ブラウニング夫妻 vs ジョン & ヨーコ

武田雅子

私は子どものころからグリーティング・カードを集めるのが趣味で、集めたカードを入れた箱がいくつもある。日本では、どちらかというと若い女性向きのようなところがあるが、海外では、大人のための、ひねった、気の利いたものもあって、男性もどれにしようか多くのカードの前で迷っているところをしばしば見かける。いくつもの箱のコレクションの中に、私が「傑作」と呼んでいる、秀逸な、とてもよくできたものがあって、次のはその一つ。

形は正方形、キスをしようとする二人の人物の彫刻の黒白写真、そして、うち一人の天使のような羽根の間に、滑らかな筆記体で ”Let me count the ways…”(私にその方法を数えさせて)と書かれている。それだけで、あとは中もブランクのままである。この禁欲的な作りが、熱い愛を伝えるカードであるところ、実にしゃれていると思う。

彫刻作品の上半分は、ルーブル美術館にある、アントニオ・カノーヴァ作の『アモルの接吻でよみがえるプシュケ』で、羽根のある姿は、愛の神アモル、つまりキューピッドである。プシュケは、アモルの母ヴィーナスが冥界から持ち帰った瓶を開けないように言われていたのに、開けてしまう。すると、臭気が立ち上り、彼女は気絶する。その姿を見た、恋人のアモルはプシュケを抱き上げ、彼女は、朦朧としながらも、両手を差し伸べ、彼の首に回し掛ける。という、まさにこの場面が捉えられた彫刻作品で、彼女の腕が作る円の中に、二人の顔があり、またこの円の外に2つの羽根が広がって、とても美しい構図となっている。

それでは、「私にその方法を数えさせて」という文字は、どう愛とかかわってくるのかということになる。じつはこれ、ある詩の1行目の後半で、この前に「私があなたをどんなふうに愛しているかですって?」とあって、それにこの文が続く。つまり、この詩は、このカードに書いてある後半を見ただけで、前半部分を直ちに思い浮かべて、これが愛を語る言葉だとわかるほど、よく知られている詩なのである。カード上の文字には「愛」など全く触れられていないところがニクイ。

この詩の作者は、エリザベス・ブラウニング(1806-61)、イギリスのヴィクトリア朝の詩人である。名家に生まれ、落馬や、弟の溺死が原因で、床に就いたきりとなったが、知力は旺盛で、詩作や批評活動により、詩人としての地位を確立した。

エリザベス・ブラウニングの詩集。

ロバート・ブラウニングの詩集。ロバート・ブラウニングは『ハーメルンの笛ふき男』の詩を書いたことでも知られる。対訳 ブラウニング詩集―イギリス詩人選〈6〉』: 岩波文庫(2005)

この彼女の作品を読んで、手紙をよこしたのが若き詩人ロバート・ブラウニング(1812-89)で、二人の文通は恋愛へと発展して、父の反対を押し切って結婚し、イタリアに移住。彼女が40歳、彼が34歳のことであった。

この愛の軌跡を記したのが傑作『ポルトガル語からのソネット集』である。ソネットは厳格な規則を持った14行の詩型なのだが、ここにはすべてその詩型で書かれた44編が収められている。

『ポルトガル語からのソネット集』いろいろ。絵入りの本やカセットブックもある。

本来、出版を意図したものではなかったが、その文学的価値を高く評価したロバートが説得したので、ようやく出版に踏み切ったといういきさつがあった。そうした彼女のためらいを反映して、直接自作と高らかに宣言するのではなく、ポルトガル語から訳したような偽装のタイトルとなっている。ここに至るまでの二人のやり取りを考えてみるだけでも、ほのぼのとする。エリザベスは、病んだ身で、父には外出を禁じられているし、40歳にもなっていたこともあり、恋愛など諦めていたであろうから、ロバートとの出会いを歌わずにはいられなかったと容易に想像できる。しかし、その思いを詩にしてみたものの、恥じらってしばらくは見せることができなかった。読んだロバートは、恋する人として、彼女の自分への愛を広く世間に見せたかったという思いもあったろうが、それよりも詩人として、冷静に彼女の詩を判断して、独り占めにすることはできないと考えたに違いない。このロバートの態度はおおらか。ここでなおも恥じらっているエリザベスも愛らしい女性である。

同じ詩が載っているポストカード。左はドイツ語訳。

そして、この中で、特に43番目のもの、さらにはその1行目が、このようにカードになったりしているほど広く知られているというわけなのである。そして、ソネットとしての全14行は次のようなものである(上記では、最初の1行目は、後半から先にそして次に前半を紹介したが、ここでは詩の1行目として、あえて少し違いのある訳にした)。

私があなたをどんなふうに愛しているか? その愛し方を数えさせて。
私はあなたを愛しています, 深く広く高く、
私の魂の届くかぎり、そのとき、存在の極みとこの上なき恩寵のかぎりを
目には見えぬままに手探りで求めて。
私はあなたを愛しています、太陽の昼に蝋燭の夜に、
日々の営みの中で、なくては叶わぬものを求めるごとく。
あなたを自由に愛しています、人が権利を求めて戦うごとく。
私はあなたを純粋に愛しています、人が称賛から背を向けるがごとく。
私はあなたを熱く激しく愛しています、かつて悲しみの中で
燃やした激情をもって、そして子どもの頃の信仰をもって。
私はあなたを愛しています、聖人を失くしたときに
失くしたらしい愛でもって――私の全生命の
呼吸(いき)と微笑みと涙でもって!――そして、もし神様の思し召しに叶うなら、
死んだ後も、もっとあなたをひたすら愛し続けます。

愛の絶唱と言っていいが、さすがに、ロバートが高く評価し、今日まで残っているだけあって、ただ甘ったるいだけではない。まず、「その方法を数え」るというところが、冷静な意識に裏付けされている客観性を感じさせる。圧政に苦しむイタリアの統一運動に深い関心を寄せた彼女らしく、広く、「自由」や「権利」(これはまた「正義」とも解せる)といった中で愛が捉えられているし、宗教の存在も確固たるものである。「死んだ後も」という熱い思いは、今日、1行目がこれほど人々の心を掴んでいるということで、実現しているのではないだろうかとまで思わせる。愛の執念でもあり、自分の作品がこうして人々の口に上るというのは、詩人としての本望だろう。

これほど知られた1行目なので、カードになるのみならず、これを元歌としたパロディも数多く生んでいる。その一つがオノ・ヨーコによるものである。

あなたをどんなふうに愛しているのか数えさせて
それはあけがたに感じる穏やかな風のよう
それは露に当たる最初の日の光のよう
それは金色の縁取りのついた雲のよう
そして いい日に、私たちにとっていい日になるよとそっと教えてくれる
ありがとう、ありがとう、ありがとう

あなたをどんなふうに恋しく思うか数えさせて
それは子どもの時の庭にあった樫の木のよう
それはエジプトで過ごした最初の夏のよう
それはあなたが私に本を読んで聞かせた暖かな夕べのよう
そして二人ともしみじみと分かっていた
素敵な時間だと、二人にとって素敵な時間だと
ありがとう、ありがとう、ありがとう

あなたをどんなふうに見ているか数えさせて
それは話に聞いている山の中の湖のよう
それはいつまでもどこまでも青い秋の空のよう
それは私をやさしくくるんでくれる空気
そして力強くささやく
僕はいつもいる、いつも君のためにと
ありがとう、ありがとう、ありがとう

Let Me Count the Ways,《Milk And Honey》, John Lennon & Ono Yoko

1行目、エリザベスの言葉そのままで始めながら、次からは、さっと角を曲がったように、やわらかで、感覚的な、自分とパートナーのジョン・レノンの世界を繰り広げている。2連目、3連目の書き出しは、この1行目をアレンジしていったものになっていて、これも見事な展開。「ありがとう」のリフレーンもジョンへの思いを伝えて、暖かい。また、これは二人を包む大きなものへの感謝でもあろう。ということで、人の言葉を使いながら、自分独自のものを作り上げるという、上手なパロディーの見本のような仕上がりとなっている。

このヨーコに応えて、ジョンは次の詩を書いた。

僕と一緒に歳をとっていこうよ
最良の時はまだこれから
二人の機が熟したら
僕たちは一つになる
神よ僕たちの愛に祝福あれ
神よ僕たちの愛に祝福あれ

僕と一緒に歳をとっていこうよ
一本の木の二つの枝が
一日の終わるとき
沈む夕日を見る
神よ僕たちの愛に祝福あれ
神よ僕たちの愛に祝福あれ
男と妻が共に
二人の人生を共に送り
終りのない世界
終りのない世界

僕と一緒に歳をとっていこうよ
どんな運命がふりかかろうと
それを最後まで見届けようよ
僕たちの愛は真実なのだから
神よ僕たちの愛に祝福あれ
神よ僕たちの愛を祝福あれ

Grow Old With Me, 《Milk And Honey》, John Lennon & Ono Yoko

歴史上でも有数の詩人のカップル、ロバートとエリザベスである。ヨーコがエリザベスのパロディーの詩を書くなら、ジョンは、ロバートから――というわけで、元歌は、ロバート・ブラウニングの「ラビ・ベン・エズラ」で、書き出しの、次の6行がヒントになっている。全体は、6行×32の長詩で、実在の、スペイン生まれのユダヤ人のラビ(すぐれた宗教の指導者に与えられる称号)であるベン・エズラ(1092-1167)が若者に語るという形で、ロバートが自分の考えを披露したものである。すなわち、現世の刹那的な喜びのみを追求せず、まじめに努力して、精神的な高みを目指すべきだと説いたのである。

私と一緒に歳をとっていこうではないか!
最良の時はまだこれからだ、
人生の最後、それのためにこそ最初はあったのだ。
私たちの時は、かの人の手の中にあり、
その人は言う、「万事を計画した。
青春時代はまだ半分。神を信じよ。すべてを見れば恐れることはない!」と。

膨大な数のロバートの詩作品から、これを選び出して、愛の詩にしたところ、そして神への深い思いで締め括っているところ、ジョンのパロディーもあざやかな出来である。そして、
これを忘れてはいけない――ヨーコとジョンの詩は、それだけのためにあるのではない、もちろん彼らはそれぞれ曲を作り、それらは、アルバム「ミルクアンドハニー」に収められている。彼らのパロディーは、元のブラウニング夫妻の詩の持つ格調の高さや深さはないかもしれない。でも、歌詞ということで、大衆性がある。つまり聞いてそのままわかり、すぐなじめるものになっている。

そして、彼の最後を思うとき、「僕と一緒に歳をとっていこうよ」という1行に胸が痛くなる。ヨーコにとっての喪失はいかばかりだろうか、そして私たちもなんと多くのものを失ってしまったことか――その中には、このような見事にしゃれたコラボレーションが二度と見られなくなってしまったということもあるのだ。

今年、2020年はジョン生誕80年、つまり、生きていれば80歳ということになる。

(2020、ヴァレンタイン・ディに)

エリザベス・ブラウニングとロバート・ブラウニングに関する本。Elizabeth Barrett Browning and Robert Browning [British Library Writers’ Lives Series] : Oxford University Press(2002)