【インタビュー】植物学者 湯浅浩史 その5/5(最終回)
日本一ひょうたんに詳しい植物学者の湯浅浩史先生。インタビュー第1回から第4回までは、ひょうたんが容器として、楽器として、またシンボルとして人類とどのように結びついてきたのかを幅広い観点から語っていただきました。最終回である今回は、湯浅先生がひょうたんに目覚める以前のお話から始まります。長年研究対象とされてきたベンケイソウなどの多肉植物のこと、マダカスカルでのボランティア活動のこと、さらには長く役職として携わってこられた「生き物文化誌学会」や「全日本愛瓢会」について。人と植物との関わりを、深く、広く、長い間見つめ続けてきた湯浅先生が、次の世代に引き継いでいきたいと感じておられるものを、読者のみなさんにも感じ取っていただけたらと思います。(丸黄うりほ)
ディズニー映画『砂漠は生きている』がきっかけで多肉植物の研究者に
——ここまでは先生にひょうたんのことをずっとうかがってきたんですが、湯浅先生は世界中のいろいろな植物の研究や調査もなさっていますよね。
湯浅浩史先生(以下、湯浅) あちこちに手を出して、いろんなことをやっています(笑)。
塚村編集長(以下、塚村) 日本の花や、花の文化に関する著書もおありです。朝日新聞の第1面コラム「花おりおり」も執筆されていました。
——多肉植物や世界のめずらしい植物に関する本も書かれていますね。
湯浅 そうですね。多肉植物は、私がひょうたんに目覚めるよりも前からね……。
——先生にとっては、ひょうたんよりも多肉植物のほうが先だったんですね。
湯浅 興味を持ったのが小学生の頃でしたから、ひょうたんに先立ちますね。世界で初めてカラーの自然番組を映画で撮ったのは誰だか、知っていますか?
——いいえ。誰なのでしょうか?
湯浅 ウォルト・ディズニーです。ディズニーというと漫画ばかりしか知られていないけれども、『砂漠は生きている』という作品を撮っていて、それが世界で初めてのオールカラーの自然番組なんです。
その映画では、アリゾナ、テキサスあたりの砂漠を映しているんですが、1年のうち9カ月も10カ月も雨が降らない。だけど、雨が降ったとたんにウチワサボテンなどサボテンが水を吸って、花がわーっと開いていくんです。まあ、今ならその映像の種明かしがわかっているけれど、その時はわからなかった。みるみるうちにわーっと花開いていくのは、コマ撮りしてあとでつなげて、早回しをしたわけですね。
それを見て、わぁすごいなと思った。ところが、サボテンが生きている現場に小学生が行くわけにはいかない。けれど、日本でも育つ、乾燥に強い植物があるということを知ったんですね。それが、ベンケイソウです。
もちろんサボテンも購入して育てました。多肉植物だとか、日本のベンケイソウも購入したり、あちこちに集めに行ったりもしましたよ。当時もサボテン屋さんはあったんです。私は小学生の時は、神戸で戦災にあい徳島県の鳴門にいたんですが、徳島市に一軒だけサボテンを売る店があったので、行って10円で買ってきました。サボテンや多肉植物が一つ10円の時代ですよ。
——小学生でサボテン好きっていうのはすごく渋い趣味ですよね。
湯浅 「カクタス長田」っていう多肉植物の育苗園が今とても人気があって、息子さんがNHKの『趣味の園芸』によく出ていますけど、お父さんの清一さんも小学生の時からサボテンが好きだったらしいです。
塚村 息子さんの長田研さん人気ですよね。湯浅先生も『趣味の園芸』に出ておられましたね、万葉集の花についてでした。
湯浅 はい。多肉植物ではなく、ハギでした。
——そういえば、多肉植物は怪獣に似ているから好きだっていう子どもに会ったことがありますよ。湯浅先生の場合は、ディズニーの『砂漠は生きている』がきっかけだったんですね。
湯浅 サボテンは多肉植物の一種なんですが、『砂漠は生きている』を見てからずっと興味を持って、大学に行ったときも日本の多肉植物、セダムといいますが、その染色体などを研究しました。これはあまり知られてないけれど、セダムというのは種が違うと染色体の数が違うくらいバラツキがあるんですよ。
——どういうことですか?
湯浅 たとえばヒトの染色体は46、ウリ科はだいたい基本数が11、スイカもひょうたんも11で倍数体は22と、数が決まっているんだけど、セダムはもう種が違うだけで数が違う。基本数も、これは私が研究したんですが、4、5、6、7、8、9、10と連続してあるわけですよ。そんな植物は世界中でも珍しい。そのうちのいくつかは今は別属に分離されましたけれど。マンネングサやキリンソウなども、広い意味ではベンケイソウ科のセダム属です。セダムについては日本を中心に北海道から沖縄まで、沖縄は返還前でしたからパスポートを持って、調査に行きました。メキシコマンネングサという和名は私がつけました。カランコエもベンケイソウ科で、マダガスカルが中心地です。多肉植物の本場の一つがマダガスカルなんです。
塚村 マダガスカルは、バオバブとかワオキツネザルとかで知られる東アフリカの島国ですね。
マダガスカルでのボランティア活動「ボランティア サザンクロス ジャパン協会」
湯浅 初めてマダガスカルに行ったのが1973年でした。東京農業大学の動植物学術調査で行って、そのあと46回行ったかな。2年前の3月にも行く予定だったのが、コロナ禍で行けなくなりました。
——46回?マダガスカルだけで、そんなに何度も行かれてるんですか!
湯浅 これはいろんな目的があってね。調査だけじゃなくて、南部では乾燥地のボランティアをやっています。「ボランティア サザンクロス ジャパン協会」っていうんですが、その活動拠点の一つが、マダガスカル南部の乾燥地にあるんです。そこは8カ月も9カ月も、雨が降らない。
——すごいところですね。
湯浅 そういう場所にも人が住んでいるのですが、近くの町がものすごく発展して、家を建てるために、そこに生えている木を切っているんです。でも、その木というのはね、本当の木ではないんです。
——本当の木ではない?
湯浅 年間300ミリくらいしか雨が降らないところでは、樹木は育たないんです。そこで、木材の代わりにしているのが、アルオウディアというディディエレア科の多肉植物です。外側は柱サボテンのよう、内側は材木みたいになっています。
——木の代わりにアルオウディアを切って家を建てているということですか。
湯浅 ええ。それで今、我々がボランティアをしているわけですが、その土地にはアルオウディアの林がまだ残っています。他のところは、なかでも街道沿いはみんな切られちゃってね……。
——「ボランティア サザンクロス ジャパン協会」はマダガスカルの多肉植物を守る活動をしているわけですね?
湯浅 1991年からやっていて、もう30年続いているんですけどね。我々の活動は、完全な自然保護ではなく、自然保全という活動です。アルオウディアを切ってもいい、その代わりに切ったら、倍ぐらい植えようという考え方なんです。
アルオウディア・プロケラという種類は、サボテンと同じように挿し木ができるんですよ。マダガスカルの人たちが建材として使うのは、幹にあたる中心の太い材の部分だけなんです。枝にあたる部分は腕くらい太さしかなく、曲がっているから昔は捨てていたんです。その捨てる部分を挿し木して殖やすことにしたんです。また、太い幹も、切るときに30センチか50センチほど残しておくと萌芽更新をするんです。
——アルオウディア林を残すために、そういう指導をされているんですね。
湯浅 ちょっと今はコロナで行けなくなっています。イオン財団をはじめ、いろんなところでお金をいただいて、教育にも協力しています。小学校もないところだったので、1991年に私たちが拠点として現地で建てた家は、その後、最初の小学校にしてもらいました。初めは生徒が10人くらいでスタートしましたが、今は周辺に新しい学校もでき、400人くらいに増えています。先生はマダガスカル共和国から派遣されてきていますが、費用の多くをこちらで負担しています。みなさん、「ボランティア サザンクロス ジャパン協会」の会員になってくれませんか?
——「ボランティア サザンクロス ジャパン協会」の会員には一般の人もなれるのですか?
湯浅 はい。活動に賛同していただいた方なら。年会費は5,000円です。そのほか、バオバブの植樹への協力を1万円お願いしています。
——マダガスカルには、最初、学術調査で行かれたあと、今はボランティアが重要な任務になっているのですね。
湯浅 学術調査は1973年からですが、1974年から80年代に左翼政権になると調査は監視付きじゃないとできなくなったんです。1990年からは振り子が戻り、観光でも行けるようになりました。ですから、必ずしも学術調査だけではなくて、テレビ取材の案内だとか、学校の先生など各種ツアーの案内だとか。いろいろな目的で出かけています。現場を見てもらわないことには伝わらないことが多いです。教科書やバーチャルの世界だけではわかりませんから。でも、コロナ禍で今は現地へ行くことが少なくなっているんです。
——いろんなことがありつつ、30年も続けられてきたのですね。
湯浅 最初が1973年、次に1980年に行って、その次は大阪の花博(国際花と緑の博覧会、1990年開催)の時に行きました。「咲くやこの花館」の乾燥地植物室にある多くは、私たちがマダガスカルに行って掘りとってきた植物です。
——そうなんですね!
湯浅 バオバブもあるでしょ、あれはマダガスカルから持ってきたものです。今はもうそんなこと知っている人はいないかもしれないけれど……。サボテンは別としてマダガスカル植物はすべてその時に私たちが行って、現地の人たちと一緒に掘ったんです。
——「咲くやこの花館」には、たしかにバオバブがありますね。
湯浅 ほかの植物園にもバオバブはあるけど、それはほとんどがアフリカのバオバブです。「咲くやこの花館」のバオバブの花は鮮やかな色がついていて、ものすごく香りがいい。香水の香りがする。だからいつも8月にバオバブの花が咲く時は、夜間でも見られるようにしていますよ。
——私、花が咲いている時に行ったことあります。
湯浅 そうですか。花に近づくといい香りがしますよ。
次世代のひょうたん好きに「全日本愛瓢会」に入ってほしい!
——湯浅先生は、現在「進化生物学研究所」の理事長を務めておられますね。こちらは専門家の研究機関だと思いますが、以前会長を務めていらした「生き物文化誌学会」と、相談役をされている「全日本愛瓢会」、この二つの会は一般の人も入れるそうですね?
湯浅 はい。「生き物文化誌学会」の会員は研究者が中心ですが、一般の人も入れます。2003年に秋篠宮殿下が中心になられて、私も2003年からは副会長を、2007年から14年までは会長でした。今の会長は国立民族学博物館の池谷和信教授です。秋篠宮殿下も最初は常任理事でした。今は役職は退かれましたが、活動は続けられています。コロナ禍以降はオンラインで例会が開かれたりもしています。大会は年1回、例会は年4回くらい。会報は年2回出ています。
——湯浅先生は、今はもう直接かかわってらっしゃらないんですか?
湯浅 いや、関わっていますよ、今も評議員ですしね。
——「生き物文化誌学会」は、「「生き物」についてのさまざまな知見を得て、さらにそれらの「生き物」が人間文化とどのように関わっているのか、その物語を調べていくことを目的としています」とウェブサイトにあります。とても面白そうで気になっています。
湯浅 家族会員制度があり、小学生でも入れます。生き物も文化も研究者だけが研究する分野でなく、広く、互いに知見を発信したり、共有しようというユニークな学会です。
「全日本愛瓢会」のほうは、会員は一般の人がほとんどですが、秋篠宮殿下が名誉総裁ですし、北海道大学の遠藤俊徳教授など、研究者や専門家もいます。
——そうでしたか。神奈川県立大船フラワーセンター「ひょうたん展」(2022年9月)でも、「全日本愛瓢会」の方が作品をたくさん出品されていましたね。
湯浅 2015年に国立科学博物館で行った「世界のヒョウタン展」の時は、私のコレクションだけを660点ほど並べましたが、大船フラワーセンターの「ひょうたん展」は、私のコレクションを中心に「全日本愛瓢会」の作品も合わせて150点ほど展示しました。「全日本愛瓢会」は高齢化してきていて、次の世代に関心を持ってもらおうという意図も込めて展示しました。会員の平均年齢が今もう80歳に近いほどなんですよ。若手が入ってくれないと……。ひょうたんが本当に好きなら入ってほしいです。
——実際のひょうたん好きは年齢に関係なく、子どもから各世代いると思うので、幅広い世代にひょうたん好きの輪を広げていきたいですよね。
湯浅 幼稚園とか小学校で指導をして興味を持ってもらえるんですが、それが中学、高校、大学になると、もうとてもじゃないけどひょうたんどころじゃなくなくなる。そしたら次は社会人になって、結婚して子どもができるなどで忙しくなり、ゆとりができるのは40、50歳。そのくらいになると少し戻ってきてくれるんですけどね。今の高齢の会員だと世代的にスマホやパソコンで情報発信するのも難しいんです。
——私たちくらいの中間世代が、もっとひょうたんを広めないとなりませんね。
湯浅 ええ。だからみなさんにぜひ「全日本愛瓢会」に入ってほしいんです。会長は今年88歳かな。
——ひょうたん好きの一般の人が「全日本愛瓢会」に入会するには、どうすればいいのでしょうか?
湯浅 ネットで「全日本愛瓢会」を検索すると出てきます。入会の申込書フォームがありますので、それを送ってください。手続きもそこに書いてあります。
——紹介者や紹介状などは必要ですか?
湯浅 不要です。年会費は必要ですが。
塚村 ウェブサイトには年会費3000円とあります。入会すると「全日本愛瓢会」のロゴ入りオリジナルバッヂがもらえる。ひょうたん栽培マニュアルなどの書籍ももらえると書いてありますね。
——バッヂは欲しいですね!入会申し込みフォームのコメント欄に、「湯浅浩史先生のインタビューを読みました」と書いていただいてもいいですよね?
湯浅 そうしていただければ、うれしいです。全国に支部があり、いろいろと教えてもらえるでしょう。2023年は、6月8日・9日に兵庫県で「全日本愛瓢会」の全国大会があります。兵庫県神崎郡神河町です。コロナでずっと開かれていなかったので3年越しの開催ですよ。
——なんと、6月に兵庫県で全国大会が開催されるのですね!
湯浅 ひょうたんが好きなのに「全日本愛瓢会」に入ってないのは、私から見るとモグリですよ(笑)。ひょうたんの活動団体は他にもあるけど、「全日本愛瓢会」で技法を教えてもらえばいいですよ。自己流もよいけど、栽培技術やさまざまな加工法を知り、学ぶことができます。「全日本愛瓢会」は、始まってもう50年になる。奈良の飛鳥が発祥の地です。
——「明日香美人」という名のヒョウタンの品種がありますね。
湯浅 そう、「全日本愛瓢会」は、飛鳥で1975年に誕生し、翌年、第1回の総会が開かれ、第10回までは奈良が中心でやってたんですよ。その頃に「明日香美人」という長さ50センチ〜1メートルの中長形で優美な姿の品種が、奈良の安達忠友さんによって育成されたんですが、本部が奈良から広島に移ったり滋賀に移ったりしているあいだに「明日香美人」はなくなってしまった。
——そうだったんですね。
湯浅 それで、近年になってまた「明日香美人」を復活させようと。形がくずれてしまったのをできるだけ昔のものに形を近づけようとはされているんですが。
——確かに、ここ数年「明日香美人」は、タネが入手できなくなっていますね。
湯浅 ひょうたんというのは、混じっちゃうからね。よほど気をつけていても、すぐに雑種になる。故意に雑種を作ろうとしなくても、スズメガとか虫が勝手に中立ちをしてくれる。なので、系統維持が大変なんですよ。
あとね、「全日本愛瓢会」で少なくなっている分野は、楽器を作ったり操ったりする人たちです。丸黄さんたちはひょうたんで楽器を作っているんでしょう? だからあなた方に入会してもらって、全国大会のときに演奏してもらったらいいんじゃないかな。
——えっ!
塚村 丸黄さんのグループの音楽が「全日本愛瓢会」の皆さんに合うかどうか……(笑)
湯浅 次の全国大会には、「全日本愛瓢会」名誉総裁の秋篠宮殿下も出かけられるでしょう。
——それはすごい!
塚村 「でれろん暮らし」の奥田亮さんにも協力してもらわないとなりませんね。
湯浅 だからみんなで入会してください。そして、ひょうたんのよさ、おもしろさをもっと広めてほしいです。
(2022年9月21日、日比谷花壇大船フラワーセンターで取材)
その1「ひょうたんは人類とともに1万年」はこちら
その2「ひょうたんでわかる人類の移動」はこちら
その3「ひょうたんは楽器の原点」はこちら
その4「美容と健康そして精神文化につながるひょうたん」はこちら
「全日本愛瓢会」の公式サイトはこちら