「日本玩具博物館」3号館に集められているちりめん細工は、日本女性が大切に伝承してきた手芸であり、熱心なファンも多いと聞きました。この博物館では、ちりめん細工の講座やちりめん細工に特化した本の出版も行なわれています。というわけで、第4回のインタビューはちりめん細工に関するエピソードを中心にお話いただきました。また、直近のご著書『世界の民芸玩具 日本玩具博物館コレクション』(大福書林)に掲載しきれなかった、尾崎さんのお気に入り所蔵品についてもお聞きしました。人とモノをつなぐ、書物などのメディアと博物館の関係性とは。(丸黄うりほ)

『裁縫おさいくもの』復刻と、ちりめん細工研究会の発足

——この博物館の展示の中で、3号館に集められているちりめん細工のコーナーには特別なファンが多いそうですね。このコーナーを見るためだけにわざわざ来られる方や、なかにはここを玩具博物館ではなく、「ちりめん細工博物館」だと思い込んでいる方までいらっしゃるというお話も聞きましたが。

日本玩具博物館では、江戸〜明治〜大正時の古作品約800点とのほか、平成のちりめん細工約1000点を収蔵。

常設展「春のちりめん細工」より© Japan Toy Museum, All rights reserved.

3号館常設展示室「江戸文化の薫りを伝えるちりめん細工」より© Japan Toy Museum, All rights reserved.

尾崎織女さん(以下、尾崎) はい、そうなんです。ちりめん細工ファンは熱い方が多いんです! 「ちりめん細工」は、着物用に裁った縮緬(ちりめん)の残り布、その小さな端切れも大切にとっておき、それらを縫い合わせて花や動物や人形などをかたどった袋物をつくる手芸の一分野です。江戸時代後期に上層階級や大都市部の富裕な町家の裁縫文化として起こり、明治時代には女学校の教材としてかたちが整えられました。いまではよく知られるようになった「ちりめん細工」ですが、太平洋戦争後、着物文化の退潮とともにすっかり忘れられていたんです。

――こちらの博物館がちりめん細工に取り組むきっかけは何だったのですか?

尾崎 3号館の常設展でもご紹介している『裁縫おさいくもの』という明治42年刊行の女学校の教科書がきっかけをつくってくれました。

『裁縫おさいくもの』(明治42年刊)と古作品。3号館常設展示室。

『続裁縫おさいくもの』(明治45年刊)© Japan Toy Museum, All rights reserved.

『裁縫おさいくもの』は、細工物の型紙と作り方を解説した教科書で、井上館長が1970年に神戸の古書市で購入したものです。なぜ、この本を求めたのかというと……。郷土人形や玩具を収集していく過程で、明治末期ころのものと思われる「這い子人形袋」や「座り人形袋」などを入手していて、これらはどういういわれのあるものだろうか?と疑問に思われていたそうです。そんなある日、古書市でたまたま『裁縫おさいくもの』を手にとり、ページをめくると、収集品と同じような品々が完成図として掲載されていて、「ああ、こういう世界があったのか!」と合点がいったため、資料として購入したのだと。

それから15年の歳月が流れ、1985年のこと、手まりの展示を観るために高齢のご婦人が来館されました。そのご婦人が『裁縫おさいくもの』を探しておられると聞き、井上館長はそのあまりの熱心さに打たれて本のコピーをさしあげたそうです。『裁縫おさいくもの』は、「……廃物たらんとする残片を以て、有益なる家庭要具を制作せしめんとす」と凡例に書かれていて、用と美を兼ね備えた物づくりの心と技を若い女学生たちに教授しようとしたものです。とても人気があったようで、版を重ね続け、昭和初期ごろまで、日本各地の女学校で使われていたと思われます。それで、その本のなかには全部で約60種類の作り方が型紙つきで掲載されているのですが、ご婦人はそれらを「全部再現してお目にかけたい」とおっしゃったそうです。

塚村編集長(以下、塚村)  とても感激なさったのでしょうね。再現は果たされたのですか?

尾崎 一年後には再現された品々をお持ちくださったそうで、1986年、1号館の春の企画展に「明治のお細工物と郷土雛展」として展示させていただいたのが当館におけるちりめん細工展の始まりでした。その展示が神戸新聞の家庭欄に大きく取り上げられたことで反響を呼び、かつて女学校で細工物を学ばれた思い出をもつご高齢の女性たちには懐かしく、出合ったことのない若い方々には新鮮に映ったようで、みなさん、目を輝かせてご覧になったと聞いています。

作ってみたいと手をあげられる方々の輪が広がって、同じ年、初めてのちりめん細工講習会が実現しました。この講習会から発展した「ちりめん細工研究会」に集う30人ほどのメンバーが中心となって、『裁縫おさいくもの』や『続裁縫おさいくもの』(明治45年刊)、『裁縫おもちゃ集』(大正5年刊)などをもとにして勉強をはじめ、当館が独自に収集する古作品を型おこしして再現していく研究会活動と、ちりめん細工の技を伝承する講習会が続いていきました。

――ちりめん細工復興の取り組みが始まった1980年代後半は、尾崎さんもまだここに来られていない頃ですね。

尾崎 はい、そうです。あ、そうそう、当館に勤め始めたころのことで忘れられない思い出があります。より広くちりめん細工の普及を図りたいとの思いから、井上館長は1991年、『裁縫おさいくもの』の復刻に踏み切ります。それを朝日新聞が取り上げてくださったんですよね。「お細工物のバイブル復刻」というその記事が掲載された朝、出勤しましたら、館長が飛び出してきて「尾崎さん、ここ座って電話をとってください。朝からもう鳴りっぱなしなんですわ!」と。ほんとうに、受話器を置いたらすぐに鳴る……。近畿圏各地からひっきりなしです! トイレにもいけないぐらい (笑) 。大人気アーティストのコンサートを扱うプレイガイドみたいだと思いました。すべてが「お細工物のバイブルを購入したい」という電話だったんです。

塚村 みなさん、そんなにその本がほしかったんですか?

尾崎 本当にびっくりしました。こんなにも多くの人たちがお細工物という手芸分野に関心をもっておられたのか!と。それから一週間ほど経ってやっとその波が収束したと思ったら、今度は読売新聞が復刻についての記事を掲載してくださり、またしても電話が鳴りっぱなしの日々が続きました(笑)。2500部ほどの復刻だったのですが、ほどなくして再版しなくてはならなくなったほどの人気でした。そうやって数週間、電話口で多くの方々の熱い声をお伺いしたことが、以降、当館がちりめん細工の復興活動を進めていく原動力になったと思います。

ちりめん細工の新作品。

再現されたちりめん細工© Japan Toy Museum, All rights reserved.

ちりめん細工のヒットが博物館を経済的にも支えた

尾崎 ちりめん細工が全国的に広がりをみせ始めたとき、これをもっと広く若い世代の方々にも作ってもらえるようにするにはどうしたらいいか、『裁縫おさいくもの』は鯨尺による寸法表記ですし、作り方は文語体で書かれていますし、初心者にはハードルが高すぎる。そこで1992年、当館の研究会の皆さんと一緒に作ったのが、『ちりめん遊び』(井上重義監修/マコー社)っていう本だったんです。それがまた好評を得ました。

それから1994年、NHK出版からのご依頼を受けて、『伝承の布遊び・ちりめん細工』(井上重義監修)を出版し、現在、「すてきにハンドメイド」というタイトルになっている番組の前身「おしゃれ工房」でも繰り返し取り上げていただき、全国に広がりを見せることとなりました。

当たり前のように“ちりめん細工”という言葉を使ってお話ししてきましたが、この言葉は井上館長の造語なんです。江戸時代後期にはじまった細工物ですが、伸縮性のある縮緬(ちりめん)の布が手のひらにのるサイズの細工物には適していて、よく使用されていましたので、縮緬で作るお細工物を略して“ちりめん細工”です。NHK出版の書名になったことが大きかったと思いますが、今ではこの言葉がすっかり定着しましたね。

日本玩具博物館ミュージアムショップの書籍売り場

そうすると次に問題になってくるのが材料です。ちりめん細工の材料には、昔ながらの「二越縮緬」を主に使用しますが、それらは昭和初期には織られなくなっていますので、古布を求めれば絶対量に限りがあり、愛好者が増えれば増えるほど、材料の入手難が進みます。じゃあ、いまの縮緬を使えばいいじゃないかと思われますが、生地がかたく光沢の強い現在の縮緬では、同じ作り手が同じものを作っても、古布のようにはんなりと美しくは仕上がらないんです。古布に人気が集まり、価格が高騰していくと、伝承活動にも支障をきたしますし、どうしよう?と。

それで当館が考えたのが、「丹後にある機屋さんに昔ながらの縮緬を再現してもらったらええんと違う!?」ということでした。言うは易く行うは難し(笑)。館長が機屋さんにお願いにあがりましたが、「いまはそんなことは難しいですね」っていうような回答が多く……。でも、一軒だけ「やりましょう」って言ってくださった方があった。ただ、試験場で古い二越縮緬の織り方についてのデータを出して、その数字通りに手機で織っていただくのですが、なかなか思うような反物が仕上がってこない……。職人さんたちが四季折々の温湿度をみながら、経験によって作り出していた時代の仕事は、数字だけでは表せないものなんですよね。いったん切れた糸を再び結び合わせることって本当に難しいものですね……。

明治〜大正時代の縮緬布© Japan Toy Museum, All rights reserved.

日本玩具博物館発行の「古風江戸縮緬」見本帳

それでも1年半くらいかけて、やっと満足いくものができあがり、それを京都の染屋さんに一反ずつ型染めをしていただいて、昔ながらの二越縮緬を再現することができました。2002年からは「古風江戸縮緬」として、館内外のちりめん細工講座で使用するほか、通信販売を行っていて、その収入が運営の財源として当館を助けてくれています。 

塚村 そうだったんですね。館長がお金持ちとばかり思っていました。

尾崎 「ええーっ、そんなことないですわ!」と館長が笑うと思います(笑)。「古風江戸縮緬」は当館のミュージアムショップのオリジナル商品です。全国の手芸愛好者の皆さんからご好評をいただくことで何とか……。ちりめん細工の復興活動がいろんな意味でこの館を支えてくれていると思います。

——ベストヒット商品っていう言い方をしてしまうと軽薄ですが、「古風江戸縮緬」がそうなんですね。

尾崎 玩具専門の博物館が「ちりめん細工」というテーマに取り組んでいると聞いて、不思議に思われる方も多くおられると思いますが、忘れられ、評価されてこなかった文化に光を当てるという意味ではよく似ていると思います。それにちりめん細工には、子どものためのお守りや人形、おもちゃなども多く含まれていますので、郷土玩具の世界とも重なります。

——日本玩具博物館からは、井上館長の監修で17種類ものちりめん細工の本を出版されていますね。その始まりに『裁縫おさいくもの』という古書があったわけですね。

塚村 ちりめん細工の好きな方たちにとっては、ここは聖地ですよね。

尾崎 そんなふうに思っていただけるところまで続けることができ、本当によかったと思います。東京や静岡や福岡や鹿児島…と日本各地でちりめん細工の世界を紹介する大掛かりな展覧会を開催してきましたので、その展示をご覧になられた方々が、当館を目指して来館されることも少なくありません。

人形たちが、よく夢に出てくるんです(笑)

——阪神淡路大震災のときの雛人形のエピソードと、ちりめん細工のエピソードは方向性は違いますが、どちらも博物館ならではのいいエピソードですね。

 尾崎 博物館はモノの集う場所ですが、モノの背景には必ず人々の営みがあります。その営みを大切にすくいあげ、モノと今を生きる人、そして未来に生きる人をつないでいくのが博物館にとっての文化活動なのではないかと思います。

日本玩具博物館のはじまりに若き日の井上重義館長と『日本の郷土玩具』という本との出合いがあったとお話ししましたが、ちりめん細工の復興活動のはじまりにも『裁縫おさいくもの』という古書がありました。当館の歩みに「本」が力をあたえてくれたというのはとても素敵なことだとふり返ります。新刊『世界の民芸玩具 日本玩具博物館コレクション』も、未来の活動へのきっかけになればいいなと思っているんですが……。

尾崎織女著『世界の民芸玩具[民衆芸術叢書]–日本玩具博物館コレクション–』2020年(大福書林)大福書林はこちら

——おもちゃは一つ一つが小さいですし、カタログ的な、人と品物との間に入るものが必要なのかもしれないですね。特に紙媒体と相性がいいものなのかもしれない。そういえば、『世界の民芸玩具 日本玩具博物館コレクション』に掲載しきれなかった、尾崎さんのお気に入りの玩具がまだあるそうですね。

尾崎 まだまだありますよ!

——そのなかで、個人的に特に好きなものやエピソードのあるものをいくつか教えてください。

尾崎 はい、ではこちらをぜひ。チリで作られた陶製の人形笛で、1980年代のものです。ちょっと吹いてみますね。

——この笛は、とても低い音ですね。

尾崎 子どもを寝かしつけるときなどに吹くオカリナだとチリの方に伺ったことがあります。やわらかで奥深い音色も好きですし、リャマを抱えている人物の表情がとてもいいですね。じっと見つめていると、見つめ返されるような気がしませんか?  私は初めてこの人形笛を見た時に「きっと友だちになれる」と思いました(笑)。勤め始めたころ、この人形笛を収蔵登録するために採寸し、スケッチしたのですが、その夜、夢をみました。リャマを抱えている人物がその手を離し、すっくと立ち上がって私を追いかけてきたんですよ! 私の夢の中には、館の人形や玩具がよく出てくるのですが、そのはじまりを告げる夢でした……(笑)。

——それはびっくりしますね!人形たちがよく夢に出てくるっていうのもなんだかすごいです。怖い夢なんですか?

尾崎 怖いという感じはないんです。う~ん、どんな夢かというと、たとえば……きびがら人形に「私はね、チェコじゃなくてスロバキア出身!!」と叱られ、「ごめん、明日、登録をし直すわね」と謝っていたりとか、明治時代の古今雛から「私を檜皮葺きの御殿のなかに飾ってほしい」と訴えられて、「あなたはあまりに大きいから、御殿には住めないでしょ? どれでも好きな雛屏風を選んでいいから、その前に座ってください」とお願いしていたりとか(笑)。

あ、それから、ミャンマーの張り子も、掲載したかった玩具です。バガンやマンダレーの仏教寺院の参道で、紐で吊るして売られています。こちらはシマウマとトラですが、バガンでは今でもいろんな動物の張り子が作られていて、人々は参詣土産に求めていきます。門口に下げておくと魔よけになるとか…。興味深いことにミャンマーの張り子は、日本の張り子と製法がよく似ているんです。その理由として、太平洋戦争中、ミャンマーに日本兵が駐留したとき、駐留兵のなかの張り子師がいて、日本の製法を伝えたという説があります。かつて産地の人たちがそう話していた……と。太平洋戦争中、駐留兵と現地の人たちとの平和的な交流があったんじゃないか。……玩具たちは、そういうことも私たちに語りかけてくれます。

ミャンマーの張り子、トラとシマウマ。

 

*その5は来週公開予定

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