「ルイス・バラガン自邸の階段」
文・写真・図 下坂浩和
新型コロナウィルスの影響で、しばらくは海外に行けない日々が続きそうです。それ以前から行きたい場所はたくさんありますが、それでなくても休暇で海外に出かけるのは年に1週間程度なので、行き先の候補は数年先までなくなりそうにありません。まだ行ったことのない場所も多いので、同じところに行くのはずいぶん先になってしまいます。そういうわけで、行き先と日程が決まったら、見たい建築や美術館、劇場をリストアップして、展覧会や演奏会の日程を調べて綿密に予定を立てる癖がつきました。
メキシコには見たいものがたくさんありましたが、中でもいちばん見たかったのがルイス・バラガン自邸(1947年)でした。ウェブサイトで見学時間を調べて、問い合わせ先のアドレスに予約メールを入れたところ、予定の滞在期間中は見学できないとのこと。理由がわからなかったので、直接電話で問い合わせると、メキシコに到着する日だけは見学できるので、空港から直接来るように、との返事でした。飛行機が1時間以上遅れたせいで、タクシーで着いた時にはすでに閉館時間でしたが、その日最後のガイドツアーが始まるところで、ほかの参加者数名と見せてもらうことができました。
この自邸を設計したルイス・バラガン(1902-1988年)は世界的に知られた建築家で、メキシコを代表する建築家と言ってよいと思いますが、文化施設や庁舎などの公的な建築は設計していません。敬虔なキリスト教徒でもあったバラガンの作品のうち、公共的と言える建築はカプチン派修道院(1955年)、クァドラ・サン・クリストバルという乗馬クラブの厩舎(1968年)くらい。ほかには、サテライト・タワー(1957年)と呼ばれる、高さ30〜50メートルのコンクリートの角柱が5本並んだ塔状の彫刻的なモニュメントや、いくつかの住宅地の公園等はパブリックと言えますが、建築というよりはランドスケープの作品です。それ以外はほとんど住宅ばかりで、公共建築をほとんど手がけずに、彼ほど世界的に評価された建築家はいないのではないでしょうか。
バラガン自邸の隣にアトリエが併設されているのですが、図面によれば、階段の数は2、3段のものも含めると12もあるのです。これほどたくさん階段がある個人住宅はほかに思いつきません。そのうち見学で見られたのは七つで、今回はそのうちの三つを紹介します。ちなみに見られなかった階段は作品集などの写真でも見たことがないのですが。
最初の階段は、玄関の奥の7段の階段を上がり、扉を開いたところにあります。この階段ホールは、幅が狭く暗めの玄関とは対照的に、吹き抜けから自然光が降り注ぐ明るい空間で、この住宅の最もよく知られた場所のひとつです。
溶岩石の階段には塗装が施されているのですが、一般的に石材は建築材料の中でも高価で、素材のまま模様を見せて使うことが多く、建築ではあまり例のない仕上げ方です。しかも、蹴上(段の水平部分)と踏面(段の垂直部分)は石の質感を残したまま黒く塗られていて、階段の側面は壁と同じように白く塗り込められています。材料の出隅で色を塗り分けることで、階段の黒い表面だけが抽象的に浮び上がり、空間の中に際立ちます。バラガンの階段には手すりがないのが特徴ですが、それも階段の純粋さを強調する狙いがあるようです。晩年にはこの階段の両側に木製の手すりがつけられたようで、その頃の写真を作品集で見ることもできますが、現在は元の姿に戻されています。
階段ホールの2階は壁にキリスト像が架けられた小部屋があって、正面左の隙間から右に折れて二つ目の階段があります。厚い木の板を組み合わせてつくられた階段ですが、上ったところの屋上に出る扉が黄色の色ガラスなので、白い壁が黄金色に見えます。
じつは翌日、もう一度この建物を見学する機会を得ました。というのは、ホテルにチェックインしてから、照明のことでどうしても気になることがあったので、朝から行ってみることにしたのです。この日は見られないとは聞いていましたが、メンテナンスか、何か催しの準備が理由ならば誰かいるに違いないので、頼み込めば、見せてもらえるかも知れないと思ったからです。ところが自邸の前には見学者と思しき若者が数名いるではないですか。どうやら学生の貸し切りのために一般の見学はできない、というのが理由だったようです。受付で、昨日も来たのだけど、見そびれたところがあるのでもう一度見せてもらえないだろうか、とお願いすると、学生たちと別行動ならよいよ、と入れてもらえたのです。
前日は夕方でしたが、次の日は朝。二つ目の階段は、ガラス戸から朝日が射し込んで、溢れる光はより強く黄色に染まっていました。光に色をつけることで、聖書に記された「光あれ」をより鮮明に具現化する意図があったのかも知れません。
三つめの階段は、ライブラリーから2階の書斎に上がる階段です。この階段もよく知られた階段ですが、壁からジグザグの板が飛び出た形で、手すりがないのに加えて、下に支えがなく、これも階段の純粋さが際立つデザインです。出発前に下調べした本には、この階段の裏側が白く塗装されている写真が載っていました。解説は本によってまちまちで、ある本には階段の裏側が暗くならないように、別の本には壁と色を合わせるために、とありました。初日は見学ルートの最後の方で閉館時間を過ぎていたこともあり、すっかり忘れていたのですが、翌日も思い出せずにこの階段の裏側を見ないで帰ってきてしまいました。
このような階段は壁に深く差し込まなければならないはずですが、木の板がそのまま壁の中に差し込まれているのでしょうか。階段の支え方と、裏側が白く塗られていることには関係があるのではないか、という考えが浮かんできました。バラガンの手描きスケッチや詳細な設計図は作品集でもほとんど見たことがないので、この階段の構造を確かめるためになるべく早く再訪してご報告したいと思います。
(2021年5月17日)
- 下坂浩和(建築家・日建設計) 1965年大阪生まれ。1990年ワシントン大学留学の後、1991年神戸大学大学院修了と同時に日建設計に入社。担当した主な建物は「W Osaka」(2020年)、「六甲中学校・高等学校本館」(2013年)、「龍谷ミュージアム」(2010年)、「宇治市源氏物語ミュージアム」(1998年)ほか。