「図書の家」岸田志野さん(画面左)、小西優里さん(右上)、卯月もよさん(右下)。手にしているのはいずれも「図書の家」が企画編集制作・書籍デザインを担当した書籍。

【インタビュー】「図書の家」小西優里さん、卯月もよさん、岸田志野さん その2/6

少女漫画を読者の視点から研究し、紹介する少女漫画ラボラトリー「図書の家」。第1回は、今年1月に刊行された『総特集  水野英子  自作を語る』(水野英子著、河出書房新社)について、この本を制作した小西優里さん、岸田志野さん、卯月もよさんの3人にお話を聞きました。第2回は3人がどういうきっかけで集まり、どのような志をもち、どのようにして今の「図書の家」ができていったのかをうかがっていきます。(丸黄うりほ)

3人が知り合ったのは90年代のパソコン通信でした

——「図書の家」とはどういう人たちで、どういうことをしているのか? まず、3人が出会ったきっかけからお話いただけますか。

卯月もよさん(以下、卯月) 私たちが知り合ったきっかけはパソコン通信です。パソコン通信、わかりますか?

岸田志野さん(以下、岸田) インターネットの前の時代ですね。

卯月 私たちが入っていたのはニフティサーブという富士通系のサービスでした。全世界に開かれたインターネットとは違って、その会社のサービスに登録した人だけが使えるネットワークです。その中に「フォーラム」というテーマ別の場所があったんですが、あらゆるジャンルのフォーラムがありましたね。政治問題から子育てまで。漫画がテーマなのが「コミックフォーラム(FCOMIC)」で、その中にさらに作家別、作品別などに分かれた「電子会議室」がたくさんありました。小西さんとは大島弓子先生の話題で知り合ったと思います。

小西 年代別に分かれて懐かしい漫画の話をしている「懐古館(FCOMICO)」の中の1970年代の会議室だったと思います。電子会議室ではだれかが投げかけた話題にレスをつけて話を続けていくんですが、大島先生の初期の作品の話をしているスレッドで。

卯月 そこではいろいろ面白い話題が出ていて、たとえば大島先生の漫画の中で主人公と同じ行動をしたことがあるか?みたいな。どういう作品が好きですか?とか、どのキャラが好きですか?とかじゃなくて、大島作品に影響されて何をしましたか?みたいな。そういう切り口って私には新鮮でした。たとえば、クリップは金色の三角クリップしか買わないとか、トーストが焦げたときは裏返して食べるとか、いろいろそういうことをみんなで話して盛り上がってた。岸田さんもそこにいたかな。

岸田 読んでたけど、発言はせずに見てただけでしたね。

小西 私も最初は発言せずに読んでいるだけの「ROM専」でした。当時もデザイナーの仕事をしていましたが、子どもができて人とあまり会わないということもあるし、そのころ私はそんなに漫画に浸かる感じではなかったので。

卯月 え?(笑)

小西 でも、コミックフォーラムに行ったら、漫画の話をこんなにみんながしているんだ。すごいなと思って。

岸田 たとえば学校に行っていれば、趣味の合う友達と日がな一日漫画の話をしているっていう状況はあったんですけど、卒業しちゃうとまわりにそんな人はいなくなる……と、思っていたら、そんなところですごく盛り上がっていた(笑)。

小西 卯月さんと私は、そこで単行本未収録の大島作品の話をして。で、この人はすごい知ってる!(笑)と思いました。

——萩尾望都先生の話題で知り合ったんじゃないんですね?

卯月 私はその頃、子どもも小さくて忙しかったので、萩尾先生の話題にまざったら時間をとられて大変なことになりそうだなと(笑)。でも結局、岸田さんとは萩尾先生のスレッドで会ったのかな?

岸田 そうですね。作家別スレッドは、たくさんあったから1カ所だけにいるっていう人は少ない。いろんなところを渡り歩いていて、小西と卯月の名前よく見るなと思いました。

まずは「図書の家」のウェブサイトをつくりました

——3人が、リアルで会ったのはいつですか?

卯月 97年に萩尾先生が第1回手塚治虫文化賞を『残酷な神が支配する』で受賞されて、宝塚の手塚治虫記念館で原画展があったんですね。それを見に行きましょうっていう話になって。10人くらい集まったかな、来た人全員が全員と初対面でした。小西さんとはその時初めて会いました。

小西 私は何かの用事で上京する機会に、岸田さんに会いたいと思って家まで行きました。

岸田 あれはなんだったんだろう?

小西 ……思い出せない。とにかく、パソコン通信でかなりいろんなことをしゃべっているうちに、私は少女漫画で仕事ができたらいいなと思うようになってきて。それで、このパソ通の仲間たちと何かできたらいいのになと思ったんですよ。

卯月 その頃だと思うんですけど、小西さんからバーンと郵便が来て。小西さんが過去に書きためた漫画についての感想文の束だったんですよね。「こういうことをやりたいんです」っていう手紙と共に。

小西 そんなのが来た?(笑)

卯月 来た。いろんな少女漫画について、これはどういう作品である、みたいな文章がが何作分もあって。小西さんは、少女漫画についての本を作りたいということも、その頃から言ってましたね。でもいきなり本を作るのは大変なので、まずはホームページを作ったらどうだろうということになりました。インターネットが普及してきた頃だったので、自分たちのホームページを作って、そこに言いたいことを書いていけばいいのでは、と。

——なるほど。そういう流れでつくったのが、「図書の家」のウェブサイトだったということですか。

岸田 そうなんです。1999年ですね。

——まず、ウェブサイトができて、それから「図書の家」さんのお仕事は本づくりになっていく。

卯月 そこにいくまでは長かったです。10年以上かかってますね。

岸田 当初5人で始めたんですが、ホームページで作品研究みたいなコンテンツを作ったり、漫画のレビューを定期的に全員で書いたりしていましたね。バレエ漫画のリストも作ったり。漫画ファンとしてのサイトでした。そういう活動を長くやっているうちに、サイトを見てくださった方から連絡が入るようになりました。

卯月 サイトを見たといって初めて連絡が来たのはテレビだったかな。

岸田 NHKの『THE 少女マンガ!』ですね。

小西 あの件は仕事じゃなくて、ファンとして取材されたんですよ。仕事としては、初めはヤマダトモコさんのお手伝いをしたんです。たとえば、この作品の展示をするんだけど、どの雑誌の何年のどの号に載っていたかを調べてほしい、とか。「少女マンガパワー!  —つよく・やさしく・うつくしく—」(2008年, 川崎市市民ミュージアム)の展覧会の時には、図録用のインタビューのテープ起こしをしましたよね。

卯月 それもパソコン通信の会議室の仲間たちと協力して一生懸命作業しましたよね。それが展示や図録に生かされることがうれしかったし楽しかったです。

小西 ヤマダさんと知り合ったのは、「図書の家」のサイトにバレエ漫画リストを作ったのがきっかけでした。リストを作りながら、バレエ漫画の展覧会とかしたら面白いよねー、なんて話をしていて。岸田が知り合いのライターさんと一緒に川崎市市民ミュージアムに行った時にその話をしたら、ヤマダさんを紹介されたんですね。

——ヤマダトモコさんは、「図書の家」にとって大切な人なんですね。

小西 すごくお世話になりました。古いバレエ漫画のことも教えてもらって。私たちはそれまでは貸本とかはあまり知らなかったので、そういう時代にもバレエ漫画がたくさんあったのがわかってきて。バレエ漫画のリストに情報を追加し続けていたら、すごく長いリストになっていってしまいました(笑)。それが後に京都国際マンガミュージアムでの「バレエ・マンガ  〜永遠なる美しさ〜」展にもつながっていくんですけど……。

京都国際マンガミュージアム編『バレエ・マンガ ~永遠なる美しさ~』太田出版, 2013

これを仕事にしたいという思いが、少しずつ現実へ……

岸田 小西さんはグラフィックデザイナーで、私はフリーライターだったこともあって、いつかは好きな漫画に関することを仕事にしたいという気持ちだけはすごくあったんですね。最初はそういうお手伝いをしたりとか、リストの部分だけ作ったりとか、小さい依頼から実績を地道に積み上げていったんです。

卯月 人のつながりでお仕事になることも多くてありがたいですよね。小学館の『現代漫画博物館』もヤマダさんつながりで紹介していただいた。

小西 『現代漫画博物館』は、賞をとった漫画作品を紹介した本なのですが、その本で少女漫画の作品と作家紹介をあわせて94件担当しました。2006年ですね。

小学館漫画賞事務局編、編集委員:竹内オサム、米沢嘉博、ヤマダトモコ代漫画博物館1945-2005 小学館, 2006年

卯月 国書刊行会から2009年に出た『日本幻想作家事典』は幻想作家の事典で、全1060頁のうち200頁が付録の漫画家事典なんですが、漫画に詳しい人に担当してほしいということで、私たちにも声がかかりました。

小西 漫画家もとりあげたいっていうのは編集の方の意向で、怪奇幻想漫画家として335人載っています。そのうち90人を担当しました。これもパソコン通信で知り合った方のつながりでできた仕事ですね。

東雅夫、石堂藍 編『日本幻想作家事典』 国書刊行会, 2009年

卯月 私はこんなに何名もの漫画家さんについて文章を書いたのは『日本幻想作家事典』が初めてでした。『現代漫画博物館』は作品の紹介、いわゆるあらすじ的なものだったんですけど、こちらは一人の作家の活動を全部把握しなくてはならなくて、かなり調べて書きました。私としては、この本が、今していることの始まりという感じがしてます。資料を揃えて、作家さんについてひとまとまりの文章を書くということですね。

塚村編集長(以下、塚村) それまでは趣味で集まっていただけの人たちが、事典の文章を書くということでステップアップした。

岸田 学者とか研究者とかでもないのに。

卯月 「図書の家」のサイトで、文字数制限付きのレビューをたくさん書かされたのも、役立ちましたよ(笑)

——そういうところからはじまって、「図書の家」のエポックとなるお仕事というと……。

小西 それはやはり先にお話しした河出書房新社の『総特集  三原順』になりますね。

卯月 企画、編集から担当させてもらいましたので。

塚村 その前に『ネコマンガ・コレクション』(立東舎)というのがあるのでは?

卯月 それはその翌年ですね。この本は編集者さんのリクエストで作らせていただきました。

小西 この立東舎の担当編集さんは大島弓子先生がすごく好きな男性で、『大島弓子  fan book』(青月社)という本を作られた時にお手伝いさせていただいたので、図書の家に依頼してくださったんですね。

——『ネコマンガ・コレクション』は、ネコの漫画を集めて紹介した本ですか?

卯月 ネコの漫画が載っていると思いきや、「漫画に出てくるネコ」を集めた本なんです。

——ネコキャラを集めた本ということですか?

卯月 そうです。で、猫を100匹紹介するということをプランしてしまったので、100作品の許諾を取らなくてはいけなくなって……。許諾を取るという仕事を、初めて本格的にやりました。

小西 私たちが本の作り方をわかってなかったんです(笑)。サイトを作るみたいにしたら楽しいだろうと思って、すごくいろんなことをやろうとしたために……。

卯月 どうせならたくさん猫がいたほうが面白いでしょう、と。この時に、出版社、編集者、作家さんたちに連絡をとるという経験をものすごくしたので、大変でしたけど勉強になりました。

塚村 ネコ漫画ときいて、ほのぼのした本かと思ったら、『ネコマンガ・コレクション』は、たいへん力が入った本ですね。

小西 編集さんはもっと気軽に読める本を考えておられたんだと思うんですが、ちょっとページの使い方を間違いました(笑)。

岸田 うん。でもやってみないとわからないんです、そういうの(笑)。

卯月 編集さんはチビ猫を表紙に使いたかったんですね。大島ファンだから。

小西 私はこの本の見返しに『デザインのひきだし』(グラフィック社)という雑誌で見た、ふかふかした肉球みたいなピンクの紙を使うことを提案したんです。そしたら書店で『ネコマンガ・コレクション』を見てくれた『デザインのひきだし』の編集さんから取材がきまして、この紙を使った人として、私が紹介されたりもしました(笑)。

卯月 そういうのはよかったよね。

塚村 だから、まったく手は抜いてないですもんね。

小西 でも、そんなに力の入りすぎた本なんて読みたくないかもしれないですよね。暑苦しいんじゃないかなと思って(笑)。

岸田 うちの本はいつもそう(笑)。もうちょっと肩の力の抜き方を覚えないとならない。

小西 120パーセントくらい入っているのでちょっと読みづらいですよね。

少女漫画を残したい。その気持ちを込めて「図書の家」という名に

——とはいうものの、それらが下地となって、どんどんと次の本の制作依頼につながっていったわけなんですよね。「図書の家」が関わった本は、今では何冊くらいありますか?

小西 水野先生の本までで22冊。特集本が11冊、漫画作品本が11冊です。そのほか、年表制作だけとか、インタビューだけとか、一つのコーナーだけという仕事もあります。(*後注に一覧あり)

——「図書の家」は、本をつくる以外のお仕事も手がけてらっしゃいますよね。

小西 明治大学米沢嘉博記念図書館の展示映像の制作や、大阪国際児童文学振興財団のウェブサイトのコンテンツ制作のお手伝いなどもしました。

塚村 ウェブサイトのバレエ漫画リストを作る時、展覧会ができたらいいなと思って作っていたのですよね?

卯月 私たちは少女漫画の本を作りたかったのですが、バレエ漫画関連なら展示なんかもできたら楽しいよねという話はしてました。

——じゃあやっぱり「図書の家」としては、第一に本を作りたかった。

卯月 そうですね。

小西 漫画は消え物だから。まず、残したいという気持ちがありました。女性が好きだったものって動くことが多いんです。

岸田 結婚とか出産とか、ライフステージが変わるたびに捨てられたりして、なくなっちゃうんですよ。昔のものはどんどん失われていく。そういうものを、きちんとまとめたいという気持ちは強いですね。

——きちんとまとめたい。残したい。

小西 一冊でも残っていれば後の人もそれを見ることができる。良いものだから私たちはその作品を好きだったわけで、そういうものはずっと残っていってほしい。というのが、「図書の家」の名前の由来でもあるんです。図書の家というのは、萩尾先生の『マージナル』というSF作品に出てくるアーカイブ施設の名前です。

岸田 紙の本が存在していない未来の世界で、過去の本を保存している図書館みたいなところです。本を読むことができる施設の名前なんですね。で、そこにいくと歴史がわかる。

小西 その気持ちを込めて、お仕事を始める頃に「名前を使わせてください」と萩尾先生にお手紙を書きました。幸いOKしていただけました。

(その3に続く)

その1はこちら

「図書の家」はこちら

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*後注
「図書の家」企画編集制作・書籍デザインによる本一覧(2022年2月14日現在)