チチ松村さんインタビュー「その1」では、90年代フリーペーパー「花形文化通信」に掲載されたチチさんのインタビューや記事をご本人に見ていただきながら、中島らもさんや赤松玉女さんとの交友や、GONTITI 初期の思い出、エピソード、裏話、そして「花形文化通信」や塚村編集長との所縁についても語っていただきました。なんでもないことを何気なく話しているようでいて、「えっ!」「そうだったの!」という驚きがちりばめられた貴重なプレイバック。それは「その2」にも続きます。(丸黄うりほ)

元気のない沼田元氣さんを励ますチチさん?

——その次に、チチさんに「花形文化通信」に出ていたただいたのは、1994年3月の第58号です。これは沼田元氣さんの記事なんですが、なんとチチさんはインタビューされる側ではなくて、する側なんです。

チチ えー?それはどういうことやろ。

——チチさんが沼田さんを励ましてらっしゃるんです。チチさんはちょうどソロアルバムの『ふなのような女』を出されたところ。著書のほうも『私はクラゲになりたい』が出たところで、この本に載ったパラオの海で泳ぐチチさんの写真を撮影したのが沼田元氣さんでした。

チチ ああ、これ東京でやったやつやんね。

塚村 そうです。東京でやったんですが、なんか変やったんですよ。この日ね、インタビューの後だったか前だったか、沼田さんが「僕、これから行きたいところがあるから」って言い出して。私も連れて行かれたんですが、チチさんも行ったんと違うかな?郷土玩具の人が集まっているところに。ほぼおじいさんで、おばあさんもいらっしゃいました。品評会が主でしたが、総会では物故者の報告などもあって、名前があがるたびに、あちこちからため息が……。

チチ 行った。あの人はな、何も言わんと変なところへ連れて行きよる。

塚村 そんな時間ないのに。チチさんが時間ないところを、わざわざスケジュール合わして来たのに。チチさんって優しいから、「ほな行こか」ってなったんです。

チチ あのね、沼田元氣さんも、ゴンザレス三上さんも一人っ子で、一人っ子独特の性格やと思うんです。僕ね、そういう人に好かれるんですね。なんやろ、人のわがままをすごく聞くのかもしれん。

——受けとめてあげるタイプ。

塚村 この記事にも「このところ元気がない沼田元氣さん」って書いてあって、一体何があったんやろ?と思います。

チチ 沼田さんとの出会いから話すと、あるときGONTITI のコンサートに来てくれはったんです。で、「え、あの人が盆栽小僧の? 変わりもんやー」みたいな。僕はわりと変わった人に興味があったんで、そっから近づいていった。でも、まあ結局は気が合ったんでしょうね。沼田さんはすごいこだわりの人で、ちょっとでも自分の思い通りにいかへんかったらダメなタイプ。僕は、沼田さんの話を聞きながら、まあまあ言いたいことも言えるという、すごくいい感じの付き合い方でした。

塚村 あ、思い出したんですけど、この記事、今は亡き都家歌六師匠(「花形文化通信」No.58/1994年3月号参照)がらみで東京に行ったときのかな。

——日本のこぎり音楽協会の?

チチ そうや。日本のこぎり音楽協会に沼田元氣さんも入ってたからね。歌六師匠のインタビューのときも、沼田さん横におったかもしれんよ。

塚村 いてはったかもしれん。その流れで、お気軽にチチさんと対談できると踏んだのだと思う。で、ほぼおじいさんの郷土玩具の集まりに連れて行かれた。なにやってんやろ(笑)。

チチ そりゃ、沼田さんにはものすごいところに連れて行かれるよ。で、いまは鎌倉でこけしとマトリョーシカの店やってるじゃないですか。

——「コケーシカ」ですね。

チチ 別の時にも、僕が沼田さんと会った時にね、「今日これから行かないとならない」って言うねん。で、連れて行かれたんが、おばあちゃんがやっているこけしの家。普通の家でこけし売ってました。そこで僕も買いましたよ、こけし。

塚村 沼田さん、自分のスケジュールは曲げはらへんのです。

チチ その頃からこけしなんですよね。今やこけしの店もやってるし、「こけし時代」っていう本も出してるし。本当にすごいね。

のこぎり、テルミン。天国と地獄を駆け抜けるような楽器が大好き

——こうやってお話を聞いていると、チチさんと「花形文化通信」の関わりって、どんどんつながって出てきますね。

チチ のこぎりもですが、テルミンも「はなぶん」ですもんね。

——「短冊」の児嶋佐織さんのテルミンとの出会いのお話のなかでも(短冊インタビューその1/2)、もとをたどっていけば「花形文化通信」が出てきて、さらにはチチさんにたどりついたんです。

塚村 テルミンはですね。私はギャラリー VIEWで、田仲容子さんの絵を見たんです。箱からアンテナが出ている絵でした。藤本由紀夫さんも来ていて、その絵をみて「テルミンはアンテナが2本。田仲さん、ちょっと調べたらわかるのに、調べずに描くから間違ってる」って。

——テルミンがまだ一般に知られていない頃ですね。

塚村 テルミンなんてウソやと思っていたんです。チチさんに夢みたいな話を聞いて、田仲さんがそれを想像して描いたと思っていたら、電子音楽に詳しい藤本さんが具体的な話をするので、夢じゃなくて本当にあるのか、と。

田仲容子《Voice of Theremin–Pool–》1993年(嶽本野ばら「カルプス・アルピス」小学館/2003年の扉絵より)

チチ 僕は東京の GONTITIハウス……東京にいるときにいつも泊まる家でね、深夜にテレビを見てたんです。そしたら、クララ・ロックモアさんがテルミンを演奏しているのが映ったんです。え ? と思ったんですよ。さわらずに音が出る楽器。それで、クララさんの顔がものすごく真面目でインパクトがすごかった。ミヤコ蝶々さんかと思った(笑)。ミヤコ蝶々さんが、触れずに音の出る楽器を演奏している。それでもう、この楽器すごいなと思った。

——それはいつ頃ですか?

チチ 1992年か93年だと思います。それで、テルミンのことをいろいろと調べていった。いちばん面白いのがね、日本のこぎり音楽協会の集まりが東京であったときに、初めて見かける男の人が来た。その人に、「のこぎりやっているんですか?」ってきいたら、「いや。テルミンをやっているんです」って。それが、竹内正実さんやった。

——竹内正実さん!

チチ 竹内さんはロシアへ単身行って、リディア・カヴィナさんに師事してテルミンを学んだと。そんな人がおるんやな、すごいなと思った。それから、竹内さんは、「テルミンとのこぎりに通じるものを感じた」と言うんですよね。僕も、ポルタメントという、切れないでつながっていく音というのに、すごい弱いんですよ。ぐぅぅぅーんとフレットなしで上がっていったり、下がっていったりする。上がっていくときは天国に連れて行ってくれるのに、下がっていくときは地獄に連れていく。天国と地獄を駆け抜けるような楽器が大好きなんですよ。テルミンもそうでしょ、ペダルスティールっていうのも、のこぎりもそうでしょ。そういうのに弱いから、のこぎりとテルミンっていうのはアナログと電子楽器の違いはあるけど共通するものがあると思っていたら、やっぱりテルミン奏者の竹内さんものこぎり音楽の集まりに来た。同じものを感じられたんですね。

塚村 その後、ポルタメントのイベントをチチさんが企画されて、竹内さんも出演されました。

チチ そういう楽器ばかりを集めたイベントですね。のこぎり、テルミンのほかに、ペダルスティールギターの駒沢裕城さんにも出ていただきました。東京でもやったし、大阪でもやりましたよ。そのときに、高田渡さんが見に来はったんですよ。それでね、「マンドリンでもできるよ」って言わはった。「自分はアルコール中毒で手震えているからビブラートできるよ」って。のこぎりは足を震わせながら演奏するんですが、「ビブラートならおれも得意だ!」って(笑)。めちゃくちゃ面白かったな。

——そんなイベントがあったんですね。聞きたかったなぁ。チチさんならではの企画、目の付け所ですよね。高田渡さんも来られたくらいだから、ミュージシャン、演奏家にはとくにヒットする企画だったのでしょうね。

チチ ポルタメントに焦点を当てた企画なんてそんなにないですからね。

塚村 のちに、ワークルームでテルミンの教室をすることになったんですが、そのときにもチチさんは「テルミンのことなら協力するよ」って言うてくれはった。

チチ 僕ね、「フレンズ オブ テルミン」の会員証1番もらってるんですよね。

塚村 「フレンズ オブ テルミン」の主宰は竹内さんだったんですが、繁昌花形本舗(現・ワークルーム)はその事務局をやっていたんです。ほそぼそと今もやってます。

チチ ほんとに、ものすご関わりが強いよね。

——7月の「花形文化通信ウェブ版 復活の集い」にチチさんに出演していただけたというのは、やはり太いつながりがあってのことだと改めて思います。

塚村 お世話になっています。

チチ ははは。そんなに世話はしてないけどね。

 

※その3に続く。こちらから
※前回その1のインタビューはこちら