ディオール、やっぱ好っきゃねん
文・嶽本野ばら
今年3月1日から22日まで阪急うめだ本店で開催されたディオールの『ディオール、パリから日本へ』は2017年から18年にまたがりパリの装飾美術館で行われ70万人もの桁外れな来場者数を記録したディオールのメゾン70周年記念『クリスチャン・ディオール 夢のクチュリエ』のいわば来日巡回展のようなものだったのですが、当然、その全てが再現される訳はなく(何しろ300点以上のドレスが陳列されたのだ)、規模は抑えられたものでした。
しかし日本でのみの趣向、満開の夜桜の下に並べられたオートクチュール、移り変わる四季がプロジェクターで映し出される背景に立ち上がるジョン・ガリアーノとその後任、ラフ・シモンズ時代のコレクションなど、愉しませる仕掛けは満載で、僕は何往復して、嗚呼、一体、どれくらいの時間、このアーカイヴ展に浸っていたことでしょう!
パリ展での白のトワル(シーチングで拵える仮縫い段階のもの)が白い空間に飾られている写真をネットで観ながらずっと溜息を洩らしていたのですが、夜桜の演出を優先させたかったからか、阪急は一転、黒バックに白のトワルのディスプレイになっていて、こちらの方が良い、僕は恍とするばかり。でもって、撮影自由、入場料はタダなのですよ。ディオールって太っ腹、これで大阪のオバハンのハートを鷲掴みです。
興味深かったのはガリアーノとラフのドレスが混在し配置されたコーナーで、ガリアーノは心底、ラテンなデザイナーじゃないですか、それに彼の就任期はオートクチュールもギリギリ絢爛さを競い合っていた頃ですから、超派手、曲線のバロック、布と技巧を蕩尽するデコラティブなドレスばっかりなのに対し、ラフはミニマル、建築から出発したデザイナーなので正反対にクールで構成的、まるで同じメゾンのものとは思えぬ対比が鮮明に伺えたことでした。時期が異なるので通常なら分けますよね、混乱しないように。だってピカソ展に行ってキュビスムの『泣く女』の横に青の時代の『人生』があってその横にキュビスムの『アビニョンの娘達』でその横が青の時代の『盲人の食事』だったなら、ピカソって躁鬱か? 誤解してしまいますもの。そういうキュレーションは不親切というかダメです。しかしお洋服の場合は変ではないのです。
ディオールサイドは、70年の歩みを順に理解して貰おうとは思っていない。こういう細かい努力を経て一着ずつ入念に作っていく——、トワルの展示だって、真摯な過程をアピールしたいのではない。ガリアーノなこともありましたしラフなこともありました。サン=ローランな時もありましたねぇ。今はマリア・グラツィア・キウリですけど……。ま、全部がディオールです、己のシルエットを固定しないのです。モード(mode)そのものが核なのですから各々の地点(point)は、どうだってよい。
大体、夜の風情を演出に使いたかったからといって、どうして接近しなければディテールが確認やれないまでに全体の照明を落としちゃうんですか? ダメですよ、幾らタダやいうてもこんなん眼鏡掛けてもみえへんわぁ——大阪のオバハンは怒りますよ。
美術館で服飾の企画展示が行われる時、僕が大抵不満を抱えるのは、その展覧の手段が的を得ていない場合が多いからです。でもお洋服を上手く観せる術を美術館の学芸員が心得ている筈もない。お洋服は誰かが着てようやくお洋服となります。ウィンドウに飾られたトルソーが物質であっても恐ろしく訴求力を持つのは、「買ってください!」と大声で叫んでいるが故、美術館に展示されるお洋服は全くの無言です。声を上げて鑑賞者が急に「試着していいですか?」自分を置かれた場所から剥いで監視員の処まで持っていくと、この場合、問題になるみたいだしな、お洋服はわきまえ、静かにしているを選ぶのです。
恐らくは美術館より博物館の方が被服のエキシビションは向いているでしょう。誰から賞賛を受けずともゴッホの絵はゴッホの絵ですが、お茶を注がれたことのない湯呑みは湯呑みに非ず、器でしかない、利休所縁のものであろうが、ものぐさな独身化学者が面倒だからとコップ替わりに使用したビーカーと並べば、「否、私、只の無骨な器でして」それに対し肩身を狭くします。博物館の学芸員は、使われなかった利休所縁の茶碗よか、キュリー夫人の弟子がコップにしていたビーカーの方がより優先度が高いと判断を下すでしょう。お洋服はアートを利用することはあれ、アートであってはならないのです。
会場から出ると、スゴくディオールのお店を覗きたくなりました。昔のように羽振りが良かったらすぐ様、2階のコスメ売り場に行って意味なくディオールのマニュキュアくらい買ったね。この効果を狙うてタダやったんかい! 大阪のオバハンのように大きく独り言をいい、阪急電車で京都に帰りました。
(6/26/20)