「イギリス人がたぶん一番好きな詩」

武田雅子
              

たぶん一番好き、というのは、そんな統計は取られたことがないからだけれど、好きだという証拠は後であげるとして、まずそれはどんな詩かということになるだろう。英語も難しくないので、一緒に出しておく。


ふくろうとにゃんこ/The Owl and the Pussy-Cat


ふくろうとにゃんこが海に出かけましたとさ/The Owl and the Pussy-Cat went to sea
きれいな緑の豆色のボートで。/ In a beautiful pea-green boat,
ハチミツちょっととお金をたっぷり、/ They took some honey, and plenty of money,
5ポンド紙幣にくるんと包んで/ Wrapped up in a five-pound note.
ふくろうは空の星を見上げ 、/ The Owl looked up to the stars above,
小さなギターに合わせて歌いましたとさ。/And sang to a small guitar,
「あぁ、かわいい猫ちゃん!ぼくのいとしの君、/ “O lovely Pussy! O Pussy my love,
君はなんてステキなにゃんこなんだ。 /What a beautiful Pussy you are,
君はステキ、 /You are,
君はステキ! /You are!
君はなんてステキなにゃんこなんだ!/ What a beautiful Pussy you are!”


にゃんこはふくろうに言いました「あなたはなんてカッコいい鳥!/Pussy said to the Owl, “You elegant fowl!
歌えばとろけるように甘い声!/How charmingly sweet you sing!
ねぇ、結婚しましょうよ、私たち待ち過ぎたわ。/O let us be married! too long we have tarried:
でも指輪はどうしましょう。」/ But what shall we do for a ring?”
彼らは一年と一日というもの航海しました、/ They sailed away for a year and a day,
ボングの木が育つ地へと。/ To the land where the Bong-tree grows
そこでは森の中にブーブー豚が立っていて、 /And there in a wood a Piggy-wig stood,
鼻先に指輪をしていました /With a ring a the end of his nose,
鼻の所に/ His nose,
鼻の所に /His nose,
鼻先に指輪をしていました /With a ring at the end of his nose.


「豚さん、1シリングでその指輪を売ってくれますか」/ “Dear pig, are you willing to sell for one shilling
豚は言いました「もちろん、お売りしますとも」/ Your ring?” Said the Piggy, “I will.”
そこで、二人はそれを受け取り、翌日結婚しました、/ So they took it away, and were married next day
丘の上に住む七面鳥の媒酌で。/By the Turkey who lives on the hill.
祝いの席はミンチとスライスしたマルメロ、/ They dined on mince, and slices of quince,
それをぎざぎざスプーンで食べました。/Which they ate with a runcible spoon:
そして手に手を取って、砂地の端で、/And hand in hand, on the edge of the sand,
月の光のもと踊りました。/They danced by the light of the moon,
月の光、/ The moon,
月の光、 /The moon,
月の光のもと踊りましたとさ。/They danced by the light of the moon.


まぁとにかくハッピーなお二人(というか二匹)で、恋のライバルもなく、指輪も媒酌人もおあつらえ向きに手に入り(その前に1年ほど航海したことになっているが)、めでたしめでたし。幸せいっぱいのこの詩は、いわゆるナンセンスと呼ばれているもので、つまり、non+sense(意味なし)で深い意味はないのである。とはいえ、そう見えて、何らかの意味があるのがナンセンスの一筋縄ではいかないところである。ナンセンスものが多いマザーグースにおいても、だんだん人が減っていくのが意味深だというので、アガサ・クリスティーが『そして誰も居なくなった』で使ったりしている。それからしたら、この作品は、本当に裏の意味なく、掛け値なしの幸せ感が魅力なのだと言えよう。

そして、その楽しさは、英語で読んでこそ。英語の韻律は、強と弱のリズムでできていて、「あ・い・あ・む・は・ぴー・とぅー・しぃー・ゆー」と全部同じ強さと時間で言うより「あいあむ・はぴー・とぅしぃ・ゆー」と「トントントーン、トントントーン」のリズムでかつ下線の箇所を強く読むと、それだけで結構英語らしくなる。この詩も、全部リズムに乗っていくのだが、例として1行目だけ強弱をつけてみると––The Owl and the Pussy-Cat went to seaとなる。これで読み始めてみると、なんか調子よくなってくるではありませんか。さらに音の響きが合わせてあるというのも調子の良さを生んでいて、その音が合っているところ、Ⅰ番だけ取り上げて同じ色をつけてみると––

The Owl and the Pussy-Cat went to sea
In a beautiful pea-green boat,
They took some honey, and plenty of money,
Wrapped up in a five-pound note.
The Owl looked up to the stars above,
And sang to a small guitar,
“O lovely Pussy! O Pussy my love,
What a beautiful Pussy you are,
You are,
You are!
What a beautiful Pussy you are!”

このように同じ音が来るのを「韻を合わせる」とか「韻を踏む」とか言うが、特に、1行の最後の韻を、頭に対して脚(あし)というわけで、「脚韻(きゃくいん)」という。またあの音が来ないかなと耳が待つようになる。さて、この詩の3行目、なぜハチミツを持って出るのか、フクロウやネコの好物はハチミツ?クマならわかるけど、というところだが、これはひたすら、この行の終わりの“money”と、ハチミツの“honey”が同じ音、つまり韻を踏むからという、音の響きのゆえに、二匹はハチミツを持って出るのである。つまり、ここは、同じ1行の中で、真ん中と最後の音が合っている。これを「中間韻」という。実は1行目でも、単語の途中なので、わかりにくかったが、中間の“Pussy”と最後の“sea”は韻を踏んでいる。そして、この脚韻と中間韻による韻の構造は1番だけでなく2番も3番も見事に満たしている。それで口ずさんで楽しいのである。

そして、この楽しさは、悲しいかな、日本語に翻訳するとかなり消えてしまうというもお分かりいただけると思う。それで、なぜこの詩がそれほど愛されているのか、日本人にはちょっとピンとこないところがある。翻訳というのは、ただ言葉を置き換えるだけでなく、元の詩の楽しさも少しは伝えるものでなくてはならないのではないか、しからば、というので、原詩の脚韻も含め、楽しさを日本語に置き換えようというのが、次の訳。言葉遊びで知られるジェームス・ジョイスの、翻訳不可能とも言われた『フィネガンス・ウエイク』なども快(怪?)訳した柳瀬尚紀氏によるものである。(『リアさんって人、とっても愉快』西村書店より/Ⅰ番の最後の繰り返しを省略し、そして、わかりやすいように、韻の所に、カラーを入れた)

ふくろう君とにゃんこ嬢が海へと旅立ち
青豆色の小舟がなんとも美
ハチミツもありお金もありの良い育
くるりと丸めたポンド札が真新しい
ふくろう君が空にまたたく星を見上げる
ギター爪弾き歌声高らか
にゃんこちゃん! 僕の愛を君に捧げる
君の美貌はきらきら煌らか

3行目「育ち」の所は、「ち」しかカラーがつけられなかったが、実は、(そ)「だち」の2音が、1行目の(旅)「だち」の2音と合っているという芸の細かさである。この華麗な訳を味わっていただくために、最初、この詩を紹介した時の訳は、意識的にかなり直訳に近いシンプルなものにしてみたのだった。(しかし、さすがの柳瀬氏も中間韻は訳せなかったというのを、ちょっと慰めとしよう。それでも「ハチミツも(・)あり(・・)お金も(・)あり(・・)」という工夫はしっかりしてある。)

アメリカやイギリスに出ると本屋の絵本部門をあさるのだが、実にしばしば、この詩の新刊本に出会う。途中から、かなりセーブするようになったのだが、それでも、コレクションは増え続け、

かわいいもの

漫画チックなもの

衣装付きの写実風

猫と梟を写実的に描いたもの

そして、シャレた大人の恋に仕立てたもの

この最後のものこそ、イギリス人に愛される魅力の、ある面を解明しているように思われる――どこかシャレていること、子どもも楽しいが、大人の物語としても読めること。

さて、この詩は子どもの詩の本や、大人向きであっても楽しい詩集の表紙絵としても取り上げられている

表紙の猫と梟を見ただけで、「あ、あの詩が入っているのだな、じゃあ他にも楽しい詩が入っているのだろう」と思わせる効果抜群というわけで使われているのである。こうした、この詩への偏愛ぶりを見るにつけ、これほど愛されている詩は他にはないだろうと実感するようになったという次第である。

この詩の作者は、エドワード・リア(Edward Lear, 1812-88)、父親はロンドンの株式仲買人で、彼は20番目(!)の子どもであった(彼の後にさらに一人)。当然、母親にはかまってもらえず、21歳上の姉のアンにずっと面倒を見てもらった。読み書き、ピアノ、そしてのちにこれで生計を立てることになる絵もこの姉が教えた。癲癇と喘息に悩むリアは、自分を社会のよそ者とみなしていたが、やがて、良きパトロンに恵まれ、ロンドン動物学協会理事長のダービー伯の館で5年過ごし、ここの私設動物園の鳥や動物の絵を描き、おかしな詩をたくさん書いて、伯の子どもたちを楽しませた。彼はヨーロッパを旅して、最後はイタリアで、3か月前に16歳で逝った愛猫フォスの後を追うようにして亡くなった。その間に、彼の旅行記の挿絵を気に入ったヴィクトリア女王の絵画指導係を仰せつかっている。

リアのナンセンス詩は、何といっても、この「ふくろうとにゃんこ」が有名だが、他にも数々あり、さらにはリメリックを100篇も残している。これは、“There was a(n) ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,(むかし○○がおりました)”で始まって、あとは韻のきまりがある5行の戯れ歌である。リメリックというのは、アイルランドにある地名Limerickにちなむが、ここで発祥したという説は、必ずしも信ぴょう性があるとは言えない。しかし、そこで、リメリック学会は開かれているらしく、以前新聞で、それに出席した学者が、タクシーに乗って「むかし日本の学者がおりました。リメリックに来てリメリック学会に行きました」というようなリメリックを即席で披露して喜んでもらったと、読んだ覚えがある。

それでは、そんなリアのリメリックを一つ、訳はもちろん柳瀬氏(『ナンセンスの絵本』ちくま文庫および『完訳ナンセンスの絵本』岩波文庫より)、原詩にも訳にも韻が合わせてある箇所には、カラーを付けておいた。

There was an Old Man with a beard, /その人なにしろおヒゲがご自慢
Who said, ‘It s just as I feared!—/「こんなことにわしゃ馴じまん
Two Owls and a Hen,/フクロウ二羽にメンドリ一羽
Four Larks and a Wren./ヒバリ四羽にミソッチョ一羽
Have all built their nests in my beard!’/引っ越しきおってわしゃ不満!」

リメリックには、リアの挿し絵が付いていて、これがヘタウマともいうべきおかしさで、本当に女王様に絵を教えていたのかと疑ってしまうが、この作は鳥専門の彼のこと、鳥たちは、さすがにお手のもの。奇妙奇天烈な挿し絵は、表紙の絵で見ていただきたい。一方、「ふくろうとにゃんこ」につけた自作の絵は、なかなかうまいものである。

リアに関して最後に触れておかねばならないことは、彼が新しい語を作るのが大好きだったこと。例えば、「ふくろうとにゃんこ」Ⅲ番6行目の“runcible”がそれである。-ibleは“incredible”(信じられない)など形容詞を作る語尾で、とにかくリアの造語なので、どんな絵を描けばいのかと絵本画家たちを悩ませてきたが、今では三叉(スプーン)ということになっている。柳瀬氏は、タンポポの葉のギザギザ説で「乱歯振(らんしぶる)い」と苦心の訳を披露している。

「国民の好きな詩の投票」なんてないだろうと思っていたのに、実はありました! 何事もグーグルする時代、人々のその検索の素早さに驚くことしばしばなのだが、たまたまウィキペデアの「ふくろうと猫」を見ることがあり、2014年の最も人気のある子ども時代の詩のアンケート(いったい誰が主催したのやら)で1位になったとある。しかし、これを見る前から、「たぶん」という予想は、数多くの絵本を見ていただけではなくて、他のことによってでも、確信に近いものがあった。

つまり、好きすぎて食べちゃいたいくらい、つまり食べちゃいたいくらい好き、という証拠があったのである――イギリスの会社から手焼きビスケットが出ていて、フクロウとネコがセットになっている。他にはイソップの「ウサギとカメ」、マザーグースの「メリーさんとヒツジ」なので、近い時代で、作者もわかっている詩としては、破格のランクイン! 紙の箱入りも、ブリキの箱入りも出ていて、いずれも箱に詩が印刷してある。ビスケットをほおばりながら、詩を口ずさむなんてのもまたよきかな。

(8/5/2020)

読書案内

 

武田雅子 大阪樟蔭女子大学英文科名誉教授。学士論文、修士論文の時から、女性詩人ディキンスンの研究および普及に取り組む。アマスト大学、ハーバード大学などで在外研修も。定年退職後、再び大学1年生として、ランドスケープのクラスをマサチューセッツ大学で1年間受講。アメリカや日本で詩の朗読会を多数開催、文学をめぐっての自主講座を主宰。著書にIn Search of Emily–Journeys from Japan to Amherst:Quale Press (2005アメリカ)、『エミリの詩の家ーアマストで暮らして』編集工房ノア(1996)、 『英語で読むこどもの本』創元社(1996)ほか。映画『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』(2016)では字幕監修。