今年7月に2枚組CD『あなたはキツネ BEST+40 TRACKS』、8月に2枚組CD『松前公高 WORKS 1989–2019』を発表した松前公高さん。1回目のインタビューでは、作品が立て続けにリリースされることになったきっかけや、90年代に自主制作で出した『あなたはキツネ1〜4』のことを中心にお話をうかがいました。2回目は、『あなたはキツネ BEST+40 TRACKS』の聴きどころを押さえつつ、さらにそのサウンドのルーツでもある中高生時代の宅録についても語っていただきました。松前さんのような音楽家が生まれ、育った、奇跡のような環境とは?(丸黄うりほ)

「ピロレーターからの電話」と、かわいい音楽

——ここからは『あなたはキツネ BEST+40 TRACKS』に収録されている曲についてお話をうかがっていきたいと思います。さきほどドイツのアタタックレーベルの名前が出ましたが、このCDにも「ピロレーターからの電話」(CD2-5)という曲が収録されています。拙い日本語で、「モシモシ、ワタシ、アタタックノピロレーターデス……」ってつぶやいてる。

松前公高さん(以下、松前)  これは当時ソニーの留守電っていうのが出て、留守番電話がやっと普及しはじめたころで。僕がいないことをわかってて、留守番電話に岸野(雄一)と常盤(響)と山口(優)が入れたんです。ドイツのプロデューサーみたいな人から電話がかかってきたっていういたずらですよね、日本語でね。

——そうなんですね! 私、本当にピロレーターから電話がかかってきたのかなとちょっと思いました……。

松前 (笑)なんでやねん。

——いや、でも全然おかしくないですよ、ピロレーターから松前さんに電話かかってきても。

松前 うん、友人がドイツ行った時、音源を渡したりしてもらったりはしましたが。

——ピロレーターと一緒にコンピCD出していませんでした?

松前 ありましたね。WAVEから出た、玖保キリコさんプロデュースのコンピ『DRIVE TO HEAVEN,WELCOME TO CHAOS』ですね。イギリスのフレッド・フリスのほかに、デア・プラン、アンドレアス・ドーラウとかジャーマン勢もいろいろ入ってますよ。京浜兄弟社からはコンスタンスタワーズもEXPOも入っている。

——『DRIVE TO HEAVEN,WELCOME TO CHAOS』ってコンピは、ジャーマンニューウエーブの人たちと京浜兄弟社の音が、ものすごくなじんでいますよね。

松前 うん、そうですね。ティポグラフィカ、ピッキーピクニックも入ってる。

——ジャケットがマーク・バイヤー、アメリカ人のイラスタレーターで。あのころ一部ですごく人気があった人ですよね。確か、あのコンピは渋谷系的な扱いでしたよね?

松前 いや、違うよ。全然渋谷系じゃない。フレッド・フリスとか入ってるんだよ?まあ海外のシーンでも硬派なノイズとかわいい音楽って全然違うようにみえるけど、じつは仲がいいんですよね、振れている方向が違うだけで。僕もノイズも好きだし、かわいい子どもっぽい音楽も好きだし。

——松前さんの音楽はかわいい感じですね。

松前 そうですね、京浜の周辺では僕がいちばんそんな感じですね。だからテクノとかの四つ打ちの人とかと全然あわへんからね。

——四つ打ちの爆音の、クラブ系の感じではないですよね。

松前 テクノというとたいがいみんなあっちを思い浮かべるんですよね。テクノなんですけど、みんなが思い描いているテクノではないからね。

——テクノポップかな?

松前 でもないね、クラフトワークみたいなんでもないからね。シンセサイザーを使ったおもしろミュージックでいいんじゃないですか?(笑)

——松前サウンドはかわいいからなのか、「おしりかじり虫」にしても「キルミーベイベー」にしても子どもとか、すごく若い人に受けましたよね。

松前 いや、そんなつもりはないんですけどね、「おしりかじり虫」は依頼されて作った要素が強いですね。あれはかなりわかりやすいように振ったからたまたまヒットしたけど。僕の中ではもっともっと崩してもいいと思ったんだけど、さすがに『みんなのうた』ではね。

——この『あなたはキツネ BEST+40 TRACKS』に収録されている曲もかわいいのが多いですね。音色が、かわいい。なんというかマヌケ感があります。なにこの変な音って感じ。

松前 マヌケ感ね。僕はそういうのをいつも考えてます。

「肉体の音」と、ピンポン録音

——面白い音、変な音満載ですが、全部シンセの音でもないんですよね。

松前 全部シンセでもないですよ。「肉体の音」(CD2-14)は体で出した音だけで作りました。脇の下きゅっとやったりとか、あと口でブイって鳴らしたりとか、そういうのだけ。ちょうどドラムマシーンがあって、そこに8ビットで4音だけサンプリングできる機能があって。8ビットだから音はすごく悪いんだけど、操作を覚えようと思って遊びで作った曲です。

——そういう音で作った曲と、シンセで作った曲とが並んでても違和感がないですね。聴いてたら、どれがシンセでどれが違う音なのかわからないんですよ。リコーダーを吹いているのもありましたね。

松前 リコーダーはかなり使っています。高校生の時作った曲とか、リコーダーを何重奏にもしている。

塚村編集長(以下、塚村)  宅録は何歳くらいからしていたんですか?

松前 中学3年から。78年くらいですね。

塚村 どんなシステムですか?

松前 昔ね、平たいカセットあったでしょう、英会話用みたいなやつ。それが家にあったのと、あと兄貴がラジカセもってた。で、マイクをラジカセにがちゃっとはめて、そういうのがあったんですよ、FMが飛ばせたりとか。それをつないで、ミキサーを自作してね。

——ミキサーを自作?

塚村 それがもう一般人とは違うね。

松前 でも、回路もなにもついてない、ただ線をつなぐだけのものですよ。レベルとか落ちたりしてもわからないから、とりあえずふたつの音をつないでここに入れたらいいだろうっていうのを作っただけなんですけどね。

ピンポン録音ってやつですよ。ひとつ録音して、録音したらそれを再生しながらもう一個録音する。そしたら今度二つ重なったやつを再生しながらもう一個かさなったやつができる。何回もやったらノイズがどんどんでかくなってくるけど3、4回くらいまではできたんで。

シンセサイザーの本とか買ったらそういう録音の方法が載ってて。本来はMTRっていって太めのテープで別々に録音できる。普通の録音機だったらテープのA面とB面、ステレオだからLRあるじゃないですか、つまりテープの幅の中に4つトラックがあるわけですが、それを別々に録音再生できるっていうやつなんですね。60年代から70年代はプロのアーティストも全部それでやっているわけですよ。オープンのいいやつですけどね。それが8とか16になって増えていった歴史があったんですけど。そのカセット版っていうのが当時出だして、カセットテープでそれができるようになった。TEACの144っていうのが出てきたんですね。でも中学生だととてもじゃないけど高くて買えないので、普通のカセットテープでやってましたね。

——松前さん、育ったお家はどこですか?

松前 四條畷。

——なら、そういうの買いに日本橋とかに行ってたんですか?

松前 そうそう。

——今とは違って、オーディオの街でしたもんね。そのころ一緒にやっていた友達はいたんですか?

松前 全然いませんでした。バンドはやっていましたけどね。多重録音なんかまわりの誰もやっていなかった。

——そうでしょうね。今だったら便利な機材やソフトがいっぱいあるからやる人はやるだろうけど。この時代で中学生で多重録音っていう発想にならないと思うんですよ、バンドにいく人はいるでしょうけどね。

松前 バンドの演奏よりも、そうやって作られた演奏のほうが好きだったからね。

中3でシンセサイザーを手に入れました

塚村 その頃は何を聴いていたんですか?

松前 プログレをいっぱい聴いていましたね。シンセサイザーだけで作った音楽もあって、そのあとでクラフトワークとかも知るんですけども。ジャン・ミッシェル・ジャールとか、ヴァンゲリス、冨田勲とかね。シンセサイザーが好きだったから。

その頃、僕は電子オルガンを習ってて。

——えっ!エレクトーンですか。

松前 エレクトーンじゃなくて、父親が松下電器だったんでテクニトーン。ま、同じようなもんですよ。

——テクニトーンはいくつからやってたんですか?

松前 小学校6年生。ピアノは小さい頃から習わされてたんですが……、ピアノの練習でハノンってあるわけですよ、これがもう指がしんどくて嫌だったのね。そしたら父親が、新し物好きでテクニトーンを買ってきた。まあ社割があったのかもしれないけど、「松下が電子オルガンに進出したー」って、買ってきたんです。

最初は母親が趣味でやるとか言ってたんだけど、僕もちょっと試しにやってみたら鍵盤が軽いから楽なんですよね、だからもうピアノやめて電子オルガンにしたいって言った。ちょうど習っていたピアノの先生のところにエレクトーンもあって、そっちも習えるというからすごいラッキーで。それで1年間電子オルガンやって、小学校卒業してピアノもエレクトーンも辞めていいことになったんだけど、自分が音楽好きになりはじめて。

電子オルガン演奏してると、選べる音色ボタンの名前が変なんですよ。トランペットとかフルートとか書いてあるんだけど、どう聴いてもそんな音じゃなくてちょっと不満だったんですが、そんな頃、ラジオやレコードで出会った音楽に、あきらかにオルガンでは出せないような音があるんですよ。なんじゃこりゃ?って調べたら、シンセサイザーだってことがわかった。そこからどんどんはまっていきました。

——中学時代の多重録音で使っていたのはそのテクニトーンですか?

松前 それも使っていたけど、あと茶碗叩いたり、声だしたりとか。それで、シンセサイザーは中3の時に買って。

——すごい!当時のシンセってものすごく高いですよね?

松前 それがですね。僕が小学6年の時、BCLっていうラジオ聴くのが流行ってて、海外の短波放送ね。そのときに短波放送を聴くだけじゃくて自分でも放送局ができるっていって、アマチュア無線っていうのを知るわけですよ。やってみたいと思って父親に話したら、父親も電気系の人間なんで、「これは免許とらなあかん。国家試験があるから一緒に受けよか」ってなって父親も一緒にやりはじめた。そしたら父親のほうがはまっちゃって、2階のベランダにすごいタワー建てたり、かなりいい無線機を買って、僕も使わせてもらったりして。父親が好きそうなものを「僕も興味ある」というと父親ものってくる。

まあそんな前例があって、シンセサイザーに興味をもった時も「これ、電子オルガンじゃどうしても出ない音が出せる」っていう話で父親に相談するんだけど、「リングモジュレーターっていうのはここの回路がこうなってるから」とか「この機種は何ワットで」みたいな電気的な話をするわけです。カタログに大量に書き込みしたり、そういうのが父親譲りなんでしょうね。アマチュア無線の時みたいに、援助してもらって手に入れました。

——なるほど。いいお父さんですねー。その最初のシンセサイザーが、ライナーにもある ROLAND SYSTEM 100の101なんでしょうか。

松前 そうです。テクニクスからもちょうどシンセサイザーが発売されていたんですが、内容からして、これだけはどうしても譲れなかった。101にすれば、その後、まわりの機器を増やしていってセットにすることができる。そこをスタート地点にして音楽制作を始めて、高校でも吹奏楽と並行してずっとシンセサイザーによる音楽制作をやっていました。

「千歳船橋」、最後の曲はこれだと決めていた

——『あなたはキツネ BEST+40 TRACKS』の収録曲から、「ピロレーターからの電話」「肉体の音」の他にも、エピソードのある曲やおすすめの曲をいくつかピックアップお願いします。

松前 では、「千歳船橋」(CD2-64)。このアルバムを出すってことになった時から最後の曲はこれだって決めてました。自分で作ったなかでも好きな曲で、ちょっと悲しい感じで。音はよくないんですけど、結構思い入れがあって。この曲を作ったころ千葉に住んでいたんだけど、千葉には船橋っていうところがあって、東京には千歳船橋っていうところがある。千歳ってなんやねんと思ってすごい気になってて、ぜんぜん意味なくこの曲名にしたんですね。大学生、20歳くらいのときに作った曲です。

「MAtsuKImiRUmba」(CD2-25)は、漫画家の桃吐マキルさんがオムニバス作るのでなにか1曲入れてくれっていうので作った。僕もこれ気に入ってて、その後ライブでもすごくよく演奏している曲なんです。タイトルは、マキルのマ(MA)とキ(KI)とル(RU)で「MAtsuKImiRUmba」になっているんですよ。ちょうど「マツケンサンバ」の後だったんで、まったくルンバでもなんでもないんだけど、そういう曲名にした。これはMS20だけで作っています、1台だけを重ねて。という点では結構面白い曲ですね。『桃吐マキルベスト』っていうアルバムにも収録されているので未発表曲ではないんだけど。

「Sonata K427 Remix」(CD1-37)も、スカルラッティ・ゴーズ・エレクトロのアナログ盤アルバムに、僕がリミックスして入れた曲ですね。

——フランスのアーティストですよね。

松前 そうそう。来日したときに一緒にライブをやったりして、それでリミックスもやることになったんです。

※その3に続く

※その1はこちら

 

松前公高『あなたはキツネ BEST+40 TRACKS』

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松前公高『松前公高 WORKS 1989–2019』

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