子どもの頃から盆踊りが大好き。大好きであるがゆえに、盆踊りをもっと老若男女が楽しめるものにできないかとずっと考えていたという岸野さん。40年間、どのようにアプローチしても変わらなかった盆踊り界隈が動いたのは、なんと「コンビニ DJ」がきっかけだったといいます。そして、一度動きだすとその流れは、東京から札幌に、金沢に、長崎に、ミラノに……と、どんどん広がっていくことになりました。(丸黄うりほ)

高円寺から地方へ。盆踊りが変わり始めた

――ハウスのビートに合わせて、覚えたての盆踊りの振り付けでみんなが踊り出した。しかも自然発生的に。すごい瞬間ですよね。

岸野雄一以下、岸野  ちょっと感動しましたね。自分の意志を超えたものがあって。

――踊ってくださったのはどんな方たちだったんですか?

岸野 近所の人たちですね。ほとんどが普通の盆踊りだと思って来た人たちでした。それと、岸野が何か面白いことするらしいぞ、と普段僕のDJとかライブに来てくれていた人もいたと思うんですよ。そのなかに、高円寺の八幡神社の禰宜さんがいたんです。
話をうかがってみると「うちの神社も盆踊りをやっているんだけど、最近は形骸化して来る人が少ない。何か参考になるかと思って来てみたらとても良かったので、こういうのをうちの神社でもやってくれないか」となった。で、「2週間後なんです」と言われて。

――えー!来年お願いしますとかじゃなかったんですね。

岸野 「とにかく出来る限りのことをします」と言いました。
それで、高円寺の八幡神社の盆踊りは2日間あるんですけど、そのうち1日を僕の担当にしました。当然、昔からやっている盆踊りも残して、町内会のマダムたちが普通に踊る感じですよ。それもありつつ、和モノの DJ を入れたりとか、テニスコーツのライブを入れたりとかをやったんです。そして、その動画をきちんと残して、ネットで公開したということなんです。(「大和町八幡神社 大盆踊り会2019」はこちら

ま、そしたら。いろんなところから声がかかるようになった。札幌の大通公園、今年はオリンピックのマラソンコースにもなるテレビ塔があるメインの大通りなんですが、そこで「北海盆踊り」という何十年もやっているところでも、「 DJ 盆踊りの時間を作りたいのでやってください」ということになった。

――札幌は今年(2019年)ですか?

岸野 2019年に2回目をやりました。最初に札幌でやったのは2017年で、札幌芸術祭が力を貸してくれました。

それから、金沢でもやりました。シャッター商店街化していたのを活性化したいということで。石引商店街、下馬地蔵というところで、「石引ゲバゲバ盆踊り」というのをやったんですね。

――ふざけている名前じゃないんですね、ゲバゲバという名前は。

岸野 はい、下馬地蔵からきています。そこにはかつて石引音頭っていうのもあったんで、復活させて、みんなで踊りました。(「石引ゲバゲバ祭り2019」はこちら

 

 

 

 

 

 

 

あとは、長崎県の島原ですね。そこの子たちが面白がってくれて。高円寺でやっていた映像を見たり、自分のインタビューも読んでくれたりして。自分たちのところのお祭りも人が少なくなっちゃったから面白いものにしたいってことで。そこの「島原大半島祭」にも呼ばれるようになって2年目でしたね。年間を通して「こんなアイデア思いついたんですけど、どうですか?」とか、「地元のこんな踊りを見つけました」とか、いろいろやり取りして、お互いに成長してきた感じですね。ハワイアンのグループがあったのでその方たちもお呼びました、ひょっとこ踊りの方々にも出てもらうことにしましたとか。今年は本当に年齢層も幅広くなったし、老若男女みんな踊れるようになってきてますね。(「島原大半島祭2019」はこちら

――高円寺からはじまって、札幌、金沢、長崎と。岸野さんの盆踊りプロデュースは日本中あちこちに広がりました。

岸野 そうですね。あとは佐世保、名古屋城公園でもやりましたね。

ミラノの盆踊りは勘違いから

――今年(2019年)イタリアのミラノでも盆踊りのイベントをされたと聞きました。

岸野 ミラノにガーデニングの学校があって、そこに盆栽のコースがあるんです。盆栽は、スピリチュアルでアンビエントなヨーロッパの人たちに非常に人気があるらしくて。彼らは盆栽と盆踊りが関係のあるものだと思っていたみたいですね。

――「盆」という字が同じですもんね。

岸野 お盆の時期にご先祖さまを供養するために行ったのが盆踊りの起源ですから、その意味で盆という字をあてているんですが、海外の人は漢字というのはひとつの意味があって、その意味が共通すれば同じものであろうという認識だったんですね。盆踊りと盆栽は同じ哲学に基づくものであろうという、オリエンタルの文化に対する認識のズレがあったわけです。
で、その認識の違いは説明したんですよね。同じ漢字は使われているが由来は違うと。だけどいろんな説明をしている間に僕も面白くなってきたから(笑)、乗りかかった舟だし、やりたいですと。で、呼ばれたというわけですよね。

――イタリアの人たちはどんな曲で盆踊りをしたんですか?

岸野 彼らは普通に日本のトラディショナルなものが好きですから。浴衣や着物を着て写真を撮ってインスタに載せたいわけですよね。ですので、最も覚えやすい「北海盆唄」と「炭坑節」の踊り方を教えました。それで、一通り踊れるようになりました。今度はその振り付けで、イタリアの曲にあわせて踊るというのをやりました。イタリアの曲でも踊れるっていうことですね。細野晴臣さんのソロアルバムに入っている「フニクリフニクラ」で踊りましたよ、炭坑節の振り付けで。

いろんな曲で盆踊りを踊ろうとしているんですが、たびたび言われるのは、というか思われてしまうのは、“伝統破壊”ということですよね。「東京音頭」や「炭坑節」で踊るのが盆踊りなのだから、それをロックの曲で踊るのは盆踊りではないのではないか、というふうなことを言われるわけなんですが。いやいや。あの、もちろんそうです。「炭坑節」の振り付けは「掘って掘ってまた掘って、担いで担いで」ってことですから、炭鉱に由来する振り付けなんですよね。すべて振り付けに意味があるんですよ。「北海盆唄」は「魚はどこだ、網を仕掛けて大漁だ」っていう動きが全部歌詞に由来しているわけです。その振り付けをロックに当てても、それはもちろん違うものだということなんですよね。でも、例えばRUN DMCの「It’s Tricky」という曲は、歌詞の中に「罠を仕掛ける」ということが歌われているので、あながち離れてはいないわけです。ほかにも歌詞と振り付けの関係は、意外とこだわりとユーモアを持って選定しています。

地元墨田区の盆踊りをアップグレード

——岸野さんのプロデュースで、2019年の9月に墨田区で開催された「さくらばし輪をどり」についても教えてください。チラシによると、「隅田川に架かる桜橋で繰り広げる、老若男女誰もが楽しめる“古くて新しいかたちの盆踊り”です。よく知られる『東京音頭』や『炭坑節』などを生楽団が演奏し、さまざまな歌い手さんが歌唱」と。
出演された方たちのラインナップも豪華だし、主催はなんと墨田区なんですよね。いきなりこの規模のイベントになるっていう飛躍が驚きです。

岸野 そうなんですよ。生まれ育った地元の墨田区でこれができるようになった。

――30以上もある墨田区の町会の盆踊りが、この「さくらばし輪をどり」になった?というわけではない?

岸野 これ(さくらばし輪をどり)はこれで単独で独自のものです。それまでの僕の活動を知ってくれていた地元の方々からお話をいただいて開催されました。

――子どもの頃から自転車で回っている牛嶋神社の盆踊りとは別、ですね。

岸野 はい、別です。そちらでも今年はうれしいことがありました。いくつもある町会の一つに、自分の音響機器を貸し出すという形で関わりが持てたんですよ。そこは昔ながらのメガホン型のスピーカーを使っていて、音がとても小さかったので、音を良くしましょうよと、僕の持っているスピーカーを貸し出しますよ、設置もやりますからとお願いしたんです。
そこの町会、亀沢4丁目という地区なんですが、小学校にも盆踊りのレクチャーにしに行ったりされてるんですよ。だからか、そこの町会の盆踊りは子どもたちがとにかく元気なんですね。子どもがたくさん来るんです。
まあ、小学校高学年にもなると盆踊りに行かなくなるんですよ。いるのはたいてい低学年の子か、もしくは成人した方で、あとはおじいちゃんおばあちゃんになっちゃうので。ちょうど若者層がね、盆踊りにいないんですね。古いものを押し付けられるのが嫌いなんでしょうね、その年代の子は。気持ちはわかります。
だけど、その町会は若者が元気、子どもが元気で、すごく好きな盆踊り会場の一つだったんですよ。なので、音が残念でもったいないなぁと思って、お手伝いさせてもらいました。

――一歩ずつですね。

岸野 なんというか、人生終わりに近づいてくると焦りが出ると思っていたんですが、あに図らんや、今年できなかったらじゃあ来年やろうとか、今年はここまで進めばいいやみたいな感じで、むしろスローペースに慣れてきましたね。焦りがなくなったというか、それまでの積年の想いから急に進んだので、自分の方がペースを取り戻すのに大変な感じで。でも、本当に一回やってみせないと何も動かないんだという。いくら企画書を書いても説得しても、かつ、お金を積んでもこれはできないでしょうね。とにかく一回やらないと。

――動いたら動き出すんですね。

岸野 前回話したような、墨田区全体の総まとめみたいな盆踊りができたら……生きている間に夢がかなえられればいいなという希望は持っています。

――まさに、ライフワークですね。

岸野 本当にそうですよ。だけど、死ぬまでに自分の地元のお祭りをアップデートして、現代にあったものにしたいという一生の願いが、ある程度かなっていってるので、これは幸福な人生だと言えると思いますね。

(その4に続く)

その1はこちら。
その2はこちら。