第3回の話題は、今年12月に30周年を迎える「DIAMONDS ARE FOREVER」について。2018年に東京・森美術館で行われた展覧会「MAMリサーチ006:クロニクル京都1990s –ダイアモンズ・アー・フォーエバー、アートスケープ、そして私は誰かと踊る」と、2019年に京都精華大学ギャラリーフロールで行われた展覧会「ヒューマンライツ&リブ博物館 —アートスケープ資料が語るハストリーズ」についても、あわせてお話いただきました。(丸黄うりほ)
7-8年くらいでパフォーマーは世代交代してきた
——「DIAMONDS ARE FOREVER」は始まって30年になるんですね。
シモーヌ深雪さん(以下、シモーヌ) 今年2020年の12月で30年かな。
——その30年の間に、節目になるようなことってありましたか?
シモーヌ 90年代の中頃までは、まだバブルの感じが残ってたりしたので、よく地方のパーティーに呼んでもらったりとか、北から南まであちこち行かせてもらいました。お客さんも、アート関連の人たちとか音楽関係者とか、グラフィックやファッション業界のデザイナーやエディターとかがわんさか来ていて、勝手に参加型のお客さんが多かった。それがある時から直立不動の観客型に変わった。パーティで踊りに来るというよりは珍しいものを見に来るみたいな感じに変わっていって。でも2010年あたりから外国人の客が増えてくると、初期の頃みたいな参加型にもどっていったんですよ。
——外国人が増えてきたのは、日本が観光の国になってきたことと関係あるんでしょうか?
シモーヌ 多少は関係あると思います。それで、参加型のパーティだと観客型の人が来ても巻き込まれるんですね。でも、観客型のパーティのなかで飛び跳ねて踊ったりするのは勇気がいるので、あまりパーティらしくなくなってしまう。パフォーマーとお客が分離してしまうんです。
——パフォーマー側も時代で移り変わりはありましたか?
シモーヌ ずっといる人もいるし、ちょっと休んではまた復活している人もいるし。ずっといるのはブブ。フランソワも長めかな。最初は二人ともお客で来ていて、朝までみんなと遊んでました。
——メンバーは結構変わりましたよね?
シモーヌ 今は落ち着いてますけどね。7、8年くらいで新しい世代の人が出てくる。不思議なことに、その間はほとんど出てこないんですよ。何故だかわかりませんが、ある時期に大量発生するんです。
——LaLaさんも初期はクイーンでしたよね?今はDJ専任?
シモーヌ LaLaは「DIAMONDS ARE FOREVER」の初回からDJでしたよ。花形文化通信でもおなじみのウラヂが、ドラァグクイーン風のコスチュームプレイを、よくLaLaにコーディネイトしてたんです。コスプレといってもウラヂですから、すみからすみまで超本格で、その辺のクイーンよりもクイーンらしく仕上げていました。でも、どれだけスタイルをドラァグクイーンっぽくしても、あくまで彼はミュージシャンであり、サウンドアーティストなんです。LaLaには2つのフィールドがあります。私にもあります。LaLaはパーティーの時はDJ LaLa、現代音楽の時は山中透という名義、私はどちらも同じ名前ですが、シャンソンのライヴとパーティーやショーのパフォーマンス。二人とも本質は変わらないんですが、環境によってクローズアップしてるものが違うのかも。
塚村編集長(以下、塚村) シャンソンとかパーティーとか出る場所でメイクは違うんですよね?
シモーヌ メイクも一緒なんですよ。
塚村 そこはわかりにくい。
シモーヌ そう、すごくわかりにくいんですけど。シャンソン界隈の人たちとパーティー界隈の人たちでは、ごく一部が重なっているだけで、リンクはしてないんですよね。なので、見た目は同じかもですが、所作とか表現形態とかはそれなりに違ってると思います。たぶん。
塚村 「DIAMONDS ARE FOREVER」のコンセプトとかは、オーガナイザーであるLaLaさんとシモーヌさんの二人に拠ってるのかな? 看板っぽいビジュアルとしてはシモーヌさんがずっといるじゃないですか。悌二さん(グロリアス)が亡くなったときに、それでもずっとやろうってなりましたよね。もしも、シモーヌさんやLaLaさんが亡くなっても「DIAMONDS ARE FOREVER」というパーティーはあるのでしょうか?
シモーヌ さあ、どうでしょう。それは残った人たちが好きにすればいいことだし、仮に名前が変わったとしても、エッセンスとかフレーバーみたいなものが続いていってくれればいいなとは思います。ダイアモンドは昔の人たちが残してくれたエッセンスやフレーバーみたいなものを、その時代に合わせつつ、出来るだけ絶やさないようにしてるんじゃないでしょうか。誰かが死んでも消えても、踏襲する者がいる限り、パーティーは必然的に続いていくのでしょう。そんなこと意識したことはないですが、あえて言葉にするとそうなのかも……。
「DIAMONDS ARE FOREVER」には、女性やヘテロのクイーンもいる
——「DIAMONDS ARE FOREVER」で海外公演をしたことはあるんですか?
シモーヌ ダイアモンドではないです。ソロや選抜メンバーで海外に呼ばれたことはあります。ベルリンとパリと、ミネアポリスにも行きました。ミネアポリスはいま白人警官による黒人男性の暴行死事件で世界的に関心が集まっている街。海外からときどき話はあったりするのですが、大所帯なので飛行機や船などの移動費がネックになってます。先日もミラノまで来てくれたら、会場も客もホテルも用意するからヨロシクとか言われましたよ。イタリアまで行くのに幾らかかると……。
——海外のお客さんの反応は?
シモーヌ ジャンルパフォーマーとして見てるのかな。日本はニューハーフとドラァグクイーンの棲み分けみたいなのがあって、さらに趣味女装とニューハーフとドラァグクイーンとトランスジェンダーに細分化されていたりするんですけど。海外のドラァグクイーンって、パーティ仮装も、トランスジェンダーも、ショーパフォーマーも入るし……で、そのへんは日本よりも幅広いんですよ。そういうジャンルの一端の人たちね、という見方をされているような印象を受けました。
——日本ではニューハーフとドラァグクイーンの棲み分けがある?
シモーヌ そうですね。プライベートで友達だったりはするけど、同じステージに立つことはあまりないかな。活動の時間帯も重なってたりとかしますし。ドラァグクイーンのほとんどがゲイなんですが、ニューハーフとは「男の出し方や表し方」が違うんですよ。ドラァグクイーンは職業の枠をとっぱらってもドラァグクイーンなんです。男性性は大なり小なり表出させますが、それは義務ではないです。トランスジェンダーに至っては職業ですらありません。でもニューハーフはニューハーフのお店で働く従業員みたいなものなので、いわゆる会社の営業方針があるんです。
——職業優先ってこと?
シモーヌ そう。表層的には女性であっても、自分は男であるということを見せる仕事なんですよ。なので、突然声を低く落としてみせたりとか、男っぽい荒らさみたいなものを象徴するポーズを取ってみせたりだとか、元は男性であるという証拠を見せる必要性があるんです。それもシンプルかつ解りやすく、そして楽しく。この世のものとも思えないような絶世の美女が、元は男性であることを知らしめることで対価を得る。そんな等価交換のシステムを作り上げたのがカルーセル麻紀。八百屋さんが野菜を売るように、ニューハーフショップはトランスしたジェンダーを売ってるお店なんです。なので、お店を辞めたニューハーフはニューハーフではなく、ひとりのトランスジェンダーとなります。でも、ドラァグクイーンにはジェンダーにもセクシュアリティ(性的指向)にもこだわる理由がないので、そのあたりはニューハーフのあり方とは大きく違っていると思います。ただ、さっきも言ったようにドラァグクイーンにはゲイが多いので、必然的にゲイが好むキャンピズムに支配されていたりして。そのせいでゲイ以外の人たちにとっては、間口がとても狭いと感じているかもしれないですね。それでもドラァグクイーンの世界に飛び込んで来るツワモノな女性たちが、いつの時代にもいたりするのが面白いです。
——実際、ブブさんとかマミー・ムーさん、アフリーダさん、ショコラさんという女性陣が「DIAMONDS ARE FOREVER」にはいらっしゃいますもんね。東京にはジャンジさんも。
シモーヌ もともと「上海ラブシアター」にヘテロ(異性愛者)女性もヘテロ男性もゲイもレズビアンもいたので、今でもその流れが続いているだけです。セクシュアリティとかジェンダーとかよりも、とりあえずフリーキーな人を優先しますみたいなところがあって(笑)。で、それは堂山とか新宿二丁目とか、ゲイタウンの中で派生するドラァグクイーンの成り立ちとはかなり違っていて、どっちが良いとか悪いとか、優劣とかは関係なくですが。フェティッシュのシステムに近いのかもしれない。
——そこを外部の人で区別できる人って少ないんじゃないですか?
シモーヌ なぜ女性のクイーンがいるんですか?とよく聞かれる。
——でも、それは「DIAMONDS ARE FOREVER」では自然なこと?
シモーヌ 自然なことなんです。さっき言ってたエッセンスやフレーバーみたいなものに共鳴できる人は残り、共鳴できない人は離れてゆく。そこに男とか女とかゲイとかそうじゃないとかはどうでもいいんです。東京に「デパートメントH」という老舗の変態パーティーがあるんですが、そこも同じ趣旨だと思いますよ。
——海外のドラァグクイーンはどうなんですか?
シモーヌ ヘテロ女性のクイーンもいるし、レズビアンのクイーンもいる。トランスジェンダーの、トランスマン(FtM)やトランスウーマン(MtF)のクイーンもいる。欧米は賑やかですよね。でも賑やかな分、そこには激しい差別があったりもします。日本より人権運動が盛んなのも、そんな悲しい背景によるものです。自分のセクシュアリティやジェンダーと向きあわなければならない機会も多かったのでしょう。日本のドラァグクイーンに関していえば、80年代後半に登場し、風変わりでエキセントリックな物体Xとしてとらえられたので、ジェンダーやセクシュアリティを含んだ差別はほとんどなかったです。ただ、初期の頃の女性のクイーンはみんな経験してるみたいなんですが、女がこんなケバケバした派手な格好をするはずがない、女性は人前で胸を放り出したりはしない、この胸はきっとニセモノに違いない、よし本物かニセモノか確めてやろう、という自分勝手な解釈のもと、すれ違いざまに胸をつかまれたり、揉まれたりしていたみたいですよ。
80-90年代のパーティ資料を集めた、森美術館での展覧会
——2018年に森美術館で行われた展覧会「MAMリサーチ006:クロニクル京都1990s –ダイアモンズ・アー・フォーエバー、アートスケープ、そして私は誰かと踊る」についてお話をうかがいたいと思います。森美術館でこれをやるのはすごいなって思ったんですよ。アンダーグラウンドではない、極めてメジャーな場ですよね。
シモーヌ 80年代や90年代のクラブイベントやパーティーの資料を集めた展覧会が、ニューヨークやアムステルダムで開かれ、美術関係者の間で話題になった時期があるんですよ。そんな中、そろそろ日本でもっていう話があった時に、キューレーターと研究者と資料を持ってる数人が出会ったんです。で、これは出来るかなということになったんですけど、その後が大変でした。どこにあるかわからないチラシやら写真やらグッズやらをかき集めて。で、森美の場合はダイアモンドのフライヤーを時間軸にすることになっていたので、初期から2000年までのものを中心に、汗だくになりながら探してました。準備期間が夏だったんで。結局、3枚だけ持ってなかったんですが、最近新たに1枚を発見したので、いまのところ欠番は2枚ですね。
——ほぼ揃っていた?それは素晴らしい!
シモーヌ いつか何かの役に立つかなと思って置いていたものが、ちゃんと役に立ってくれてよかったです。文化にとって断捨離は悪だということを、改めて認識した瞬間でした。
——ニューヨークでは、ぼちぼち90年代が回顧されてるってことですか?
シモーヌ パーティーのフライヤーをデザインしたのが、たとえばキース・ヘリングだったり、バスキアだったりとかっていうのが出てきたので。あと写真家とか。当時はまだ駆け出しだったアーティストがデザインに関わってて、それが机の引き出しの奥からごそっと出てきました…みたいな。そうした現象が世界中で同時多発的にあるので、アーカイヴ化やデジタル化も含めての展覧会があったりします。遺品整理も多少は関係してるんじゃないでしょうか。そういう時期なんだと思いますね。まあそこも、資料が集められるうちにデジタル化しておかないと紙は無くなってしまうから。
塚村 (展覧会のパンフレット『MAM RESEARCH 06』に掲載されているマネキンを見ながら)、これはどなたかの作品なんですか?
シモーヌ これはですね、グロリアスと私とマミー・ムー・シャングリラでロイヤルウィッグというユニットを組んでいたことがあるんですが、その時にかぶっていたカツラ(ウィッグ)を再現したものです。
——「DIAMONDS ARE FOREVER」の初のネット配信のときも、これがトップに出ていましたね。
シモーヌ 実物もまだ残してあるんですが、「衣装をマネキンに着せて、カツラをかぶせて展示するのはどうですか?」って聞かれたとき、即答で断りました。衣装はペロペロだし、マントは勝手にしわ加工されてるし、カツラはただの白い毛の固まりだし。いくらドラァグクイーンのコスチュームがゴミだとは言え、あまりにもゴミすぎるので (笑)。だったら改めて作りましょうということに。
塚村 これがあるとないとで、この展示はだいぶ違ったと思う。
シモーヌ それで、ウラヂに協力してもらって一緒に作ったんです。いっても私は、大まかな土台やら、ざっくりした装飾をしただけなんですけどね。マネキンのメイクは、ウラヂがアクリル絵の具で描きました。会場の展示仕上げを担当したのはブブです。
京都精華大学ではレコジャケで「DIAMONDS ARE FOREVER」の音を展示
シモーヌ その一年後、京都精華大学のギャラリーフロールで、京都のアーティストたちの交流から生まれた文化や運動、パーティー、それらが現在に与えた影響などを組み合わせた資料展がありました。
——2019年の「ヒューマンライツ&リブ博物館 —アートスケープ資料が語るハストリーズ」ですね。
シモーヌ 森美術館のときのキュレーターのひとり石谷治寛くん(京都市立芸術大学芸術資源研究センター研究員)が、漏れているところをもう少し丁寧にやろうと。森美の時は東京だし森ビルだしで、それはそれはゴージャスにパッケージングされてたんです。
——パッケージングっていうのはどういうことですか?
シモーヌ 飾り方とか見せ方とか。で、そのために落としたもの、これはちょっと泥臭すぎるからみたいなのもいっぱいあって。
——かっこよく編集されてるってこと?
シモーヌ そうですね。かっこよく編集されすぎていた。でもそれは正しくて、いかにセンス良く飾るかにもこだわっている美術館なので。スタイリッシュに仕上がるのは織り込み済みでした。デザイナーは苦労されてたみたいですが。代わって精華の方はアットホームな感じの展示で、予算も少なく、手作りのため洗練された仕上がりにはなりませんでしたが、現場での制作作業はとっても楽しかったですよ。森美術館で紹介できなかったパーティーで掛かる楽曲や、ショー音源などの“音楽の部分”をレコードジャケットで見せるということになり、私とDJ LaLaとDJ korの三人の所蔵アルバムを、できるだけグラフィカルに展示しました。もうひとつ、同じ部屋に飾るためのコラージュを私が作りました。こちらはクイーンをメインにしたもので、聴いて育った音楽やこれからショーで使いたいナンバーなどをバックに散りばめて。あえて音を流さず無音にしたのは、デジタル世代の若者やデジタル至上主義の人たちに、紙媒体の面白さや魅力を知ってもらいたかったから。紙媒体っていろいろとめんどくさくて難儀なんですけど、デジタルにはない、0と1の間にあるものを表すことができる手段のひとつだと思っています。ロマンとかデカダンスとか、それこそキャンプとか。
——どちらの展覧会も、シモーヌさんが資料をきれいに残していたからできたんですね。「DIAMONDS ARE FOREVER」や「シモーヌ深雪」の個展だってできそうですよね。
シモーヌ ダイアモンドが出したフリーペーパー「Hello Gorgeous vol.2」の発売を記念して、京都のヴォイスギャラリーで展覧会をやったことがあります。フライヤーや写真、衣装、レコードジャケット、映像などを散りばめて。パテーションで区切られた回廊をうずまき型に進んでいくんですが、茶室の入り口みたいな狭い間口とか、風船が敷きつめられてて歩きにくいエリアとか、布がビラビラして展示物がはっきり見えないエリアとか、ビックリハウスというかアスレチックさながらの形式で。よく壁の向こうから悲鳴が聞こえてましたよ。中心にはドラァグクイーンがいて、ショーを見なければ出られないという嫌がらせのオマケ付き。いまから思えば、豪華な造りでしたね。
「MAMリサーチ006:クロニクル京都1990s―ダイアモンズ・アー・フォーエバー,アートスケープ,そして私は誰かと踊る」の報告はこちら、京都市立芸術大学芸術資源研究センターへ