ガリアーノをクビになったガリアーノ

文・嶽本野ばら

映画『メットガラ ドレスをまとった美術館』はUS『ヴォーク』の編集長アナ・ウィンターがメトロポリタン美術館の服飾研究部門の資金確保の為に企てた2015年のファンドレイジング・パーティ『METガラ 鏡越しに見る中国』の裏側に迫ったドキュメントで、多くのデザイナーがインタビューに登場します。

絶えず問われるのは、ファッションはアートか? 主催者側は当然、一部のファッションはアートだと断定するのに対し、デザイナー達は意見をはぐらかせる。J=P・ゴルチエは「考えたこともない」といい、ラガーフェルドに至っては「デザイナーが自分をアーティストと言うのは最悪だ。――シャネルはドレスメーカーだ。女性の為の服を作り売れれば満足」――と一刀両断の見解を示します。

アンドリュー・ロッシ監督作品『メットガラ ドレスをまとった美術館』2016年 フライヤー(個人蔵)

アンドリュー・ロッシ監督作品『メットガラ ドレスをまとった美術館』2016年 フライヤー(筆者所有)

ここ暫く、感染症のパンデミックでショーがやれないメゾンは、コレクションを写真や映像でみせるしかない訳ですが、デザイナーの方向性は、この代案に於いても顕になります。エディ・スリマンは21-22a/wのメンズコレクションをシャンボール城で撮影した。白い城の回廊をランウェイに見立て、ドレッシーでゴシックなモデル達が歩いて行く。実際のシャンボール城はここまで白くない(多分、レタッチしている)し、約13分の尺は、曲を紹介する素材だったMTVがショートフィルムのスケールになり、曲よりもミュージックビデオが重視されるに至った80年代を彼が10代に体験したことを覗かせます。

ジョン・ガリアーノは、2014年から就任したメゾンマルジェラの2021年のアーティザナルコレクションを1時間以上の映像作品(Maison Margiela ‘Artisanal’ 2021 Collection『A Folk Horror Tale』)に仕上げちゃいました。モチーフが民間伝承であるのは、ジバンシィやディオールのデザイナーの頃から、テーラードの技法で大胆にフォークロアを取り入れ、今回、それをコレクションに反映させたから。頭に布を巻き漁の網の支度を整える女達、或いは仮面を纏いダボついたチュニックやマントの裾を揺らせながら豊穣の儀式をする村人……。

ドメスティックなスタイルは、しかしメゾンマルジェラを立ち上げたマルタン・マルジェラの、廃棄された都市の大量生産品を再構築する(例えば既存の大量の靴下でドレスを作ってしまう) レプリカントのドレスを製作する意思と捻れ、ガリアーノのマルジェラとしてメタモルフォシスする。マルジェラとガリアーノ、気質を異にした2人が話し合い共同製作したかのようなこのコレクションは、ガリアーノが就任して以来、最高のシーズンと誰もが評価する筈です。

しかし、マルジェラ本人はガリアーノに多少文句をいう気もします。だって映像にガリアーノ本人が出過ぎ! ガリアーノのアップで始まり15分過ぎてもカメラの前で喋り続けるんです。2020~21awと2011ssのコレクションフィルムも、製作工程を観せる名目でスタッフと共、カメラに映りまくっていました。この人はジバンシィ時代から、通常はショーの最後、ちょろっと出てきて挨拶するのがデザイナーなのに、モデルより派手にランウェイに登場、常に「俺がガリアーノだぁ!」と目立ちまくっていましたからね。2011年、人種差別発言でディオールをクビ、更に自らのブランド、ジョンガリアーノすらクビというマヌケな不祥事を起こし、その後、服飾の世界に戻れるならそこで過去を清算したいと殊勝なことをいい、マルジェラのデザイナーとして2014年に復帰した時は、スタッフユニフォームの白衣を着て、謙虚だったのですけどね(昔はアイパッチをして海賊の格好とかしてた)。徐々にコレクションでボイスキャストをするなど、やはり出たがりがぶり返し、ついにパンデミックにかこつけカメラを独占してしまったぁ!

『US VOUGE』のフォトグラフを手掛けてきたロバート・フェアラーによるジョン・ガリアーノの写真集『John Galliano: Unseen』

『US VOUGE』のフォトグラフを手掛けてきたロバート・フェアラーによるジョン・ガリアーノの写真集『John Galliano: Unseen』

最後までメディアに出ず無記名性を貫いたマルジェラとは大違いです。ですが天才と称されるガリアーノはお洋服作りに就いてこうも告白するのです。「裁断によって私の感情を表したい」「風合い シェイプ ボリューム それらのすべてが好きだ」。出たがりなのは生まれつき、でもそれを補って余りあるお洋服への執念をガリアーノは持つ。映画にはこんなシーンもあります。ディオール期の刺繍のドレスをメトロポリタン美術館で観せられたガリアーノが、もうやれない。視力が追いつかないと洩らし「アートかどうだかは分からないが――すばらしいものを創り上げたと感じる」と笑う。ラガーフェルドにしろガリアーノにしろ、被服をアートとして鑑賞することを拒否しているのではないのです。大事なのはお洋服を作ることで、邪魔するならたとえ芸術であろうと赦さない――と表明しているだけなのです。ラーメン屋のオヤジが「中華料理じゃなくていい。だからうちは餃子も出さない」というのと同様。そのオヤジが「でもテレビは好き」とグルメ番組に出まくっていても常連客は怒らないでしょう。

かつては自分の顔をTシャツに刷っていた人ですもの。きっとこれでもガリアーノは精一杯、露出を我慢しているのです。

(01/08/21)