ウィリー・ネルソン87歳で70枚目の新譜を出す

文・嶽本野ばら

YOHJI YAMAMOTO BLACK Scandal ノベルティステッカー(筆者所有)

刺繍好きなのが高じ、イギリスやフランスの古いハンケチやドイリーを買ってしまいます。100年程遡るくらいですと大してお高くはありません。使うに非ず、刺繍を眺め、可愛いなぁとニヤけるだけです。産業革命が始まっていたとて当然、手刺繍。ステッチの所々のザツさも味です。

リネンが多いです。シミがあれば手洗いします。洗濯機は恐いので、絞って夜中に窓辺に干します。リネンはすぐ乾くといいますが本当にすぐに乾きます。一時間も経たず、パリッパリ。洗っている時は水を含みとても柔らかなのに、炭酸煎餅のようパリッパリになります。鉄製の古いアイロンを持っているので、それでアイロンをあてます。スチームなぞ付いちゃいません。

リネンがオバサン達の間で流行っているようで、『リンネル』なんて雑誌まであります。これを読んでリネン好きのオバサンはポーチやチュニックを作ります。私も手作りが趣味!と懐いてくるオバサンが自分はキルティング専門と付け加えると、腹の中で「キルティングやってるダサいヤツに同胞と思われたくない」と毒付きます。リネン好きのオバサンはリネン愛を知性的と自負します。偶にヨガをするのでヨガマットを所持します。

コムデギャルソンは今も着るけど、僕はもうヨウジヤマモトを着なくなりました。ギャバジンよか僕にとってヨウジヤマモトの印象はリネンです。

昔はヨウジを圧倒的に着ました。でもヨウジって結構、ダサいとも思っていました。縫製も良くない……。記事で文化服装学園時代、裁縫の宿題を友達にやらせていたというのを読んだ時、この人は自分で縫えないんだと納得しました。ホモでない自分は周囲から生きた化石と驚かれるというインタビューを読んだ時は、ヨウジに感じていたダサさの正体に触れた気がしました。ダサい——と感じていたものはノーマルと言い換えるが然るべきと理解を訂正しました。

良識的とするべきか? 川久保玲は頭、おかしいじゃないですか。意味なく殴られそう。慶應大学卒業、旭化成を経てスタイリストは嘘で、パリコレにも出てなくて、青山にお店があるも全て彼女の妄想だったとしても、頷けてしまいます。山本耀司が慶應大学を出て文化服装学園に入った経歴は疑いようもないですが。

娘にリミフゥをやらせたり、会社を倒産させかけたりして、しかし振り返れば、ヨウジは終わったと、幾度となく見限られてきましたよね。それなのにずっとファンがい続ける。

ヨウジは中古市場で値崩れしません。中古市場はアダム・スミスの経済学、見えざる手に拠り価格決定がなされる訳ですが、ヨウジはダメだったシーズンも暴落しない。絶頂期、売れるんだけど俺の服を街で観ない。家で鑑賞されているだけなのかと不安になる——と語っておられましたが、多分、その通りで、着ないのです、ヨウジのファンはヨウジヤマモトを。そして手放さないのです。

ずっとコレクションし続ける。酷評のシーズンでも何か一着は買うのです。ヨウジのお洋服を初めて観た時、纏った時、感激してしまったから。こういう支持者を持つデザイナーはオートクチュールにもプレタポルテにも見当たりません。ロリータのオタク的な信仰とも異なります。ロリータは結構、あっさり裏切ります。好きだったけど、近頃はあのコが着ていて癪に障る。ベラボウな理由でソッポ向いたりします。

ですから昔のアイテムに懐かしーという感慨すら洩らさないのですよ、ヨウジのファンは。懐古は自分の中でリアリティがなくなったということです。いつか着ようと思ってとってあるお洋服が、ずっとまだ着られないまま溜まっていく……。アイドルオタクより切手マニアの方が良識的じゃないですか。セックスピストルズよりウィリー・ネルソンの方がノーマルですし、ダサいです。昔はよく聴いた、懐かしいーとウィリー・ネルソンを聴く人はいいません。

 流行ることはあれ、リネンという生地が古びることはない。古い絹と古いリネンは同じ布であれ価値の概念が異なります。だからこの先、キルティング専門のメゾンになってもヨウジヤマモトはダメじゃないし、アディダスからヨガウェアを出してもファンは怒らないでしょう。山本耀司が生きた化石ならファンも生きた化石です。

包み込まれているような気持ちにさせられる。多分、だから僕はヨウジを着なくなった。安堵する場所を作りたくなかった……。

それでも一着だけ未だシンプルな白の開襟シャツ——Y’s for men——を手放さず持っています。久々に観てみる。やはりダサい。ヨウジをもう着ないことが自分の覚悟と呟き、クローゼットに仕舞い込む。代わりリネンの古いハンカチを集める。作家を引退したらまたヨウジを着ようかと思っています。

(9/27/20)