Artarea B1 (大阪)へ, 2019年10月20日

ニコニコアート倶楽部 リターンズ02

「運ぶ人 武田晋一」      

by 塚村真美

アトリエは山の中

武田晋一さんのアトリエを訪問した。2010年に一度訪ねているが、その時は奈良公園に近い、小さな町家だった。数年後、東吉野村に引っ越したと聞いた。山間部の村で、奈良市内から車で一時間半、ひたすら山の中へ。ニホンオオカミが最後に発見されたことでも知られる、三重県との県境にある村だ。そんな山での暮らしは大丈夫かなと思った。

引っ越して6年。今回、初めて東吉野のアトリエを訪問して、驚いた。山村移住ときいて、リノベ必須の日本家屋を勝手に想像していたが、訪れたアトリエ兼住居はあまりに素敵すぎる物件だった。軽井沢のペンションか、蓼科の別荘か。花木が何種類も植えられた庭、吹き抜けのある洋風の二階建て、ウグイスがすぐそばで鳴いている。夏には近くの川からカジカの声が聞こえてくるという。家主はここに何年か住んだけれど冬の寒さに耐えられなくなり出ていったそうだ。幸いにして武田さんのパートナー比留間郁美さんは陶芸家で、窯を焚くので、それで暖がとれる。ふたりはとくにリノベもせずに快適に住んでいた。お家賃3万円。それが村の相場だそうだ。

作品を自分で運ぶ

アトリエ。それは制作の場であるが、武田さんの場合、作品の起点でもある。というのは、武田さんは、自分の作品を、展示の会場まで、自分で運んでいくからだ。使うのは、公共交通機関。大阪や東京には鉄道に乗って運ぶ。海外に行くは当然、飛行機に乗るが、機内持ち込みで頭上の棚に入るサイズにしたという。

運ぶといっても、スーツケースや段ボール箱に積めてゴロゴロ引っ張っていくわけではない。作品はむき出しのまま、折り畳んだり、入れ子にしたり、はめ込んだりして、コンパクトにしたものを持っていく。

自分で運んでいって、展示が終わるとまた運んでかえる。その道程は作者と記録者(比留間さん)のみが知る行為であって、作品を見る人は、展覧会場だけで作品は完結している。もちろん、鑑賞すべきは作品で、会場で鑑賞されることで作品は成り立っている。見る人はその行程をとくに知らなくていいし、作者は別に見てほしいわけではなさそうだ。

Artarea B1(大阪)へ, 2019年10月25日

Château d’eau (Bourges, FRANCE)へ, 2011年6月17日

一度、運んでいるところをじかに見てみたいと思うが、なんのアナウンスもない。きょう運びますとか言わないのかと聞くと、そうするとパフォーマンス的な意味あいが強くなっちゃうから、との答えだった。

武田さんは言う、「絵を展示するのに、移送するのと、持っていくのには違いがある」と。「作品を移送すると、点と点で切り離される。だけど、持っていくと線になる。自分で線を引く。時間と距離がつながる」。ふむ。「移送すると誰の目にもふれないけれど、持っていくと、作品はむき出しなので人の目にふれる。でも、別に誰の目にもふれなくてもいいんです。ただ作品は公共性を帯びる」。ふむ、作品は公道を通ることで、開かれた存在になるというわけか。そこに生まれるのは何?「可能性」と作者は答えた。

作品はギリギリ運べるところを攻める

会場で作品を見るとき、注意深く見れば運ばれた痕跡はわかるが、その意味は消えて見えなくなっている。しかし、作品をつくるとき、運ぶことは「作品の半分くらい」を占めると言う。「つくるときは運ぶことも考えている」からだ。「運ぶことが前提だから、畳むために、切らざるを得ないという箇所がでてくる。基本的に継ぎ足したりしないで、板なら1枚で完成するようにして、木目も入れ替えないようにする。作品自体に制約が生まれて、そこから新しいアイデアが生まれたりもします」。

《quiescency》2019年,  Artarea B1(大阪), グループ展『URBAN BODIES』

写真では淡々と歩いているけど重くないの?「めっちゃ重い」(笑)。「運んでいる時は苦痛なんです」。ストイックな作品ですね(笑)。

つまり、軽い素材を選ぶと運びやすいけれど、強度に欠ける。木材だと、木の種類によって密度も違う。「いつもギリギリ運べるところを攻めています」。

一つの立体作品でも制約が生まれるが、展示はインスタレーションの形式をとることが多く、そのため、形の異なる何点かの作品をまとめて運ぶことになり、パズルのように組み合わせてセットにすることも考えないといけない。それもまた「面白い」らしい。

運ぶことについて

運ぶことについて、武田さんは「Sur “transracinement” (“トランスラシンヌモン” についてのノート)」というテキストを書いている(2014年11月)。

「—略— 僕は人が段ボールを持ったり、荷物を背負ったり、運ぶ姿に惹かれます。それも大荷物であればあるほど魅了されます。それは人体を延長したある種の美なのかも知れませんし、人体としての限界をある程度公平に示しているからかもしれません。ヒトは荷物を持ち運ぶ事によってヒトになった。人類学者の川田順造さんは『〈運ぶヒト〉の人類学』(2014)の中で「運ぶ」という能力がヒトをヒトたらしめているのではないかと、ホモ・ファベル(作るヒト)やホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)と並び、ホモ・ポルターンス(Homo Portans・運ぶヒト)というキー概念を提示しました。運ぶことがヒトの起源に関わってくるということです。
—略—
なぜ自ら作品を運ぶのでしょうか? ジグムント・バウマンは現代をリキッド・モダニティ*という言葉で表しています。液状化した近代ということです。不安定な時代とも言えます。液体の特性は形態を連続的に変化させ、同じ形に固定されないことです。またつねに形態変化の準備ができている状態とも言えます。ここでは時間が重要な要素です。展示されている作品はその期間だけ存在するものですが、見えないだけでその前もその後も存在するものです。プロセスがあり、結果があるのではなく、その時間の全て、作品が続いているということです。そのため作品を運ぶことも作品の一部だと考えています。そして展示されない時も同様です。—略—」
*ジグムント・バウマン『リキッド・モダニティ』(大月書店,2011)
全文はこちら(PDF)

「transracinement」は2014年の作品につけたタイトルで、「trans」は「〜を越えて、横切って」という意味の接頭語と、「racinement」(根を張る)を組み合わせた、武田さんがつくった造語。なぜフランス語?それは、武田さんがフランスの芸術大学で学んだから。ブールジュの国立高等芸術大学を卒業している。

フランスで芸術を学ぶ

武田さんは広島県呉市の出身。服飾に興味があって大阪の服飾専門学校に入ったが、2年ほど通ううち服より絵を描くことの方が好きだと思い、先生に相談したところ、フランス行きを勧められたという。服飾も美術もフランスが主流だからという理由で。そこで、絵画の基礎だけでも身につけようと大阪市立美術館の美術研究所に1年間通って、真面目に石膏デッサンを学んだ。フランスの情報は大阪日仏センター=アリアンス・フランセーズ(現アンスティチュ・フランセ関西 – 大阪)で得た。資料を取り寄せ、芸術大学を受験するための予備校に入る準備をしてフランスに渡った。

フランスで一人だけ日本人を紹介してもらった。広島出身のアーティストでジュゼッペ・ペノーネの元で学んだ小平篤乃生さん。デッサンを持っていったら「こんなの要らない」と一蹴された。大事なのはポートフォリオ。要るのはオリジナリティ。入試ではポートフォリオを提出せねばならない。あまりしゃべれない武田さんにとってはさらにしっかりしたものが必要になる。ドローイングのテストもあるが巧さを見るわけではない、作文もあった。翌春、パリのボザールや、エクサンプロバンスの芸術大学を受けたが不合格。ブールジュの国立高等芸術大学は秋にも試験があり、合格し入学できた。

大学時代に制作したポートフォリオを見せてもらった。それは何冊もあって、作品が数多く掲載されている。だいたい月に一個かそれ以上つくっている。こんなにたくさんつくるもの?「学生ですからね、ずっとつくってましたね」。大学では油画だ彫刻だ陶芸だ写真だ音楽だとか、ジャンル分けされたコースがあるわけではなく、木だったら木、鉄なら鉄、自分の作品づくりに必要なラボに通うんだそう。

大学時代のポートフォリオのうち一冊

これは?鳥の巣?コンクリートで固めてあるのかな?アンテナ立ってる?

「鳥の巣が落ちてたんです。で、拾ってきて。中に携帯電話が入っています。鳥も中にいたら振動してたはずで、コンクリートも振動させて固めるから、巣に携帯電話を入れて振動させながらコンクリートで固めたんです」

落ちてたの。あ、既にあったものを組み合わせたわけか。レディメイドね。

《vibrating nest》2009年, 20x15x15cm

これは?展覧会のタイトル?

「壁の文字は〈Brown Propaganda〉という作品で、枯れ葉をパンチしたドットで、Les lancer aussi fort que possible(それを力一杯投げつける)と書きました。それはこの会場の展覧会タイトルではなくて、僕が行う展示というかアクションのタイトルで、その日付と場所も書いてあります。告知自体が作品となっています」

告知自体が作品!なるほど、で、そのアクションは?

「mur d’expression libre(自由表現の壁)という誰でも好きなポスターとかを貼れる場所があって、そこに文字で使った葉っぱのパンチを投げつけたんです」

ということは、告知の文字を外して、回収したわけですね。そっちの作品は消えた、と。で、その枯れ葉のドットを思いっきりバーン!と壁に……バーンとはならない、ですよね。ですけど、たしかに自由な表現! その時に撮影したのが右の写真ですね。誰か見たのかな?見てないですね。影がないですもんね。まったくの自由!

《Brown propaganda》2009年1月29日, 《Les lancer aussi fort que possible》2009年1月30日(左)

これは?

「ブロワのオブジェ美術館(Musee de l’objet)でのワークショップに参加したんですが、テーマは作品を運ぶケースをデザインするというものでした。他の大学の学生もいて、グループに分かれてアイデアを出すんです。それで、僕のアイデアが採用されて、美術館の作品の前に、できあがったケースが展示されたんです」

作品は?あ、コスース。ジョセフ・コスースね。すごいすごい。素材は?木。木を白く塗ってるのか。

オブジェ美術館(Blois, France)のワークショップで参加者とコラボレーションで制作。carring case for 《Shadow One and Three》(1965, Joseph Kosuth)。左の柱《Sculpture》(1982, Didier Vermeiren)

運ぶことの始まり

「このケースを作ったのが2008年で、このときに「運ぶ」というのも面白いなと思いました。2009年に卒業して帰国してからも「運ぶこと」を考えていて、ケースじゃなくて、むき出しで運ぶことにしました」。

かくして、運ぶことは2010年から始まった。

C.A.P STUDIO Y3(神戸), 『CAP ART MARKET 2010』へ。2010年3月20日

Chef d’oeuvre (大阪), 個展『二つの、同じようなもの、積み重ねる』にて。2010年6月28日。右手と左手を同時に使って描くドローイングシリーズを出品。会期終了後、作品、展示台、額など展示に使ったすべてを持って撮影。

《Light Coordination》名勝旧大乗院庭園(奈良), 『飛鳥から奈良へ 国際彫刻展 2010』にて。2010年10月26日(-11月7日)。茶室では折り畳まれ鎮座しているが、広げると茶室の丸窓と同じ大きさの円になる。ハプニング的に背負い、庭を歩いた。photo by Kiyotoshi Takashima

《woodland library》美濃加茂市民ミュージアム(岐阜)『woodland gallery 2011』森の中へ, 2011年4月29日

iTohen(大阪)グループ展『OFF SEAON』へ, 2013年3月5日, photo by SKKY

即興的な作品と展示

これまでの作品は木材が多い。「フランスから日本に帰ってきて、奈良に住んだら、近所に材木屋があったんです」。なるほど、鳥の巣が落ちていたから使った、ような感じか。だからか、東吉野に移ってから、雑草を使ったりしているのは。「草刈りをするんですけど、大量に草があって、捨てたらもったいないなと。紙ができたら面白いと思って調べたら『どんな草でも紙になる』って本があって」と本を見せてくれた。「これを見ながらつくったんです」。雑草の紙はフェルトのようなちょっと厚い紙だった。

《saying》部分, 2019年,  Artarea B1(大阪), グループ展『URBAN BODIES』

素材選びに無理がないというか、自然体というか、レディメイドというか、作品は自然発生的にできてくる。即興的でもある。

即興的といえば、展覧会の組み立て方も、即興的と言える。その場ですぐにつくるというわけではないが、その場に合わせて、都度、インスタレーションを組み立てていく。だから、会場によって、スタイルはさまざまだ。

たとえば、2011年にブールジュの「シャトードー Château d’eau」でのグループ展『Le spectacle de la nature(建築の意思)』 では、会場のサイズにあわせて、3メートル超の作品を展示した。飛行機の頭上の棚に入れて、運んでいった。これは積み木のような作品。組み木になったり、接着したりはしていない。

《La volonté d’architecture 》20x40x315cm, 2011年, Château d’eau(Bourges, FRANCE)

2018年の大阪・中津「パンタロン」での個展『obstacle(障害物)』はこんな風。床に天井にワイヤーが張り巡らされていて、床のワイヤーは歩くのに障害があるが、天井だとセイフティネットのようにも思える。ワイヤー床から2階の壁の奥にまでつながっている。

『obstacle』 2018年2月19日- 3月6日,  pantaloon(大阪), 2階風景

『obstacle』 2018年2月19日- 3月6日,  pantaloon(大阪), 1階風景

このときの作品《laying》も素材はワイヤー。歩くのじゃまするように横たわった作品は、赤い針金をペンチで編んでつくったもの。「一カ月くらいずっと編んでました」。武田さんが寝てるみたいでした、と言ったら「寝ましたよ、サイズ確かめるために」。やはりタケダサイズだった。運ぶときはクルクルと巻いてぶら下げてきていた。

《laying》 40x200x30cm, 2018年

Pantalooon(大阪)へ, 2018年2月19日

いまアトリエで。少し遠くの未来へ。

赤い針金を編んでいたのは、東吉野のアトリエの床。その床の隅には木の枝が転がっていた。庭木を剪定すると、面白い形の枝が見つかるので、とっておくのだそうだ。それを削ったり、色をつけたり、バランスをとったりして、ちょっと引っかけておく。

それは、生け花をしているようにも思えた。そういえば、展示方法も花展に似ている。山や野や花屋で見つけた美しい花と、それに似合う器を自分で運んできて、会場で生ける。花は立てるともいう。

先に引いた武田さんのテキストには続きがある。

「僕の作品は固定された形をもっていますが、変化するようにつくられています。それは場所によって変化します。展示空間、移動時、保管される場所などです。それぞれの場所を想定しながらデザインすることは、少し遠くの未来に責任を持つことでもあると思います」(「Sur “transracinement” (“トランスラシンヌモン” についてのノート)」2014年11月より)

武田さんがつくる少し遠くの未来。次の未来はどんなだろう。一つひとつの作品には語られないままのコンセプトや秘密の鍵が仕組まれていて、それはなかなか読み解けないままだが、またポツポツと話してほしいと思い、アトリエをあとにした。

(2022年5月4日, 奈良県東吉野村の武田晋一アトリエにて取材)

 

武田晋一さんのウェブサイトはこちら

*ニコニコアート倶楽部 リターンズ01|細馬千佳子|はこちら