日比谷花壇大船フラワーセンター「ひょうたん展」で。湯浅浩史先生が手にしているのはウズベキスタンの鳥かご(2022年9月21日)

【インタビュー】植物学者 湯浅浩史 その2/5

『ヒョウタン文化誌—人類とともに一万年』(岩波新書)の著者であり、日本一ひょうたんに詳しい植物学者の湯浅浩史先生に、ひょうたん好きライター丸黄うりほがお話を聞きました。前回は湯浅先生がひょうたんに興味を抱いたきっかけや、ひょうたんが人類にとって欠かせない水入れだったことについてのお話。2回目は、人類の地球上での移動とひょうたんのDNAの関係について最近わかってきたことや、ひょうたんが容器としていかに広範に使われてきたかなど興味深い話題が続きます。(丸黄うりほ)

アメリカで見つかった最古のひょうたんは「アジア系」だった

——ひょうたんは水を入れる容器として最適であり、人類の移動に欠かせないものだった。そして、人類がそれを持って移動したために世界中に広まった。湯浅先生のご著書『ヒョウタン文化誌—人類とともに一万年』では、アメリカで見つかった約1万年前のヒョウタンがアジア系のDNAを持っていること。また人類の移動を解く鍵をひょうたんが握っている可能性についても書かれていますね。

湯浅浩史さん(以下、湯浅) 遺跡などから見つかったヒョウタンがどのくらい古いものかというのは、炭素14(炭素の放射性同位体)という方法でわかるんです。また、植物としてのヒョウタンには系統があって、アフリカのものとアジアのものとでは、系統がちがうんです。その二つの研究を組み合わせることで、人類の移動の経路がわかってくるわけです。

たとえば、アメリカには氷河期以前には人が住んでいなかった。少なくとも2万年以上前には人がいなかった。その後に人が渡っていきましたが、それはどういう人かというとアフリカ系ではなくアジア系でした。アジア系だということは、生まれた赤ん坊のお尻に青あざがあるかどうか、それによってモンゴロイドだとわかるわけですね。最近は、DNA研究などもっと他の面でもいろいろわかるようになってきましたけれども。アジアからアメリカに人が渡っていったというのは、教科書にも書かれているし、学者の間でも、ベーリング海峡が凍っている氷河期に渡ったというのが定説になっています。それに疑いをもつ人はほとんどいない。

——氷河期はベーリング海峡が凍っていたので歩いて渡れたということですね。

湯浅 ところが、そういう人もいたかもしれないけれど、それがアメリカのモンゴロイドの祖先のすべてではないだろうと私は思っています。なぜかというと、ヒョウタンがあるからです。アメリカで1万年前のヒョウタンが出てきています。それを調べるとアジア系のヒョウタンであることがわかった。しかし、氷河期にヒョウタンを持っていっても、栽培ができない。

——そうですね。気温が低すぎるとヒョウタンは育ちませんよね。

湯浅 それなら、いつどういう経過で渡っていったのか。私は、間氷期にもアメリカへ舟で渡って、まあ舟といってもカヌー程度ですが、ヒョウタンを持って、アジアから渡っていった人がいるんじゃないかと思う。

現在のアメリカのヒョウタンはアフリカ系のものが多いんですね。だから、アメリカの学者の主流派は、ヒョウタンはアフリカから渡ってきたという説をとっています。でも私は、これはもっとあとになって奴隷が持ち込んだんだと思います。奴隷がアフリカから連れていかれるときに、楽器だとか水入れとして使っていたひょうたんを、おそらくそういうものは許されて持っていったんでしょう。もちろんタネが中に入っているものも持っていったでしょう。それをアメリカで広めたのだろうと。

ところが、出土した1千年前のヒョウタンのタネは、アジア系のタネなんです。タネの形をみたら、アフリカ系かアジア系か区別がつくんです。

——タネの形で系統がわかるんですね。

湯浅 それで、これはまだ正式には発表していませんけれど……、まあ近々には発表できればと思っているんですが。私が集めたヒョウタンのタネを、北海道大学の遠藤俊徳教授と、遠藤教授のところの研究員とでDNAを解析しています。すると、アメリカの先住民のホピ族だとか、タマフマラ族だとかが持っているヒョウタンはアジア系なんです。ということで、彼らの祖先がどのように持っていったのかは正確にはわかりませんが、1万年以上前からヒョウタンは出土しているので、最終氷期以前の間氷期にアジアからアメリカにヒョウタンを持っていった人がいるということが推察できる。じつはアメリカ最古の人類の骨は、カリフォルニアから60キロ離れたサンタローザ島で見つかっていますからね。そこは氷河期も凍らず、舟じゃないと渡れないところなので、舟で持っていったということは、そのことからも傍証できるんです。

どこを渡っていったのか、氷が溶けたベーリング海峡を越え、アラスカ方面を海岸沿いに舟で南下したのか、それはどうかはわかりませんが、私は、暖地性のヒョウタンを携えて移動するなら、千島列島、アリューシャン列島を経て、沿岸沿いにカヌーで持っていったという推察をしています。

——1万年よりも前の間氷期に、アジアからアメリカへ移動していった人たちがいたということですね。おそらくは、舟にひょうたんを積んで……。

湯浅 そう、舟の移動は水の保証が必要です。水漏れしない容器として、ひょうたんは最適ですからね。

——そうなると、アジアのヒョウタンについて知りたくなりますね。

湯浅 中央アジアのウズベキスタンだとか、もうちょっとヨーロッパに近いアルメニアだとか、それからイタリアのヒョウタンも、ちょうどアフリカ系とアジア系のヒョウタンの中間的なDNAを持つものが見つかっているんです。そして、アフリカ系ヒョウタンの中でもいちばんアジア系に近いのがエチオピアのヒョウタンなんです。だから、アフリカからエチオピア経由で小アジアの方に行って、それから中央アジアに広がったというのが一つの経路と考えられます。また、小アジアからインドの方に行って、日本に来たのか?など、そのへんはわかりません。現在のアジアのヒョウタンも、日本のものと近いですからね。

——ヒョウタンのもつ遺伝子、そのDNAから、どういうふうに伝搬されていったかが推察できるということなんですね。

湯浅 はい。現在、研究しているところです。アメリカの学者が、アメリカのヒョウタンはアフリカから持ってきたものだと言ってるのは、それは打ち消したいと思います。DNAまで共通だという人がいるので、それはちょっと違うよと。詳しいDNAを調べた発表が準備されているところなんです。

——アメリカの先住民族はモンゴロイドなんですよね。

湯浅 はい。それははっきりしています。いわゆるネイティブアメリカンといわれる人たちはアジアから渡っていった。氷河期に渡った人もいるけれど、それ以外の時期にも何度かアジアから出ていっていると私はにらんでいます。

——アメリカで見つかった1万年前のヒョウタンがアジア系であるということと、辻褄があいますね。

道具としてのひょうたんには240もの用途がある!

——ひょうたんは水入れとしてだけではなく、いろいろなものの容器として使われてきました。かつて、ひょうたんは生活になくてはならないものだった。ここからは、ひょうたんの道具としての面についてお話いただきたいと思います。

湯浅 それは(笑)あの、ちょっと短時間ではしゃべれないくらいありますよ。

——そんなに?世界で、ひょうたんを道具として利用している例というのは、いったい何種類くらいあるのでしょうか?

湯浅 用途別に私が数えたものでは240くらい。楽器は楽器全体で1つとして勘定しています。楽器を1つと数えているのは、音楽を奏でる器として捉えているからです。

——用途別に240種類ですか……。一つ一つうかがいたいけれど、とても時間が足りません(笑)。

湯浅 容器としてだけで70種類くらいあるでしょう。一番は水ですけれども。酒、ミルクだとか油だとか、あるいは液体だけじゃなくて粉も。粉にもいろいろあるでしょう。石灰入れは今回の展示にもありましたよね。コーヒーの豆も入れます。

右から3つ目が石灰入れ。パプアニューギニアのトロブリアン諸島のもの。石灰は海の貝を焼いて作った。ビンロウヤシの実とキンマの葉と石灰のセットは噛む嗜好品。

日本だと、農家の重要なものであるタネを入れました。ナタネのタネだとかイネのタネ。これは長細いひょうたんに入れて天井からぶら下げておく。そうすると囲炉裏で煤けて虫がつきません。ひょうたんに入れておくと湿気もこないんです。だからそこにお米のタネを入れて保存した。

「スズメの恩返し」って民話はご存知でしょう? 恩返しにタネをくれて、それをまいたらヒョウタンが育って、そこからお米がいっぱい出てきた。あれは、ひょうたんはお米のタネを入れておく容器だという共通の認識があってのお話なんですね。不思議な話ではありますが、ひょうたんからお米が出てくることは不思議なことではないんです。つまり「ひょうたんからコメ」というのが元々で、そこから派生して「ひょうたんからコマ」になったんです。「ひょうたんから駒」の原点は、「ひょうたんから米」なんです。

——人はひょうたんに水だけじゃなくて、粉とか豆とかタネとかを入れて使ってきたんですね。

湯浅 そうです。いろいろの物の容れ物になった。中国では、薬入れのほか、胡椒などのスパイス入れとしても重宝されてきました。まあ、とにかく数えたらきりがない。特殊な用途としてもいっぱいありますよ。武器としての火薬入れだとか、あるいはコオロギ入れだとか。

——コオロギをひょうたんに入れて飼うという、中国独特の文化ですね。

北京などの寒地でコオロギを長く飼うのに、ひょうたんは暖かさが保ちやすく、ふところに入れて運びやすい。まだ未熟な実に鋳型を押しつけて模様を浮かび上がらせる手法で作られている。

湯浅 嗅ぎタバコ入れの鼻煙壺もありますね。鼻煙壺は大阪市の東洋陶磁美術館にもコレクションがありますが、ガラスだとか陶器製が多くて、ひょうたん製はあまり注目されてない。でも、これについては中国のコレクターが大変注目していて、中国じゃいま何十万円、何百万円もするようなものがあります。

塚村編集長(以下、塚村) 陶磁の美術館にあるので、ひょうたんだと気づかず、陶磁器だと思って見ている人も多いと思います。栽培の際に型にはめて四角くして、さらに文字を浮き出させていたりするもの、また縛って育てたひょうたんに金泥を塗った上に精緻に絵を描いたものなどがありました。

ひょうたんの鼻煙壺。東洋陶磁美術館所蔵。

ひょうたんの鼻煙壺。東洋陶磁美術館所蔵。

湯浅 台湾の故宮博物院には、14面体の角張ったひょうたんの鼻煙壺もあります。

——14面体!すごい加工技術ですね。

湯浅 とにかく、器としての用途だけでもたくさんありますし、技法もたくさんあります。

——器や楽器のほか、漁具や農具として使われていることも書かれていますね。また、最もびっくりしたのは、ニューギニア高地の男性用衣装です。

湯浅 ペニスシースですね。ペニスケースというのは和製英語です。一種のパンツです。

湯浅浩史著『ヒョウタン文化誌』岩波新書 p13より。ペニスシースとして、ラニ族は太くてまっすぐなものを好む。楽器にもなり、ヒョウタンを手で叩いてリズムをとる。

塚村 本当にひょうたんは、使える植物として大活躍していたんですね。

湯浅 ひょうたんはずっと人々の生活になくてはならないものだった。プラスチックができるまでは軽くて丈夫で、密閉もできて、ひょうたんは完璧な容器だったんです。しかも壊れても縫って使えるし……。これはね、ひょうたんの修繕屋の写真なんです。

「ひょうたん展」展示より、ヒョウタンを修理する様子。

——へえ、この人はひょうたんの修繕をしているんですか!これはどこの国ですか?

湯浅 マリです。マリにはひょうたんの修繕屋がいて、じょうずに修繕してくれるんです。キリで穴を開けているところです。割れた所にトウモロコシを包んでいる皮を挟んで縫っていくんです。

塚村 プラスチックと違って、大切に使われているんですね。

湯浅 そうです。ひょうたんをとても大事にしているわけですよ。トウモロコシの皮は水を吸うと膨らむので、縫い目から水が漏れないんです。手前の器にトマトが入っていますが、お礼にトマトを渡したり、現金で払ったり、テーブルの上にはチーズもありますね。この人が何カ月かに一度、村々を順に回ってくるんですね。

——プラスチックは、壊れたら捨てる……。

湯浅 プラスチックは個人で作ることはできないし、個人で修繕もできません。

——でも、ひょうたんなら、その両方ができる!

湯浅 そういうことなんです。この写真に写っている大きいひょうたんは、専門の農家があって、そこからニジェールに運んできて並べて売っています。あちこちから買いにきていました。

「ひょうたん展」展示より。ひょうたんを売っている。

塚村 こういう大きいひょうたんの場合、中のタネを取り出すのはどうやっているんですか?やはり、日本でやるように水につけておいて腐らせて出すんですか?

湯浅 いやいや、乾燥地では置いておくだけで乾燥するんです。直径が50センチくらいあるような大きいヒョウタンであっても自然に中まで乾燥します。

塚村 それなら比較的手軽に加工ができますね。

(続く)

その3「ひょうたんは楽器の原点」はこちら

その1「ひょうたんは人類とともに1万年」はこちら