ウサギの出てくる詩

今年は卯年、今月は4月で卯月、そしてウサギが活躍するイースターも4月9日ということで、私の本棚からピョンピョン飛び出してきたうさぎたち、ご紹介いたします。こんなにたくさんいたのと我ながらビックリ。では、ウサギたちの登場です、はじまり、はじまり。

この作業に取り掛かるには、小さいながらとても便利な本があり、そのタイトルもズバリRabbitsと題され、ウサギの詩やウサギにまつわる作品が美しいカラーの絵と共に紹介されていて、シリーズもの、他にヒツジやブタ、フクロウもある(私の手元にはないが、カエル、ウシ、アヒル、ハリネズミも)。

この中から、ウサギの出て来る詩にはどんなものがあるだろう。

まず昔から人々に親しまれてきた伝承歌より——

小さなウサギ 
A little rabbit on a hill
ピョンピョン丘をのぼってはおりた
Was bobbing up and down:
しっぽはふわふわで白く
His tail was soft and white,
長い二つの耳は茶色
His two long ears were brown.
おや、ゴトゴトいう音が聞こえた
But when his heard a roaring noise
お百姓さんの荷物車だ
Made by the farmer’s van,
そこでウサギはちっちゃなヒゲを震わせ
His tiny whiskers trembled
自分の穴にかけてった
And down his hole he ran.

ヘタウマな絵を添えてナンセンスな詩を書くことで知られたエドワード・リアEdward Lear (1812-1888)(「ポエトリーの小窓」その7)の手にかかると——

おじさんつねづね野(の)ウサギさらう
There was an Old Person whose habits
そしてこれをむしゃむしゃ食(く)らう
Induced him to feed upon Rabbits,
あるとき一気(いっき)に十八羽(じゅうはちわ)なり
When he’d eaten eighteen,
これじゃ胃袋(いぶくろ)もうげんなり
He turned perfectly green,
きっぱりやめてすっかり恥(は)じらう
Upon which he relinquished those habits.

                (柳瀬尚紀訳)

これはリマリックlimerickという詩形で書かれていて、全部で5行、1,2,5行目の終わりで一つの韻、そしてまた3,4行目で別の韻を合わすという決まりがある。この訳の見事なところは、日本語でも1,2,5行目の終わりは「らう」、3,4行目は「なり」で韻を踏んでいること。さすがに4行目の言葉通りの意味「緑になる」というおかしさは出せなかったが。

リアとは違った意味で、これまたすっとぼけた、作者不明の詩——

小さなウサギ、おチビちゃんがおりまして、
小さくて大きくはなかったのでありました。
いつも自分の足で歩いていて
食べているときは決してお腹がすいていませんでした。
あるところから逃げた時は
そこにはいませんでした。
走っている時は、聞いたところでは、
老いも若きもじっとはしていませんでした。
猫に教えてもらったわけではないけれど
マウスはネズミとは違うと知っていました。
ある日、確かな話によると、
気まぐれを起こしてめでたく死んだのでありました。
そして、まともな人から聞いたところでは、
それ以来歩き回ってはいないとのことでありました。

こういうバカげたおかしな詩は、上記のリアと同様、原文で読んでこそ。というのも、2行のひとまとめごとに、行末の音が合っていて韻をなし、リズムよく読めるから。

There was a little Rabbit sprig,
Which being little was not big;

He always walked upon his feet,
And never fasted when he eat.

When from a place he did run away,
He never at that place did stay;

And when he ran, as I am told,
He ne’er stood still for young or old

Tho’ ne’er instructed by a cat,
He knew a mouse was not a rat:

One day, as I am certified,
He took a whim and fairly died:

And, as I’m told, by men of sense,
He never has been walking since.

韻を合わせるということはとても大切なので、4行目の最後、過去形なので、“ he ate ” となるのが普通だけれど、前行の最後”feet”と同じ音にするために、普通はあまり使われない “ eat ”(つまり、原形と同型)が使われている。他にも、あまり意味があるようなないような“ for young or old ” も最後の “ old ” を前行の “ told ” と音を合わせるために入っている。ということで、韻を合わすということが、詩を成り立たせるために如何に大切が、逆に再認識される。ということからすれば、訳す際に、リアの柳瀬訳のように、原詩から多少離れても日本語として面白さを追求した方がいいということになる。それで、この詩の面白い日本語訳、挑んでみてはいかがでしょうか。

 

ウサギといえば、ピーター・ラビット

さて、詩から散文に話を移して、ウサギといえば、ピーター・ラビット——もっともこれは散文というより絵本といってもいいかもしれないのだが。ピーターをはじめその仲間たちそのものが銀行の宣伝のキャラクターとして使われ、郵便切手となり、マグカップになり、赤ちゃんのよだれかけになり、作者ベアトリクス・ポター Beatrix Potter(1866-1943)の生涯は映画となり、日本でもこれほど親しまれている外国産のウサギはオランダ発のミッフィーと双璧をなすだろう。

筆者の収集したピーター・ラビットの図書カード、切手の一部。

ということで、ピーター・ラビットだけでも何冊もの本がある。それで、ここでは、先ほどのRabbitの本で取り上げている箇所だけにしておく。

ベンジャミン・ウサギは大人になって、いとこのフロプシーと結婚しました。
2匹は大家族となり、家族全員向こう見ずでいつも上機嫌。
子どもたちそれぞれの名前は覚えていないけれど、
ひとまとめに「フロプシーウサギ」と呼ばれていました。

When Benjamin Bunny grew up, he married his Cousin Flopsy.
They had a large family, and they were very improvident and cheerful.
I do not remember the separate names of their children;
they were generally called the ‘Flopsy Bunnies’.

最初のBenjamin BunnyのBunnyは最後に複数でBunniesとして出てくるが、これは「ウサちゃん」「ピョンちゃん」とでもいうべき言葉で、dog がpuppyパピー、catがpussyプシー、またはハロー・キティで知られるようにkittyキティーとなるのと同じような愛称である。

ところで、名前というのは、意味を持つことも多いので、このたびFlopsyを辞書Readersでひいてみて驚いた——Flopsyの意味はなく、音の面白さがポイントらしいが、Flopsy Bunniesで立派に項目が上がっていて、「フロプシーの子どもたち」としてさらに説明もついていたからである。

 

ウオーターシップ・ダウンのウサギたち

さて、Richard Adams (1933-2016)のWatership Downnのタイトル、ウオーターシップ・ダウンは、現在地の危険を察知したウサギグループが辿り着いた理想の地の名前であるが、作品は数々のウサギたちの群像劇でもあり、神話の世界も含みまた政治的視野も備えた、壮大な英雄ファンタジーである。

臆病ながら予言能力のあるウサギ、力強く皆を率いる賢いリーダーなどそれぞれのウサギの性格の書き分けが見事にできていて、きっとお気に入りが見つかる。私は勇敢だけれど猪突猛進なところもあるビッグウィグが大好きだった。ウィグはかつらのことだが、前髪に特徴があるところからこの名がついたのである。

とにかく血沸き肉躍る作品なので、未読ならぜひ読んでいただきたいが、愛されてアニメ映画も作られたし、もっとこれらのウサギたちについて知りたいという声があったからだろう、続編Tales from Watership Downも出た。これは物語として本編の続きというより、スピンオフを含んで、より内容を濃く深くしたものと言っていいだろう。

作者アダムスの語りのうまさに惹かれて、後の作The Girl in a Swing も読んでみたが、これは全篇ミステリー調で、そういえばウオータシップ・ダウンにもその雰囲気が満ちていて、読者は思わず読み進むのだなと思った。日本でもファンが多いらしく、1975年に神宮輝夫訳(評論社)『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』が出ているが、2006年には新訳が(タイトルの「うさぎ」を「ウサギ」と替えて)発行されている。

出版社のバージョンによっては、巻末付録としてウサギ語の用語集が付けられているが、例えば、下の引用の、Owslaがそれであり、ウサギの群生地には必ずいる、強いとか賢いウサギの群れを指すという。2歳以上、頭(かしら)たるウサギとそのパートナーなどで、他を支配する。彼らは群れによっては、戦士たちだったり、賢い偵察隊や庭の侵入者だったり、時には、話のうまいウサギだったり、予言者とか直観力のあるウサギがその役を担う。

Nearly all the warrens have an Owsla, or a group of strong or clever rabbits - second year or older -surrounding the Chief Rabbit and his doe and exercising authority. Owslas vary. In one warren, the Owsla may be the band of a war-lord: in another, it may consist largely of clever patrollers or garden-raiders. Sometimes a good story-teller may find a place; or a seer, or intuitive rabbit.

 

「不思議の国のアリス」のうさぎ

そして、ルイス・キャロルLewis Carroll (1832-98)の『不思議の国のアリス』Alice’s Adventures in Wonderlandで、ウサギは、アリスを不思議の世界にいざなうトリックスターという重要な役割を担っている。ある日、川辺でお姉さんのそばに座っているのに飽きたアリスの目にピンク色の眼の白ウサギが飛び込んでくる。ウサギが「あれまぁ、こりゃ遅れるぞ」と独り言をいっていたが別にヘンだとは思わなかった。しかし、実際チョッキから時計を取り出しているのを見た時、今までウサギがチョッキを着ているのも時計を持っているのも見たことがなかったとはっと気づき、好奇心に駆られ、ウサギを追いかけ、そのウサギ穴に自分も飛び込む——というのが物語の発端で、このウサギもいろいろに描かれているが、これはかのテニエルSir John Tenniel (1820-1914)のもの。

Alice was beginning to get very tired of sitting by her sister on the bank…when suddenly a White Rabbit with pink eyes ran close by her.

There was nothing so very remarkable in that; nor did Alice think it so very much out of the way to hear the Rabbit say to itself, ‘Oh dear! Oh dear! I shall be too late!’…but when the Rabbit actually took a watch out of its waistcoat-pocket, and looked at it, and then hurried on, Alice started to her feet, for it flashed across her mind that she had never before seen a rabbit with either a waist- coat-pocket or a watch to take out of it, and burning with curiosity, she ran across the field after it, and fortunately was just in time to see it pop down a large rabbit-hole under the hedge.

 

まだまだあるウサギの出てくるお話

以上3作が、最初に挙げた本Rabbitに取り上げられているものだが、他にもまだまだある。くまのプーさんの中にも、忘れがたいウサギが出てくる——その名もRabbit、ウサギ。

ある日プーがウサギ穴にウサギを訪ねると、プーに会いに行ったとの返事。え、それボクですけど、まさか——というおとぼけ会話の後、ギューギューとからだを押し込んでやっとこさっとこウサギの家に入る。そしてプーの大好きなお言葉「何か一口つまむ~?」という誘惑を口にするウサギ。楽しくいただいてさて出ようとするとプーのからだはキチキチで進まない。正面のドアがつまっているのに気づいたウサギは裏口から回って出てみると、顔だけ出したプーと出会う。この状態で1週間絶食し、クリストファー・ロビンはプーに本を読んでやる。その間、ウサギは利用させてもらうねとプーの足を洗濯ものかけとして使うのだが、実際的なウサギらしくておかしい。さて、無事プーは出られたのでしょうか、それは読んでのお楽しみ。

 

次は、本の形で出たのが1922年という古典The Velveteen Rabbitで、作者はマージェリィ・ウィリアムズMargery Williams、いろいろな画家が絵を付けた版が出版されているが、映画やビデオにもなって広く親しまれている。日本では、酒井駒子が絵を付けていて、柔らかな中に凛としたところのある作風が物語にふさわしい(『ビロードのうさぎ』ブロンズ新社)。——男の子がプレゼントにもらったウサギのぬいぐるみが、男の子の病気で臥せっている間に捨て去られたが、やがて本物のウサギになって(それで副題が「おもちゃが本物になる話(How Toys Become Real)」となっている)、男の子と対面する。男の子は似ているなと思うものの、以前のぬいぐるみとは気づかない…

 

アメリカにもウサギの古典的名作がいくつかある。一つは『ウサギどん キツネどん』(岩波少年文庫に所収)[別名『リーマスじいやの物語―アメリカ黒人民話集』(講談社文庫)としても出ている]で、これについては「ポエトリーの小窓」その2ですでに登場している。

第2次世界大戦後の荒廃の中復興を目指す機運の折しも出たのが、ロバート・ローソンRobert Lawson(1892-1957)作Rabbit Hill 『ウサギの丘』田中薫子訳、出版フェリシモ、名作文学シリーズ)。ローソンはすでに『はなのすきなうし』(岩波書店)でコルデコット賞を受賞していたが、この作ではニューベリー賞を受賞して、人々に歓迎されたことが伺える。ローソン自身が力強い絵も描いていて、動物たちが多く登場するのが楽しい。荒れ果てた家と庭のあたりに細々と住んでいる動物たちのところに「新しい人たちが来る」という大ニュースを最初にもたらしたのが、小ウサギのジョージ―で、この時のジョージ―の姿が表紙となっている。動物たちは戦々恐々とするが…

 

ウサギはふわふわでかわいいので、絵本にもとりあげられやすい。ウサギの古典的名作が、数多くの絵本を生んだマーガレット・ワイズ・ブラウンMargaret Wise Brown (1910-52)の文とクレメント・ハードClement Hurd (1908-88)の絵による、The Runaway Bunnyであり、ひもといてみると、これが名作であることが直ちに納得される。

小さなウサギが家出したくなって、母さんウサギにそう告げる。すると母さんは答える、「If you run away, …I will run after you. For you are my little bunny. (家を出るというなら、私はおまえをおっかけるわ、おまえは私の大事な子どもだから)」と。「If you run after me, … I will become a fish in a trout stream and I will swim away from you. (ぼくを追っかけるのというなら、ぼくは鮭の川の魚になって、母さんから泳いで逃げるよ)」と子ウサギ。母さんウサギは応じて「If you become a fish in a trout stream,…I will become a fisherman and I will fish for you.(鮭の川の魚になるというなら、私は魚釣りになっておまえを吊り上げるわ)」。

そう、どんなことがあっても母さんウサギは追っかけるのである。実際に母さんが追っかけるところは見開きの大きなカラー画面になっていて、山に登り、木になり、小ウサギ帆船に吹き付ける風になり、サーカス団にも入り…と大活躍が楽しい。そして最後は…どうなるのでしょう?

何をしていようと、真剣で子ウサギへの愛に満ちた母さんウサギの表情が胸を打つ。言葉としては、この2匹のセリフの中の繰り返しが、この絵本を読む子どもたちにとって心地よい——そうして言葉や表現を覚えていくのである。また、まったくの繰り返しでなく、ところどころで変化を入れているのもニクイ。日本では『ぼくにげちゃうよ』(岩田ミミ訳、ほるぷ出版)として、広く愛されている。

 

これと同じ年1942年に出たのがMarshmallowで、マシュマロは真っ白な小ウサギの名前。灰色のキジネコオリバーOliverが一人静かに機嫌よく住んでいるところに、ウサギがやってくる。先住猫としてはなんかチョイと気に入らなかったが…A bunny’s a delightful habit,/ No home’s complete without a rabbit.(ウサギがいれば楽しい。/ウサギがいてこそ家はまとまる。)

うさぎの白、ネコの黒、そしてニンジン、ウサギの耳と鼻とかが少し淡いオレンジ色が入るだけという、柔らかな質感の絵がほっこりさせる。絵も文もクレア・ターレー・ニューベリー Clare Turlay Newberry の手になり、彼女によれば、「すべての言葉は本当で、このまま我が家で起こったことです」という。この作はコルデコット賞を受賞し、日本語訳は『うさぎのマシュマロ』(劉優貴子訳、講談社。2002年)として出版されている。

この2冊から、しばらくして1958年に出たのがThe Rabbits‘ Wedding で、作者(つまり、文も絵も)ガース・ウィリアムズGarth Williams(1932-96)による。彼は、E.B. ホワイトE.B. White 作 Charlotte’s Web『シャーロットのおくりもの』)、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』シリーズの挿絵でも知られた人である。アメリカでの出版数年後の1965年に、日本では訳者松岡享子が、原題「うさぎのけっこん」では結末が分かってしまうというので『しろいうさぎとくろいうさぎ』というタイトルで福音館から出たが、素っ気ない原題より、ずっとかわいい。この邦題も多くの読者を獲得した一因だろう。

森の中で、二匹のウサギは楽しく暮らしていた。しかし、何だかくろいうさぎは悲しそう…悲しそうなのはいつまでもいっしょにいられるようにと願い事をしていたと知ったしろうさぎはびっくり、彼女にそれをもっと願ってみたらと言われたくろうさぎもびっくり。そして二匹して心を込めて願う。

ウィリアムズは、絵本『おやすみなさいフランシス』でもふわふわのアライグマで子どもたちの心を捉え続けているが、この本では、ウサギのふわふわ感が物語の雰囲気そのものを作り上げている。「愛」という言葉は全く出てこないが、愛の本質を描いているところがスゴイ絵本である。それぞれのびっくりの表情が実に印象的だが、これは愛の目覚めを認識した瞬間——絵本だから捉え得た奇跡といっていい。主題がそれを表現するための最善の形式を取った例ともいえよう……絵本だからこそ。

出版された時、黒と白ということで、人種問題の観点から追放の的になったという歴史があるが、ある意味そうしたことに鈍感な日本では、純粋にテーマそのものに反応して、ベストセラーになった。私は、この本が出た時に、大学の生協書籍部のフェアで出会った。たちまち、文字通り心がぽっと温かくなって、うれしくなってしまった——今に至るまで、一目でこれだけ熱くなった本は他に出会っていない。ある児童文学者の幼い娘さんが、読み終わって溜め息をつき「私もこんなうさぎさんが見つかるかなー」と言ったというが、私もこの絵本を開くたびに、あの最初の熱い心を思い出すのである。

そして、この原作の英語のペーパーバッグ版を、私は結婚祝いのプレゼントとして贈ることにしていて、いつも1冊を本棚に用意している(大判は迫力があって素晴らしいのだが、以前は小型版もあって、これはこれでかわいかった)。受け取ったお二人、お幸せに……

 

The Rabbits‘ Wedding から10年ほどたった1973年の作がSeven Little Rabbits (『7ひきのこうさぎ』文化出版局、1982年)、ジョン・ベッカーJohn Becker。

文、絵はバーバラ・クーニーBarbara Cooney (1917-2000)で、彼女はMiss Rumphius (『ルピナスさん―小さなおばあさんのお話』掛川恭子訳、ほるぷ出版)など数多くの絵本で知られていて、「子どもはどんな小さなところを見ているかもしれないので、そういうところも手を抜かずに描く」ということを信条としている。

この物語は、7匹のウサギが散歩に出かけるが、疲れて1匹ずつベッドにつく。最後には、7匹がベッドに。最後のウサギが見る夢は——7匹のウサギが散歩に出かけ…というもの。Seven little rabbis/ Walkin’ down the road/ Walkin’ down the road/ Seven little rabbits/ Walkin’ down the road/ To call on old friend toad.というリズミカルな繰り返しの文が一方の頁に、他方に絵が描かれているが、文の箇所の周りは花のデザインで囲まれていて、絵のところには本文にないセリフが入ったりしているのも楽しい。

ウサギはさらっと描かれていて、ことさらにかわいくしていないが、最後に7匹が一つのベッドに入っているところなど、一匹一匹表情や向きが変えてあって、細やかな芸。静かなほのぼの感が全篇を包んでいる。

 

では、一つだけ番外編で、ドイツの絵本を。昨年ドイツに行った時に見つけたのだが、古典的作品で、大きな絵本、小さな絵本、いろいろな版があり、愛されていることが分かる。私は、楽しいので玉子型のものを選んだ。ウサギの学校(Die Häschenschule)と題され、文はアルバート・ジックストゥスAlbert Sixtusによるもので、すべて2行ごとに韻を踏むように作られていて、口調がいい(それで、表紙には「文」でなく、ちゃんとVersen「韻文」と書いてある)。

絵はフリッツ・コッホ=ゴータFritz Koch-Gothaだが、とにかく小ウサギたちがあまりかわいくないのがおかしい。主人公の兄妹うさぎが家を出るところから始まるが、鼻をかむのはティッシュならぬキャベツ。眼鏡をかけた老先生が一昔前の教師像を体現していて、何かしら懐かしい。悪い子の耳を引っ張って諫めたりして、今なら体罰で問題になりそうだが、一方でヴァイオリンを奏で、皆はうっとり。一緒に駆け回ったりも。そしてオオカミに注意という教訓もしっかり収めてある。

 

最後に、日本のウサギも少し——

まず、南方熊楠の『十二支考』、岩波文庫の(上)でウサギに関する民俗と伝説が扱われている。1行ごとにどれだけの学識が盛り込まれているかと讃嘆能わず、例えば、「ウサギとカメ」について、イソップから、フィジー、マダガスカル、セイロン、シャム、ドイツへと融通無碍に亘っていくのである。しかもフリガナ満載の漢字続きでなかなか手ごわいが、その天衣無縫の文体が、救ってくれる——「余ごとき貧生は在英九年の間、かの地方から輸入の熟兎の缶詰を常食して極めて安値に生活したがその仇をビールで取られたから何にも残らなんだワハハハ。」といった調子。

そして、一冊丸々ウサギの一般向き学術本、『兎とかたちの日本文化』(今橋理子著、東大出版会、2013年)がある。これは一般向きとはいえ、あくまでも学術的文化論なので、その論考を簡単にまとめることはできないが、この次の項目のように豆知識的にいくつかピックアップしてみた。


月に棲むウサギ:中国から来た思想。また老夫に身を隠した帝釈天が食べ物を乞うたところ、自らの身を捧げたウサギを哀れんだ帝釈天が月にその亡骸を埋めたと、仏教説話にもある。
ウサギの餅つき:望月(満月)→ もちづき → 餅つき(という語呂合わせのような説もあり)
ウサギは土の神、豊穣、再生 :ウサギが多産であるところから来る。
カラスとウサギ:ウサギが月とすればカラスは太陽(日)、これで日月(日が右、月は左)となる。
トクサとウサギ:月 → 満月 →秋 → 秋草 その中でも木賊(とくさ)は同名謡曲より。また木賊 → 磨く → 明るい月 → ウサギ
波にウサギ:謡曲「竹生島」から、その他の説もあり。実は本当にウサギが波の上を行くというより、波の上に揺らぐ月の光をウサギが跳んでゆくところと見立てたものなのである。
和菓子とウサギ:「うさぎや」という名の和菓子屋は多いが「ねこや」「いぬや」はほとんど聞かない。それほど二者の相性はよい。神饌としての伏せウサギの形。
ウサギと花の組み合わせのデザイン:本来、中国の花兎金襴をもととする花兎模様だが、最近では、桜に限らない西洋の花との組み合わせへと広がっている。

ウサギ豆知識

  • 因幡の白うさぎと大黒様。日本に本来生息するのは褐色の野兎で、白兎はあまり見られなかった。『古事記』では「素莵(しろうさぎ)」と表記されていて、「素」は「白」の意味があるから「白兎」と解釈してもおかしくはない。ただし、「素足」などに見られるように「裸」の意味もある。実際、この兎は歌にもあるように、鰐に皮をむかれて赤裸になっている。ということで、決め手はない。
  • ウサギと言えば忘れてはならない鳥獣戯画。
  • ウサギ島:大久野島(広島)
  • ウサギ神社:岡崎神社(京都)、熊野神社(山形)、調(つき)神社(さいたま)、三原神社(大津)、鵜戸神社(日南)、若宮住吉神社(豊中)、三輪神社(名古屋)、白兎神社(鳥取)など。
  • 大阪の住吉大社では、神功皇后が住吉大神を祀ったのが辛卯の年・卯月・卯日だったので、ウサギが神の使いとされ、手水舎の水口はウサギの像で、境内には参拝者が撫でて招福を願う翡翠のウサギ像もある。
  • 左甚五郎作の(ちょっと怖い顔の)白兎がいるのは西橋寺(鳥取)。
  • 大覚寺の障子の腰板のウサギの絵:渡辺始興の絵を模写したもので、19匹のウサギが描かれている。12歳の寛深が41代の門跡として就任したとき、慰めるために、彼の生まれ年のウサギを描いたのではないかと思われる。残念ながら非公開。
  • 向かい干支:ある時の泉鏡花展に行って、私は彼がウサギの小物を収集していることを知った。彼は酉年生まれだが、酉の向かい干支がウサギで、ウサギが幸運を招くということだった。私も同じ酉年まれだったから、あまりかわいいとは言えない酉よりかわいいウサギを集める口実をもらったようで、印象に残ったのである。「向かい干支」とは、干支の12の動物を円形に置いてみた時、自分の干支の対角線上に来る干支(または、自分を含めて数えて7番目)を言う。『兎とかたちの日本文化』では、今橋理子氏は「裏干支」と呼んでいる。
  • ウサギの数え方は「匹」または「羽」:普通の動物と同じく「匹」で数えるが、鳥のように「羽」とも数える。その理由は諸説あってはっきりしないが、ピョンピョン跳ぶことから『飛ぶ』→鳥となったとか、鳥扱いしてウサギ食を隠した、などである。今日では、匹、羽どちらでもいいということで落ち着いているようである。
  • 秋田県では、ジャンボウサギ料理が、100年フードに認定されている。
  • 春を告げる福島の「雪ウサギ」:春が来ると、吾妻小富士(標高1707メートル)の山肌に大きなウサギの模様が現れる(胴の長さが340メートル、あごから耳の先まで250メートル)。これは白い残雪が作り出すもので、福島の人々は昔から、このウサギを稲作の準備を始めるサインと見て、「稲まきうさぎ」とも呼んできた。ほぼどこからでも見つけられるので、広く親しまれて、福島市の公式キャラクターのももりんとブラックももりんもここから。見頃は3月下旬から4月下旬。
  • 毎日新聞の歌壇(1月30日)に次の歌を見つけた。「雪ウサギどうにもならない世の憂さを二円切手の中で食べ居(お)り」(東京 河野多香子) エゾウサギの絵柄の切手が出たのはいつのことだろう。郵便料金を値上げしたため、不足分を補うような形でこの2円切手が発行された。その時に、ウサギが申し訳ながっているというような歌が掲載された。それも切り抜いていたはずだが、前のことですぐは出てこず、またもし出てきたら……。いずれにせよ、時を経ても人の世の何かを背負ってくれるウサギである。

(4/22/2023)