「ムンケゴー小学校の階段」
文・写真・図 下坂浩和
アルネ・ヤコブセン(1902-1971年)という名前を聞いたことがなくても、彼がデザインした椅子の写真に見覚えのある方は多いのではないでしょうか。日本では家具デザイナーだと思っている人の方が多いかも知れませんが、ヤコブセンは、コペンハーゲンのデンマーク国立銀行やSASロイヤルホテルなど、大規模建築の設計も手掛けたデンマークを代表する建築家です。
国立銀行の吹抜け6階分の上から吊られた階段も、ロイヤルホテルの螺旋階段も素晴らしいのですが、今回はコペンハーゲン郊外のムンケゴー小学校(1957年完成)の階段をご紹介します。
日本では小学校といえば、長い廊下に沿って教室が一直線に並んでいて、それを2〜3階分積み重ねた建築が定番ですが、この小学校は教室がマス目状に並び、それぞれの教室に専用の中庭があって採光できる平面になっています。しかも、平屋建てなので、教室の天井には高窓をつけることができ、中庭に面した窓から遠い席も暗くならないように工夫されています。
各クラスの教室は平屋建てですが、特別教室は2階建て担っているので、この学校にも階段があります。壁から踏板を突き出したデザインのシンプルな階段ですが、それほど特別な階段ではありません。ここで取り上げたいのは中庭から2メートルほど低い校庭におりる屋外の階段です。この階段も、先ほどの屋内の階段同様にシンプルで、一見、普通に見えますが、いくつも見所のある階段なのです。
まず目につくのはこの階段の緩い勾配です。踏面(一段分の水平寸法)48センチ、蹴上(一段分の垂直寸法)13センチです。何度も上り下りしてみましたが、とても楽に歩ける寸法です。これならば小学1年生でも大丈夫です。
次は材質です。この階段はコンクリート製ですが、驚くのはその薄さです。厚さ55ミリしかありません。コンクリートは割れたり、欠けたりするのを防ぐために中に鉄筋を入れて鉄筋コンクリートという構造形式で使われることがほとんどですが、これほど薄いコンクリートを身のまわりで見かけることはほとんどありません。
鉄筋コンクリート階段は現地に型枠を組み、その中に入る鉄筋を組み立てて、そこにコンクリートを流し込んでつくるのが一般的ですが、これほど薄くて精度の良いコンクリートをつくることはほとんど不可能です。この段板は別のところで製作し、工事中に現地で壁のコンクリートと一体になるようにつくられているようです。事前に製作するのであれば、各段の寸法は同じなので、鋼鉄製の型枠を繰り返し使えて、現地で組み立てる一般的な合板型枠よりも精度よくつくることができます。しかも、万一失敗した場合も作りなおすことができ、きれいにできたものだけを現地に組み込むことができます。この工法をプレキャストコンクリートと呼びますが、専用工場でつくればコンクリートの強度管理も行いやすく、工業生産品として精度良くつくることが可能になります。それにしても、工場でつくったとしても、これほど薄くつくるにはよほど品質の良いコンクリートが使われていると思われます。
この階段は片側の壁からの跳ね出し構造で支えられていますが、段板を薄くした理由の一つは、壁の表面に貼ってあるレンガの高さと同じ寸法の厚みにしておかないと、レンガをきれいに積み上げていくことができなかったからです。さらに、壁の一番上の笠石も、レンガと同じ厚みのコンクリートパネルでできていて、階段の最上段の平場ときれいにおさまっています。
ヤコブセンはこの階段で、小学生でも上り下りしやすいように蹴上寸法を小さくすることと、軽快なデザインの両立に挑戦したのだと思います。そして、踏板を極限まで薄くすることで段と段の間に隙間をつくり、光や視線が通って階段を軽快に見せることができました。同時に一枚ずつの踏板が壁から突き出ているだけで支えられていることが見てわかり、「構造を素直に表現する」という近代デザインの特徴を実践することに成功したのです。屋内の階段でも同じデザインができれば良かったのですが、このデザインは階段の幅が広いと付け根が厚くなってしまうのです。外部の階段幅は約1.1メートルですが、その幅がこの薄さでつくれる限界だったのでしょう。
ところで、教室がこのように水平に広がる小学校の場合、校庭に一番近い西端の教室はやはり1年生の教室なのでしょうか。その時は何年生の教室がどこに並べられているのか、という疑問は生じませんでした。この学校を見に行ったのは2003年5月の午後遅くでしたが、小学生たちはみんな帰った後だったので、建物の中も好きなだけ見てよいよ、と言われてひととおり見終わった頃には午後7時を過ぎていました。北欧の5月はまだ明るかったのですが、その時間になって玄関の前に自動車が何台もやって来て、おじさん達がドラムセットやギターを学校に運び込んでしました。夕食を終えて小学校に集まり、これから趣味の時間を楽しむといった感じでしたが、こんな風に大人が時間を過ごせるのも、やはり北欧の豊かさなのでしょう。
(2020年11月1日)
下坂浩和(建築家・日建設計) 1965年大阪生まれ。1990年ワシントン大学留学の後、1991年神戸大学大学院修了と同時に日建設計に入社。担当した主な建物は「六甲中学校・高等学校本館」(2013年)、「龍谷ミュージアム」(2010年)、「大阪府済生会中津病院北棟」(2002)「宇治市源氏物語ミュージアム」(1998年)ほか。