「口から垂れる」

 

 勤め先の大学から、PCR検査を始めると通知があった。

 国の「モニタリング検査」に協力するもので、症状のない職員や学生も対象になる。結果は検査会社に届いてから二日以内に知らされるという。

 「モニタリング」なのだから、かかった心当たりがなくとも気軽に受ければよい。けれど、わたしはいささかもやもやしていた。前に書いたように、以前、発熱がきっかけでPCR検査を受けたときは、結果が出るまでの蟄居を自分に課した。今回もそれをすべきだろうか。モニタリングとはいえ、検査を受けた後、あちこち動き回って(わたしは対面の講義も受け持っている)、もし二、三日後に「陽性」の結果が出たとしたら、わたしの活動は、すべきではない「うかつ」なものだったということになりはしないか。しかし、勤め先からは、検査後二、三日間休むべし、などというお達しはない。

 もやもやするものの、例によって好奇心が優り、受診することにした。検査とは段取りの結晶であり、そこには、人の流れの制御、手順の簡易化など、他人の身体を滞りなくナヴィゲートするための知恵が詰まっている。そうした知恵をこの身をもって体験できるのだから、受けない手はない。しかも今回のものは、以前受けた鼻の奥に綿棒を突っ込むタイプのものではなく、唾液検査だという。ということは、以前とは異なる段取りを体験できるということだ。

 まずは予約だ。HELPOなるアプリを使って、スマホで希望日と時間帯を登録する。メールでお知らせが来るので、あとはその時間に検査場(といっても勤務先)に行くだけ。

 いつもはがらんとしている研究棟の一階の一角が、パイロンやバーで仕切られ、内側には受付の長机が置かれている。これが勤務先の検査会場。新宿区の検査場は、スタッフ全員が防護服を着ていてものものしかったけれど、ここでは誰もが背広やブレザー姿で、マスクとフェイスシールド以外に目立った装備はしていない。新宿区の検査場では、順路の全体が灯りのついたお化け屋敷の如く身の丈よりはるかに高い不透明のパーティションで仕切られていたが、ここは仕切りもなく開放的で、どうぞいらしてくださいという感じだ。

 受付で登録内容を確認したあと、登録番号を記したシールと、5、6センチのサンプル管を渡される。管の上部には、親指大くらい青い帽子のようなプラスチックが付いている。いわくありげな形だ。少し離れたエレベーターの陰に案内される。ここが「採取所」らしい。採取所といっても、パーティションで区切られた机が壁際に並んでいる簡単なものだ。それぞれの机の上には一枚の説明書きがあり、採取の段取りが図示されている。それを見てようやく、青い帽子のようなものが、唾液の受け口なのだとわかる。帽子と思った部分は、よく見ると上が開いた小さな漏斗状になっている。ここから下の小さなサンプル管に唾液を入れるらしい。

 漏斗の口は小さい。吐き出すというよりは、じくじくと唇の先から垂らす。管には、採取量の目安となる黒線が記してある。ほんの1、2センチほどなのだが、意外に貯まるのが遅い。口の中では大いに分泌している感触があるのだが、外に出してみるとこれしきなのか。

 説明書きの端に、レモンの写真と梅干しの写真があるのには気づいていた。数センチ四方のアイコンだ。てっきり、周囲にこれと同じ巨大な写真が貼ってあるのかと思って見回したが、見当たらない。あらためて読んで見るとどうやらこのアイコン自体を見て唾液を分泌せよということらしい。馬鹿馬鹿しい。記号で唾液が出てたまるか、わたしはパブロフの犬か。

 しかし悔しいことに、記号でよだれが出る。レモンでも梅干しでも出る。ちっぽけな記号で、けっこう盛大に出る。黒線をはるかに越えた。もう十分だ。アイコンから目を離す。と、ほどなく唾液がおさまる。この身体は記号にすばやく反応する。漏斗を取り除き、代わりに管の口をキャップで閉める。出口付近に提出場所があって、すでに検体がいくつも立てられている。記号で絞った唾液が並んでいる。検体に貼られたシールの番号がユーザーの連絡先に紐付けられていて、スマホに後で連絡が来る。そういえばいつ頃からか「紐付ける」ということばをきくようになった。主にデータを扱う業種の人たちが使うことばだが、昔は、ヒモツキというと、ただではすまぬ取引があったり、背後から情夫が出てきたりと、よからぬ意味で使っていたのではなかったか。

 検査を終えて、すぐに仕事に向かう。講義を始めてすぐに検査のことを忘れた。陽性か陰性かなどと考えていたら対面講義などできない。

 それにしても、以前、陽性を疑ったときに受けた検査のような深刻さがまるで欠けているのはどういうわけか。原因の一つは、わたしが陽性であることを、社会的に疑われなかったことだろう。奇妙に開放的で明るい会場、レモンと梅干しのアイコン。わたしを他の者から分け隔てるような暗がりも秘密めいた儀式も、この検査にはなかった。

 ワクチン接種が五月以降、急速な勢いで行われつつあることも、原因の一つかもしれない。検査結果が陰性であるということは、検査を受けた時点までは陰性であったということに過ぎない。モニタリングという点では意味があるが、受けた本人にとっては、予防効果のあるワクチンに比べると、どうしてもその価値は見劣りしてしまう。

 二日後、スマホに通知が来て、ようやく検査のことを思い出した。陰性だった。二日前までは陰性だったのだなと思う。また、手洗いとマスクの日々だ。誰かと会って存分に話ができる日はいつ来るのだろう。

(6/12/21)