「水心で歩く」
3月も終わりという頃になって、いよいよわたしも常時マスクをするようになった。夜、帰ったら石けんで洗って干し、朝からそれを使う。なにしろ、もう一カ月以上、近所の薬局でマスクを売っているところをみたことがないので、手元にほとんどない。
当初、マスクは感染したときに使うものと思っていたが、考えてみると、自分が無症状のまま感染している可能性もゼロではない。そして何より、レジの人が気の毒になってきた。外出はたいてい買い物という「不要ではない」用事を伴っている。レジの前で、カードは持ってないです、レシートはいいですと、わたしがことばを発するたびに、声とともに飛沫が散らばっている。これだけ飛沫感染が危ないと繰り返し言われるようになった昨今、わたしのような者が次々とやってきては、面と向かって声を発するというのは、レジの人にとってさぞかし胸苦しいことだろう。そう思うと、マスクなしでは申し訳ない気がする。
(こう書いたのが4月1日だったのだが、12日のいまはもう、レジ係と客との間にビニルのシートがぶら下げられるようになった。そしてわたしは未だに同じマスクを使っている)
この一カ月半の心境の変化は著しい。
2月22日に、わたしはマスクについて、こんな風にツイートしている。
都内の地下鉄マスク率は異様なほどだけれど、たぶん、息苦しくて小さく咳払いしたとき「いま咳っぽい音出したような気がするかもしれませんがたぶんウイルスのせいではないし万一そうだとしてもマスクしてるので許してください」という無言の言い訳として機能してるんじゃないかと思う。
「異様なほど」という言い方にやや否定的な響きが入っていることからも分かるように、以前のわたしは、誰もかもがマスクをする風潮に、どちらかというと懐疑的だった。マスクは一般的に、外からのウイルスを防ぐほどのきめ細かさを持っていない。だから、感染したときにかければよい。そう思っていたのだった。しかし、その後、自分が無症状なまま感染している確率は、思ったより高いのではないか、それならとにかくかけていればよいのではないかと考え直した。
マスクはするが、散歩にも出る。
暗渠を探る散歩は、社会的距離をとり一人で行う運動にも適している。そもそも昔の川筋というのは、たいていの場合、さほどの人通りはなく、人出を避ける上でも都合がよい。幸い、東京はあちこちに暗渠の道筋があり、目的地である職場への道すがら楽しむことができる。それに、いまのところ適度な運動や散歩までは禁じられていない。そんなわけで、職場まで電車で通う時間をできるだけ減らし、徒歩で暗渠のある道筋へと遠回りしては考え事をしている。
(こう書いたあと、職場はロックアウトされて在宅勤務となり、もはや「目的地」を失った散歩は、あちこちの方向へと日々ばらけるようになった)
そうそう、話は「神楽坂上」だった。
わたしは改めて神楽坂上の交差点に立ってみた。かつての水路は、どちらに向かって流れているのだろう。最初のわたしの推測では、この交差点から北東に伸びる太い道路に沿って水路が流れているというものだった。つまり現在の道路を手がかりに、ごく直線的でわかりやすい道筋を考えていたのだ。
一方、本田さんのツイートに描かれていた道筋は、この大きな道路のやや斜め左に曲がっていた。じつはわたしはこの道に見覚えがあった。というのも、この近くには第三玉乃湯という、神楽坂では有数の銭湯があり、道は、その銭湯の裏へと続く、ちょっと雰囲気のある通りだったからだ。これまでのわたしは、その「雰囲気」がいったい何に由来するのかを深く考えることもなく、ただスタスタと歩いていたに過ぎなかった。しかしいま改めて広い道路とこの通りとの分岐点、すなわちY字路に立ってみると、何とも言えないゆかしさがある。
何より目を引くのは、広い車道に比べてこの通りが、ただ狭いだけでなく、少し低めに、誘うように傾斜していることだ。 わたしがもし水だったら、どちらの方向に流れていきたいだろう。当然、この、より低く傾斜している方だ。ちょろちょろ、ちょろちょろと頭の中でつぶやきながら、水になったつもりで低い方へ低い方へ足を向けていく。だんだん傾斜が緩やかになり、目ではしかとは分からなくなってくる。足裏に耳をすまし、踏み出す足に上り下りをたずねながら歩く。すると、ちょうど第三玉乃湯の手前の右側に、さらに細く分かれている路地があるのに気づいた。前方の道も右の路地も、曰くありげに傾斜している。どちらに行くべきか。いや、わたしが水だったらどちらに流れるか、と考えてみる。なんとなく路地に足が向いた。自転車で入るのもためらわれる狭さだ。しかし、身体を滑り込ませるとしっくりくる。なぜならわたしは水なのだ。微かな傾斜を足裏が感じようとして、自然と歩みが緩やかになる。どうやら不自然な起伏はない。
じつはこの路地も少しだけ入ったことがあった。路地を抜けたところにときどき行くラーメン屋があり、その裏口が、この路地に面しているのだ。もちろん、わたしはこれまで、そこが暗渠であるかどうかなどという問いを立てたことはなかった。しかしいま、水の心で路地を歩くと、足取りは路地の微かな傾斜を捉えるようにちょろちょろと流れていき、ラーメン屋の裏口の真ん前を過ぎ、広い通りに出た。わたしは当初、この広い通りに沿って水がまっすぐ流れているのだとばかり思っていた。しかし、どうやらそうではない。
わたしはスマホを取り出して「東京時層地図」を立ち上げた。暗渠探索の必須アプリである。じつはもう何年も前に手に入れて時折眺めてはいたのだが、何しろその頃は自分が東京に住んでいないものだから、実地に歩いて使い込んでいるとは言い難かった。
しかし暗渠散歩をすると、この地図はとんでもなく有用だとわかる。というのも、地図には文明開化間もない時代から始まって、文明開化期・明治後期・大正・昭和の戦前期・高度成長期・バブル期など、さまざまな時代の地図が入っており、それらを瞬時に切り替えることができる。しかも地図はGPSで現在地と連動している。いまはもうなくなってしまった水路が、いまいる場所の近くにあるかどうかを、たとえば文明開化期の地図によって確かめることができてしまうのだ。さらには前回紹介した東京の高低を示す段彩図まで入っており、自分がいま渓谷のどこにいるかが一目で分かる。
ラーメン屋の表の入口に立ち、答え合わせをするべく、東京時層地図の文明開化期の地図を表示し、ぐっと拡大してみる。当たりだった。神楽坂上から、水路は広い通りではなくまず左前方の道へと流れていき、さらにその中途でぐっと右に折れ曲がっている。まさにわたしが抜けてきた路地だ。
しかし、何かがおかしい。せっかく水路を探り当てたというのに、何かまだ見逃している気がする。なおも地図を見つめているうちに、はたと気づいた。いま、わたしが路地を抜けて出てきた広い通り、それが、文明開化期の地図の上にない。ここは、かつて寺の真ん中だったのだ。
(4/12/20 )