「図書の家」岸田志野さん(画面左)、小西優里さん(右上)、卯月もよさん(右下)。

【インタビュー】「図書の家」小西優里さん、卯月もよさん、岸田志野さん その3/6

第1回は新刊『総特集  水野英子  自作を語る』(水野英子著、河出書房新社)について。第2回は3人がどのようにして出会い、「図書の家」でどんな本づくりをしてきたのかを話していただきました。今回は、小西優里さん、卯月もよさん、岸田志野さんに、それぞれが少女の頃から大切に読んできた漫画や、やがて「図書の家」の活動につながっていくエポック的な作品について語っていただきました。(丸黄うりほ)

週刊誌、貸本、そして『少女コミック』『セブンティーン』卯月もよ

——少女漫画ファンが集まってできた「図書の家」ですが、メンバー3人の育った環境や年代はそれぞれに違いますよね。みなさんは少女だった頃から現在に至るまで、どんな漫画を読んでこられましたか? 特に思い入れのある作品や、影響を受けた作品、「図書の家」の一員としての現在につながってくる作品について教えてください。

卯月もよさん(以下、卯月) 私は小学校低学年の頃、千葉に住んでいたんですが、床屋さんに『週刊少女フレンド』と『週刊マーガレット』の週刊誌が並んでたいたので、長い待ち時間にずっと読んでいました。1960年代後半で、楳図かずお先生の恐怖マンガがほんとうに怖くて、夜、ひとりでトイレに行けなかったですよね。家で漫画を買ってもらえるのは長期休みの時とか、病気になった時だけ、特別な時だけでしたね。でも母は小学館の学習雑誌はお勉強の本だと思っていたので、いつも定期購読を申し込んでくれてました。なので学年誌の漫画はもちろん読んでました。谷ゆき子先生ですよね(笑)

図書の家 編「超展開バレエマンガ 谷ゆき子の世界」 立東舎刊, 2016年

3年生の時に大阪府に引っ越したんですが、隣に住んでいた三姉妹のお姉さんたちが近所のよろず屋で貸本漫画を借りていて、それを私にも読ませてくれてたんです。で、続きを読もうと数日後にお姉さんたちの家に行くと新しい本に入れ替わっているんですね。当時は貸本システムを知らなかったので不思議でした(笑)。でもおかげで意識せずに貸本作家の漫画を読んでいました。

世間ではその頃、学校に漫画の本を持ってきてはいけなかったらしいですが、私が通っていた大阪の小中高校とも漫画禁止ということは一切なくて、常に教室に漫画本があって。『少女フレンド』『マーガレット』『りぼん』などの王道の漫画雑誌は、いつも誰かが買っていたので学校で読んでました。男子が持ってくる少年漫画も読んでました。5年生の時が大阪万博の年なんですけど、永井豪先生の「ハレンチ学園」とわたなべまさこ先生の「ガラスの城」のコミックスがクラス中でぐるぐる回ってましたね。

その頃好きだったのは、青池保子先生や神奈幸子先生、忠津陽子先生でした。神奈先生はヨーロッパを舞台にしたものが多くて絵がきれいで、青池先生はOLが主人公だったりでちょっと変わっているなと思っていました。

図書の家 編「ザ・少女マンガ! 忠津陽子の世界 ラブコメディのスペシャリスト」 立東舎刊, 2021

私が一番お世話になったのは近所に住んでいた仲良しの同級生。彼女はいわゆる鍵っ子でお小遣いで漫画雑誌を数誌買ってたんですね。で、その子は「学校では読めないから」と、あえて『少女コミック』と『セブンティーン』を買っていたんです。『少女コミック』は人気がなくて買っている人が他にいなかったし、『セブンティーン』は小学生が読む雑誌ではなかったですからね(笑)。彼女はアイドルが好きなので買っていたんです。彼女のおかげで、『少女コミック』では萩尾望都先生の作品に出会えたし、『セブンティーン』では津雲むつみ先生、水野英子先生の作品が読めました。「ファイヤー!」は内容はあまりわかってなかったですけど衝撃でした。だから私の場合は、環境が意外と良かったのかもですね。

『週刊少女コミック』1972年1月9日号(小学館)/『週刊セブンティーン』1969年12月30日号(集英社), いずれも「図書の家」所蔵

——卯月さんが、決定的にはまった漫画というと?

卯月 やはり萩尾望都先生ですね。まず絵が他の少女漫画家とは違うなと思いました。作品では「あそび玉」。そのあとすぐ、「ポーの一族」シリーズが始まって、それが小学校の最後の3学期だったんですけど、鍵っ子の友達が「もう漫画雑誌を買うのやめる」と!なので、そこからは自分で買い始めました(笑)

——中学、高校のときは?

卯月 読んでましたね。大学時代も読んでました。漫画を読む友達もいたので貸し借りもしてましたし、どんどん新しい雑誌が創刊されてる時期でしたけど、書店で立ち読みもできましたしね。

——小学校では少年漫画も読んだということでしたが、大人になったら少女漫画が中心ですか?

卯月 そうですね、自分で買うのは少女漫画でしたけど、少年漫画でもなんでも、読めるものは読んでました。結婚して子育て中の10年くらいは、本屋さんにいっても子どもが雑誌とか触っちゃうでしょ、だから雑誌売り場に近づけなくて買えなくて。その間は、大島弓子先生と萩尾望都先生と岩館真理子先生、この3人の単行本を見つけたら買うと決めて買ってました。その間に漫画事情がだいぶ変わってるなあと思ってましたけど。そして、パソコン通信で漫画の会議室をのぞくようになってから、またどっぷり。戻ってきてしまった……という感じでした(笑)

「ポーの一族」を読みたくて出版社に手紙を出しました—小西優里

小西優里さん(以下、小西) 私は卯月さんの一つ下なんですけれど。少女漫画の最初の出会いで覚えているのは、小学1年生の冬休みに買ってもらった里中満智子先生の「ナナとリリ」の総集編2冊でした。当時はまだ新書判のコミックスがあまり発行されていなかったので、雑誌で1冊まるまる総集編というのが、長期休みに合わせてよく出ていたんです。今思えば生き別れの双子姉妹を中心に恋愛ドラマを描く「ナナとリリ」を小1で理解できたのか?と疑問ですが、画家志望の恋人がベトナム戦争が原因で利き手を失うエピソードがあって、すごく大人の感じがしました。ファッションも素敵でした。この総集編シリーズでは小2の夏休みに読んだ細野みち子先生の「おはようエルザ」という盲導犬コリーものも、好きでした。この総集編は前後編を同時には買えなくて、あまりにも続きが読みたかったので、親に何度も懇願して入手したと思います。

『週刊少女フレンド増刊号』「おはようエルザ」総集編・前編所収1968年8月6日号、「ナナとリリ」総集編1(前編)所収1968年1月10日号(講談社), いずれも「図書の家」所蔵

父が転勤族だったので、13歳までに静岡、京都、横浜、小田原、三重と転居したのですが、小学校の長期休みは三重県の祖母と叔母が暮らす家に長く預かってもらっていました。そこで一緒に遊んだ2才上の従姉が、水野英子先生を好きだったんですね。よく覚えているのは夏休みに雑誌で読んだ「星の子」。本当に絵が可愛かった。そしてその頃に発売されたサンコミックスの『星のたてごと』を読ませてもらい、マンガを読んでうっとりして夢見心地になるという体験を初めてしたんじゃないかな(笑)。従姉はノートに「星のたてごと」を真似たコマ漫画を上手に描いていて、すごい!と思いましたね。

この頃、『別冊マーガレット』を時々買ってもらうようになり、水野先生の「グラナダの聖母」の総集編の完結部分だけを、意味がわからなくても繰り返し読みました。そして、やはり圧倒的に絵が可愛い忠津陽子先生を大好きになりましたね。うちは母がずっと本や漫画をとっておいてくれたのですが、この最初期のぼろぼろになっていた『別マ』2、3年分くらいを大学生の時に自分の手で捨ててしまったんです。そのことを、今ではすごく後悔しています。

『別冊マーガレット』1969年3月号(集英社), 「図書の家」所蔵

小学3、4年ごろは横浜にいたのですが、マンガ好きな友人ができて、一緒に絵を描くことを覚えました。この頃に母がリヤカーの廃品回収業の人から『週刊マーガレット』の束を交渉して買ってくれて(笑)。20冊くらいはあったと思うのですが、思いっきりたくさんの漫画を読む体験ができたので、その後は自分が面白いと思った作品のコミックスを追いかけて買うようになりました。藤原栄子先生の「ただいまの記録2分20秒5」が中学生の水泳スポ根漫画で、連続で買った初めての漫画だと思います。あと、わたなべまさこ先生の「ガラスの城」が大好きでした。4巻までは2冊同時に出ていたので、お小遣いがとても足りず、本屋さんで初めて「取り置き」してもらいました。

わたなべまさこ著「ガラスの城 1」 (マーガレットコミックスDIGITAL) Kindle版

その後、小田原に引っ越して。その頃には毎月『別マ』は読めましたが、なかなか他の雑誌を読めなくて。そんなときに小学校の近くにある星崎記念館という図書施設を知りました。そこの子ども室にはマンガ雑誌も置いてあったんです。それまでほとんど読めなかった『りぼん』や『なかよし』が読めて、すごくうれしかったですね(笑)。一条ゆかり先生、ささやななえ先生、のがみけい先生とか。

卯月 図書館に漫画雑誌があるって珍しいね。

小西 そうでしょう。だからすごくそこが好きだったんです。小学校高学年から中学生にかけては漫画好きの友人も増えて、連載が始まった「ベルサイユのばら」や「エースをねらえ!」に夢中になりますね。しかしこの時代のトピックとしては、小5くらいに『少女コミック』を知ったんですよ。お金持ちの友達が買っていたんですね。

岸田志野さん(以下、岸田)  『少女コミック』はお金持ちの象徴なんですね(笑)。

小西 『少女コミック』には今まで見たことがないような、少年を主人公にした漫画がいくつも載っていました。中でも覚えているのは、萩尾先生の描く絵を見て「まつげを描かない漫画家さんもいるんだ」と思ったことですね(笑)。名前を見ても、この作家さんが男の人なのか女の人なのかわからないし、不思議だなとも。「白き森白き少年の笛」「秋の旅」「白い鳥になった少女」が印象的で。静かで暗めのお話だけど、これまでに読んだことのない感じでした。それから『少女コミック』は意識して、機会があれば立ち読みするようになりました。

その後、中学1年の夏に三重県に引っ越しまして、水野先生の出たばかりのサンコミックスの『ファイヤー!』を買ったんです。初めて水野先生の本をリアルタイムで買えたのでうれしくて。本屋さんがカバーかけてくれて、それはよかったんですけど、開くとね、あ、これは家の居間で読んじゃいけない本だと思って、座布団の下に隠しました。ちょっとこれは大人っぽすぎるぞ、家族に見られたら困るなと思って。水野先生はこういうのも描くんだと思いましたね。それにしても、作品名を挙げていったらたくさんありすぎて、きりがないですね。

そのあとすぐですが、小田原で知った『少女コミック』の別冊を、何冊か古書店で見つけたんですね。それにたまたま載っていた「ポーの一族」シリーズの「小鳥の巣」の最終回が、あまりにも衝撃的だったんです。これが運命の出会いでしたね。その時はまだ、小5で読んだ短編の作家さんと同じ人だとわかっていなかったと思うのですが、これはいったい何なのかと。しかも、シリーズだというのに、このお話を読みたいのに、もう最終回が載ってから何カ月もたっていました。その当時、転校したばかりの私のまわりには漫画友達がいなかったし、情報すら何もありませんでした。「ポーの一族」は、短編が集まった話だったので、その後も載っている古雑誌を見つけてきては断片的に読んだりしていました。これは何年の何月号、このお話は全何話とかってメモをとって。でもそんなことでは、抜けているピースは全然埋まらないんですよ。本当に飢餓状態でした。それで思いつめまして、とうとう出版社に手紙を書いたんです。お願いですから『別コミ』のバックナンバーを売ってもらえませんか、って。小学館はその時まだコミックスを出していなかったので、ぜひ総集編を出してくださいと書いたかもしれない。

——「図書の家」、あるいは小西さんの原点はそこにありそうですね!「ポーの一族」に衝撃を受けて、それでちょっとずつ集め出した。出版社にお手紙まで出した。それが中学生の時だったんですね。

小西 そうですね。中1の冬だと思います。秋から『週刊少女コミック』も買い始めていたので奥付を見て。出した手紙の返事は待っても来ませんでしたが、その後かなりたってから、なんとコミックスが出ることになり、やっと通して読めました。本当に本当にうれしかったです。中学時代は漫画漬けでしたね。

高校時代は美術部だったのですが、その頃は大島弓子先生に助けられました。枕元には大島先生の漫画を置いておいて、つらいことがあってもそれを読んだら落ち着くことができましたね。その頃からはちょっと雑誌で読むのはお休みしていたかな。

しかし、大学では女子寮に入りまして、そこであるとき誰かが処分する『ぶ〜け』が何冊か廊下に置いてあったんですよ。その号にくらもちふさこ先生の「糸のきらめき」の総集編が載っていまして、それを読んでしまったがために、やっぱり漫画は面白いなと引き戻されました。思えば『ぶ〜け』は、この10年くらい後にも自分を漫画に引き戻すきっかけになりましたね。あとは山岸凉子先生の「日出処の天子」のコミックス、やはりこれは買わねばなるまいと思って禁欲生活を破りました。

『月刊ぶ〜け』1978年9月創刊号(集英社),「図書の家」所蔵

卒業して就職すると忙しくて、そう考えると漫画雑誌を買わない生活が8年くらいあったのかな、でも、85年くらいから『プチフラワー』を毎月買うようになりました。木原敏江先生や坂田靖子先生ほか、何を読んでも面白くて本当に豪華な雑誌でしたが、その頃は吉田秋生先生の「河よりも長くゆるやかに」とか、萩尾先生だと「マージナル」の時代でしたね。それから、80年代末に『ぶ〜け』の吉野朔実先生、松苗あけみ先生を読んで、やっぱり少女漫画はいいよねと思って、漫画作品集の企画を、ある企業さんにプレゼンしようとダミーを製本したこともありますね。当時は仕事ですごく忙しく、今のように遅くまで開いてる書店もとても少なかったのですが、本屋さんに行けるときは嬉々として単行本で何が出ているかを棚でチェックして、まとめて買って帰ったりしていました。だから、少女漫画を全然読んでない時期は、私の場合はそんなになかったのかな。

ジャンルレスでとにかく漫画をたくさん読んできました岸田志野

岸田 私は2人よりももうちょっと漫画が世の中にあふれかえっている時代に生まれ育っているので、どれを読みたいというより、漫画が好きで漫画が読みたい、コマ割りがしてあればなんでもいい、というくらいな勢いで、とにかく漫画をむさぼり読んでいた幼少期でした。幼なじみが『りぼん』を買ってもらっていたので私は『なかよし』を買ってもらって。少女たるもの、どっちかを買うのがたしなみ、みたいな時代があったんですよ。で、私は『なかよし』に載っている作品は全部読んでいましたけど、当時はそれほど、誰が好きというのはなかったですね。とにかく漫画というものが好きだった。次号が出る1カ月の間、同じ『なかよし』を繰り返し繰り返し読んでいました。

『なかよし』1981年8月号(講談社),「図書の家」所蔵

もうちょっと大きくなると、いろんな漫画を読みたいので、日曜日とか、近所の大型スーパーが開く時間になったら行って、スーパーの書店で漫画をひたすら立ち読みしていました。当時はコミックスにビニールや紐が掛かってなくて、少なくともその本屋さんでは、自由に中が読めたんです、長時間立ち読みしてても怒られなかった(笑)。で、朝行ってずっと読む。昼いったん家に帰ってごはん食べてまた行く(笑)。とにかく、漫画喫茶かというくらいにずーっといて、目についたものを手当り次第に読むということをずっとやっていました。埼玉県の片田舎で育ったので、文化的なものといったら小さい図書館くらいで。漫画がいちばん手っ取り早く触れられる文化的なものだったんです。テレビやラジオで音楽を聴くか漫画を読むくらいしか、子どもの私の手の届くカルチャーがなかったんですよね。

中学生になったのが1981年ですが、そのくらいになると生意気になってくるので、子ども向けじゃないもの、少し難易度が高いものが読みたくなる。漫画好きの友達と「なんかハギオモトっていう漫画家がすごいらしいよ」「“24年組”っていうのがあるらしいよ」とかって聞きかじった話を何もわかってないのに言い合ったりしていました(笑)。で、中学生でお金もない自分たちがそれらを読むためにはどうしたらいいのかと考えて行き着いたのが、古本屋めぐり。当時、自転車で行ける限りの古本屋さんをめぐって、通称「赤本」と呼ばれる萩尾望都先生の第一期作品集をセットで見つけました。状態が悪くて安かったのですが、たとえ安くても子どもなのでいっぺんには買えなくて。誰も買わないでいてほしいと思いつつ、通っては1冊2冊ずつ買いました。全部揃えられたときはうれしかったですね。

萩尾望都作品集(1)「ビアンカ」小学館刊, 1977 Kindle版

やはり萩尾先生の作品はそれまで読んだこともないような作品ばかりで、多感な時期にそれは多大な影響を受けました。ちょうど中学3年生の時に第二期作品集の刊行が始まって、それはリアルタイムで買いました。もうすっかりオタクです(笑)

雑誌ももちろん読んでいて、まずは。小学館の『プチフラワー』。白泉社の『LaLa』とか『花とゆめ』とか、白泉社系も大好きでしたね。木原敏江先生、山岸凉子先生、森川久美先生……言い出したらキリがないです。青池保子先生やあしべゆうほ先生、市東亮子先生など秋田書店の『プリンセス』『ボニータ』の作品も熱中して読みました。秋田書店の作品は他の雑誌にはないタイプのお話が多くて好きでした。

高校生くらいになると少女漫画だけではなくて、青年誌とか男性向けもすごく読むようになりました。昔からジャンルで分けるっていう考えがあまり自分の中にはなくて、「漫画には面白いのと面白くないのしかない!」っていうのが持論だったんです(笑)。

90年代の中盤に結婚をして、すぐに子どもができたので、そうなると本屋さんに行く機会も減って雑誌を追うことが難しくなりました。その代わり、夫がパソコンを持っていて、パソコン通信のことを教えてくれて、始めることになるんです。直接、パソコン通信をやろうと思ったきっかけは「PALM(パーム)」という漫画です。少女漫画って呼んでいいのかどうかわからないんですけど、獸木野生先生の「PALM」シリーズが大好きだったんですが、当時はまわりでも私が「読んで」と言って、読んでもらった人しかいないし、今のようにインターネットもないので、この漫画が世間的にどのように読まれているのかが私にはまったくわからなかったんです。それでパソコン通信で「PALM」の話ができる人がいるなら話したいと思ったんです。

獸木野生 著「パーム(42)」TASKⅦ (ウィングス・コミックス)新書館刊, 2020

小西 獸木先生は、当時は伸たまきというペンネームでした。新書館から出ている『ウィングス』に連載していらした。

岸田 『ウィングス』は少女漫画雑誌ではないんですけど、女性がわりと読んでいる、作家も女性が多い雑誌ですね。その「PALM」の掲示板に小西さんもいたんですよ。

小西 そうそう。私も好きだったんです。

岸田 それからは、そこで漫画の話を日夜する状態が続くわけです。

——それが「図書の家」の3人の出会いにつながっていくんですね。

雑誌メディアの隆盛と少女漫画ブーム

——みなさんのお話を聞いていると、少女の頃にとても漫画が好きだったというところが共通していますね。とくに、10歳くらいから中学生くらいの時の、のめり込み方、熱さがものすごい。今ふりかえってお話を聞いても、その時代の興奮が強く伝わってきます。

小西 そうですね、普通に本も読んでいましたが、漫画はこんなに面白いものがあるんだ!と思いましたよね。女の子が活躍する話だったからかな……。いや、でも萩尾先生の場合は男の子をこんなふうに描くなんてと、びっくりするわけですけどね。

——少女だったみなさんが、こんなに面白いものがあったんだ!と思ったのは、当時の雑誌に載っていた漫画だったという点はポイントかなと思うんです。

卯月 それは当時コミックスはほとんどなくて、漫画は雑誌で読むものだったということでもありますよね。

小西 そうですね。雑誌だといろんなものが載っているので、繰り返し読むうちにわかるものが変わってくるところがある。テレビアニメも幼稚園の頃から2歳下の弟とたくさん見ましたが、その当時は録画もできずレンタルビデオも無い時代なので、繰り返しは見られないですし。もちろん楽しく見ていましたが、漫画と比べるとそれほど熱狂してはいなかったかな。

——『総特集  水野英子  自作を語る』についてお話いただいた時に、岸田さんが雑誌に載っていたものを大切にしたいとおっしゃっていましたよね。たとえば、カラーの表紙絵が単行本にしたときにはモノクロになってしまう……とか。

岸田 そうですね。雑誌って、同じ号にこの作品とこの作品が載っていたとかが、じつはとても重要で。その同じ雑誌の中で影響を与えあったり、その時代の雰囲気だったり。この年のこの時期だからこういう話がいっぱい載っているんだねってことが、すごくあるんですよ。あまり、みんなそういうことを意識して読んでないんですけど。単行本になっていれば後からでも読めるとはいえ、やはりこの作品が発生した時代背景というのは作品の内容にも大きく関わっているんじゃないか、ということで重要視していきたいというのが「図書の家」の考え方としてベースにあります。

——そこはとても大事ですね。というのは、単行本はこの作家が好きなんだという読者が、その人の世界をどっぷり読みたいと思って読むことが多いでしょう。雑誌っていうのはそれだけじゃなくて、みなさんのお話をきいても思ったんですけど、それぞれが育った時代や、その時の思いと分かち難く結びついているものなのかなと思います。

卯月 私や小西さんの世代だと、ちょうど中学高校あたりが70年代半ばで「ベルサイユのばら」に始まる少女漫画ブーム、世間一般に少女漫画が広がった時期がリンクしていることも大きいと思います。また、『少女コミック』という雑誌、あれが『マーガレット』や『少女フレンド』より数年遅れて創刊されたためユニークな雑誌だったっていうのも大きいです。後発誌だったので、編集者さんがいろんな雑誌からいろんな作家さんを呼んできていて、悪く言えば寄せ集めですが、『マーガレット』にいたこの作家さんが来た、でも作品の雰囲気が以前と違う!とか、そういうのがエキサイティングで面白かったです。

そんな感じで、それぞれの雑誌の色が強くあったなと思いますね。私は『なかよし』派だ、『りぼん』派だ、みたいなのもありましたよね。

——やはり雑誌という媒体の隆盛と切り離せないところがありますね。

岸田 誰でも自分の好きな作家が載っているからその雑誌を読む、という感じで読み始めるんだと思うんですが、同じ雑誌の中でも、特に好きじゃない作家、全然知らない作家、あるいは新人作家だとか、そういう作品も一緒に読むことになるわけです。すると、この人好きかもと思ったり、こないだ載ってた人がまた載ってるなと思ったり。前の話は好きじゃなかったけど今度の新連載はすごく良いな、だとかそういう発見があって、広がりがどんどん出てくる。今のように、自分の好みのものにダイレクトにアクセスできるのは便利である反面、そういった予想外の「好き」に出会う機会も減ってしまっているなと感じます。やっぱり雑誌は雑誌ならではの良さがあるし、重要なメディアだなと思います。

(その4に続く)

その1はこちら

その2はこちら

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