「八幡浜市立日土小学校」東校舎川側の階段(2025年撮影, 愛媛県)

「八幡浜市立日土小学校の階段」

文・写真 下坂浩和

愛媛県の八幡浜で素晴らしい学校建築を発見した話を、後に保存再生に関わられた京都工芸繊維大学特任教授の花田佳明先生からお聞きしたのは、1994年6月に『建築ジャーナル』誌の取材で初めて訪問された直後のことだったと記憶しています。そして、数カ月後の11月に私もその八幡浜市立日土ひづち小学校を見に行ったのでした。その日は休日で、子どもたちのいない学校は静まりかえっていました。了解をもらって校舎の中を見てまわりましたが、着いたのが午後遅めだったこともあって、1時間ほどの短い滞在だったと思います。

運動場側外観。中央から手前が「中校舎」左奥が「東校舎」(2025年撮影)

日土小学校の東西に長い校舎は2期に分けて建設されて、運動場のある北側から見て右の「中校舎」が1956年に、左の「東校舎」が1958年に竣工しています。設計したのは、八幡浜市役所土木課建築係に勤務していた建築家の松村正恒(1913-1993年)でした。どちらも木造2階建てで、「東校舎」の昇降口を入るとすぐ右手にゆったりした寸法の階段があります。寸法を測ってみると蹴上120ミリ、踏面330ミリで、小学生でも上りやすく、下りやすい寸法です。踊り場で折り返して24段上がると2階の廊下ですが、この部分の階高は約2.9メートルと意図的に低く、廊下から約75センチ上がった教室にはさらに6段の階段を上がって入るつくりになっています。

東校舎昇降口横の階段(1994年撮影)

教室に入ると、南側の窓の下には小川が流れていて、その川の上に跳ね出す鉄骨階段が設けられています。段板は溝蓋に使われるグレーチングのように、スチール製の細い棒が枠に溶接されたもので、おそらく既製品のグレーチングが広く普及する以前だったので、手づくりされたものでしょう。下に川の流れが透けて見えて、子どもでなくてもワクワクします。階段を支える構造体も40ミリ×40ミリのL型アングルに4.5ミリ厚の短冊状のプレートをボルト留めしてつくられたもので、トラス状のささら桁を「く」の字型に組んで安定させて踊り場の柱をなくし、浮遊感のある階段を実現しています。

東校舎川側の階段(1994年撮影)。2009年竣工の改修工事の際に落下防止のための嵩上げ手摺が追加されたが、重要文化財の階段を傷つけないようにバンドで挟んで固定されている。

普通に考えれば、この「く」の字のトラスは真ん中と両側の3本あれば、折り返し階段をつくることができるのですが、ここでは4本設けられているので、中央の2本の間に吹抜け状の隙間があって空間にゆとりが生じています。これは意図してつくられた吹き抜けというよりは、階段の外側のトラス2本を校舎本体の木造の柱の位置と揃えて、構造上無理が生じにくいようにした結果、生まれたものだったのではないか、と私は見ているのですが。折り返しの上下の階段が離れることによって、上り下りする人どうしがお互い向こう側に見える階段になっています。

一見、遊び心で取り付けられた階段のようにも見えるのですが、この階段には大事な役割があります。「東校舎」2階には教室が3つ並んでいるのですが、教室前の廊下は教室部分よりも短くて、東端の教室は手前側にしか扉がありません。教室には避難扉が2つ以上必要ですが、廊下側には1つしか設けられなかったので、反対の川側に屋外階段を設けることで二方向避難の条件を満たしているのです。

この校舎は、戦後の木造モダニズム建築の優れた事例としてその価値が認められ、2008年から翌年にかけて耐震補強などの改修工事が行なわれた後、2012年には国の重要文化財に指定されました。そのような素晴らしい建物なのですが、実は、私が初めて見学した時にはその良さを十分に理解できなかったことを白状しなければなりません。当時の私には、この建物は歴史的建築物ではなく、少し古めの現代建築に見えていて、それにしては、統一感のない建物に思えたのです。しかし、昨年(2025年)、30年ぶりに訪れて、これは現代建築として見てもやはり優れた建築だ、と改めて気がついたのでした。

日土小学校の校舎が2年の間をあけて2期に分けて建てられたことは最初に書きましたが、一気に建てられなかったのは同じ場所に建っていた古い校舎を半分ずつ建て替えたからでした。『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』(花田佳明著、2011年)には、1910年に建てられた木造2階建て校舎の写真が掲載されています。正面性が強く堂々とした風格の校舎で、現在も残っていれば、これはこれで文化財になったのだろうか、と考えさせられる建物です。

「中校舎」と「東校舎」の外観は比較的似通っていますが、平面はかなり異なっています。先にできた「中校舎」の2階は廊下に面して教室が並んでいるのですが、2年後の「東校舎」の2階は先に書いたように教室に上がるための階段を間に入れるために、廊下が教室から約3.2メートル離れたつくりになっていて、その間に光庭が設けられているのです。このように「東校舎」のつくりが複雑なのは、より多くの自然光を取り入れるためだったようです。廊下側の採光条件を良くして、南北両面から効果的に自然光を取り入れ、南向きの窓側と北向きの廊下側に座る子どもたちの環境に大きな差が生じないようにするための配慮で、照明を点灯する時間を短くできる効果もあったと思われます。

東校舎2階廊下から教室への階段(2025年撮影)

日土小学校には工夫を凝らして自然光を取り入れ、風が抜ける隙間空間がいたるところにあることで、他の学校にはない校舎の魅力が生まれています。昨年の見学会で、窓越しに光庭の向こう側を歩く人を見た時に、少し距離を隔てて“見る見られる”関係が生まれる空間の魅力を再認識しました。川に跳ね出した階段やテラスにも同じ効果があります。

今の時代、経済性を重視して外形を単純化し、外壁面積を小さくして費用を抑えることを優先しがちですが、それではこのような空間の豊かさは得られません。日土小学校では廊下を教室より短くしてでも、その分の浮いた費用を光庭や屋外階段にまわしたのでしょう。その結果、学校生活の楽しさが増える建築空間が実現しました。

戦前の古い校舎を建て替える際、敗戦後の新しい社会を担う子どもたちには、地方の山間部であっても新しい学校の教育環境が必要だ、との思いが強くあったのでしょう。「中校舎」には見られなかったさまざまな工夫が「東校舎」に採用されているのは、2棟のデザイン統一をはかることよりも、より良い環境を実現するために2年間に考えたことを実現することの方が、設計した松村にとって重要だったからに違いありません。

全国津々浦々に同じスタイルの鉄筋コンクリート造の小学校が多数つくられるようになる直前に、この場所に木造で建て替えられたのもタイミングが良かったと思われます。一般的な鉄筋コンクリート造では柱や梁の断面寸法が木造と比べると何倍も大きくなってしまうので、日土小学校のように軽快につくることは不可能だからです。初めから計算し尽くして設計された建築ではなく、多少の不整合は少し横に置いてでも、結果的にすべての歯車がうまく噛み合って生まれた魅力が日土小学校にはあるのです。

川側外観。中央から手前が「中校舎」右奥が「東校舎」(2025年撮影)。川に跳ね出す屋外階段は中校舎にもあるが、こちらは単純な折り返し階段で、踊り場が斜めの柱で支えられている。

  • 参考文献:
  • 『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』(花田佳明著、鹿島出版会、2011年)
  • 『日土小学校の保存と再生』(「日土小学校の保存と再生」編纂委員会編著、鹿島出版会、2016年)

(2026年3月25日)

下坂浩和(建築家)  1965年大阪生まれ。主な設計に「稲荷の家」(2014年)、「吉川英治記念館ミュージアムショップ」(2004年)ほか。2024年まで所属した日建設計で担当した主なプロジェクトは「大阪市立東洋陶磁美術館エントランス棟」(2023年)、「W 大阪」(2020年)、「六甲中学校・高等学校本館」(2013年)、「龍谷ミュージアム」(2010年)、「宇治市源氏物語ミュージアム」(1998年)など。

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