サントリー美術館「雀の小藤太絵巻」ポストカード、ユカワアツコ「雀の小藤太」ミニカード マッチ箱入

 

「マッチ箱の中のポエジー」

武田雅子

倉敷の美観地区は、その名前からしてあまりにもいかにも過ぎて引いてしまうが、ほんの少し離れると、喧騒と作り物ではない、落ち着いた昔懐かしい家並みが続いている。その中にいろいろなお店があって、順に巡っているうちに、ある店で可愛い本に出会った。それは本と呼んでいいのか、マッチ箱の上に「雀の小藤太」というタイトルと1羽の雀、裏には2羽の白鷺の絵が描かれ、中には小さな絵のカードが何枚も入っていた。そのいずれにも鳥の絵があり、物語の載った折りたたんだ紙も付いていた。それだけで、なにもわからないまま、思わず買ってしまったのだが、これはまたの名を「鳥歌合絵巻」とも呼ばれる物語を絵にしたものだった。

ユカワアツコ「雀の小藤太」ミニカード(マッチ箱入)より

大和の雀の小藤太は、妻と仲睦まじく暮らすうち、子を授かる。しかし、ある時、小雀は蛇にのまれてしまう。夫婦は蛇を責めるが、仇をうっても子は返らぬ、これからは仏の道を求めると言い、蛇は罪を悔い和歌を詠む。夫婦の嘆きは深く、泣くばかりだったところへ、鳥たちが慰めにやって来る。鶯、鴛鴦、白鷺、四十雀……彼らは和歌を詠み、小藤太も和歌を返す。そのうちようやく落ち着いて、小藤太は出家する決心をする。妻には、若いから世の中にとどまるよう言うが、結局妻も19歳の若さにして尼崎で出家、小藤太は同じ国の梟の尊阿弥に剃髪してもらい、雀阿弥陀仏として全国を行脚する。やがて、都の森の庵で一生を過ごし踊念仏を行い、百歳で大往生し、この森は雀の森と呼ばれたという。(添付の物語を要約)

これは、室町時代およびそれからもう少し下った時代の間に書かれたお伽草子の話の一つ、浦島太郎や一寸法師と並ぶもので、「雀の発心」という名もあり、いわゆる発心遁世譚であることがポイントで、人々に世のはかなさを伝え、仏道に目覚める重要さを教えるものだった。絵巻として、今日までいくつか残っていて、慶應義塾図書館、サントリー美術館、西尾市岩瀬文庫、日本民芸館などが所蔵していて、それぞれ出てくる鳥の数、したがって詠む和歌の数が異なる。
私が入手したマッチ箱のものは、ユカワアツコさんの手になるもので、昔のそれはそれで魅力的な素朴な絵とは違って、洗練された、統一感のある色調で美しい。それに何よりも、3×5センチの、手の中にすっぽり入る可愛さがいとしい。最後で、諸国をめぐる小藤太の菅笠を背にした剃髪した後ろ姿に思わず涙してしまう。親にとって子に先立たれるほどつらいことはないだろう、時には出家する以外の道はないと思えるほどに––この絵は大画面で見るより、手のひらの中の小ささだからこそ、吸い込まれそうにそくそくと胸を打つ。

ユカワさんは、鳥を描くのが専門なようで、鳥の立体本を作るほか、さまざまな木箱の中に鳥を描いた展覧会もしておられる。この物語では、いくつかの鳥の雌雄を描けるところに魅力を感じられたのだろう、全部で12画面中半分の6枚の図柄が、小藤太とほかの鳥たち2羽ずつとなっていて、それぞれの画面の草木もそれぞれの鳥に取り合わせてあって楽しい。
じつは箱の中には、12枚1セットが二組入っていて、マッチ箱入りでないのは申し訳なかったけれど、もう一つの1セットを仙台の友人に送った。彼女の仮説によれば、小藤太というのは、平安時代のヒーロー俵藤太から名をもらったのではないかしらとのこと。
その後、同じくユカワさんのマッチ箱の「鼠の草子」「ふくろう」という物語のも見つけたが、いずれも図柄は2種類ほどで、小藤太ほど、さまざまな鳥に腕を振るえなかったからだろうか。(ついでながら、ユカワさんは、アコーディオン奏者でもあるとのこと、なんてステキ––それで絵からは鳥の鳴き声が聞こえてくるように思われるのかも)

ところで、江戸から明治の日本画の展覧会で、この小藤太を取り上げたのがあった。雀1羽と、ある鳥の雌雄が描かれ、軸に仕立てていて、あ、やはり日本画家にとっては画題として取り上げたいものなのだなと思ったのである。後の時代になって、本格的な絵として描かれたということが興味深かった。展覧会を一通り見て、作者や時代をメモしようと思っていたのに、次の行き先があったので、すっかり忘れてしまい、その後も、この一文を書こうというまで、絵を見たことすら忘れていた。ここだったろうという美術館に問い合わせをしてみたところ、うちでは所有しておりませんし、展示もしておりませんとの返事が来た。しからばと、それから、去年の秋から今年の冬の間にあったそれらしき展覧会の会場に問い合わせの手紙を送ったところ、ことごとく否の回答––京都近代美術館、細見美術館、福田美術館、中之島香雪美術館、大和文華館といったところであった。この短い期間に、この時代を扱った展覧会がこれだけあったということにも改めて驚いたが、結局私が見たのは夢幻だったのかということになってしまった。これからは、これらの美術館を再訪した際に、最近の展覧会の図録をじっくり見るという、幻を追う仕事ができた……

さて、マッチ箱の中のポエジーということでは、まさにマッチ箱の中の詩ともいうべきMatchbox Theaterというものが、アメリカで出ているが、これはマッチ箱を劇場に見立て、マッチの軸に小さな旗のように登場人物の絵を貼り付け、テーマとなっている詩人たちの言葉を台詞として、劇を演じさせるという代物。これを見つけたのは、私が研究しているアメリカの女性詩人、エミリ・ディキンスンがテーマのものがあったからだが、ほかに「ウォールデン(森の生活)」で知られる思想家のソロー、スペインの詩人パブロ・ネルーダ、詩一般、テーマはご自由に、というのがある。そしてなんと、われらが一茶がここに入っている。マッチ箱劇場というアイデア自体がなんとも愉快だが、そこに一茶がいるというのもうれしい驚きである。

“Matchbox Theater” Leafcutter Designs

 

「一茶の虫たち」というタイトルのもと、14の彼の俳句が取り上げられていて、毛虫や、蜻蛉、蝶、カタツムリたちが役者という次第。採られている句をいくつか紹介してみると

A quiet life:

Under my house     虫に迄
an inchworm      尺とられけり
measuring the joists.   此はしら

in the autumn wind   秋風に
clutching my sleeve…  あなた任せの
little butterfly.      小蝶哉

I’m going to roll over,   寝返りを
so please move,      するぞそこのけ
cricket          蛬(きりぎりす)

Issa’s Insects: “Matchbox Theater” Leafcutter Designs

英訳に関して言うと、1句目は「にまで」というのができっていないし、2句目は風に吹かれるままというより、「風の中、私の袖をつかむ」と多少意味が変わっているし、3句目は、「するぞそこのけ」というちょっとぶっきらぼうな感じが消えて「どうぞ」になってしまっている––と不満はあれど、翻訳というものは、すべてが訳せるわけでもなし、生き物たちへの一茶の慈しみが、英語でもしっかり感じられるところ、このマッチ箱劇場にふさわしいと制作者が選んだのもうなずける––全世界の中からよくぞ探し当てたものだ。そしてこれを上演してみると、尺取虫、蝶、キリギリスが舞台に立ち、台詞、すなわちこれらの俳句を読み上げるのだけれど、「私は」ではなくて、例えば「小蝶かな」と客観の立場になっている距離感が、面白い。元の俳句には主語は出てこないが、訳の英語では、私=作者がどの句にもある。

実は、一茶には、三男一女がいたが、すべて夭折してしまった。特に、「這へ笑へ二ツになるぞけさからは」と詠んだ長女さとの死はつらいもので「露の世は露の世ながらさりながら」の絶唱を残している––この世の無常はわかっていた、わかっていたけれども……。俳句という短詩型の中で、「露の世」と「ながら」という2語を繰り返しているので、これほど小さな歌はないであろう。けれど、手のひらの中の小さな小さな小藤太の後ろ姿のように、私たちを深い悲しみの世界に、大きな力でつれて行く。

(4/7/2020)

リンク先一覧

サントリー美術館「雀の小藤太絵巻」コレクションデータベース

ユカワアツコさんのHP

雀の小藤太 ミニカード(マッチ箱入)classiky online shop

“Matchbox Theater” Leafcutter Designs

※COVITのためオンラインショップについてはお休みの場合があります。

 

武田雅子 大阪樟蔭女子大学英文科名誉教授。学士論文、修士論文の時から、女性詩人ディキンスンの研究および普及に取り組む。アマスト大学、ハーバード大学などで在外研修も。定年退職後、再び大学1年生として、ランドスケープのクラスをマサチューセッツ大学で1年間受講。アメリカや日本で詩の朗読会を多数開催、文学をめぐっての自主講座を主宰。著書にIn Search of Emily–Journeys from Japan to Amherst:Quale Press (2005アメリカ)、『エミリの詩の家ーアマストで暮らして』編集工房ノア(1996)、 『英語で読むこどもの本』創元社(1996)ほか。映画『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』(2016)では字幕監修。