは、水谷くんの存在が大きいです。「ウルトラ・リヴィング」というユニットのライブを見に行ったら、その時の編成に水谷くんと、トランペットの山本信記くんが加わっていて、水谷くんと帰り道が一緒だったので、いろいろ話をして、その時、水谷くんも山本くんもメンバーだという大編成ブラスバンド「LIVE! LAUGH!(リブ!ラフ!)」のことを聞きました。それでライブに行って、LIVE! LAUGH! が大好きになって、その後、何度も行くようになったんですよ。このLIVE! LAUGH! から今の三田村管打団?につながっていくわけですが。
お客さんとして見に行くうち「LIVE! LAUGH! 」のメンバーに
—— LIVE! LAUGH! のライブはどこでご覧になりましたか?
森本 最初は神戸ポートアイランドの「ジーベックホール」です。「FBI(フェスティバル・ビヨンド・イノセンス)」というイベントに出ていました。FBIを始めた内橋和久さんはもともと神戸の人で、「神戸ビッグアップル」を中心にライブやワークショップを展開し、さらにジーベックホールで定期的にフェスを開催していたんです。2002年から2007年までは大阪の新世界「ブリッヂ」でFBIが開催されるようになります。
ジーベックホールで見たFBIは、僕がベルギーで見てたような、前衛的な音楽をしているすごい人たちがいっぱい出るイベントで、それが2、3日間続くわけです。すごい世界がある!って思いました。
1999年から2001年まで、ジーベックホールのFBIに行くうち、音楽の知り合いが増えていったんです。2002年からFBI はブリッヂに移行しますが、2000年のFBIから僕は通訳として呼ばれるようになって、FBIの“中の人”になりました。それは、ジョエル・レアンドルというフランス人のコントラバス奏者がすごく気難しい人だという噂があって、通訳がいないといけないというので呼ばれたんです。僕はフランス語の勉学をしたわけじゃなかったけど、フランス語ができるというのでインテリに見えたらしくて、ほかのスタッフから教授とか、先生とか言われて、誰のことや?と思いました(笑)。
—— FBIでいろいろ見た中で森本さんは、LIVE! LAUGH! が大好きになった。どういうところに引かれたんですか?
森本 僕、もともと民族音楽みたいなのが好きだったんです。ベルギーにはメディアテークっていう、CDやレコードなどがほぼ無料で借りれるような施設があって。そういう所で日本の音楽を調べたら民族音楽に近いものばかりがあるんですよね。篠田昌巳の『TOKYO CHINDON』っていうアルバムをそこで借りたりして、ブラスバンド的な音楽とか、ちんどん音楽とかには親しみを持ってました。LIVE! LAUGH! はなんかそういう世界の音楽をやってるブラスバンドで、めちゃめちゃ面白いバンドでした。その頃、「大島保克&オルケスタ・ボレ」っていう別のバンドもあったんですけど、そっちにもLIVE! LAUGH! のリーダーでトロンボーン奏者の大原裕さんが入っていました。沖縄民謡にブラスが入るみたいな音楽です。
——LIVE! LAUGH! から三田村管打団?につながっていく、ということでしたが、きっかけは? キーパーソンはやはり大原さんですか?
森本 LIVE! LAUGH! の活動期間は5年間で、僕が参加したのは最後の1年です。バンド自体は大原さんが結成されましたが、その頃はサックスの水谷康久くんがバンマス的存在でした。僕にとって大原さんは音楽的にとても重要で、影響を受けているし、尊敬していますけど、しゃべったりとかほとんどしてなくて、よく話をしていたのは水谷くんなんです。
神戸ビッグアップルでのLIVE! LAUGH! のライブにもよく行くようになって、何回も行ってたら、そのうちに「君も入る?」って言われました。みやけをしんいちくんとか、同じようにお客さんとして見ていた人も、いつの間にか舞台に上がってた。「あれ、みやけくんが前でソプラノサックス吹いてるわ」と思ってたら、自分にも声がかかった。僕はトランペットで参加しました。でも、僕が入って1年もたたないうちにLIVE! LAUGH! が終わるんです。
LIVE! LAUGH! の2軍で結成されたのが三田村管打団?
森本 LIVE! LAUGH! が終わったというのは、名古屋のライブでちょっといざこざがあって、そのまま立ち消えるんですよね。自然消滅というか空中分解というか、大きなことは起きないまま。でも、その時、なくなったっていう感覚はあった。
それで、メンバーでLIVE! LAUGH! 終わりましたの会、みたいな飲み会があり、山本信記くんが、アルトサックスの飯野弥生に「おまえ続けろや、もったいないやんか、こんだけメンバーおるのに」みたいなことを言ったのを、その横にいたみやけくんが聞いていて、「人を集めてバンドやろう」って言い始めたかな。みやけくんが最初の声がけをしたと思う。
それでメールを送ったりして、やりたいと集まった人が、LIVE! LAUGH! の中では2軍選手だった人ばかりでした(笑)。オーケストラやブラスバンドでもファースト、セカンドってありますよね、ソロを務めるような1番目2番目のメンバーに比べたら、僕は5番目。5番目だと、1番目2番目がちゃんと演奏してくれてたら、何やってても大丈夫で、僕なんかは楽譜を読めないままで参加してました。まあ、僕は特にできてなさすぎるけど……。つまり、LIVE! LAUGH! では、前に出てなかった人たちが集まってバンドが始まった。ただし、パーカッションの人たちは意識がゆるかったのか(笑)、凄腕メンバーのまま引き継ぐことができました。

「三田村管打団?」旧グッゲンハイム邸で(2025年8月)
——LIVE! LAUGH! が母体となって、三田村管打団?が生まれた?
森本 LIVE! LAUGH! が消滅して、その2軍で結成されたのが、三田村管打団?ですね。2軍以下の僕みたいな雑魚も集まって(笑)。尼崎の「ピッコロシアター」で、練習の部屋を借りるのに名前が必要というので、適当につけたのが「三田村管打団(仮)」という名です。みやけくんが適当につけたから、三宅と同じ「三」が付いてるんかなってちょっと思ってたりはするんですけど、三田村っていう人はいないんですよ、最初から。
——そうなんですね。三田村さんって誰なんだろうってずっと思っていました。そして、当初は後ろに「?」ではなくて「(仮)」が付いていたのですね。
森本 三田村さんって誰やろう?三田村ってどこやろう?みたいなね(笑)。でも「村」が入ってるのはなかなか僕はいいなと思ってて。「村」のバンドっていうのは海外ではよくある。クレジャニ村のジプシーバンド「タラフ・ドゥ・ハイドゥークス」とか「北村大沢楽隊」とか。だから僕は「村」が付いているのは気に入ってて、架空の三田村の楽団みたいなね。
一応ネーミングについて会議はしてね、アフリカっぽい「アカンカ管打団」とか、管打団はつけたままで、上の冠を変えるみたいな話は出たんですけど、結局なんかゴロが良いので、三田村のまま定着したんです。で、いつまでも「(仮)」ではあかんやろって言って「三田村管打団?」になったまま今に至る、です。
——なるほどそういうことだったんですね。面白いですね。
森本 そんなふうにして2002年に始まって、今年で24年目になります。
——なんと24年目ですか。そんなに続くと思ってましたか?
森本 僕はだいたい、未来のビジョンを全く考えていないので、続くも続かないもあんまり考えたことがありません。でも、なんとなく続くようなイメージは持ってます。ほかのみんなもやめる気はない感じです。最初はみやけくんが引っ張ってくれたんですけど、2003年に京都の西部講堂であった「P-hour」っていうフェスに呼ばれたんですが、そのちょっと前にみやけくんが抜けたんです。三田村管打団?って結果的に今はものすごくおおらかなバンドなんですけど、みやけくんのいた頃は結構きっちりリハをして、きっちり曲が増えて、きっちりライブをしていました。でも、中には「こんなにリハやんの、ちょっと耐えられへん」って抜ける人も出たりしたんです。
それで、その後はLIVE! LAUGH! 出身じゃないメンバーが増えていくんです。で、そうなったら僕は連絡係とか運営とか、ある程度そういうことをまあまあ器用にやるほうなので、ちょっとずつ出演の場も増えて、メンバーが入れ替わり、空気も変わって、音楽的にも変わっていった。
——その辺りからが、今のバンドの雰囲気につながってる?
森本 うん、西部講堂以降、フェーズが変わったっていうことかもしれないです。
森本アリは「三田村管打団?」のリーダー?メンバーは何人?
——今の三田村管打団?において、森本さんのことはリーダーって呼んでいいんですか?
森本 そう呼ばれることもあるけど、僕はリーダーシップを取ってるつもりはなくて。声が大きくて、体が大きくて、服が派手で、だから引っ張ってるように見えてることが多いんじゃないかとは思ってます。
でも、バンドのおおらかなゆるい空気感は僕がつくっているということは全面的に肯定できます。その理由は、僕が音楽的に一番できない人間だからです。恥ずかしながら、中学校からブラバンに入ってるんですけど、練習が苦手というか、これまでのいろいろな音楽もアイデア一発勝負でやってきたようなところがあって、音楽的に僕が一番わかってないから、みんなが安心できる踏み台になれている。リーダーだとしたら、珍しいパターンだと思うんですよ。
一番できる人が上にいたら、「みんなついてこい」になるけど、僕はそういう役割ではなくて。でも、メンタリティでは「ついてこい」と言える部分はあるから、そういう意味では、いわばリーダー的な存在ですよね。
和久田善彦さん(以下、和久田) 文字にする時は「リーダー的存在の森本アリ」って書かれることが多いですね、僕もそう書いています。
森本 メンバー内でもまあ、お母さん的な言われ方をされてますね。
和久田 スポーツでもそうですけど、一番できる人がリーダーで、まあその人に従っていくみたいなところってあると思うんですけど、そういうあり方とちょっと違う集団なんで。そうするとリーダーって言いにくい感じはしますね。
——今のこの空気をつくって長く続いているのは、そこら辺なのかなっていう気がしますね。『生活と音楽』に付いているアナログ7インチレコード「旅行/キネンジロー」の録音に参加されているメンバーは17人ですよね。亀井奈穂子さん、飯野弥生さん、澤井まりさん、松田徹さん、武田裕里子さん、日根野太之さん、平岡新さん、安川マナミさん、廣田智子さん、清造理英子さん、吉野竜城さん、土中萌さん、塩田遙さん、窪田弘悠さん、光田臣さん、塩入基弘さん、そして森本アリさん。楽器はサックス、クラリネット、トランペット、トロンボーン、チューバ、ドラムス。今はこの17人で活動することが多いのですか?
森本 それは最初15人で録音して、あとで追加録音してます。17人はライブでは集まらないです。
——最大メンバーが17人って感じですか?
和久田 もし本当に全部のメンバーを集めることができたとしたら、20人ぐらいいるんですよ。今回の録音はそのなかでこの17人が参加できた。
森本 来れるメンバーでやるっていうバンドです。最近までは、誰かが欠けても、そのパートの担当はほかにちゃんといるようにメンバー調整をしてたんですけど、最近はそれさえもいらんなと思って。太鼓がなくてもやる、集まれるメンバーがすごく少なくてもなんとかなるよ、みたいになってきてます。同じ「三田村管打団?」の看板を掲げてても実際6人から13人くらいまでいろんなバージョンがあります。単なるその日の参加人数の変動で(笑)
和久田 一昨年だったか、ワンマンライブなのにも関わらず打楽器がいなかったんですよ。
森本 それを「管だけ団」と言います。「三田村管だけ団」(笑)。
和久田 普通は打楽器がいないってなったら、代わりのドラムスを入れるか、そのライブを延期するでしょう。でも、来れないなら、きょうは打楽器なしで行こうってなっちゃうのがこの人たちのやり方。
——(笑)では、メンバーの人数はライブごと、録音ごとに変わるって考えたらいいですか?最低何人からできるんでしょうか?
森本 この前、5人でやりました。それはドラムスの塩入基弘さんの企画で、かなり狭い所でやるというんで、相談して5人セレクトしました。でも、そういうやり方はメンバーの企画以外では絶対にやらない。
ふだんは来る人を拒まない。人が多く来てしまったら、ギャラの分け前が変わったりしますけど、それもまあ、ある程度のプールした中で、毎回固定ベースで謝礼を出してます。遠方から来るメンバーには交通費分を少し上乗せしたり。
和久田 そもそも、「旅行/キネンジロー」のレコーディングをした時に、「初めてのレコードを作ります。今まではライブ録音でしかメディアを出してないけど、きちんとスタジオ的な形で録音します」と。そのための録音の日を決めようとしてるのに、「いや、ちょっと行けるかどうかわからへん」みたいな、そういうノリの人がいっぱいおるんですよね。

『生活と音楽』三田村管打団?「旅行/キネンジロー」2025年8月20日,和久田書房刊

三田村管打団?7インチ・アナログレコード A面「旅行」/B面「キネンジロー」(『生活と音楽』付録)
——あー、ゆるいですね。
和久田 なかなかみんなが集まれる日が決まらない。2024年の8月にワンマンライブがあるから、ある程度集まるだろうというのを含めて、その日にレコーディングしたんですよ。レコーディングを朝から夕方までやって、そのままの勢いで夜ワンマンライブをやった。それで結局集まったのは15人だったんですよ。
——録音はどこで?
森本 旧グッゲンハイム邸です。旧グッゲンハイム邸は録音スタジオとして使われることもあって、最初期には「クラムボン」の原田郁子、その後、二階堂和美と「テニスコーツ」のさやの「にかソースさやスープ」が合宿録音みたいなことをして、「テニスコーツ」が結構使ってくれたのが礎になって、テニスコーツ関連の外国人が何日間か泊まって録音して、それがCDやレコードになったり、ほかにもいくつもリリースされています。

「三田村管打団?」録音が終わって。旧グッゲンハイム邸で(2024年8月)
和久田 三田村管打団?って、バンドの新メンバーが加入したとか、誰かが脱退しましたとか、基本的にそういう概念もないんですよね。いつの間にか人が増えてるなとか、最近見ない人がいるなとか、何年も見なかったけど珍しくいるな、とかね。そういう状態なんです。
森本 女性メンバーが多いから、産休をとって何年かして復活するということもあります。女性メンバーたちは、何年か休んでもブランクがなかったみたいに、しれっとまた現れます。
——そういうゆるい感じだから、続けられるんでしょうね。
森本 メンバーの人数だけはいっぱいいますからね。
*次回に続きます
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