「猫と暗渠」

 

 去年も今年も、もっぱら散歩を楽しんでいるけれど、去年と今年では違うこともある。

 今年はあまり百日紅を見なかった。夏に感染者数が増えて、あまり外に出なかったからかなと思ったが、あいかわらず散歩はしている。そういえば、去年は、街路樹に赤や白の百日紅が植わっている通りを好んで歩いていたのだが、今年はそこからはずれて、少し狭い小路を選ぶようになってきた。ありふれた樹だと思っていたけれど、たまに軒先からわっと花々が突き出ているのに驚いてようやく、そうだった百日紅の季節だったと思ったほどで、道によっては意外と見ないで済んでしまうものらしい。

 近頃ではキンモクセイの匂いを待ち構えるようになった。これも去年とは違う。去年は、匂いがすると、ああたぶんこの辺のどこかにあるんだろうなと気にもとめずに歩いていたが、今年はこことこことここ、という風に、どこの庭にあるかがわかっていて、そろそろかなと思いながら歩いていると向こうから微かに匂ってくる。九月のはじめには、もう最初の匂いがした。ずいぶん早い。

 今年は猫の名前を知った。

 近所に昔の川筋、つまり暗渠が道になったところがあり、その狭い道を歩いていると、道端でしゃがんでいる人がいた。手元を見ると、地べたに腹を見せてなでられている猫がいる。だいたいわたしは猫を見つけるのが遅くて、誰かと歩いていてもたいてい、相手が「あ」というのでそちらを見てようやくそれと気づくくらいで、こないだも公園で高校生とおぼしきグループが「猫がいる!」と大声を上げているので、ああ、あの辺にいるのだなと思う一方で、あんなに大声を上げたらもう逃げてしまったに違いないと、彼らの去ったあとにたどりついたら、案の定猫の影も形もなく、しかし確かに猫が過りそうなぽかんとした空間だったので、また来ればいいやと思ったのだった。

 それで、その道端でしゃがんでる人の邪魔をするのも悪いので、その日はそのまま通り過ぎて、翌日、また散歩に出かけたついでに立ち寄ったら、近所の人が餌をやっているところだった。昨日は一匹だったが今日は二匹いる。餌をぱくついているから声をかけても逃げないだろうと思って、そのランニングとステテコ姿のご老人に、名前はなんて言うんですか、とたずねると、シロとアオだという。アオはなぜアオかといえば、アオアオよく鳴くからアオなんだそうだ。もちろんシロは白いからシロなのだろう。猫の名前には、むずかしい思い入れがなくていい。この辺には昔はもっと猫がいてね、とご老人はこの小路の来し方を話して下さる。この道は、昔は両側がドブ川で大八車が一台やっと通れるくらいだったの、と広げる腕の指す幅からすると、今の道よりも少し狭い。暗渠だとは知っていたが、両側が川だったとは知らなかった。

 餌を食べ終わると二匹はすたすたと小路を歩いて行き、向こうから来た二人のご婦人が「あれ、シロとアオが」と言うそばを抜けていく。二匹の名前は、ご老人だけが呼んでいるのではなく、ご近所に知られているらしい。

 考えてみれば、東京で外にいる猫を見かける機会はそう多くない。神楽坂には先頃閉店したムギマル2という喫茶店があり、ここにはスンちゃんとトンちゃんという猫がいて、近くの寺内公園でもくつろいでいるのをよく見かけたが、こうした例は珍しく、猫を飼う人は外に出さないことが多いし、出入りをさせるとなると、ご近所の理解がなければならない。この小路では、どうやらシロとアオの存在は認められているらしい。

 何度か歩くうちに、二匹はかなり自由にあちこちを移動しているらしいことがわかってきた。ご老人の家の玄関にいることもあれば、向かいの家の敷石で落ち着いていることもある。小路のあちこちに行き止まりの路地が横に分岐しており、その入口や奥で見かけることもある。ある日、ご老人とは別の家のご婦人が、シロシロと呼びかけながら餌皿を差し出しているのを見かけた。どうも、誰か一人の家に居着いているというよりは、小路に面した人々が思い思いに餌をやっているらしく、そういえば、何軒か、餌皿とおぼしきものを外や庭先に置いている家がある。長年、猫が往来するうちに、住まう人の間に猫理解が生まれたのか、それともそういう猫理解のある人が住まうようになったのか、ともかく、この道を散歩すればシロか、アオか、あるいはその両方に会えることがわかってきた。

 暗渠にはよく猫がいる、気がする。もちろん、猫に暗渠という概念があるわけではない。狭い川筋が埋め立てられて小路になり、車が入るには細すぎ、人通りの少ない静かなその道が猫の好む場所となり、人々もそういう猫を許容するようになり、あるいはそういう猫を許容する人々が住むようになり、たまさかそこを通り過ぎたわたしのようなものが、暗渠と猫を結びつけたくなる、ということなのだろう。

 少し遠回りをしてこの通りを歩くようになって二カ月たつ。居そうな場所はいくつか知っているから、少し足音を控えながら歩く。平然と座っているのを見つけることも多くなった。まだ触ったことはない。長いこと猫を飼っていたことがあるので、触るのはなんともないし、人慣れした猫だから、たぶん触らせてくれるだろうが、向こうから寄ってくるのでなければ無理しなくてもよい。シロがいる、アオがいると名前を思うだけでも、ずいぶんなれなれしい。

(10/4/21)