【インタビュー】「図書の家」小西優里さん、卯月もよさん、岸田志野さん その5/6
バレエ漫画というジャンルの中に、谷ゆき子作品という異色の存在があります。1960年代から70年代にかけて少女だった人には、『小学一年生』などの学年誌で長年連載され、大人気だった谷先生のバレエ漫画を楽しみにしていた人も多いのではないでしょうか。今回は『超展開バレエマンガ 谷ゆき子の世界』(立東舎)の企画編集や、『バレエ星』『まりもの星』『さよなら星』の完全復刻版を手がけた「図書の家」の3人に、その“超展開”な魅力を語っていただきました。(丸黄うりほ)
谷ゆき子先生はバレエ漫画を描きたくなかった?
——「図書の家」のみなさんのお話をきいて、バレエ漫画というジャンルがとても大きなものだったということがよくわかりました。ここからは、その中でも異色の存在だったという、谷ゆき子先生と、その作品について詳しく伺っていきたいと思います。「図書の家」は、『超展開バレエマンガ 谷ゆき子の世界』(立東舎)の企画編集を手がけられ、また『バレエ星』、『まりもの星』、『さよなら星』の完全復刻版の編集も担当されていますね。
卯月もよさん(以下、卯月) 復刻した三作品は、一般の少女漫画雑誌ではなくて、学年誌という特殊な場に連載されたというのが外せないポイントだと思います。この当時としても古風な感じのバレエ漫画が何年も続いていたのは学年誌だったからではないかなと思います。
岸田志野さん(以下、岸田) 学年誌の読者は主にその学年の子どもたちなのでそもそも総数が決まっているわけです。定期購読だけでなく、時々しか買わない子にも「次も読みたい!」と思わせないといけない。読者を次の学年につないでいくためにも重要で、そのためにサービス精神旺盛に、だんだんエスカレートした作品ができあがっていったんだと思われます。
卯月 私は小学生で読んでいた時には、とんでもない展開の漫画だなんて全然思ってなかったんですけれどね。
——谷ゆき子先生はもともと貸本漫画から始めた方だったんですよね? その先生が学年誌でバレエ漫画を描かれるようになったのは何がきっかけだったんでしょうか?
卯月 谷先生は大阪の貸本漫画で1958年にデビューして活躍されていたんですが、少女漫画雑誌が次々創刊された63年ごろ、講談社から声がかかって上京されて『週刊少女フレンド』などに描くようになられたんですね。その後、小学館が学年誌で女の子読者向けの上品な絵の描ける作家を探していて、谷先生が執筆を依頼されたそうです。なので、バレエ漫画は谷先生が自分で描きたくて始めたというよりは、編集さんからの要望で描き始めたようです。それがヒットしたので以後バレエ漫画を長く描き続けていらしたんですね。
——『超展開バレエマンガ 谷ゆき子の世界』に掲載されている年表によると、1966年の「かあさん星」が最初の学年誌におけるバレエ漫画作品ということになるのでしょうか?
卯月 それはバレエ漫画ではないんですよ。
——そうなんですね。次の「赤い花白い花」は……。
小西優里さん(以下、小西) これは1回目だけバレエが出てくるんですよね。
——「えみいちゃん」は?
卯月 バレエものなんですけど、『幼稚園』掲載なので、オールカラーで絵物語的なものですね。
——では、がっつりバレエ漫画というと、1968年の「白鳥の星」から?
卯月 「白鳥の星」はバレエ漫画と言っていいと思います。
小西 私はその学年なんです(笑)。
卯月 学年誌に描く前、『少女フレンド』時代にも谷先生のバレエ漫画はあるんですよ。
小西 1964年の「あす子の虹」がバレエ漫画でしたね。でも原作が付いているんですよね。谷先生は自分でお話を作るのがどちらかというと苦手だったようなんです。学年誌のバレエ漫画も、編集さんも一緒にストーリーを考えていたようで。
岸田 谷先生は、とにかく絵がうまくて、描けと言われればなんでも描けたという話を当時の担当編集者さんから伺いました。なので、女の子に人気があるからバレエを描いてほしいと頼まれると、さーっと描けてしまうみたいな、そういう職人のようなところがある方だったようです。ご本人は描きたくなかったと言ってらしたというし……。
——えっ?ご本人は描きたくなかった?
小西 というか、漫画家として 特にバレエを描きたいということではなかったようなんです。だけど、やっぱりバレエの漫画って描きどころがたくさんあるから。洋服にしてもポーズにしても、おそらく楽しくは描いてらしたと思うんですけどね。
岸田 それに、付録の着せ替え人形の絵なども全部描いていたし、人気のイラストレーターとしてグッズ、ノートとか文房具なんかもすごくたくさん出ていて。そういう仕事も大量にやってらっしゃる。たぶん寝る暇もないくらいだったと思うんですよ。
卯月 少しお忙しすぎたんでしょうね。
岸田 ひっきりなしに働かされている感じで。それで「もう描きたくない」とおっしゃったこともあったようです。
——そうだったんですね。
——年表を順に見ていきましょうか。「白鳥の星」が1968年の『小学二年生』で始まります。そして翌年1969年の『小学一年生』で「バレエ星」がはじまる。「さよなら星」が、さらにその次の年の『小学一年生』ではじまる。で、この間ずっと「白鳥の星」と「バレエ星」の連載は続いているんですよね。1970年ごろは3本掛け持ちってことですね。読者の小学生は3月号の続きを次の学年の4月号で読むシステムなんですね。
卯月 年表でわかると思うんですが、常に同時に3作くらい描いてらっしゃるんですよね。この後、1972年から73年にかけては、最高で5作を掛け持ちされています。学年誌の連載はその学年の間に終わるものが多いんですけど、谷先生のバレエ漫画は人気があったので、数学年、持ち上がっていったんですよね。
小西 雑誌を次の学年になっても続けて買ってもらうためにね。読者を引っ張っていく役割を谷先生が担っていたんですね。
卯月 そういう意図で新しい連載は前の学年の3月号から始まることがあったんですけど、谷先生のはたいてい1月号から始まって、そのまま2~3年続くパターンが多いですよね。
——例としてみると、「バレエ星」は『小学一年生』1969年の1月号からはじまり、1969年4月号からは『小学二年生』で1年間連載され、1970年は『小学三年生』に続き、終わったのが『小学四年生』71年の12月ですね。その人たちは一年生のお正月から、四年生の冬休みまで連載を読んでいたということになります。
岸田 だからお話も、その年齢にあわせてだんだん後半になるにつれて大人っぽくなっていく。最初はひらがなだらけで、小さい子が読むような漫画だったのが、四年生とか高学年になってくるとちょっと複雑な話になっていくんです。同じ話が、読む読者年齢にあわせた内容に変わっていくのが学年誌のすごいところですね。普通の少女漫画雑誌は何歳の子が読んでるかってがっちり決まっているわけではないので、お話のほうに読者が合わせていく感じになりますけど、学年誌は違うという。
卯月 「バレエ星」も最初は1ページに2、3コマしかない。でも、後の方はコマも小さくてセリフも長くなってます。
——読者が一年生から四年生まで成長している。
小西 京都国際マンガミュージアムの「バレエ・マンガ 〜永遠なる美しさ〜」展の図録に、何年生まれの人がこの時期これを読んでいたっていう表を作ったんです。たとえば1960年生まれだったら、「白鳥の星」を読んでいた、みたいな。
岸田 読んでいた作品で、何年生まれか特定できる。
卯月 ただ、兄弟姉妹がいると、その学年のも読んでいることが多いし、私もあとで知ったんですけど、あえて一学年上のを買っていた人が結構いたみたいなんです。
小西 いるいる。
卯月 学習雑誌だったから親が勉強させようということで、上の学年のを買い与えていたとか、中には好きな漫画を読みたくて、違う学年のものを買ってもらっていたツワモノもいらしたようで、数人からそういうお話をききました。なので、例外的な人もいるけど、基本的には自分の学年のものを買っていたとすると読んでいた漫画を特定できる。この表をみることで自分の記憶と学年がずれていたら私はお姉さんのを読んでたんだ、とかね、思い出せますよ(笑)
塚村編集長(以下、塚村) どちらの表もとても面白いですね。
——で、このパターンで谷先生の連載が続く……。
卯月 「白鳥の星」にはじまり、「バレエ星」「さよなら星」「かあさん星(2代目)」、そして「まりもの星」「バレリーナの星」「ママの星」「アマリリスの星」。ですね。
——最後の「アマリリスの星」の終わりは1976年です。私自身は、学年誌というものを買ってもらってなくて。でも、友達の家にあったのをときどき読ませてもらったので、谷先生のバレエ漫画のことは断片的に覚えています。
卯月 覚えてますか? あと学年誌は、一年生から三年生くらいまでは買っていても高学年になると買っていない人も多くて。だから、私たちが復刻で出した「バレエ星」などを読んで、「やっと結末がわかった」という方も多かった。
塚村 そうですね。私は小西さんと同学年なので「白鳥の星」を読んでいたのですね。忘れていましたが、「アン・ドゥ・トロワ」という言葉は学年誌で覚えました、あれが谷先生の絵だったのですね。
コミックスになってない。原稿が残ってない。こんな漫画見たことない!
——それで、なぜ谷ゆき子先生の本を「図書の家」さんが手がけることになったのですか?
岸田 元を正すと、卯月と小西がリアルタイムで読んでいたから、ということになるでしょうか?
——谷ゆき子先生の本をどんどん出そうということになったのは……。
小西 どんどん出す予定は全然なかったんです(笑)。
——この本が出たきっかけは?
小西 「バレエ・マンガ 〜永遠なる美しさ〜」の展覧会の準備段階で、京都国際マンガミュージアムの研究員の倉持佳代子さんがバレエ漫画の研究会を作ってくださって何度か集まって勉強していたんですが、その時に「ちょっと変わっているのですが、バレエ漫画といえばこういう作品があるのですが……」と、卯月と私が持っていた学年誌をおそるおそる皆さんにお見せしたのが始まりです。これはちょっと違うと言われるかなとドキドキしていたのですが、意外にも手塚治虫の少女マンガの研究をなさっている岩下朋世さんなど、若い世代の研究者さんにすごくウケてしまって(笑)。
塚村 (笑)
小西 こんな漫画、見たことない、ってなったんです。レオタード姿で滝修行とか、片足のバレリーナになるために縄跳びしてるとか。
岸田 庭でバレエのチュチュを着て練習しているとか……今だったらそんなことはありえないとみんな言うでしょう。
卯月 リアリティはないかもしれないけど、忘れられないバレエ漫画だったので、知ってほしかったんですよね。
小西 疑問点がいっぱいあるわけですよね。でも、ちゃんときれいな絵で真面目にやっているので、今の目からみると、何だろう、面白いねって。
卯月 ギャグじゃないんです、シリアスなんです!
塚村 そうですよね、当時はまったくギャグじゃなかった。
卯月 子どもたちは悲しくなりながら読んでたんですよ、ほんとですよ。
——扉に「かなしいバレエまんが」って書いてありますもんね。
小西 そうなんです。うたい文句は悲しいし、お母さんとも引き裂かれる話だし、そういうので引っ張っていく漫画だったんですけど、今から見ると……。
岸田 でも、この時に少女漫画雑誌では「アラベスク」が連載されていたわけなので、少女漫画の流れからするとかなり前時代感がありますよね。(参考:前回の「図書の家」インタビュー)
塚村 山岸凉子先生の作品ですね、『りぼん』で1971年からでしたね。そちらは覚えています(笑)
小西 やっぱり、学年誌という閉じられた中でやっていたことが大きくて。どこへも影響を与えてないんですよ、本当にこれは。おそらくほかの漫画家さんたちもご存じないのじゃないかと思う。こういうのが同時期にあったって。そういうことだったんだと思いますね。
岸田 だから、バレエ・マンガ展で紹介した時に、世間に再発見されたみたいな感じになったんです。
——ああ、そうだったんですね。
岸田 こういう作家がいて、昔ものすごい人気があったのにもかかわらずみんな忘れてしまったという。
卯月 谷先生は77年には漫画家を辞めてしまわれて、99年にお亡くなりになっています。単行本も出ていないので、リアルタイムの人の記憶に残るだけになってたんですよね。
小西 それで、『ネコマンガ・コレクション』を作ったあとに立東舎さんにプレゼンしたんですよ。面白いバレエ漫画の、埋もれている作品を紹介する本はどうですか?って企画書を出したら、立東舎さんでも研究会の時と同じように、ものすごくウケてくださって。ぜひこれを出しましょうってなった。それで、まず特集本で紹介するという枠をもらったんです。
卯月 『超展開バレエマンガ 谷ゆき子の世界』が出たのは2016年ですが、あ、ちなみに「超展開バレエ漫画」というのは、倉持佳代子さんが名付け親です! この本を作っているとき、谷先生の本はもうこの1冊しか無理だろう、と思っていたので、興味をもってもらえるようにちょっとおふざけ気味な突っ込みをいれつつ、あらすじとカットでたくさんバレエ漫画を紹介したし、かっこいい表紙イラストを描かれていた貸本もお持ちの方にたくさん協力していただいて、ほぼすべて集めて載せました。漫画家を辞めた後に描かれた貴重なカラーイラストも載せましたよね……。谷先生と親交のあった方々からたくさんお話を伺ったんですが、谷先生ご自身がほんとうに魅力的な方だったということがわかって。ご存命のうちにお会いしたかった!とつくづく思いました。
復刻は学年誌を集めてバラしてスキャンしてレタッチ!
小西 この本は細々と売れ続けていて、書店にはもうほとんど残ってませんが、電子書籍になっているので読めます!おかげさまでこれが評判が良かったので、『バレエ星』を出そうということになった。でもね、約700ページもある『バレエ星』の復刻など、普通はできないです。だって原稿がないんですよ。じつは一度、小学館さんでもまとめる企画があったと当時の編集さんからお聞きしたのですが、その時も原稿がないということで頓挫したということでした。なのに私たちは、原稿がないなら当時の雑誌をスキャンして作ろう、と……。
卯月 そんな無謀なことに取り掛かり……、私と小西も当時の学年誌を少しは持っていましたけど、全然足りないので、古書店やネットオークションなどで買い集めたりして、がんばったんですけど、当然足りない。
岸田 雑誌を持っている人たちに協力していただきましたよねえ。
小西 もともと資料室で持っていた資料の中には、たまたまオークションに学年誌を出そうとしていた、ぜんぜん知り合いではなかった方がうちのバレエ漫画リストをご覧になって、僕が集めているマンガ家の作品以外はバラして売るつもりですが要りますか?って連絡をくださって。それで、ぜひ谷先生のところが欲しいですってお願いしたということもありました。
——そんなふうにして、なんとか集められたわけなんですね。
小西 そう、思えばほとんど無理やりですね(笑)。知り合いのコレクターさんやネットで知り合った奇特な方たちにお借りして。雑誌を原稿として扱うとき、ノドがあるとスキャンした時に影ができちゃうから、雑誌を綴じている針金を外してバラして、スキャンさせていただいたんです。
卯月 普通、貴重なコレクションである雑誌をバラすなんてしませんよね。それなのに「谷ゆき子復刻のためなら」とみなさんおっしゃって……。ホントにいいんですか?って驚きました。そんな熱い思いがあってこそ作れたこの3冊です。
——『バレエ星』『まりもの星』『さよなら星』ですね。これ、全部雑誌からの復刻ということですか。
小西 そうです、「星」シリーズのページはすべて雑誌です。
岸田 スキャンしてフォトショップできれいに……といっても、元の雑誌の状態が良くないので限界はあるんですが、何とか読める程度までは、画像を補正して。
卯月 ゴミ取りが大変でしたね。
小西 だからそんな作業をやろうと普通に作業費の見積もりを出したら絶対に普通の予算にあわないですよね(笑)。展覧会のときに、読みたいという声があって復刻の話が出たときも、国から助成金をもらってやるような仕事では?と言っていたので、始めはとてもじゃないけど無理だよねっていう話になっていたんですよ。プロジェクトが組めればできるかもね、ぐらいの話だった。それが本当にプレゼンの反応がよかったので、もしかしてできるのかも?っていう気持ちに……(笑)。まあ、最初の特集本はおかげさまで評判がよかったし、この勢いで出したら売れるのではと出版社さんに思っていただけたので、とにかく復刻をやってみようかと。
塚村 作業は小西さんがしたんですか?
小西 私がスキャンをとって、レタッチは主に岸田がやりましたね。分業したところもあります。
塚村 岸田さんはライターさんなのに?
岸田 当時は趣味でフォトショップの使い方をちょっとわかってたという程度で、本当に無謀なんですけど……(笑)。この時は本当に、来る日も来る日も朝から晩までレタッチし続ける日々で、もうこれだけのページ数をやったら職業として名乗っても怒られないのでは、というくらいやりました(笑)。
小西 あと、大阪で私がすごくお世話になっているマンガ研究者の想田四(そうだよん)さん、貸本漫画とか古い時代にとても詳しい方なんですけど、復刻本をつくる仕事をなさっているんですよ。で、想田さんに雑誌のスキャンのコツ、こういうふうにレタッチしたらきれいにできるよとか教えていただいて。技術指導がついたような状態でやっていました。このシリーズは想田さんなしではとても実現できませんでした。大変お世話になり本当に感謝しています。
クオリティの高い絵と、超展開ストーリーに若い世代がびっくり!
——復刻本としては、最初に『バレエ星』が出て……。
小西 次に『まりもの星』と『さよなら星』が出ました。『バレエ星』が売れたので、編集さんがふたつ同時に頑張って企画を通してくれました。本当に夢のようでした。
塚村 『バレエ星』は売れたんですね?
小西 やっぱり『バレエ星』は、タイトルが圧倒的に強いですもんね。
岸田 そう、キャッチーなので、メディアにも多く取り上げていただいたことも良かったです。でもまあ、売れたと言ってもこの3作のうちでは、ということですが!(笑)
卯月 私は子どものころは、こんなに超展開とは思っていなかったけど、まとめて読んだら、いろいろとすごいストーリーだった。そして絵がうまいし、とても細かいところまで描き込まれてますよね。お洋服の模様もそうですけど、電車や自動車、ヘリコプターとか家電まで、ちゃんと実際に当時あったものが描かれているそうです。
小西 基本的に谷先生はアシスタントを使わず、お一人で描かれていたそうですが、本当に背景などもよく描き込まれているんですよ。
岸田 バレエ漫画はすごくたくさんあったという話をずっとしてきましたけれど、その反面、バレエって描くのがとても難しいんですよ。マンガのキャラクターは実際の人間の頭身とは違いますし、その上で身体の動きや完成されたポーズをきちんと違和感なく美しく描くためには、高い画力が要求されるんです。谷先生は、そういうところも完璧なんですよね。
卯月 バレエをしている方が谷先生の絵をみて、バランスが正しいと言ってらした。
岸田 身体のポジションはちゃんと描かれて、絵はすごくしっかりしていて美しいのに、話はめちゃくちゃな感じで(笑)。学年誌での谷先生のマンガは、最後のコマから逆に考えてお話を作ったこともあったそうです。つまり「引き」だけが重要で、話の全体感とかはあまり考えてないんですね。あとでまとめて読まれることなんてないという前提なので、整合性なんかまったく考えてなくて、その時その時に場当たり的な展開をしていく。
卯月 時代感込みで読んでもらえたらいいですね。
岸田 谷先生はそれを100パーセント真面目に真剣に描いていた。それもまた面白いんですよね。
小西 欄外に書かれていたあおりの文言を全部そのまま残したんですが、それもよかったです。空気感が出たと思います。当時の編集者が、こんなふうにこの漫画を読んでくれって考えていたことや、読者の感想も読めるので。たぶん、これがなかったら、この漫画どう読むんだろう?って、今のみなさん思ったと思うんですよ。だけど、ちょこちょこ「谷先生が、こんなに大きな顔をおかきになったのは、はじめてです」みたいなあおりが入っていたりとかね、そういうところも含めて、初めて読む読者さんたちにも、とても楽しんでもらえたんだと思います。
岸田 直木賞作家の朝井リョウさんも、すごく面白いっておっしゃってくださって、ネットの配信で『超展開バレエマンガ 谷ゆき子の世界』を紹介してくださったことがあったんですよ。
小西 1時間くらい、この漫画のここが面白いとか詳細に。
卯月 しかも谷ゆき子Tシャツを着て!
小西 立東舎がとにかく面白がってくださって、Tシャツも作って販売してくれたんです。
卯月 夏に向けて一枚いかがですか?(笑)
——朝井リョウさん、がっつりはまってしまったんですね。
岸田 はい、それで『バレエ星』の刊行が決まった時に、帯文をお願いしました。極端なところや、ある意味むちゃくちゃなところに、自由さを感じてくださって。今の作品にはない面白さが谷ゆき子先生の作品にはあると、創作って自由でいいな、初心にかえりましたみたいなことをおっしゃってくださったんです。
——3冊の中で特にここを見てほしいところってありますか。印象的なシーンとか、面白いシーンとかも。
卯月 『まりもの星』に載せた、子どものころ大ファンだった16人の方からのファンレターを見てほしいです。漫画家のまつざきあけみ先生、田亀源五郎先生、矢野健太郎先生をはじめ、いろいろな方々からいただいてます。
小西 その中に三枝木宏行先生という作曲家の方がいらっしゃるんですが、「星」シリーズの研究サイトを作るほど谷漫画にはまっていらして。
卯月 すごい深いサイトなのでぜひ見てほしいです!(谷ゆき子〈『星』シリーズ〉のレクチオ) それからですね、『まりもの星』には原稿が残っていた貴重な作品も載せています。「呪いのトゥ・シューズ」第2回の18枚と「白鳥ののろい」39枚、たったそれだけしか谷先生の直筆原稿って残ってないんですけど、どうしてもそれをみなさんに見ていただきたくて。
塚村 このページは線がきれいですね!
卯月 きれいでしょう?谷先生の原稿って、めちゃくちゃ線がきれいなんですよ。「星」シリーズ全編がこの美しい線だったらぜんぜん印象が違ったでしょうね。
——断崖絶壁みたいな岩のところで踊るのが『まりもの星』ですね。
卯月 そのシーンもおススメです(笑)。
小西 じつはあの「岩」も実際にある場所で、孀婦岩(そうふがん、そうふいわ)といって、当時話題になった所らしいんです。
——さっきのお話でちらっとでてきた滝修行のシーンは、『バレエ星』でしたっけ。
小西 そうですね。あの滝修行は創作ではなくて当時のバレエ団が実際に行なっていた精神修養だったそうです。
卯月 ……ということのほうが衝撃的でしたね。
小西 舞踊研究家の芳賀直子さんが『超展開バレエマンガ 谷ゆき子の世界』の寄稿の中で明言してくださいましたね。雑誌の記事にもなっていました。
岸田 私はやっぱり「トラ」を推します。このトラのシーンが入れたくて『さよなら星』まで頑張って出しました。そのへんは、『超展開バレエマンガ 谷ゆき子の世界』の「見どころ Pic Up!」というページにまとめています。
卯月 主人公はお金がないので、老夫婦に部屋を貸すんですが、その人たちがなぜかトラを飼ってたんですよね。
岸田 トラは怖いし、おばあさんにはいじわるをされる流れになぜかなる。でも、それに負けずがんばる主人公。
——(笑)
小西 研究者の岩下さんがこのトラをすごく気に入ってくれていたこともあって、『さよなら星』に解説をお願いしました。
——私は電子書籍で『さよなら星』を読んだんですが。もう本当にストーリーは波乱万丈ですよね、ついていけないくらい。展開がはやくて……。
岸田 細かいことを考えさせないスピードでどんどん行く(笑)。そのスピード感が今の若い読者にも面白く読まれている理由のひとつだと思います。
————そして、とにかく次々と不幸なこと、悲しいことが起こる。病気にもなるし。
岸田 いろんなことが息つく間もなく起きますが、どこに向かっていくかというような目的地はないんです(笑)。
——問題がひとつ起こって、それが解決してないのにまた次の問題が起こってしまうんですよね。
岸田 で、どんどん論点がずれていく。
——で、いつのまにかそれが消えてしまったりもありますね。
卯月 ありますねえ。
岸田 そういえばあの話どうなったんだろう……みたいな感じ(笑)。
——寒い日にお外で練習しているのも『さよなら星』ですよね。
小西 屋外で踊る設定っていうのは1960年代初期あたりの雑誌のグラビアによく載っていて、映画などでも見かけたので、そういったものも参考にされていたかもです(笑)。
——どれもこれも、そこまで非現実というわけではないんですね?当時のバレエ界がすごかったってことですかね……。
卯月 崖っぷちで三回転はさすがにバレエにはないと思いますが(笑)。何か別のものが混ざっているのかな。
——話の途中で、主人公がバレエではなく球技のバレーにも挑戦しますよね。
卯月 それは『さよなら星』ですね。
岸田 当時、バレーボールの大ブームがあったから。
小西 東京オリンピック(1964年)で女子が金メダル、男子も銅メダルをとり、さらにミュンヘンオリンピック(1972年)に向かっていく時代だったので、そのころはバレーボール一色だったんですよ、なのでちょっとここでもバレーボールやろうかってなったんだと思います(笑)。「アタックNo.1」や「サインはV!」とかスポ根が一世を風靡してましたし。
岸田 バレエ漫画でバレーボールをやるなんて、それこそ山岸先生の「アラベスク」だったらありえないことだけども、流行り物には乗っていく、そういうフットワークの軽さも谷ゆき子作品の面白いところですよね。時代の映し鏡というような。
——超展開というキャッチは、まさにそこですよね。とにかくすごい。
岸田 とにかくすごいとしか言いようがないの、わかります?(笑)。
小西 そうなんですよ!
——みなさん、谷ゆき子作品を読みましょう!
小西 『バレエ星』『まりもの星』『さよなら星』は、Kindle unlimitedで読み放題です。ご加入の方は無料で全部読めますので、どんどん読んでいただけたら!
岸田 谷ゆき子先生のお人柄や、なぜこんな漫画が当時あったのか、「星」シリーズの全貌が知りたい方は『超展開バレエマンガ 谷ゆき子の世界』から
卯月 実際の漫画が読みたい、という方は、『バレエ星』からどうぞ!
——私は『さよなら星』もとても面白かったです!『まりもの星』も、制作裏話を聞かせていただくと、発行されたのが奇跡のような気がしてきました。ちょっとでも気になる人はぜひ読んでほしいです。