テルミン演奏のみならず、作曲も手がけ、オリジナル楽曲を中心としたパフォーマンスをはじめ、アートイルミネーション、アートアニメーションの音楽プロデュースなど、さまざまなアーティストとのコラボレーションを通して活動するヨダタケシさん。子どもの頃から次々と繋がる音楽との出会いについてお話を伺いました。(児嶋佐織)

写真提供:ヨダタケシ
——こどもの頃、音楽好きだなと思ったきっかけってなんでしたか?
ヨダタケシ(以下、ヨダ) 「みんなのうた」ですね。僕がこどもの頃はちょうど、『コンピューターおばあちゃん』とか、テクノポップ全盛期で、面白い音がいっぱい入ったポップな音楽が流れてて。
「ひらけ!ポンキッキ」に『まるさんかくしかく』って宇宙人の歌があるんですけど、moog(シンセサイザー)のピューーンって音が入ってるんです。親に「なんでこの音は宇宙に行くの?」って聞いたりして。
家にはエレクトーンがあって兄が習ってたんですけど、僕が弾きたがるけどまだ早いってんで、おもちゃのピアノを買ってくれました。歌番組が始まると、曲に合わせてそのピアノを叩いてて、お兄ちゃんに「うるさーい」って怒られてるのが録音で残ってます(笑)。
その後、幼稚園の年中くらいで、ヤマハ音楽教室でエレクトーンを習い始めました。当時周りにはエレクトーン習ってる男の子っていなかったんですけど、お稽古ごとブームの世代なので、親もちょっとがんばって兄弟に習わせてくれてました。まあ、兄は早々に辞めちゃったので、そのエレクトーンは僕のものになったんですけど。
——ヤマハだったら、グレード試験ってありましたよね?受けました?
ヨダ あったあった、グレード試験! 僕、即興で弾くのは大好きだったんですが、決まったことを弾くのが苦手で、進みは遅かったです。
周りの女の子たちは中学生で5級(13~6級が学習者グレード、5級から指導者グレードとされていました)取っちゃうのに、僕はなかなか取れなかったですね……。あの「試験用のパターン化された即興演奏」が許せなくて(笑)。
なぜだか当時、隣の家がエレクトーンの販売店で(笑)、中古のHS-8を買ってもらって。それがFM音源を積んでいたので、それを自分好みにエディットするのが楽しかったですね。音色データを保存するRAMパック、まだ持ってます。エレクトーン本体はないのに(笑)。
途中受験で休んだりはしましたが、高校生まで続けていて。ヤマハの先生は後継機種のELシリーズをさかんに薦めてくるんですけど、120万円くらいするんで、いいシンセ何台も買えるよな?とか考えるようになってきて。
——作曲やライブ活動をするようになったのはその頃?
ヨダ そうですね。まずはじめに、安いシーケンサー(Roland MC303)を買いました。
それを手に入れたきっかけは、高校の友人とどうやったらテクノが作れるかなーと模索していて、プレイステーションで打ち込みができるソフトでピコピコ打ち込んだりしてたんですが、思うようにいかなくて。
ある日、学校のテクノ友達と吉祥寺の楽器屋さんに行ったらMC303に出会って、友人が「ヨダが壊れた(笑)」って言うくらい釘付けになったんです。その場でお小遣いはたいて買って、それでエレクトーンを卒業しました(笑)。
それから大学に入ってバイトして、サンプラーを購入して、MC303と組み合わせて作曲して、ライブするようになります。周りの友人は立派なDJセット買ってDJしたりしてたんですが、僕はなぜか超ローファイなやり方で。
——その当時は生楽器の演奏ってしてなかったんですか?
ヨダ やってなかったですね。エレクトーンもそんなに上手くなかったし、なによりリズム感がなくて(笑)。
テクノとの出会いは……。中学生の時は八王子の田舎に住んでて、情報がないので、みんなでX JAPANとかビジュアル系の音楽を聴いてました(笑)。
なんかもうちょっと世界を広げたいな……と思って、当時流行ってた洋楽コンピレーションアルバムとかを聴いてみて、なんだこれは次元が違う……!って驚いて。
世はユーロビート全盛期で、ホイットニー・ヒューストンの曲にもユーロビートのシーケンスが使われてたりして、そういうのが気になってました。
で、高校に入って、同じクラスの隣の席のやつに、「こういうピコピコしたやつもっと聴きたいんだけど」って言ったら「テクノ聴け」って教えてもらって。
その頃テレビの深夜番組でテクノ特集をやってて、Aphex Twinを知って、なんか自分の求めてたテクノとちょっと違うなとは思ったんですけど、とりあえずCD買って。
で、帰ってリビングのステレオでかけたら、1曲目初っ端のノイズでお父さんが「タケシ止めろ、ステレオが壊れた」ってなったりして(笑)。
その後は、知り合った中で、父親がソニーに勤めててサンプル盤をどんどん聴かせてくれるテクノ温泉の源泉のような友人ができたり(笑)、少しずつ世界が広がりましたね。
——テルミンにはいつ頃、どうやって出会いましたか?
ヨダ 小さい頃に持ってた「楽器図鑑」みたいなのに、ドレスを着た女性が優雅に演奏するイラストが載ってて。それはいまもどんなイラストだったかとか、覚えてます。
実際にテルミンの音を聴いたのは、大学の時コーネリアスを観たときですね。ちょっと見た目もレトロで面白いな、と思って。
テルミンも持ってないのに(笑)テルミンを想定して作曲したり、まだ家にあったエレクトーンでテルミン風の音で演奏してみたりもしました。
その後2001年に、映画『テルミン(Theremin: An Electronic Odyssey)』が公開されて、楽器のテルミンそのものもですが、テルミン博士のドキュメンタリーの世界にもめちゃくちゃ憧れて。これは絶対にテルミンを手に入れたい!と思いました。
就職とかいろいろあって、実際に購入できたのは2005年の12月です。クリスマスに届いて、わーいって電源を入れても、音が鳴らなくて。
それでネットでいろいろ調べて、「鳴らない場合は箱を開けて……」って書いてあるんですけど、さすがに得体の知れない楽器をいきなり開けるのはためらって。
で、当時全盛だったmixiのテルミンコミュニティで「イーサウェーブ(テルミン)を購入したのですが音が鳴りません。今から楽器を開けます……!」って書いて、誰かが声かけてくれるのを待ってたんです(笑)。
そしたら、「ちょっと待ってください!部屋を暖めてください!」って書いてくれた人がいたので、ガスストーブを点けました。確かに八王子の冬は寒いですから(笑)。
部屋が温まったら、プーーーーーって音が鳴り響いて。それでありがとうございます、ってその方のページを見にいったら、ロシア研究をされてる方(尾子洋一郎さん)だというのがわかって。早速、ご著書(『テルミン ふしぎな電子楽器の誕生』ユーラシア・ブックレット)を購入しました。
——テルミンの奏法は、どうやって身につけたのですか?
ヨダ ネットで動画を観たいと思っても、家のネットの回線が遅すぎて(笑)。なかなか思うように情報を集められなかったんですが、まだテルミンを持ってなかったときに作った「テルミンのための曲」をテルミンで弾きたい……!と思って。
サンプラーにピアノ伴奏を録音して、それに合わせてなんとかテルミンでメロディを弾いて、大学の先輩に聴いてもらったんです。
そしたら渋い顔で、「……ヨダくんのやりたいことは、なんとなくわかる……。」って言われて(笑)。今思えば、メロディになってなかったんでしょうね(笑)。
それからちょっと音楽に興味を失う期間も数年あったりして、その間テルミンは柔軟剤置き場になったりもしながら(笑)。
数年後に、たまたまカレーを食べに入ったお店で、「きょうはカレーに占いが付いてきます」って言われて。占ってもらったら、「あなた以前音楽をされてました?ぜひ再開するべきです」みたいなことを言われて。
それで真に受けちゃって演奏活動をはじめたりするんですけど、いま考えたら、そのカレー屋さん高円寺のお店だったので……。
——それは高確率で音楽やってるか、やってた人が来そうですよね(笑)。
ヨダ それから少したって、音楽仲間に誘われてテルミンの演奏を聴きに行く機会があったんです。そこで出会った人に「旦那の知り合いのテルミン奏者の人が生徒を募集してるそうなので、よかったら一緒に行ってみませんか?」って声かけられて。それがクリテツさん(あらかじめ決められた恋人たちへ)で。
クリテツさんも奏法は独学なので、教え方も型にはめたりしないのが僕に合ってたと思います。そういえば、クリテツさんのレッスンに児嶋さん(筆者)がゲストで来られたこともありましたね。あの時の児嶋さんの演奏もかなり自由で、驚きましたよ(笑)。
——人前で初めて演奏したのは、どんなきっかけですか?
ヨダ テルミンの演奏を始めて少ししたら、友人のホラーイベントで演奏してみないか、と誘われて。それがテルミン演奏デビューですね。
そのあとは、Instagram経由でアメリカの映画監督から音楽をつけてくれって頼まれたり、
当時住んでた高円寺で、カフェのマスターが「知り合いが会いたいって言ってる」ってんで指示された場所に行ってみたら、その知り合いって人が「僕の知り合いのイギリス人がテルミン奏者を探してるんだ」ってなったり。
あと、近所のジムの帰りにふらっと寄ったギャラリーで偶然、映画界隈の方にお会いしたことがあって。その時、その人にいきなり「サイレント映画に生演奏で伴奏をつけてる友人がいるんだけど、いま渋谷の映画館にいるから一緒に行こう」って連れていかれたんです。
——え、初対面なのに?
ヨダ そう(笑)。そこでピアニストの柳下美恵さんにご挨拶したご縁から、テルミンでアニメーションのキャラクターの声のアフレコに参加したんです。
またそれがきっかけでお会いした、編みメーション(編み物のアニメーション)作家のやたみほさんの『アメチャウ国の王さま』の音楽を担当するご縁になったり。
なんか謎のRPGみたいに繋がっていったりとか、ちょっと不思議なオファーが多いです(笑)。
——ヨダさんの活動はライブ演奏だけでなく、映像や展示の音楽を担当されることも多いですよね。中でも、ホテル雅叙園東京のイベント『和のあかり×百段階段』の音楽は白眉だと思います。
ヨダ 雅叙園のイベントでは、2019年から音楽を担当しています。
『和のあかり展』は、雅叙園の百段階段という文化財を活かした展示企画をやっていて、イルミネーションアートと和の文化を融合させたイベントです。
始めはそこに出展されていた、旧知の砂絵アーティストの映像作品に音楽で参加したのですが、他の展示空間にもオリジナルの音楽を提案しては?という話になって。
張り切って提案書作ってって(笑)、全体の音楽を担当することになったんです。
——会場で聴かせていただいて、テルミンの音が「ここに確かに必要な音」として響いてきて、展示作品がより色彩感を増して、空気が動いているような感覚になりました。
ヨダ サウンドクリエイターとしての自分は、「テルミン奏者だからテルミンを使いたい、使ってる」と思われたくないというか(笑)。あたりまえですが、テルミンの音が欲しいところには使う、という感じですね。
テルミンの演奏については、誰かの影響をうけることは否定しませんが、真似はしたくないなと思っていて。
遠回りしているし、技術的にもまだ自分の理想といえるものではないですが、自分なりに模索していたいんです。
ピッチの正確さにこだわりたくなりますが、そればかりを目指していると、「それだったらシンセでいいじゃん」ってなりますよね……。
テルミン独自のズレとか揺らぎとか、そういうのを大事にしたいです。
——ヨダさんのYouTubeチャンネル(ヨダタケシ Tokyo Theremin Channel)でも、テルミンの音を活かしたさまざまなサウンドが聴けますね。今後のご活躍も期待しています!
ヨダタケシさんオフィシャルサイトはこちら
ヨダタケシさんYouTubeチャンネルはこちら
ヨダタケシさんInstagramはこちら
フレンズ オブ テルミンのインタビュー「テルミンミュージアム」大西ようこさんはこちら