ハンス・ライヒェル氏が発明した楽器・ダクソフォンの演奏家。劇団「維新派」の音楽制作者。結成32周年を迎えたバンド「アルタードステイツ」のメンバー。長い音楽歴と幅広い活動の軌跡をもつ内橋和久さんには、さらにもう一つ重要な側面があります。それは、ゼロ年代関西の音楽シーンに多大な影響を与えた「ビヨンド・イノセンス」のオーガナイザーとしての役割です。現在、ベルリンと東京を拠点に活躍する内橋さんが、この先に見つめるものとは。ロングインタビュー、いよいよ最終回です。(丸黄うりほ)

「花形文化通信」事務所で(2021年11月3日)

「ビヨンド・イノセンス」、あれほど楽しい場はなかった!

——内橋さんは、かつて大阪・新今宮にあったスペース「ブリッヂ」で、「フェスティバル・ビヨンド・イノセンス」というイベントを数年間にわたって主催されていましたね。

内橋和久さん(以下、内橋) あの母体はね、僕が「神戸ビッグアップル」で始めたワークショップなんですよ。ワークショップは1995年6月に始めて、毎月やっていました。

——なんと、「フェスティバル・ビヨンド・イノセンス」も「神戸ビッグアップル」から始まったんですね。ハンス・ライヒェルさんとダクソフォンに出会ったのと同じ場所。

内橋 そうです。そこにきていた若者たちを全部引き連れて開催していたんです。だからスタッフも全員ミュージシャンというチームなんです。チームといっても、音楽的に共通するジャンルの集合体ではなくて、ただ何か面白いことやりましょうといって集まった集合体です。みんなバラバラのことやってましたから。どんなことがしたいか、それぞれみんな自分のやりたいことを言って、じゃあそれやろうよ、と。いわばコレクティブです。一つの目的があるというものではない。

「フェスティバル・ビヨンド・イノセンス」に関しては、そもそも96年に僕が結婚した時に、結婚パーティーの代わりに面白いことをやろうと、うちの奥さんと計画しました。それが記念すべき第1回です。だから結婚祝いに来てくれた人たちも多かったんですよ。以後、彼女と共に、ワークショップメンバーたちと毎年がんばってやってきました。内容に関しても主に僕が決めてきましたが、皆の推薦もあったり、面白いアイデアはどんどん皆からいただきました。サウンドメールというプロジェクトは彼女の発案でしたし、メンバーの推薦で出てもらったミュージシャンもいっぱいいます。けれど、団体としての「ビヨンド・イノセンス」はそうではなくて、もっといろんな人たちが入っている。

もちろん意見交換もするし、若い連中がいっぱいいるから、いまどんな人が面白いのん?っていう交流の場でもあったし、そういう場にもしたいと思っていたから、「ブリッヂ」は開放していたんです。だから、みんな別に何もないけど集まって飲みにくるとか、最近どうなん?とか、こんなんが面白いねん?みたいな、そういう意見交換とか情報交換ができるような場所であって、もちろん若い子たちと年配の人たちが混じったりできるような場でもあったんです。そういう意味で面白い空間ができていたなとは思う。で、あそこから出てきた人たちいっぱいいるしね。

——出演者の数もすごかったし、あそこから重要なアーティストが本当にたくさん生まれましたね。

内橋 そういう意味では5年間だったけど、すごいやってよかったなと思う。ほんまは10年やるっていう約束やったのにね。

——えっ、そうだったんですか!

内橋 うん、1年や2年で終わるんだったら、おれはやりたくないって言ってた。中途半端になるから。

——「ブリッヂ」のあった場所は、「フェスティバルゲート」の跡地でしたよね。建物が取り壊しになるからですか?

内橋 ……っていう名目もあったけど、あのプロジェクト自体が終わったんです。「新世界アーツパーク事業」という、公設民営のプロジェクトで、芸術系のNPOをそれぞれ立ち上げて、あそこで企画をやるっていうことになっていました。大阪市の公の基金を民間に委託する、それも芸術系に限って。それがあのプロジェクトだったんです。だから僕も、まずはNPO法人を立ち上げないとならなかった。それが条件だったからです。なので、一生懸命がんばってNPOを立ち上げた。僕らはもともと神戸でやってだけど、ちょうどその話がきたので大阪に移転して、そこで「フェスティバル・ビヨンド・イノセンス」もやりましょうってことになった。

自分たちの場所が持てるというのはすごい大きなことです。表現活動をやるうえで自分たちの場所があるか、ないかというのは大きなことで、それがもらえる、使えるっていうのがどれだけすごいことかっていうのも、僕は分かっていたし、だからもう喜んで飛びついたんですよね。

——それなのに、10年という最初の約束よりも早く終わってしまったんですね。とても残念でしたね。

内橋 いまだにあそこの話をみんなしますよね。やっぱり楽しかったから。あんな楽しい場所はなかったです。ずっと一日中いられるくらい楽しかった。遊び場だったんです。遊び場を大阪市にいただいて5年間遊んだんですよ。そんなことなかなかできないですよ、あんな広いスペースで。

——そうですよね。

内橋 結構面白いことやったと思うよ。いろいろ手を変え品を変えて。

——大げさではなく、「ビヨンド・イノセンス」と、スペース「ブリッヂ」は、ゼロ年代以降の関西の音楽シーンに決定的な影響を与えたと思います。あれがなかったら、その後の状況はだいぶ違うものになっていたでしょう。

文化がなかったらどれだけ寂しい生活になるかと

——今回のインタビューはダクソフォンのことから始まりましたけど、内橋さんは本当に幅広く、演奏家としてだけではなくオーガナイザーとしてもずっと音楽に携わってこられたんだということが再確認できました。

内橋 なんか面白いことになればいいなと思っているだけなんだけどね。今は大阪を離れちゃったから残念は残念ですね。東京でああいうことはなかなか生まれにくい。

——東京は大きな街だけど、やる人も多いですしね。

内橋 そうなんよね。で、そんなにフットワークは良くいかないんですよね。いろんなことがからんできますから。あんまり簡単にこんなことやりましょうとは言いにくい。

地方都市のほうがそういう意味ではまだ柔軟なのかも。面白いことができる可能性はまだあるのかもしれない。あそこ空いてるなら、あのスペース使いましょうよっていうことになりやすい。まあ、それも簡単ではないのかもしれないし。僕たちのスペースも、努力された方がいるから実現したわけで、僕らはそれにうまいことのっけてもらっただけなんですけど。でも、もうあんな遊び方って、なかなかこれからはできないのかなー、なんて思いますよ。

塚村編集長(以下、塚村) 大阪市も大阪府もなかなか芸術にはお金を出しません。

——大阪に限らず、今や日本中がそうなってきてるんじゃないですか?

内橋 維新の会がこれだけ強いと、大阪で芸術は生まれないでしょう。文化よりも経済なんですよ。それが寂しいな。もっと大事にしなあかんのにな。

——私は長い目でみたら、文化って経済的にもいいものだと思うんですけどね。

内橋 そこをうまく説得して、そこにもっていく人がいたらいいんですけどね。やっぱり文化なんかお金にならないといわれる。文化がなかったらどれだけ寂しい生活になるかっていうことが、あの人たちはわからないから。

——文化ってすぐに答えは出にくいと思うんですよ。でも100年たったときに結局残っているのは文化だったっていうのが、いっぱいあるじゃないですか。

内橋 それが日本の政治家にはわからへんのですよ。ドイツのメルケルはすごいですよ。メルケルさんは文化が一番大事、文化をないがしろにしてたらダメですって言ってる人ですから。

——ドイツがうらやましいですね。

内橋 面白いことをやりたい。アイデアはいくらでもあります!

塚村 内橋さんは、今はベルリンの人なんですか?

内橋 ベルリンの人っていうか、長期滞在許可をもらってベルリンに住んでいます。日本人のままですよ。

——じゃあときどきは日本に帰って来られる?

内橋 はい、年によってまちまちですが、半分近くは日本で仕事もしています。行ったり来たりの生活ですね。

——ベルリンでの音楽活動については、どんなことを感じておられますか?

内橋 ベルリンにはベルリンのシーンがあります。ベルリン流のやり方っていうのがもちろんありますから。僕はそういうことも当然知ったし、面白いなと思う部分ももちろんあるし、普段の自分にないものもあるから楽しいです。それは、相手が僕のことを受け止めてくれればそれで成立するという話で、否定したらそこで終わってしまう。それってやっぱり音楽的なキャパシティの問題と一緒で、OKだよっていってもらえればこっちも好きにできるじゃわけですよね。それを、僕らこういうやり方だからこのやり方に沿ってやってねって言われたら、まあできるけど、どこかでしんどくなる。

——音楽家としてベルリンは心地のいい街なんですか?

内橋 心地いいです。居心地もいいですね。いろんな人がいるんです。いろんなタイプの人がいるから面白いです。やりやすいですよ、いいミュージシャンもいっぱいいますから。

——ベルリンは、音楽がいつも動いている街というイメージがあります。

内橋 うん。人も動いていますけども。

——人も動く?

内橋 流れが激しいですね。出入りもすごい激しい。

——いろんな国から人が来るということですか?

内橋 そうです、いっぱい集まってくるから。そういう意味では刺激的ではありますね。

——ドイツのなかでもベルリンはちょっと違うっていうのは聞いたことがあります。

内橋 うん。ベルリンはドイツじゃないんです。ニューヨークがアメリカじゃないっていうのと同じように。ドイツっぽい街ならほかにもっとドイツっぽい街があります。ベルリンは国際都市で移民が多いから、みんな英語だし。もちろんドイツ語もしゃべりますけどね、でも英語も通じる。そういう意味では僕も居心地がだいぶいい。ドイツ語だめなんで。

——音楽に対する懐が深そうです。クラブミュージックとかもベルリン発のものが多いですね。

内橋 ベルリンはクラブの聖地ですからね。DJの人たちもベルリンに来ますもんね。

——いま世界のFMが聞けるアプリとかあるじゃないですか。見たらベルリンはラジオ局がめちゃくちゃ多いんですね。音楽がすごく盛んな街なんだと感じます。

内橋 僕もすべての音楽シーンを知らないから、自分の周りのことしか知らないんですよ。でもいろんなことが起こっているなっていうのはわかるかな。

——音楽シーンっていうのはとても大事ですよね。個人を超えた集まりがあるというか。

内橋 でもまあシーン自体をつくるのも個人ですから。たとえばクラブシーンとか、もちろんそれだけエネルギーが集まるからシーンになるわけですけど。僕はあんまり、みんなで一緒にシーンをつくろうとか、コミュニティをつくろうという考え方はしないようにしている。人と一緒にやるのが嫌というのとは違うんですよ、そうじゃなくて、ひとつのチームをつくるのがあまり好きじゃないなと。僕は僕で一人でいいかな、みたいな。

——かつての「ビヨンド・イノセンス」のように、シーンはむしろ個人がつくっていくものということになるのでしょうか。内橋さん、日本でも面白いことしてほしいです。

内橋 やりたいけどね。アイデアはいくらでもある。でも、お金と場所がいる。どこかのお金持ちがポンとお金出して、これで遊んでくれって、そんな人いないのかな?

塚村 そんなことはなかなか……。ところで、『Singing Daxophone』のライブとかはないのですか?

内橋 これは録音物という意味での作品で、ライブでやるための作品ではないんです。なので、アルバムを聴いてもらえればいいかなと思っています。もちろんライブでもオーバーダビングしながら重ねてアンサンブルを作りますけど、ここまでのことはない。こんな長い構成のものではない、もっとシンプルなものになりますね。

——『Singing Daxophone』は本当に楽しいアルバムだし、初めてのダクソフォン体験としてこれを聴くというのも素晴らしい。だから、ライブ的なセットで聴けたらいいなという気はします。これはまったくリスナーとしてのわがままですが。

塚村 オーケストラとやるとか?

内橋 ライヒェルはクラシックのオーケストラと一緒に演奏したりもしていました。誰か誘ってくれたらいいのにな。

——ダクソフォンのポテンシャルはものすごく高いですよね。可能性はまだまだありそうです。ちょっと気が早いかもしれませんが、三部作の三つめに予定されているという『Dancing Daxophone』も、今から待ち遠しいです。

内橋 そうですね。次回作の『Dancing Daxophone』でダンスミュージックシーンに参入を目論んでいます。楽しみにしていてください。

(2021年11月3日、「花形文化通信」事務所で取材。写真:塚村真美)

 

*内橋和久インタビュー まとめてこちらから

●内橋和久 公式ホームページはこちら

●ハンス・ライヒェル氏のダクソフォンについて 詳しくはこちら

●最新アルバム『Singing Daxophone』 は以下

内橋和久『Singing Daxophone』 イノセントレコード[ICR-025] 2750円(税込)

  • 収録曲
    1.I Got You (I Feel Good) : James Brown
    2.(They Long to Be) Close to You : The Carpenters
    3.Walk on the Wild Side : Lou Reed
    4.Killer Queen : Queen
    5.Space Oddity : David Bowie
    6.Black Dog : Led Zeppelin
    7.Eleanor Rigby : The Beatles
    8.Hit the road Jack : Ray Charles
    9.Comme à la radio (Like a radio) : Brigitte Fontaine
    10.Bella ciao : Italian Partisan’s protest song
    11.Scarborough Fair / Canticle : Simon & Garfunkel
    12.No Woman, No Cry : Bob Marley and the Wailers
    13.What a wonderful world : Louis Armstrong

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