インタビュー第1回では、「コンビニ DJ 」がどのようにして始まったか、続いてきたのかをうかがいました。第2回は「コンビニ DJ 」にもつながる公共空間でのイベントについて。また、いま精力的に関わっている盆踊りについてのお話です。岸野さんと盆踊りとの間に、こんなに長くて地道な知られざる日々があったのか!と、驚くことばかりです。(丸黄うりほ)
居場所を作らなくちゃならない
――岸野さんは、公共施設でのイベントもオーガナイズされていますよね。しかも、東京だけでなく地方でも。「コンビニ DJ」の場であるコンビニも、一種の公共施設と言えるのかもしれませんが。
岸野雄一(以下、岸野) そうですね。スターバックスが、「サードプレイス」なんて言い方していますけど。今、家庭と職場しか居場所がない人が多いから、第3の居場所、「サードプレイス」を作るのだと言っています。ということなんですが、スタバはその役割を果たしているのかな?とちょっと思いますけど(笑)。
そういう意味でいうと、半分公共施設化している場所というのはありますよね。たとえば銭湯。あとは床屋談義というくらいで、そこで世間話をする。井戸端でする井戸端会議。馴染みの商店だって、店主との立ち話で、様々な情報が受け取れるし、近況を伝え合うだけでもかなりの精神的な憂さ晴らしになる。今ネットでなんでも通販できますが、そのことによって地元の商店が失われつつあり、近所の公共性みたいなものが消滅しつつある。そういう、これは公共の場所ですよと明示されているわけではないんですけど、公共性をまとっている場所というのが、どんどん少なくなってきている気がするんですね。コンビニやゲームセンターの駐車場や駐輪場に、最近は張り紙で「たむろ禁止、通報します」みたいなこと書かれているんですけど、それ書いた人は、おそらく幼少期には土管が積まれた空き地で遊んでいたはずなんですよね。
居場所がなくなってしまうということで、昨今、いろんな人が精神的に追い詰められているような感じがします。それが本当に顕在化してしまうのが、銃乱射事件とか、ガソリンをまくとか……、そういう不条理なことが起こっていますが、それはその人の居場所がないからという気がするんですよね。今後、こうした事件は減る気がしない。減る理由が思い当たらない。
――居場所をつくる。
岸野 本来は公共施設みたいなものがそれを担うべきなんですが。図書館であるとか。公民館だとか。まあ、たくさんありますよね、ハコモノ的な、市民のために作られたと思われているもの。それが、ちゃんと機能を果たしているかというと、どうかな、と疑問をもつことが多いですね。もちろん山口のYCAMや長崎のチトセピアなど、頑張っているところもあります。でも、例えば、指定管理制度で大手ががっつりやっちゃうと、本部に聞かないとわかりません、みたいな対応になってしまいがちです。だから、近隣の市民が、自分たちで動かしていくしかないという気がしていて。それで近年力を入れているのが、コンビニや銭湯、地下鉄構内など半分公共の施設を使っての DJ 活動なんですよね。
子どもの時から盆踊りが大好きだった
岸野 そこからさらに広がって、近年の盆踊りのアップデートに至るわけですが。というのも、これは本当に公共の場所を使った、日本古来のダンスイベントですからね、。
――とはいうものの、盆踊りって、結構、決まりごとが多いんじゃないですか?
岸野 はい。決まりごとが多いというよりも、誰もそれを変えたくないんですよね。変える手間をかけたくないんでしょうね。
その変える手間を惜しんでしまったために、形骸化してしまい、人が来なくなってしまったということでしょう。それでありながら、なんで人が来なくなってしまったのだろう?って言うのは、ちょっとおかしいと思うんです。そこをアップデートして、人が来たくなるようにしなきゃいけなかったのに、怠ってしまったということだと思うんですよね。もちろん伝統の継承は大事ですから、そこはきちんとしなければならない。要はバランスを取ることに考えが及ばなかったということだと思うんです。
――盆踊りをなんとかしたいと思って、岸野さんがそこに入っていかれたきっかけは何だったんですか?
岸野 あ、それは子どもの時から盆踊りが好きだったんですよ。近所の盆踊りは自転車で全部回って、どの曲がかかったかというのをノートにつけて、回る順番を地図を作って考えたり。
――それはどういうこと?近所にいっぱい盆踊りがあったんですか?
岸野 はい。墨田区(東京都)はすごいですよ。牛嶋神社のお祭りが9月第2週にあるんですね。墨田区の中心部って碁盤の目みたいになっているんですよ、京都みたいに。で、そこで30以上の盆踊りを、各町会で同時にやるんです。距離としては2キロ四方くらい。なので、隣の隣の辻くらいのところにもう次の櫓が立っていて、向こうから音が漏れ聞こえるみたいな感じですね。一曲踊って走って次の会場に行ける。
――あっちこっちで同時にやっているんですか?
岸野 そうです、同時に。墨田区の三分の一くらいの地域が、牛嶋神社の氏子なんですよ。村の鎮守ではなくて、広い範囲の総鎮守というわけですね。だから、あちこち町中でやるわけですよ。
――それを町会ごとにやるのですね。
岸野 なぜそのようなことが起こるかというと、各町会長のメンツもあると思います。うちはうちでやるってことです。
――それぞれの縄張りみたいな、それぞれのやり方がある。
岸野 そう、頑固なんでしょうね。たとえば、日本橋(中央区)だと町会が68あって。お江戸日本橋というくらいで、八代目若旦那みたいな方たちが、それぞれのメンツがあって、やはり盆踊りは町会ごとにやるんです。でも、最後の8月末に浜町公園っていうところで、“ベスト盤”みたいに各町会から選り抜きの曲がかかるみたいな総盆踊り大会をやるんですよ。でも、墨田区のほうではそれはやっていない。大きな盆踊りを一発やってほしいんですけどね。
――東京にはいろいろ盆踊りがあるんですね。ところで、子どもの頃ノートにつけてた曲ってどんなのですか?
岸野 普通に「東京音頭」とか「炭坑節」とか。でも、たまにここは「鞠と殿様」がかかるということがわかる。そうしたら「鞠と殿様」が踊れるようにその時間帯には行かなくちゃ、自転車で。
――その振り付けはどこも同じなんですか?
岸野 いや、町会が違うだけで振り付けが変わったりします。ちなみに最近関わっている高円寺なんかは「北海盆唄」を踊るときに最初は「こう」なんですよね。だけど本場の札幌に行ったら「こう」なんですよね。
――振り付けが左右逆なんですね。
岸野 やっぱり土地によって違うんだなというのはありますね。墨田区内でも若干違いがあるんですよ。そういうのを調べたりしていました。
40年かかっても動かなかった山が動いた
岸野 盆踊りに行くと僕は、「こういう曲はかけないんですか?」って、昔からずっと言ってきたんです。
――子どものときから?
岸野 子どもの頃からそう思ってきたけど、提言したのは成人していくにしたがって、18歳くらいからですね。「最近、全然新しい曲かからないじゃないですか」みたいなことをね。少なくともクレイジーキャッツの「スーダラ節」とか「ドント節」とか。「○○節ってついてんだから、それで盆踊りしたら楽しいじゃないですか」みたいなことを言ってたんですけどね、全く聞き入れられないわけですよ。婦人部のおばちゃんたちが、「誰がその踊りを考えるのよ?」とか、「誰が教えるのよ?」とか言ってね。盆踊りの練習会とかに出て、そういうことを言ったりしてもですね、なかなか難しいんですね。なので、こちらもだんだんと知恵をつけまして、スーパーのチラシを普段からチェックして「あのスーパーは0のつく日は玉子が100円だよ」とか、情報をおばちゃんに流して(笑)、仲良くなって、そういう盆踊りをやってもらおうということをやっていたんですけどね、それでもなかなか動かない。
結局、40年かけても何も動かなかった。町会はまったく動かなかったんです。ところがね、一回やったら、そのあとストンとできるようになった。
――40年かかってもまったく動かなかったのに、それが動いたきっかけってなんだったんですか?
岸野 それが「コンビニ DJ 」なんですよ。
――えっ!
岸野 「コンビニ DJ 」の現地に近い都内某所の町会で、日曜日に盆踊りをやることになっているんですが、じつは前日の土曜日から櫓を組んでいるんですね。で、土曜日に何もしないのはもったいないということになって。コンビニでドンチャカやっている連中に何かさせたらどうかっていう話が出たんですよ。
――向こうから?
岸野 そうです。40年どうやっても動かなかった山が動いた。向こうから。
――なんと向こうから動いた。すごいことですね、それは。
岸野 それもね、僕ら普段からコンビニの店先で店長とかと「本当は自分は新しいスタイルの盆踊りをやりたいんだけど、なかなかできないんだよね」っていうような話をしたことがあったんですよ。で、店長は「櫓で何かやらないかっていう話きてたけど、岸野さんそういうの好きでしょう?」 って。「なんかやんない?」 って聞かれたんですよね。そしたらもう、「やります!やります!」ってことで。あとは、コンビニDJで手伝ってくれていた近所の方たちの協力があったことが大きいですね。自分一人ではとても出来なかった。彼らが手伝ってくれたおかげで実現できたようなものです。
――種まきはしてあった。
岸野 そう。何十年も種まいてきたんですよね。遡れば、高校生の頃に大瀧詠一さんが音頭もののレコード出したりしてましたよね。日本のリズムに彼が注目した時です。で、「ナイアガラ音頭」を町会長に聞かせたりして、音頭ですからこれやりましょうよって。それでもダメだったんですよね。今は「ナイアガラ音頭」がかかる盆踊り会場もありますけどね。
“ハウスに合わせて盆踊り”が自然発生した!
岸野 それでね、「やってみないか」と言われたときに気をつけたのは。
――はい。
岸野 自分の知り合いの DJをいくらでも呼べるんですよ、そこで。ガンガン洋楽とか、普通にハウスとか、ニューウェーブのイベントとか、ダンスのイベントもできたんですよ、4時間くらいもらったんで。だけども、普通の盆踊りのイベントをやりましょうって。
それで3時間は普通の盆踊りと、「日本橋美人音頭」っていうのがあるんですね。その踊り方をみんなで覚えましょうっていうレクチャーをやったんですよ。その曲は次の日の日曜日にもかかるので、振り付けを覚えて日曜日も来ましょうね、っていうことをやって。
そのうえで1時間だけ、自分たちのやりたい音楽でDJをやったんですよね。
――1時間だけですか。
岸野 というのも、やっぱり、おじいちゃんやおばあちゃんが来て「今年から若者たちが変なこと始めたわね」みたいになるのが一番嫌だったんですね。普通の盆踊りをやっている中に新しいことをちょっとでも入れられさえすれば僕は満足だったので。
で、その1時間の中に友達の DJ ムードマンの、普通のハウスとかをかける DJ を入れたんですね。そしたら、ハウスの曲にあわせて、さっき覚えた「日本橋美人音頭」の振り付けでみんな踊り出したんですよ。
――なんと。
岸野 それ、まったく狙ってなかったんですけど、自然発生したんですよ。あ、これいけるんだと思って。みんな盆踊りを踊りたかったんだ、と。そのとき歴史が動いた(笑)。