【インタビュー】内橋和久 ギタリスト、ダクソフォン奏者 その5/6

第1回から第4回までは、11月にリリースされた内橋和久さんのアルバム『Singing Daxophone』と、ハンス・ライヒェル氏のアルバム『YUXO(ユクソ)』の再発を中心に、おもにダクソフォン奏者としての内橋さんにお話をうかがってきました。今回と次回(最終回)は、劇団「維新派」の音楽制作や、バンド「アルタードステイツ」のことなど、内橋さんと音楽の関わりについて、さまざまな方向からお話を聞いていきます。読者のみなさんに、幅広い内橋さんの活動の、一端をお伝えできればいいなと思います。(丸黄うりほ)

「花形文化通信」事務所で(2021年11月3日)

昭和歌謡も洋楽もジャンルレスに聴いてきた

——ここからは、ダクソフォンだけではない内橋さんの音楽活動についてお話をうかがっていきたいと思います。内橋さんはギタリストであり、作曲家でもあり、即興演奏家としても知られています。

内橋和久さん(以下、内橋) 僕はただ音楽をやってるだけなんです。だからジャンル的な話はしないようにしています。自分のことは音楽家だとは思っているんですけど、もちろんジャズもやってますし、ずっとロックも、フォークも、なんでも聴いてきました。

音楽が好きだったからずっと続けてます。ギターが好きだからギターを弾いてきた。その延長でいろんなことをやってきたということはあるんですけど、それが何なのか、ジャンルは何かっていわれても何もないですよ。聴くものも分けてなかった。洋楽も好きですけど、小学生の時はずっとテレビにかじりついていましたから、昭和歌謡が好きでした。

——昭和歌謡というと、たとえばどんなものがお好きだったんですか?

内橋 僕の世代だと弘田三枝子とか奥村チヨとか、園まりとか。

塚村編集長(以下、塚村) 内橋さんは何年生まれですか?

内橋 1959年です。園まりが大好きだったから、出てきたらテレビにかじりついていました(笑)。いまだに好きですよ、昭和歌謡は。

——昭和歌謡をダクソフォンで演奏するのも面白そうですね。色っぽい感じのダクソフォンとかね(笑)。

内橋 それもあるんですよ。日本の曲もやってみたんですけど、『Singing Daxophone』には入れてないです。ちょっと浮いてしまいますから。でも、そういう企画モノばっかりやるのも、どうかなと思うしね。

塚村 コンサートでちょっとやる、とか。

内橋 ライブでやるのはなかなか難しいですよ。一人ではできないですからね。ダクソフォンを弾いてる人って曲を演奏しようとかじゃなくて、音が面白いから弾いている人が大半なんで。だいたいみんなそういうアプローチしかしてないです。確かに面白い音ですし、僕も最初はそうでした。

——小学生の時から音楽がお好きだった。内橋さんが最初に人前で演奏されたのはいつでしょう?楽器はやはりギターだったのでしょうか?

内橋 中学の時かな……。

——バンドを組んだんですか?

内橋 軽音サークルでやってたクラブ活動です。ビートルズのコピーバンドもやってたし、サンタナもやってました。ピンクフロイドもやってたし。中学では、ただのサークルだったから、自分のバンドで自分の曲やってというのはなかったですね。

——ライブハウスに出たのは?

内橋 ライブハウスより先にジャズクラブに出ました。高校出てすぐ。それで仕事するようになった。京都と大阪のジャズクラブです。ジャズクラブに行くようになってからは、自分で曲を作ってバンド作ってライブやってというのはずっとしてましたけど。当時の音楽はジャズ寄りでした。それと並行して即興も始めたんです。

塚村 70年代後半ですね?

内橋 ほぼ80年ですね。

——ソロの演奏家として出てらしたのですか?

内橋 基本はそうですね。バンドでやってきたという感じではない。

塚村 ギタリストとして?

内橋 そうです、基本一人ですね。

劇団「維新派」の音楽、ヂャンヂャン☆オペラの誕生

——内橋さんは、劇団「維新派」Ishinhaの音楽をとても長いあいだ、劇団が2017年に解散するまで担当されていたことでもよく知られています。「維新派」の音楽は、いつから担当されるようになったんですか?

内橋 85年か86年くらいですね。20代半ばくらいの時です。

——どういうきっかけで関わられるようになったんでしょうか?

内橋 一緒にやっていたフリージャズの人のなかに、山本公成さんがいたんです。即興演奏を始めた頃、「きょうはここで演奏するから」って連れられていったのが「維新派」の現場だったんですよ。『あらし』だったかな、85年です。どっかのお寺か神社の境内でした。それが本番だったんです。

——連れられていって、いきなり本番だったんですか?

内橋 きょうの現場はここって連れて行かれて(笑)。全然わかってなかったんで「なんやろうこれ?」って思いました。

——即興演奏ですか?

内橋 ぜんぶ即興。舞踏公演でした。それまで「維新派」なんて知らなかったし、演劇というのも知らなかったんです。で、いきなり最初に見たのが白塗りの舞踏でね。見たというより、一緒にやったんですけど。

塚村 あのころの「維新派」は白塗りでしたね。

内橋 そう、白塗りで裸で踊ってましたよ。それがもう、すごいカルチャーショックで。それからずっと「維新派」の音楽をやってきました。はじめは山本公成さんがやってたから一緒に即興演奏をやってたんですけどね、しばらくしたら、松本雄吉さんに「なんか音楽作ってや」って言われて作ったんです。

——どの作品の時ですか?

内橋 扇町ミュージアムスクエアでの『スクラップ・オペラ』です、89年ですね。もともとは町田町蔵(町田康)が音楽をやることになってたんだけど、結局、僕が全部作ったんですよ。町蔵はなんか1曲歌ったんですけど、その歌の伴奏も僕がやりました。それが実質、自分の曲を作って「維新派」に関わった最初ですね。それまでは演奏しに行ってただけなので、ちゃんと関わりだしたのは、それ以降になるんです。

その後は1990年の『echo』、そして東京の汐留にも行って『少年街』につながるわけです。リズムと言葉をはめあわせるスタイルを、僕と松本さんで作ったんですよ。それが「ヂャンヂャン☆オペラ」って呼ばれてますけど。

リズムに言葉をはめるっていう、ああいうスタイルは、あの時からです。それまでの僕は、音楽に言葉を使ったりはしてなかったですから。あのスタイルが進化していって劇団の最後まで続きました。最初は4拍子の音楽しかしてなかったですけど、だんだん5拍子、7拍子とかやりだして。後期はもう変拍子しかやってなかった。4拍子はほとんどなかった。

——「維新派」に関わることで、内橋さんの音楽にも違うものが生まれていったってことですね。

内橋 うん。だからいわゆる普段ライブでやるのとは全然違うことですよね、コンピュータで打ち込みますから。基本的にミニマルな音楽なんですけど、なんかずっとそれが続く、いわゆる基本的なシークエンスっていうのがある音楽なんですね。あれはあれで僕はすごく楽しく作りました。

塚村 すごく長い曲ですよね。

内橋 そうですよ、2時間くらいずっと音楽で埋まっていますから。音楽のないシーンはほとんどなかった。だから松本さんは「曲」って言ってました。一つの作品に曲が10何曲あるって。ずっとそれを貫いていた。ライブのように、1曲終わったら続けて次の曲をやるみたいな。

塚村 松本さんは、一幕とか一話とかではなく1曲とおっしゃっていたのですか?

——ひとつの舞台を、ひとつの組曲と捉えるような感じでしょうか?

内橋 そうですね。基本、音楽でそのシーンが進行していきますので、組曲的なイメージになると思います。

——「維新派」の舞台にとって音楽はすごく大切ですよね。あの音楽がないとまったく違うものになってしまう。

内橋 だから、あれを見た人はあれが「維新派」だ、あれが「維新派」のスタイルだと思うでしょ? でも最初はそうじゃなかったんです。あれは僕と松本さんの二人が作った形だから。たとえば僕が音楽をやらなかったら違うものになるし。

——そうだったんですね。

内橋 それはそれでいいと思うんですよ。1回だけあったけどね。

塚村 音楽担当が内橋さんじゃない時ってあったんですか?

内橋 1回だけ作らなかったのがあるんですよ。瀬戸内でやった『風景画』。あれは佐藤武紀くんっていう、いつも音響を担当している人がやりました。だから、他の作品の感じとはだいぶ違います。

——私は、「維新派」の舞台とあの音楽は切り離せないと思います。

塚村 リズムと言葉と動きが一体になっている。あれは、松本さんと内橋さんが一緒に作ったものだったんですね。どんなふうにしてできてきたのかなと思っていました。

内橋 先に台本をもらうんです。台本もらって、それを読みながら作る。言葉もリズムのうちのひとつなんで。自分でそのセリフを言いながら作っていくんです。

台本にちゃんと譜割りも書いてあるんですよ。でも、松本さんに「5拍子や7拍子でやってみたら?」って言ったのはもともとは僕のアイデアです。「変拍子は面白いですよ、たぶん5とか7とか絶対松本さんは好きやと思うし」ってね。最初はわけわからなかったみたいだけど、でも面白みは感じてもらえたんで、松本さんはそれからは5とか7ばっかり作ってきた。割り切れないから面白いんですよね。言葉も、どうやってリズムにはめたら面白いかっていうサンプルを僕がいっぱい作って、「これで練習してみて」と試してもらったり。いつもそういう感じで新しい課題を出しながら、それを踏まえて作ります。「作ってみたわ、こんなん」って、そうやってお互いにキャッチボールしながらやってたんですよ。

塚村 役者さんが発声するときには、もう音楽はできているんですか?

内橋 役者が稽古する時には、リズムマシーンやメトロノームの音を聴きながらやってるんです。で、それに曲ができたら持っていって合わせる。

——役者さんは先にリズムだけで練習する。

内橋 だから面白いですよね、急に曲が来たら新鮮ですもんね。

塚村 うれしいでしょうね。

内橋 たぶん、役者にしてみれば「思ってたんと違う」っていうのもあるでしょう。そういう意外性ももちろんある。ここにこんな曲がくるのかって思うかもしれない。でも、練習した通りにセリフを言ってみれば、ちゃんとはまるし。

——なるほど。あのセリフは、音楽にのっかっている言葉なんですね。

内橋 そうです。音楽が来ることによって言葉のニュアンスとか強さとかアクセントとかも変わってくる。言葉の音程、高さも変わってくる。それで、自動的にアジャストする。そうやってできていくんです。だから歌っているわけじゃないけど、なんとなく合うんですよ。役者は役者で合わせていくから。

——だから、歌っているわけではないけど、音楽とセリフが合っているんですね。

「アルタードステイツ」32周年。即興音楽は信頼で成り立つ

——内橋さんは、「アルタードステイツ」Altered Statesとしての活動歴も長いですよね。

内橋 もう32周年だからね。

撮影:井上嘉和

——「アルタードステイツ」のことは、バンドと呼んでいいんでしょうか?

内橋 あれはバンドです。一番長いこと続いているバンド。それまでもバンドはいろいろやってましたけどね。芳垣安洋ともやはり即興のセッションで知り合ったんですけど、彼のことを面白いなと思って。音楽の幅も広いし。それでなんか一緒にやろうよってなって、ベースを探して、芳垣がナスノミツルを連れてきて3人でやるようになった。結成は89年です。人生の半分やってますからね。

——ずっとメンバーも変わらずに。

内橋 変わらず。変わったらできないですよ。だって今は即興しかやってないですから。自分の中でもいちばん長いことやっているバンドだし。

——「アルタードステイツ」は、なぜこんなに長く続けられるんですか?

内橋 やめる理由が何もないから。

——いいですね。

内橋 喧嘩もせえへんし。音楽の方向性っていってもみんな自由にやっているだけだから、方向性の違いとかもない。それぞれ自分のプロジェクトとかいろいろやっているわけじゃないですか。で、たまに集まってやると、みんな普段やっているものがなにがしかの影響をもって自分から出てくるでしょ。それがまた面白かったりするんですよ。

撮影:山田治奈

——それぞれに違うから面白いってところもあるんですか?

内橋 違うっていうより、個人の集合体であるっていうこと。その個人が今どういう状況なのかっていうのが反映されるでしょ。即興のなにが面白いって、その人がそのまま出ることなんですよ。スタイルじゃないんですよ。

——そのとき、そのときの個人が……。

内橋 そう、そのときによって変わるってことですよ。それに対して自分が柔軟に対応しなければならないってことです。何をやってもいい。相手のほうも何をやってもいい。かつ相手を信頼している。だから成立している。信頼していなければ何をやってもいいって言えませんよ。

——そうですね。

内橋 信頼関係があるので、相手を自由にしてあげられるし、自分も自由になれるってことですよね。即興っていうのは基本そういうものなんです。でないといけない。だから相手を信頼できないような人だと一緒に即興はできない。あと、嘘ついてる人もね。

塚村 嘘ついてる人?(笑)

内橋 そう。僕ら嘘つきってよく言うんですよ。それは、言葉の嘘つきっていうのとちょっと意味合いが違って、結局自分が本当にやりたいことをおまえはやっているのか?ってことです。

——なるほど。

内橋 それって本当に出したくてその音出してるの?っていう意味で、嘘つきであってはならない。だから、何も出したいものがないのに音を出す人もいるし。なんかやっとけ、みたいなのも絶対に嫌だし。やっぱり音を出すっていうことは表現ですから、それを自分が発したいっていう衝動がそこにある。あとはそれプラスその音がもたらす音楽的なアイデアであるとか、そういうものですよ。それがちゃんと出てきているといいんですけど、そうじゃなかったら、ただのじゃまな人になってしまうから。

——すごく深い言葉です。

内橋 いや、即興ってそういうことなんですよ。だからいい加減にやられても困る。

——内橋さんは「アルタードステイツ」以外にもいろんな方とセッションされていますよね。

内橋 もちろん。みんなそれぞれ自分の語り口調ありますからね。そう言う意味では面白い。みんな表現が違うから。この人とやるときは自分もこういうふうにやるとか、相手によって変わりますから。アイデアも変わるから。違うアイデアがきたときには自分のアイデアも変わるじゃないですか。こんな音がきたらこうしたくなるとか。それが人とやることの楽しみですし。

——いろんな人と会話をするようにセッションされているのですね。

内橋 そうですね、会話ですよね。

(その6に続く)

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ハンス・ライヒェル『YUXO 』 A NEW DAXOPHONE OPERETTA  イノセントレコード[ICR-026] 3300円(税込)

  • 収録曲
    1.The Duke Of Syracuse
    2.A Life Without Lychees
    3.You Can Dance With Me
    4.Bubu And His Friends
    5.Oway Oway
    6.Out Of Namakemono
    7.Death Procession
    8.Street Song
    9.My Haunted House
    10.Le Bal (New Version)
    11.Sometimes At Night
    12.The South Coast Route
    13.Eros Vs. Education

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内橋和久『Singing Daxophone』 イノセントレコード[ICR-025] 2750円(税込)

  • 収録曲
    1.I Got You (I Feel Good) : James Brown
    2.(They Long to Be) Close to You : The Carpenters
    3.Walk on the Wild Side : Lou Reed
    4.Killer Queen : Queen
    5.Space Oddity : David Bowie
    6.Black Dog : Led Zeppelin
    7.Eleanor Rigby : The Beatles
    8.Hit the road Jack : Ray Charles
    9.Comme à la radio (Like a radio) : Brigitte Fontaine
    10.Bella ciao : Italian Partisan’s protest song
    11.Scarborough Fair / Canticle : Simon & Garfunkel
    12.No Woman, No Cry : Bob Marley and the Wailers
    13.What a wonderful world : Louis Armstrong

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