大阪本店閉店に就いて

文・嶽本野ばら

2022年1月6日、SNS上でイノセントワールドが1月23日をもって大阪の心斎橋の本店をクローズするとの発表がありました。松も取れぬうちでしたので大きな衝撃がロリータ界を揺らし、僕も大変驚いたのですが、要は新作を出しても予約の時点で完売してしまうものが殆ど、最早、随分と店頭に出すアイテムが限られる状態が継続しているので来店頂くのも忍びなく、今後はオンラインショップを中心にしていく――ということらしい。イノセントワールド自体がなくなる訳ではありませんでした。展示会やショーは通例通り続けるのだという。

イノセントワールドは1999年、デザイナーの藤原ゆみさんが立ち上げたロリータ系メゾンです。いわゆるゴスロリと呼ばれる一群の中に於いて、常に上品な、お嬢様らしいワードローブを展開し、クラシカルロリータとも称される世界観を提出してきました。僕の印象では緑色の使い方がとても巧みなメゾンです。成績優秀であっても大人しいコはクラスで余り目立たない――のと同様、ゴスロリが世間で注目された時期、イノセントワールドは王道でありつつも、大きくメディアで取り上げられる機会を持ちませんでした。喧騒に巻き込まれず一般認知を低くさせたのは、顧客が余り沢山の人にこのメゾンを知られたくないという気持ちを抱き続けたからのような気がします。大阪本店は2000年にオープン、直営店は原宿や神戸など一時、5店ありました。日本発のロリータカルチャーへの関心が一段落した海外に於いて、イノセントワールドは未だ、根強い人気を持ちます。経営難からの閉鎖というのではなく、実質、店舗を構える意味がなくなったが故の判断なのでしょう。

ロリータ業界のみならず、ハイブランドすらオンラインショプが主軸になってしまった現在です。クレアーズが日本撤退を余儀なくされたはオンラインショップを持たなかったが故。昨年のサン宝石の民事再生法の適用申請にしろ、広告を出していた少女漫画雑誌が読まれなくなったから――識者は述べますが、一番はカタログ通販の形で少女の心を掴んできた従来の遣り方が、通用しなくなりオンラインを強化するものの上手くいかなかったのが原因だと推測します。

『Innocent World 15th Anniversary Book』宝島社・刊 2014年(筆者所有)

『Innocent World 15th Anniversary Book』宝島社・刊 2014年(筆者所有)

お洋服の世界で最も重要なのは在庫を持たないこと。モード(mode)を扱う以上、一着の売れ残りも避けたい。ジェーンマープルなんて初期からアトリエセールと銘打ち、顧客にそのシーズンに使用したハギレまで売っていましたしね。昨今、主流になった感のある受注生産は、メゾンにとって願ったり叶ったりなのです。

だけど、やっぱり直営店がなくなるのはファンにとって寂しい現実です。ジェーンマープルの本店が、改装に伴いラフォーレ原宿の4.5階から2階に移動すると決まった時は絶望したし、シャーリーテンプル本店のあるシャーリービルが売りに出されるを知った時は、自分が石油王なら絶対、買い取るものを……と歯軋りをした。MILKの本店にしろ、路面拡張工事の為とはいえ、店内の一部をリニューアル、天使の天井画を取り除くを余儀なくされると聴かされた時は、眼の前が真っ暗、一晩中、泣き明かしました。仕方のないことだと解っていたのですけれどね……。

『ハピネス』嶽本野ばら・著 小学館・刊

『ハピネス』嶽本野ばら・著 小学館・刊

かつて僕は『ハピネス』で、後一週間しか生きられないと医師に宣告された、イノセントワールドが大好きな女のコが、恋人の男のコと一緒に東京から新幹線に乗って、最後にやりたいこと――と、地図を頼りにイノセントワールドの本店を訪れる物語を書きました。「百合か水仙の形をした六灯のシェードを持つ華奢ながら優美なシャンデリアが二カ所に付けられた天井。アールヌーヴォー調の画家達が好みそうな草花のモチーフがレリーフみたく模様として組み込まれている白いクロスの壁。エントランスの絨毯よりも浅い色調の赤色のカーペットが敷き詰められた床。薔薇のカーテンで隠されたフィッティングルーム。巨大な金縁の額の中で四人の天使が戯れる絵が前面に据えられたマホガニー調のレジ。イギリスの高価なアンティークだと思われる褐色のキャビネット。ブラウスやスカートが掛けられた部屋の中央に置かれた猫足の、硝子の天板に花が飾られた不思議なフォルムの白いラック。正面の壁をぶち抜いて周囲を金で額のように縁取り、奥に二体のお洋服を纏わせたトルソーを並ばせた、ファンタジックな騙し絵仕立てのディスプレイ。」――長い引用ですが、これが当時の本店の様子。自分が作家として何か使命を託されているのであれば、こうして消えていく景色――彼女が死ぬ前に一度、身を置いてみたかった世界――を残すことかもしれないと思います。これからイノセントワールドを好きになる人の追体験の手伝いがやれるなら冥利に尽きるのですが……。でもベイビーの本店が原宿に移転した時は、何の感慨もなかったな。それまで代官山といえど、変な立地環境にあり過ぎたからですね。

(01/11/2022)