「ベアーズ歴代随一の使えない男」という自己評価は
違う視点から見れば、あれもこれも役に立つことばかり。
(監修:山本精一/取材・構成:石原基久)

大牟田の廃墟にて。撮影:Taka Otsubo。

 

──いくつになったの?

藤山正道(ふじやま・しょうどう) 47歳。「ベアーズ・クロニクル」にこれまで登場した人って全員正社員だったから。ボクに声はかからないと思ってたんですよ。ボクだけじゃないですか、バイトって。

──そうなの? スタッフにそういう線引きがあったとは知りませんでした。

藤山 ほかの人たちはきちんと給料もらってましたもん。ボクは正真正銘のバイト。それも取っ払いの日雇いバイトでした。

──まあまあ(笑)。まずはベアーズのスタッフになった経緯を教えてください。

藤山 ボクはもともと福岡の片田舎・大牟田出身で。実家はお寺だったんですけど、お寺を継ぎたくなくって高校も中退して。で、18のとき(1991年春)、目的も何もなく京都に出たんです。いま思うと、町田町蔵さんや村八分が好きだったからかもしれない。最初勤めた仕事はすぐ辞めて。大検の学校が天王寺にあったんで大阪に引越すんです。音楽の仕事に就きたかったというのがあって。

浅はかだけど、レコード屋に片っ端に電話して。けど、全然ダメで最後の最後が○か×だった。たまたま電話を取ってくれたのがくまさん(石隈学)で。「いまうちでは雇われへんけど、ベアーズってライヴハウスがバイト募集してるで」って教えてくれて。電話してみたら「面接に来てください」って。

大牟田には当時、ライヴハウスなんてなかったし、そもそもライヴハウスがどんなところかも知らなかった。とりあえず雑誌で調べてパンク系のライヴハウスだと勝手に思い込んで。なら、とパンクの格好して…耳と鼻にピアスを20コほど開けて面接に行く。

面接してくれたのは山本(精一)さんで。真っ先に「ピアスは外して」と言われた。「どんな音楽が好きなの?」って訊かれたから、当時、ボクは『ロンドン・ナイト』とかでかかるような音楽ばっかり聴いてたから、ピストルズ、ダムドとかの名前出したんですけど、「うちはそんな店じゃない」とさらっと言われて。次、「最近はどんなバンド聴いてるの?」「ニルヴァーナとかソニック・ユースです」みたいなやり取りをした後、横にいた保海(良枝)さんが「うちの店長はバンドやってて。ニルヴァーナ、ソニック・ユースとも一緒にツアーしたことがある。世界でも活躍する人なんだよ」とか教えてくれて。けど、ボアダムスの名前さえ知らなかったから、きっとウソをつかれてるんだろうなと思ってました。言うことなすこと全部ダメだったんですけど、「今度いついつ来て」って話になって。グリフィンだったかの日に初めて入るんです。

──正道くんの名前は「今度めんたいロックのコが入ってきた」って初めて耳にした気がする。

藤山 ただ福岡出身だっただけですよ(笑)。確かに大牟田にいた頃、ルースターズ、サンハウス、ロッカーズ、山善(山部善次郎)あたりを聴いたりコピーしたりしてましたけど、全然ですよ。めんたいロックって男っぽい硬派なイメージでしょ。めんたいロックに申し訳ないですね。

──仕事は何を任されたの?

藤山 最初、ハードコアやパンクの日に呼ばれて。階段上に人がたまらないよう人ハケをしなくちゃいけないんですけど、これができないんですよ。見るからに弱々しいボクの言うことなんて誰も聞いてくれない。困って、くまさん、壁田(圭一)さんに助けてもらって。金魚のフンみたいについて回るみたいなことばかりしてました。そんなボクも半年くらいして少しずつ人ハケができるようになって。レンタルや、スカム、ノイズの日に入れてもらえるようになる。

「クロニクル」読んで、みんなちゃんと働いてたんだなぁってつくづく思いました。ボク以外のスタッフはそれぞれ、音響、照明、ブッキング、アテンド、デモテープ審査とかいろいろやってる。ボクがやれたのは、受付と照明…せいぜい掃除とか雑用くらい。これじゃライヴハウスで働く醍醐味を味わえませんよね。

1年ほどしたら、殿井()さんが入ってきて。彼女は結構すぐ正社員になったんですよ。その直後、山本さんから「話があるから来て」って連絡があったもんやから、てっきり「ボクも社員になれるんだ」と思ってたら、「伽奈泥庵ってカレー屋に行ってくれへん」って話だった。当時、ボアダムスの吉川(豊人)さん、ヒラ(平佳也)さんとも、伽奈泥庵で働いてはったんで。ツアーでふたり抜けるとなると人手が足りなくなるわけですよ。で、伽奈泥庵に行きつつ、ベアーズに入るみたいなことを3年くらい続けましたね。そのおかげで、いろんな人や音楽に出会うことになるんですけどね。

──伽奈泥庵とはまたディープなとこに飛ばされたね。

藤山 ベアーズと伽奈泥庵…大阪2大アングラ・スポットじゃないですか。伽奈泥庵には毎日のように入って。午前中、伽奈泥庵、夕方からベアーズに入るみたいなシフトにしてました。両方とも、とっても居心地のいい場所だったんですけど、そのうち精神的に病んでしまう。

どちらもすごい人たちが集まる場所でしょ。自分も何かすごいモノをひとつくらい持ってないと立ち向かっていけないんですよ。自分は何を持ってるのか? 探すんだけど、何もない。ないと不安になる。すごい人の真似をして近づこうとするんだけど、一向に近づけない。それと、人の表と裏みたいなことも考えてしまうようになって。完全に人間不信ですよ。それが対人恐怖症にまでなっちゃって。両方を無断欠勤するようになってしまうんです。あのときはどちらにも迷惑かけてしまいました。

くまさん、伽奈泥庵にいた藤本(恵三)さんのおかげで社会復帰できるんですけど、「人間って何だろう?」って疑問が頭から離れなくなって。23のとき(1996年)、龍谷大学に進学することにするんです。また京都に引越すことになったけど、ベアーズとの縁は切れなくて。大学に行きながら、ベアーズで働かせてもらってました。伽奈泥庵は結局辞めちゃったんですけどね。

──スパナを始めるのはいつ?

藤山 大学在学中。98年だったかな。伽奈泥庵にいたフクちゃん(福田亮輔)が「ベース脱けたんで、一緒にやらへん? 打ち込みに生を重ねたPOPやろうと思ってんねん」って誘ってくれたんですね。ベアーズで初めてライヴしたのは99年じゃなかったかな。UMMOのコンピにも入れてもらいました。当時の男性スタッフってみんなバンド組んでたじゃないですか。スパナの名前が「ベアーズ・マンスリー」に載ったとき、ものすごく嬉しかったのを憶えてますよ。スパナで初めてアルバム(『000321』)を出したときにはやっとベアーズにいててもいいんやって気がした(笑)。

1999年3月7日には藤山正道がベースで参加するスパナが初登場!期せずしてこの号にはBEARSホームページのURLも発見できる。BEARSにホームページが誕生したのだ!

──ベアーズにはいつまでいたの?

藤山 2002年まではいたと思います。実質は2000年頃までかな。それからも忘年会の連絡があったら行ったりして。飲み要員でした。実家に帰ったのが30のとき(2003年)だから、なんだかんだで10年近くはいたんじゃなかな。ボクがいたときもバイト希望のコ、しょっちゅう来てましたけど、みんな断られてるんですね。ボクがクビにもならずスタッフでいられること自体が不思議でした。

スパナが収録されたベアーズ・コンピ『トリビュート・トゥ・ニッポン』 (UMMO) 2001年1月リリース 。他には、吉田ヤスシ&宮原ヒデカズ、GOLDEN SYRUP LOVERS、EMPTY ORCHESTRA、EAD、ヘリコイド0222MB、ATR、中屋浩一、ドロアス、宇宙エンジン、THE FOX、jenny on the planet、KK.NULL、ウルトラファッカーズ、ヒロシNa、山本精一、Voo Doo Boo Yoo、渚にて

スパナ 02年(左)と03年のチラシ。スパナのライヴは妙に東京が多かった。

 

──そんな正道くんもいまや住職ですか?

藤山 ずっと副住職だったんですけど、去年(2020年)、住職を任されました。

──正道くんとこのお寺「行信寺」ではイベントもやってるね。

藤山 ボクがベアーズにいた頃、山本さんが新潟のお寺で想い出波止場のライヴやって「すごく良かった」って話を何回も聞いてたんです。「正道くんちのお寺でもライヴやったら」って勧められて。それをきっかけにいつかやりたいなと思ってたんです。[お寺×音楽×説法]をコンセプトにして、2008年に(二階堂)和美ちゃんとボギーを迎えてやり始めたのが『エンとエン』ってイベント。

第2回(2009年10月)には、山本さん、三沢(洋紀)さん、池永(正二)くんを迎えて…ベアーズ同窓会の顔ぶれでやりました。やってみて驚いたんですが、ベアーズの知名度ってすごいんですよ。大牟田みたいな片田舎まで知れ渡ってる。クイックジャパンや関西ゼロ世代の影響もあったんでしょうけど、120人も集まったんですね。うちの本堂って100人も入ればいっぱいなのに。これだけ多くの人が本堂に入ること自体初めてでした。

2009年、「第2回 エンのエン」チラシ。山本精一、三沢洋紀、池永正二の名前が並ぶ。

いまはお寺の事情で休んでますけど、これまで6回やらせてもらいました。お寺を取り巻く環境も一変してますからね。檀家制度も崩壊してて、多くの人がかつてのようにお寺に来なくなってる。お寺は胡散臭いところと敬遠してる人も多い。昔のボクだったら、そういう人たちのことは諦めてしまったと思うんです。けど、視点を変えてみるってことはベアーズで覚えましたからね。

くまさんのデモテープ審査に何度かつき合ったことがあって。デモには何とも形容しがたいバンドがたくさんあったんですけど。1本聴き終わるごとにくまさんはボクに感想を求めてくる。ボクが「いまひとつですね」とか言うと、「そうかぁ? この中域の音はええけどな」「音の方向性はええ」「ベアーズ以外でやったらどうやろ?」とか言いながら何十本も審査してたんです。

いいか、悪いか、好きか、嫌いか…じゃなくて、くまさんのやってたのは、面白いところ、光るところを探し出すって評価方法だった。悪いところを探すのなんて簡単ですからね。そういう視点が、面白いベアーズ…そのものだったんじゃないかな。人の声に耳を傾けて、いいところを探して関係を深めていく。徐々にですけれど、次世代とも繋がりができてきています。

2016年、「第6回 エンのエン」の風景。藤山正道(中央)の右・二階堂和美もまた僧侶である。左は福岡の大スター・ボギー!

 

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*メモ

  • 大検:大学入学資格検定の略。2004年末に廃止され、翌2005年より高等学校卒業程度認定試験に移行。
  • ○か×:1985年、大阪・日本橋にオープンした中古レコード店。その後、2005年、北堀江に引越。店長はエッグプラントのスタッフも務めた吉本昭則。
  • 伽奈泥庵:大阪にチャイ文化を広めた店のひとつ。1966年、南森町にオープン。1980年に谷町8丁目に引越。多くのバンドマン、演劇人らが働いてたことでも知られる。2018年閉店。
  • 藤本恵三:山本精一率いる武士パンク・バンド「赤武士」のvo,g。
  • ボギー:福岡を拠点に、ヨコチンレーベル、ボギー家族、nontroppo、奥村靖幸ほかで活動。本名:奥村英隆。