孫という名の宝物
文・嶽本野ばら
H&Mがシモーン・ロシャとのコラボを発表、今年、3月11日からオンラインでの限定発売を開始というニュースを聴いた時、面白い!と思わず絶叫してしまいました。
シモーン・ロシャといっても国内ではまだ認知度が低いと思いますが、1986年生まれ、アイルランド出身の比較的若い世代のデザイナー。ロンドンコレクションに参加している人です。デコラティブで立体的、それでいて可愛い少女趣味的な要素を導入するのが持ち味の人で、かなりロリっている。
ガレス・ピューが参加しなくなってからはロンドンコレクションで最も僕が好きなデザイナーです。というか、最近、ロンドンコレクションが勢いづいていることが嬉しい。
僕が10代の頃、ロンドンコレクションはパリ、ミラノよりスリリングでした。日本のデザイナーもコシノ・ミチコが自らのブランドをMICHIKO LONDONにしたことから察せられるようイギリスを最も重要視していた。長年、ロンドンコレクションを取材してきた若月美奈さんは著書『ロンドン・コレクション1984―2017』で“パンクの落とし子たち”としてそのアイコンとなった天才、ジョン・ガリアーノを紹介し、90年代、衰退するシーンに彗星の如く現れたアレキサンダー・マックイーンに多く紙幅を割きます。
そもそもイギリスはファッションに疎い国でした。無論、バーバリーなどイギリスならではのメゾンがあるものの、イギリスのお家芸はテーラードスタイルであり、それは産業革命以降、機能性を重視する紳士服として19世紀、ブルジョワジーが流行らせ、広めたものです。18世紀のイギリスのコメディアン、ジョー・ミラーは、フランス人からイギリス人はダサいと言われた時、こう切り返したという逸話がある。
「フリルを考え出した栄誉を貴国人と争うつもりはない。ただ、そこへシャツをつけ加えたのは、わが国であることをわかってもらいたい」
『ロンドン・コレクション1984—2017』が指摘するよう確かに、かつてロンドンコレクションがパリ、ミラノを凌駕したのは “パンクの落とし子たち” のおかげでしょう。ヴィヴィアン・ウエストウッドに代表されるテーラードを破壊する行為は、しかしテーラードこそが被服の完成形という前提に支えられている。80年代、ヴィヴィアン・ウエストウッドはアバンギャルドのデザイナーとしてジャン=ポール・ゴルチエと比較されましたが、僕は余りゴルチエは好きではありませんでした。ヴィヴィアンがイギリス王室をパロディにしたのは強烈な風刺と反逆ながら、ゴルチエがモデルの頭にエッフェル塔を乗せてランウェイを歩かせたのは、単なるウィットに過ぎなかったからです。
正直なところ、現在のロンドンコレクションに参加するデザイナーはエネルギッシュではあるけれど、表現への気負いが勝ち過ぎ、カッテングや素材の扱いがまだ未熟な人が多いように思えます。しかし名だたるメゾンが大企業傘下の駒として扱われ、利益追求に翻弄される現在においては、多少、ザツだろうとモードに夢と希望を託している彼らのコレクションに僕は注目せざるを得ません。
サイケ風の柄モノにドットを合わせたりして、何やってんだー!かつてのビバユーの原チャリか?とツッコミたくなるようなコレクションを展開するリチャード・クインにしても、セントラル・セント・マーチン美術学校(イギリスのデザイナーは大抵、ここの出身)を出て2018年からロンドンコレクションに参加、第1回英国デザイン・クイーンエリザベス2世アワード受賞を得た大型新人なので、ちゃんと見守りたい。
85年にジェーンマープルをスタートさせた村野めぐみさんも、英国トラッドを基本にそれをどう踏襲し壊していくのかをテーマに今もメゾンを継続させているし、かつてのロンドンの熱量がロリータも含め、日本のストリートファッションに影響をもたらした功績は計り知れません。
『ロンドン・コレクション1984―2017』には早逝したアレキサンダー・マックイーンのこんな言葉も載っています。
「景気が悪いとアートや音楽シーンが活発になる」「そういう意味では、最低の時期にデビューした僕はラッキーだった」
ロンドンコレクションの活性は世界の閉塞を打ち破る。シモーン・ロシャは新鋭達の中でも群を抜いてクチュリエールとしての腕を持ちます。彼女は、母親がいつもコムデギャルソンを着ていた――と語るニュージェネレーション。だからドーバーストリートマーケットに自分の服が置かれた時は嬉しかったそう。うう、川久保玲にしてみればもはや孫ですね。上が詰まった状態で新人が出にくい日本のファッション界においてもシモーン・ロシャの活躍は風穴の期待となるでしょう。
(02/24/21)