第1回のインタビューでは、9月に出された『世界の民芸玩具 日本玩具博物館コレクション』(大福書林)について語っていただきました。第2回目は、尾崎織女さんが学芸員としてお勤めの「日本玩具博物館」についてお話をうかがっていきます。もともとは館長の井上重義さんが会社勤めをしながら個人で始めた博物館が、いまでは国内外で評価の高い、世界屈指の玩具博物館に。その魅力はどこにあるのでしょうか。(丸黄うりほ)
日本の近代玩具、郷土玩具、世界のおもちゃを集めて9万点
——『世界の民芸玩具 日本玩具博物館コレクション』で紹介されている玩具や人形は、すべて「日本玩具博物館」の所蔵品ですよね。この博物館には、じつに9万点もの所蔵品があるとうかがいましたが。
尾崎織女さん(以下、尾崎) はい。日本、そして世界160の国や地域の玩具や人形を所蔵しています。展示は常設展と企画・特別展がありまして、常設展の一つ目は、明治、大正、昭和、平成…と、日本の近代玩具を私たちの生活史とともにたどる内容です。二つ目は、近世の終わりに誕生し、祈りや願いがこめられた玩具や人形たち、それらは気候や風土、土地の伝説や産業とも結びついたもので、「郷土玩具」と呼ばれているのですが、それらを都道府県ごとに展示しています。三つ目に、今回、『世界の民芸玩具』でも取り上げた世界の国々のおもちゃを地域ごとにご紹介しています。それから、女性たちが伝えてきた「手まり」や「ちりめん細工」の常設展示室もあります。
——常設展には4つの柱があるんですね。
尾崎 そうですね。それに加えて、桃の節句の雛人形展や、端午の節句の武者人形展、また秋冬の世界のクリスマス展など、毎年恒例の特別展があります。ほかにも世界の動物玩具展や世界の仮面展、世界の乗り物の玩具展など、季節やその時々の社会の出来事などに照らし、さまざまな切り口で企画・特別展を開催していますので、ホームページを参照していただき、ご興味のおありになるテーマに従っておいでいただけたら。コマがお好きな方には、世界のコマ展があるときに、ぜひ。
塚村編集長(以下、塚村) はい、ぜひ(笑)。
尾崎 玩具の素材をテーマに展示することもあるんです。ひょうたんの…(笑)、ひょうたん製や竹製のガラガラやデンデン太鼓、楽器のおもちゃなどを集めた展示があったり……。
——ひょうたん特集! それは必ずうかがいます(笑)。ところで、こちらの博物館の建物は蔵造りですが古いものではなく、新しく建てたものなんですね?
尾崎 はい、もともとあった土蔵ではなくて、井上重義館長が企画を立て、何もないところに新たに建てていった博物館のための施設なんです。土蔵造りを館長が選んだのは、博物館資料の保存に適していることが大きく、近くに姫路城の瓦の製作所があるので、土蔵の壁にその平瓦を使用したかったこと、また時を経るにつれて落ち着きと美しさを増すようにと考えたからだと聞いています。
——いまは土蔵造りの展示棟が1号館から6号館まであるんですね。
尾崎 いま2号館と呼んでいる60平米ほどの小さな展示室から出発しています。そこから、おもちゃが住み処を広げるように展示室を建て増していき、平成元年に6号館ができて、今のようなかたちが完成しました。
1冊の本との出会いがきっかけで、館長が個人ではじめた博物館
——「日本玩具博物館」のユニークさは、もともと井上さんの個人コレクションから始まったというところにもありますね。
尾崎 そうですね。井上重義は今年81歳なんですが、24歳のときに『日本の郷土玩具』(未來社)という本に出合いました。著者は斎藤良輔先生。もともと朝日新聞の記者だった方なんです。この本には、郷土玩具の数々が、どれほど日本の民衆の美意識や造形感覚、子ども観や幸福観を表現しているかということが丁寧に綴られています。本が出版された昭和38年当時、日本は高度経済成長期に当たり、暮らしの近代化が加速し、郷土色が生活道具のなかから失われていく時代にありました。斎藤良輔先生は、私たちがなくしてはいけないものを提示され、その本に感銘を受けた若き日の井上館長は、「誰かがこれらを集めて遺しておかないと気づかれないまま消えてしまう、こんなに素晴らしいものなのに!」という思いから、仕事のかたわら、当時は山陽電鉄という電鉄会社に勤務する会社員だったのですが、休日になると、あちらこちら、郷土玩具の産地へ出かけては古い人形を探し、製作者を取材し、当時作られていたもの、蔵などに遺されていたものなどを収集していかれました。
そんなふうにして、手元に5,000点ほどが集まったとき、「展示館をつくって多くの方々に観ていただき、玩具の文化財としての価値を高めたい」と考え、柳田国男の生家に近いこの地を奥様の実家から借用されて自宅を新築し、その一部に展示室を造られました。それが昭和49年11月10日のことです。最初の2年ほどは土日だけのオープンだったと聞いています。
雑木林を整地して地元の宮大工さんに建ててもらい、館長自身も、会社から帰宅後には展示館の梁を塗ったり、展示ケースの硝子の面取りをしたり…と、内装を手掛けて、「家族にも本当にたくさん助けてもらい、大変だったけれど、夢があったからできたこと」だと聞いています。当時は「井上郷土玩具館」という名前でしたが、サラリーマンが作った博物館として注目を集め、マスコミの方々が頻繁に取材してくださいましたので、見学者がどんどん増えていきました。遠くからいらしてくださった方々にも満足していただきたいという思いで、建て増しを続けていったようです。
塚村 ということは、本当に個人のコレクションですね。私財を投げ打って、という感じだったんですか?
尾崎 そうですね、私がお話しすることではありませんが、井上館長はけっして資産家というわけではなく、姫路市の南部、飾磨という港町の庶民的なお家の出身です。お父さんは鍛冶屋さん。ご自身の作るものに一切の妥協を許さない立派な職人でいらっしゃいました。そうした職人さんの誠実な仕事が日本のモノづくりを支えているのに、当時、社会の表舞台で評価を受けることがほとんどなかった……。お父さんのお仕事を見ながら感じておられたことが、郷土玩具の世界に光を当てていく活動につながったのではないかと感じます。郷土玩具の作者もまた誰に誇るわけでもなく、こつこつと優しいものを作り続けています。そうしたモノづくりの世界を多くの皆さんの手で大事に守ってもらえますように……というのが、日本玩具博物館が出発した時からの基本的な願いです。
私は1990年春に、当館の学芸員として仲間に加わりました。当初は、「え?おもちゃの研究って何するんですか?」っていう言い方もされましたし、展示館にいて、悲しい思いをしたことも少なくありません。私自身が広く深く玩具文化を学び、いつか「玩具は私たちの生活文化を体現し、民族性を表現するものです、玩具は国の成り立ちや歴史だって語れるものです」と展示を通してお伝えし、しっかりと感じていただけるところまで頑張りたい、とそう思いました。今では、国内外の名だたる博物館施設から、生活史資料として、民俗資料として、子育ての資料として、また美術工芸品として玩具展を開催したいと依頼があり、また、さまざまな分野の方々がそれぞれの切り口で、玩具の世界を大切にとらえてくださるところまできましたので、それは本当にありがたく、うれしくことと思っています。
——博物館を井上さんがはじめたのは、『日本の郷土玩具』という本がきっかけ。何かのおもちゃを集め出して、というのではなくて。つまり、こういうものを残していかなければならないという使命感だった。
尾崎 そうですね。物好きな人が、自分の趣味の延長で博物館をつくったと言われがちなんですが……、また、そんなふうなストーリーを求められるんですが、そうではないんです。
塚村 マニア的なものではなくて、マインドが先に立っているっていうことですね。
尾崎 はい。私もそうですが、この博物館を大事にしてきたスタッフたちも、それがたとえば館長が物好きではじめた趣味の一環だったなら一緒にやりたい!と手を挙げなかったと思います。
——だからか、あまり偏りなく、まんべんなく集めてらっしゃる印象があります。マニアによる収集とは色合いが異なりますね。
他国のもの、時代が異なるものにも対峙できる、おもちゃの世界
——「日本玩具博物館」の所蔵品は幅広く、見る側もいろんな楽しみ方ができるなと思うんですけど。学芸員のお立場から、こんなふうに楽しんでみてはというご提案はありますか?
尾崎 玩具の世界には、動物も乗り物も生活道具も楽器も学校も教会も祭礼も人形芝居も……何もかもが小さくなって存在しています。いわば社会の縮図のようなもので、そこからいろんなものが見えてきます。
ですから、個人のご興味によってさまざまなアプローチができると思います。おもちゃを美術工芸的に見る方もあれば、民族色を描きたいとスケッチブックをもって来館される方もあり、歴史資料として見る方もある。子育ての道具として、どのようなおもちゃが子どもに必要なのかを知りたいという若い親世代の方や保育士の方があったり、江戸末期から昭和後期までの玩具の笛の音色をフーリエ解析して、私たちが好む音の性質がどのように変化したかを調査したいと訪ねてこられる音楽学の研究者があったり……。来館される方々のご興味に接する度に、玩具が導き出す物事の広さと深さにあらためて感嘆します。
そして、今、日本には玩具をテーマにした博物館が数々ありますが、当館の特徴は日本と世界の両方を対照してみていただけるところだと思うんですね。たとえば、4号館の1階で日本のこけしをご覧になったら、次に2階に上がっていただいて、世界の玩具のなかから日本のこけしに似たロクロ挽きの木製人形を探すと必ず見つかると思います。ドイツの「ドッケ」と呼ばれる赤ちゃん人形や中国の「棒々人(バンバンレン)」、エストニアにもイタリアにも、またエジプトやスーダンにもよく似た人形があります。そんなふうに世界の玩具のなかに日本と共通するものを探していただくと、同じようなものが世界中で作られてきたという喜びを感じていただけると思いますし、異文化を知ることによって日本文化の性質が照らし出されておもしろいと思います。
日本のけん玉はみなさんよくご存知だと思うんですけど、2号館の近代玩具の展示室でけん玉が明治時代と大正時代で形が変化したことにまずは驚いていただき、4号館1階の郷土玩具の展示室で東北地方のロクロ師が作るけん玉のスタンダードをご覧いただいた後、さらに2階の世界の玩具の展示室では中国、インド、バングラディシュ、イタリア、ドイツ、フランス、イギリス、ロシア、メキシコ、ブラジル、カナダ…それぞれの国や地域でけん玉の形が違うこと、大きく分類すると「カップ&ボール」「ピン&ボール」の2系統があることなどを発見していただけると思います。そして、今、日本で遊ばれているけん玉は、2系統の合体型であることも知っていただけると思います。
——時代の変遷という切り口でも、地域という切り口でも見ていけますね。よく似たものがあり、それが影響によるものなのか同時発生的なものなのか、考えさせられるところもおもしろいですね。
尾崎 たとえばコマは紀元前数千年の古代エジプトや古代ギリシャの遺跡から出土していますし、世界中にさまざまなコマが伝承され、今も遊ばれ続けています。コマがなくても私たちは生きていけると思うんですね。なくても困らない。けれども私たちは何千年もの時をこえてこのコマという玩具を淘汰してこなかったんですね。なぜなのか……。子どもたちがコマを回している時ってリラックスして本当にいい表情をしています。コマを回して遊ぶことにいったいどんな魅力があって私たちはこれを好きなんだろうか。コマの回転にはどんな意味があるのだろうか。玩具を通して、そんな哲学的探求まで楽しんでいただける。膨大な玩具たちの大洪水のような展示館で、心を静かにするのは難しいかもしれませんが、「らんぷの家」の縁側に座って中庭を眺めながら、そんな思索の時を過ごしていただくのもよいのでは思います。
——個人的な感想ですが、展示物の一つ一つに過剰な説明がないのがいいですね。逆にいろんなことを考えさせられる。
尾崎 「世界のクリスマス展」においても、たとえばクッキーのオーナメントの歴史について、説明しようと思うと、小冊子になるくらいの内容があるのですが、ちっちゃなオーナメントに対して説明が長すぎると美観も損ねますし、発見の喜びも削いでしまいますし……。
——だからこそ、じっと見ていたくなるような展示ですね。
尾崎 ありがとうございます。それは、展示品が玩具だからだと思います。他国のもの、自分の知らない時代のものであっても、それが玩具であるというだけで郷愁を覚えるところがありますよね。その郷愁に照らしながら、どんな国のどんな時代のものでも温かい心もちで対峙していただけるような気がしますね。
——この博物館は環境も素敵ですよね、庭があって土蔵造りになっていて。アクセスがすごくいいとは言えないですが、来たら1日楽しめそうです。
尾崎 小さい子たちを連れておいでになったら遊びのコーナーで過ごしていただき、そのそばでお母さんたちはゆっくりと鑑賞していただけると思います。お弁当持参でご来館いただき、「らんぷの家」の縁側に腰掛けてランチをどうぞ。ミュージアムショップで鳥笛を買って吹いていただいたら、中庭へメジロやシジュウカラなどの小鳥たちがやってくると思います。