「エル・カスティーリョ」の階段(2016年撮影, チチェン・イツァ)

 

「チチェン・イツァのピラミッド「エル・カスティーリョ」の階段」

文・写真 下坂浩和

古代マヤ文明は紀元前1000年頃から16世紀までの間に、メキシコのユカタン半島から現在のグアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス、エルサルバドルにまたがる地域で盛衰を繰り返しました。チチェン・イツァは西暦800年〜1250年頃に盛えた都市で、今ではユカタン半島を代表する観光地として旅行ガイドにも紹介されている遺跡です。

一番近くても120キロ離れた主要都市メリダから、地元の人たちが利用している路線バスがありそうなことはわかりましたが、どこから乗ればよいのか、遺跡近くで降りられるのかといったことを出発前に日本で調べるのは簡単ではありません。一週間のメキシコ滞在中にチチェン・イツァに行ける時間は一日しかないので、一番効率よく行く方法を考えて、約200キロ離れたカリブ海のリゾート地カンクンからの日帰りバスツアーを利用することにしました。

そんなわけで、メキシコ・シティからの飛行機で夜中にカンクンに着き、翌朝8時にはホテルを出て、観光バスで3時間くらいかけてチチェン・イツァに到着したのはお昼前でした。まわりをジャングルに囲まれた遺跡には石造の記念碑的な構造物は遺っていますが、住居跡は見当たらないので、人々がどのように暮らしていたのか思い描く術もありません。住まいの構築物は簡素なもので、熱帯雨林ですぐに植物が繁茂する環境では痕跡を残すことができないのでしょう。あるいは、16世紀にスペインが植民地化した時になくなってしまったのかも知れません。

遺された構築物からだけではどのような都市だったかをイメージするのは難しいのですが、大小いくつかのピラミッドや天文台の遺跡を見ると、高度な文明が存在したであろうことは想像できます。エジプトのピラミッドは王の墓としてつくられたものなので、中に石室があって奥に潜っていく空間がありますが、メキシコのピラミッドは頂上に部屋がある神殿としてつくられたようで、ピラミッドの表面を階段で上がるようにできています。チチェン・イツァで一番大きなピラミッドは「エル・カスティーリョ」と呼ばれていて、ここにも頂部へと一直線に上がる階段が斜面四面についているのですが、それがとても急勾配なのです。

旅行ガイドや建築史の本には、この急な階段を観光客が登っている写真が掲載されていますが、今では柵が付けられて登れなくなっています。これまでに取り上げた階段は自分で上り下りしたものばかりでしたが、今回のピラミッドの階段は、実物を見ただけで上ることはできませんでした。

近づいて寸法を測ることもできなかったのですが、建築史の本に載っている図から類推すると、頂上までの高さは約24メートル、傾斜の角度はほぼ45度で段数は91段あるので、一段の蹴上、踏面は26センチ以上のようです。頂上には約18メートル角ほどの平場があり、そこに幅14メートル、奥行き12メートル、高さ7メートルくらいの石造の建物が建っています。

この建物に上るには急勾配で手摺もなく、途中に踊り場もない階段を上らなくてはなりません。とても上りやすい階段とは言えません。下りるのもかなり怖そうです。何のためにこんなに高い所に部屋をつくったのでしょうか。景色を眺めるための展望台というわけではなかったようです。

マヤ文明には干魃の時に雨乞いのための生贄の習慣があったのですが、ピラミッドの頂上の部屋には、人から神への供物を受け渡す仲介者の役割があったチャクモールと呼ばれる像が安置されています。チャクモールは横向きに座った人物像で、像の腹部の上には生贄の心臓が捧げられたのだそうです。なぜこれほど急で高い階段をのぼる必要があったのかというと、天上の神に近い場所に象徴的に供物を置かなければならなかったからではないでしょうか。階段を上ること自体が儀式の一部で、大衆から見られる舞台の役割を果たしていたのかも知れません。

じつはこのピラミッドは古いピラミッドに覆いかぶさるようにつくられていて、神殿の位置をさらに高い場所にする目的があったと思われますが、その時にピラミッドの高さが階段91段分になるようにしたようです。91という数字は適当な数字のようですが、4面分の段数を合計すると364段で、これに頂上の1段を加えると365になり、ちょうど1年分の日数になります。

マヤ文明では農耕用の365日周期のハアブ暦と、儀礼や宗教行事で使われた260日周期のツォルキン暦が同時に使われていて、このふたつの暦が同時に最初に戻るのは260と365の最小公倍数18,980日(365日×52年)で、52年周期の暦でもあったようです。

エル・カスティーリョのピラミッドは9層の基壇が積み上げられた形なので、階段の左右を合わせると18になりますが、これはハアブ歴が20日×18カ月だったことと関連があり、また、基壇の凸型にへこんだ部分の数が階段両側合わせて52個あるのも、ハアブ暦とツォルキン暦が同時に始まる52年周期と関係があるようです。

正面階段の一番下には龍の頭の彫刻がほどこされていて、春秋分の日には階段の側面にできる影の形が龍の姿となって現れるそうです。このピラミッドは神殿であると同時に天体観測装置でもあり、巨大なカレンダーでもあったのです。

この階段を上って神殿の中を見ることはできませんでしたが、観光客が上れなくなった今でも世界中のある職業の人がこの階段を上ることを許されることがあるそうです。それは、この遺跡の魅力を発信するテレビ番組の撮影班で、頂上からの撮影が認められるには番組内容の審査に何年もかかるとか。数年前には日本のテレビ局の制作チームも上ったようですが、大型の撮影機材を持ってこの階段を上るのはさぞかし大変だったのではないかと思います。

(2022年1月4日)

これまでの「うつくしい階段」はこちらから

  • 下坂浩和(建築家・日建設計) 1965年大阪生まれ。1990年ワシントン大学留学の後、1991年神戸大学大学院修了と同時に日建設計に入社。担当した主な建物は「W 大阪」(2020年)、「六甲中学校・高等学校本館」(2013年)、「龍谷ミュージアム」(2010年)、「宇治市源氏物語ミュージアム」(1998年)ほか。