今西紅雪——日本の伝統楽器、箏のフィールドを新しい解釈で広げつつある「キテレツ箏奏者」。児嶋佐織 ——世界最古の電子楽器、テルミンを華麗に弾きこなす「蠱惑のテルミン女王」。

短冊はそんな二人がタッグを組んだユニット。あるようでなかった新鮮な組み合わせで、音楽の自由と可能性を感じさせてくれる演奏がじわじわと注目を集めています。7月6日の『花形文化通信 ウェブ復刊記念の集い』にも出演が決まった短冊に、たっぷりお話をききました。(丸黄うりほ)

自然発生的に、短冊と名乗るようになった

——短冊は、テルミンの児嶋佐織さんと、箏の今西紅雪さんによるデュオ。どんな音楽を聴かせてくれるのかというと、ちょっと説明しにくいですね。

児嶋佐織(以下、児嶋) 世界最古の電子楽器であるテルミンと、日本の伝統楽器である箏による幽玄なデュオ。音楽的には何でもありで、どちらかというとアンビエントかな。「和アンビエント」とか言ったりしますけど。

今西紅雪(以下、紅雪) アンビエントかと思っていると結構激しくやったりもするし、基本的には即興ですね。最初はユニットという感覚もなく、完全に即興でやっていて、その中から次第に曲ができてきた。

児嶋 私たちを引き合わしてくれたのは、茶音女(ちゃおんな)さんっていう紅茶のアーティストなんです。茶音女さんは、大阪・中崎町にある、日替わり店主が運営する「コモンカフェ」で紅茶のお店をされているのですが、別の曜日にマクロビのカフェをしていた人と4人で、紅茶とフードと音楽のイベントをやったのが最初の出会いです。「冬の星」というタイトルで、毎年クリスマスにやっていて。3年目くらいに短冊というユニット名になりました。なぜ短冊かというと、お客様に短冊に願い事を書いてもらって、その短冊をいっぱい吊るしてやったんです。

——短冊を吊るして?  どこに?

児嶋 衣服に安全ピンでとめて。それを一つずつちぎって読み上げていく。たとえば「東京の隣が大阪になりますように」って書いてあったら、「がんばってください」って言うだけっていう。(笑)

紅雪 まじめな願い事というよりは川柳みたいな感じ。お客さんも気合い入れておもしろく書いてくれるんですよ。

児嶋 それでまあ、自然発生的に短冊って名乗るようになりました。「冬の星」がはじまったのが2009年で、今年で10年目です。

テルミンも箏も「黒鍵と白鍵の間の音」が演奏できる

——短冊というから七夕の頃に始まったのかと思っていましたが、クリスマスだったんですね。

児嶋 クリスマス音楽の「星に願いを」を私がテルミンで演奏しているときに、箏で「たなばたさま」をかぶせて二重にして演奏する。

——リミックスですね!

——(塚村:写真撮影) そういえば、グレゴリオ聖歌と箏「六段」の演奏を重ねているのを聴いたことがあるけど、すごかった。ぴったりあって、ずれない。

紅雪 お琴とテルミンってそのへんどっちも適当にあわせられるのが共通点で。ピアノのように調律が決まっている楽器ではないので自由に音を作れる。たとえば、お箏は自分の声の音程にあわせて昔は調子を作っていたんです。その調子で私が弾きだしたら、テルミンはぴたっとあわせることもできる。

——万能ですね。

紅雪 万能だけど、お箏は弦が13本しかないので転調は無理。

児嶋 テルミンも基本は単旋律だし、音程を作るのが不安定な楽器で、それぞれちょっと不自由なところがまた面白いな、という。

——デュオとしてはすごくいい。相手にあわせてあげられる楽器ですね。

紅雪 私は4歳からピアノを習っていて、子どものときはピアノのほうが好きだったんですけど、「なんで黒鍵と白鍵の間の音がないんやろ?」と探していたんです。お箏は家にあって、向かいの家のお姉さんが先生を始めたので妹と一緒に習いに行った。それが5年生くらいのとき。後で現代音楽とかクラブミュージックとか聴くようになって、音と音の間の音をお箏のほうが作れるし、無限の可能性があるんじゃないかと思うようになりました。

ロンドン大学の民族音楽学科はものすごい〝るつぼ〟だった

——紅雪さんは子どもの頃から音楽好きで、お稽古がそのまま自分のものになっていったのですか?

紅雪 いいえ。大学では英米文学をやっていて、翻訳家になりたいと思っていました。英語をつかって日本でも仕事をしていたんですけど、会話力が足らないと思ってロンドンに留学した。そこで駐在員の奥さんが引っ越しするからって、タダ同然みたいな値段でお箏を買ったんです。でも、畳も一緒に引き取ってほしいって言われて、畳も引き取って(笑)。最初は語学学校に行ってたんですけど、そこに、日本人ととても親しくて尺八までやっているロンドン大学の先生がいらして。それからロンドン大学に入り直して、民族音楽を勉強するようになったんです。民族音楽学科っていうのは、世界中のいろんな民族楽器を演奏している学生が集まる、ものすごい〝るつぼ〟なところで。「君はお箏が弾けるのか、僕はタブラだ」みたいな。そういう環境で自然にパフォーマンスするようになりました。

——なるほど、素養がロンドンで花開いてしまったんですね。だから紅雪さんは、こんなに自由に活動ができるのでしょうか。邦楽の世界は家元制度があって、師匠の許可がないとイベントに出られないなどの話をきくこともあるのですが。

紅雪 そうですね。私は日本での箏の稽古はもうやめていましたけど、ずっと日本にいたらできてないかもしれません。邦楽器でステージに出るということは、生徒がお金を払って出させていただく立場なので、勝手にやったら先生に怒られることはあったと思う。

ワークルームのイベントがきっかけでテルミン奏者に

——児嶋さんのほうは、どんなきっかけでテルミンを始められたのでしょうか。

児嶋 私も小さい頃からピアノとエレクトーンを習っていて、講師になりました。でも、音大を出ていないというのがずっとコンプレックスで、演奏家としてやっていくのも難しいし、それで悶々としていたんですね。そんなときに新聞で、「テルミンコンサート」って書いてあるのをみつけたんです。テルミンってコンサートできるような楽器やったんかなって思ったんですが、ロシアで修業をして帰ってきた人が神戸のジーベックホールでコンサートをしますって。で、行って度肝を抜かれた。あんな、棒しか出ていないのに演奏している。そのときにサークルで練習会をやっていますというチラシをもらって、参加して、そのまま。まんまと今のように。

——そのときに演奏されていたのは誰でしたか?

児嶋 竹内正実さんと……。

——(塚村) あ、資料探しますね、えと、1998年6月14日ですね。それは小社が(当時の名称は繁昌花形本舗)が企画したイベントですね。メインは竹内正実さん、ピアノ伴奏は吉冨淳子さん。ゲストがチチ松村さんと、ノコギリ奏者のサキタハヂメ(当時は嵜田ハヂメ)さん。竹内さんがロシアでテルミン博士の姪の娘にあたるリディア・カヴィナさんの元で3年半修業して帰国して、「花形文化通信」で紹介したのがきっかけで、しばらく竹内さんのマネージメント事務所のようなことをしたり、テルミン愛好会「フレンズ オブ テルミン」を立ち上げをお手伝いしました。

——児嶋さんがテルミンに目覚めたのは、ワークルームの企画のイベントだったんですね!ワークルームは、テルミンが映画になったり、ブームになったりする以前からがっつり注目していましたもんね。

——(塚村) っていうより、チチさんが早かったというか昔からテルミンについて語ってらっしゃいました。1993年に画家の田仲容子さんがテルミンの絵を何枚か発表して、それはチチさんにそんな楽器があるという話を聞いて描いたと言ってました。話だけで描いてるからアバウトなんです(笑)。チチさんは1997年には、ポルタメントな楽器を集めたソロライブなんかもしてらっしゃいます。ノコギリの都家歌六師匠とか、ペダルスティールギターの駒沢裕城さんとか。チチさんには「フレンズ オブ テルミン」の立ち上げから多大なるご尽力をいただきました。

——そんな流れがあったのですね。チチ松村さんの影響ってはかりしれないですね。

——(塚村)練習会を各地で開催したりしましたが、児嶋さんは圧倒的にうまかった。最初から生徒さんたちの中で飛び抜けていました。

児嶋 テルミンって競技人口が少ないじゃないですか。

——そうですね。

児嶋 私は、ピアノこれ以上うまくなれるような気がしないわと思っているところに、そんなおもちゃが現れたから。最初は趣味として2年くらいやっていました。ワークルームの練習会で竹内さんが教えてくださっていた。それからしばらくして、竹内さんが大阪で他にもテルミン教室を開講します、ってなったんですね。それは、まだ映画『テルミン』の公開の前やったんですけど。ところが、映画が公開されたら爆発的に生徒が増えてしまって。ちょっと、誰か、教えられる人おらへんの?ってなって、カルチャーセンターが講師を探しはじめた。そのときに、私はピアノの先生なので時間の融通もきくし、音楽のことも知ってるから、じゃ児嶋さんお願いってなって。で、教えることになったんですけど、そのときまだ、自分のテルミン持ってなかったんですよ。テルミンはあくまで楽しみとしてやっていて、キットは買ってあったけど組み立ててなかったし。当時ワークルームの教室にきていた人に教えてもらってあわてて組み立てて。それが2000年で、教室を始めることになるんです。で、そこでやっと演奏活動もせなあかんってなった。で、テルミン奏者ですってなったんです。

二人が出会ったのはちょうど10年前、2009年

——意外な感じですが、この時点でまだお二人は出会ってないのですよね。確か、出身は同じ大阪府守口市で、年齢も同じと聞いていますが?

児嶋 同じ市内に住んでいたけどまったく接点がなかったんですね。それぞれ別のルートで知り合いだった茶音女さんが引きあわせてくれるまでは。イベントで、二人の席を隣り合わせにしてくれたりしたんですよ。「二人ともなんだか面白いし会わせたいと思っていたから」と。

——幼なじみとか、小学校が同じとかではないんですね。

児嶋 全然フィールドが違うから。でも、一度会ってからは、私が玲子ちゃん(紅雪さん)の演奏聴きに行ってね、「SOUND QUEST」。

紅雪 「SOUND QUEST」は、私の自主企画。今の時代ならではのお箏の聴かれ方とか、コラボの仕方とか、そういう魅力を引き出したいと思ってはじめた実験的なコンサート企画なんです。立ち上げたのが2009年。「水都大阪」という大きなイベントでやらせてもらったんですが、それを佐織ちゃんが聴きにきてくれたんですよね。

——「冬の星」と同じ年ですか。2009年は短冊にとって重要な年ですね。

紅雪 そう言われるとそうかもしれません。

 

※後半に続く。後半はこちら

短冊の演奏が楽しめる「花形文化通信ウェブ復刊記念の集い」こちら。おまちしております。\7月6日は七夕の前日。なので笹の葉と短冊をご用意します。願い事を書きにきてください/