誰が言ったか知らないが、〈ノイズ伝道師〉東瀬戸悟。
ああノイズの民よ。耳の穴かっぽじってよくお聞き!
鍛えられたトークは伊達じゃない!!
(監修:山本精一/取材・構成:石原基久)

▲正しく伝える。これが見習うべき「レコ屋気質」ってもの。

 

──東瀬戸悟さんはフォーエバーレコーズ難波店の店長ですよね。

東瀬戸 社会人になってもう40年近くになるけど、ずっとレコード屋勤務です。最初の5年は梅田・東通り商店街にあったLPコーナー。EYEちゃん(山塚アイ)とかもこの頃からの知り合い。フツーにお客さんとして来てたからね。
それが1987年暮れに阿木(譲/故人)さんに「新しい店(『シャールプラッテン・ノイ』)を始めるから、来ないか」と誘われて。開店を手伝うんだけど、案の定、開店前にケンカして。オープンさせてすぐ離れる。ロックマガジン創刊(1976年)以来の読者だったから、どんな人かは分かってたけど、一緒に仕事はできないというのが感想。
その年の暮れ(12月28日)には、『ノイ』オープン記念を兼ねてPBC(Perfect Body Control)の12inch「21st Century Sweet Lucy」レコ発を、ロリポップソニック、D’f、町田町蔵、オフマスク00、ボアダムスという顔ぶれで心斎橋ミューズホールでやって。確かその頃にベアーズに行ったはずなんだけど、何の用事で行ったかは思い出せない。

──チラシでも置きに行ったんじゃないの?

東瀬戸 かもしれない。で、翌88年にフォーエバーで働き始める。その頃は、いまのタイムボムの小玉(憲治)くんやバキュームレコードの福嶋(嘉章)くんら、のちに独立してレコ屋をやるメンバーがフォーエバーにいた時期で。
ちょうど東京のスーパーナチュラルオーガニゼーションってノイズや当時出始めのグランジ/ジャンクを面白がってた店がプッシーガロアを呼んでて。その話を聞きつけてすぐ…東京公演だけだったので、スーパーナチュラルと交渉して大阪公演を実現させる。EYEちゃんも「プッシーガロア観たい」と言ってたし。日程は10月21日、会場はアメ村のサンボール。まだサンホールとすら名前が決まってない時期。もともとサウナやから浴槽や壁には蛇口の跡がそのままだった。オープニングアクトを飾ったボアダムスは、よしみちゃんが加入しての初ライヴ。プッシーガロアのメンバーにも評判良くって。
それからすぐ89年2月にはソニックユースの初来日が決まって。こちらも大阪・京都公演を実現させた。それぞれ少年ナイフ、ボアダムスが、オープニングアクト。サーストン・ムーアもジョン・スペンサーたちからボアダムスの噂は聞いてたみたい。このへんから海外のバンドを媒介にして、まだまだ知名度のないバンドの名前を広めることを学んだ。ベアーズで直接どうこうするようになるのはもうちょっとあとかな。

──東瀬戸さんと言えば、ノイズの紹介者として知られてるんですが、ベアーズでノイズ企画をし始めたのは東瀬戸さんでしょ。

東瀬戸 違う違う。モンドブリューイッツの岩崎昇平くん(故人)。岩崎くんもMONDE BRUITSと名乗り始めるのは91年だし、80年代末だと会場には大阪造形センターを使っていた。メルツバウやC.C.C.C.を大阪というか、関西に呼んだのも岩崎くんが初めて。そんなふうに積極的に出かけて行ったり向こうから呼んだりし始めるのも岩崎くんが最初。

岩崎昇平。Bananafish Magazine 1997年 No.12 東瀬戸によるインタビュー記事より(写真:福本タダシ)

ベアーズで始めるのは『ノイズ・フォレスト』ってシリーズ(91年2月~)。そのシリーズを何回かやってるうち、まだ一度もライヴをやったことがなかった山崎マゾくん(マゾンナ)に岩崎くんが声をかけて初ライヴ(92年2月)が実現する。ライヴ・スタイルが確立していくのもあっという間だった。当時ノイズってまだお客さんが10人も入らない時代。それを週末に組んでくれてマゾくんも感謝してた。個別では最も早く88年9月に非常階段がベアーズ・デビューしてるんだけど。
ノイズ初期の功労者は間違いなく岩崎くんじゃないかな。これは強調しておきたいところ。

93年夏頃のMASONNA。 アンプ上から飛ぶパフォーマンスは既にやっていた。

──東瀬戸さんの企画というと?

東瀬戸 ベアーズでのライヴ映像を数多く収録したビデオマガジン『Oh!MORO(5)雑音採集』(92年10月/○か×)なんかに関わってた。ビデオでは各バンドをデビッド(ホプキンズ)さんとナビゲートしてる。ビデオの編集制作をしてた福本タダシは大阪芸大の同期。そんなのもあって、ボクがHöREN/AUGENレーベルを始めるとき、映像から始めたのには彼が近くにいて頼みやすかったというのがあった。

関西ニューアートビデオマガジン 『Oh!MORO』。

レーベル第1弾は山本精一&水道メガネ殺人事件(94年4月ライヴ収録,「狂都 大阪を恐怖のどん底に叩き落とした空前絶後のボケ商業ミュージカル」がキャッチコピー)というワケのわからないもの。結構話題にはなった。第2弾以降、スーパーボール、DROOP、JON…とベアーズでのライヴ映像に手を加えてスピード感を持って次々出していった。このあたりが一番ベアーズに関わってた気がする。

AUGENレーベル諸作品。コンプリートには2作足りない。左端 「お勘定済み」シールが貼られてるのが山本精一&水道メガネ殺人事件。おまけ入りスケルトン袋で販売されていた。袋&おまけ紛失(泣)。

お詫びに山本精一&水道メガネ殺人事件の一部を。中央は進藤ユカ(vo)。94年4月9 日、心斎橋ミューズホール 。

93年8月28日のスーパーボール。左がナオ、右がヨーコ。「スカムナイト2」の一場面。ナオが持ってるギターは表だけのぺらっぺら。ボディ裏面はごっそり外してある。

94年11月28日のDROOPワンマン。 左がミーシャ、右がコユキ。血まみれのフリフリ・ドレスがコンセプト!

95年3月5日のJON(犬)。 洋のこぎりを振り回してオルガンをギコギコ!! それもご愛嬌!

時期的にも94年の秋は、10月にメイヨ・トンプソンがレッド・クレイオラを率いて来日。しばらく東京に滞在してたので、メイヨにベアーズの7周年イベントに出てもらったり。11月下旬にはキャロライナー・レインボーの初来日もあった。キャロライナーはステージ(11月30日, ファンダンゴ/12月2日, ベイサイドジェニーほか)のための被り物を作る予定で大阪に前乗りしてたので、DROOPワンマン(11月28日)のオープニングにリーダー、グラックスのソロ、また想い出波止場との対バン(12月3日)には別のユニットをお願いしたりもした。キャロライナー日本公演はAUGENでビデオにして独占販売もする。

キャロライナー・レインボー。94年12月2日、天保山ベ イサイドジェニー公演。この日のメインアクトはボアダムス。

──濃密なスケジュールですね。

東瀬戸 94~95年はとにかく濃かったね。わずかな期間にノイズ・イベントだってそこそこお客さんが集まるようになったし。レコ屋だから、海外のディストリビューターやお店に日本のアーティストのカセットテープやCDを送って紹介してたんだけど、見る見る向こう側の反応が違ってきたから。
少年ナイフやボアダムスがしょっちゅう世界に行ってるのはもちろん、同じ頃には、赤痢のみゆちゃんが米サンフランシスコの『バナナフィッシュ』ってサブカルチャー誌の編集長シーモア・グラスと結婚してびっくりさせられたり、何もかもが急にワールドワイドになった気がした。
いまも近くだからベアーズの前をよく通るけど、この頃ほどは顔を出していない。
その後というと、2000年代中頃に、灰野敬二さんの…1日はソロでもう1日は誰かと絡んでもらうという2daysを3回企画したくらい。顔ぶれは、山本精一、津山篤、MASONNA/あふりらんぽ/オシリペンペンズ。
ここ最近で持ち込んだ企画というと、13年9月に亡くなったAUBEの中嶋昭文さんの1周忌トリビュート。お昼から始めて7時間…最後は(JOJO)広重くんにやってもらった。これが5年以上も前になる。HöRENも始動して、ひろし(ヒロシNa)さん関係とか最近じゃ、七円体、ダダリズムとか新しめのアーティストの作品もリリースしてるけど、リリース本数は90年代中頃と比べると格段に少なくなってしまった。

──いまや日本のノイズは世界でもファンが増えてるんでしょ。

東瀬戸 非常階段、メルツバウあたりは、世界中の人が知ってる。一番知らないのが日本人かもしれない。
去年(2019年)暮れには英語版から6年遅れでデヴィッド・ノヴァック著/若尾裕+落晃子訳『ジャパノイズ~サーキュレーション終端の音楽』(水声社刊)が出たからね。ノヴァックさんをベアーズに連れて行ったのがちょうど20年前。だから、本に書かれてる情報そのものは古いんだけど、ノヴァックさんの指摘は的確。

『ジャパノイズ サーキュレーション終端の音楽』デヴィッド・ノヴァック著, 若尾裕・落晃子訳(水声社刊)

日本のノイズ「ジャパノイズ」は海外の人に特殊なものに見えるみたいで、「政治性や思想性があるんじゃないだろうか?」という問いかけが繰り返される。そんなもんあらへんって! あまりにワケ分からへんから深読みし過ぎてしまうみたい。美学として何かコンセプトはあるかもしれないけれど、政治性や思想性は一切ないから。ノヴァックさんの本はそのへんを解き明かしてくれた(笑)。
いま執筆中というデビッド(ホプキンズ)さんの本も楽しみ。何しろデビッドさんの場合は、マゾンナの初ライヴも現場にいたし、いろんなアーティストを長期にわたって観てるから。いまや『ジャパノイズ』って言葉はひとり歩きしてて、海外の人にとってベアーズはジャパノイズの聖地でしょ。
そういや……阿木さんは、ベアーズに来たことなかった。エッグプラントには来てたのを見かけたことがあったけど。来たこともないのにボロクソ言い倒してた。1976年、ニューヨークに行ったとき、CBGBとマクシスカンサスシティを見てきて「大阪にもあんなライヴハウスが必要だ」とずっと言い続けてたくせに。ベアーズがそれ違うのん?

 

*メモ

  • LPコーナー:1967~2003年、大阪・梅田東通り商店街にあった輸入レコード店。
  • 阿木讓:歌手、DJ、雑誌編集、音楽評論、クラブ経営などと幅広く活動。とりわけ1960年前後に生まれた世代に大きな影響力を与えた。2018年逝去。
  • 岩崎昇平:Monde Bruitsほかで活躍。2005年逝去。
  • 大阪造形センター:大阪・梅田新御堂筋沿いにあったアート&デザインの学校。1978年開校、2016年閉校。創設者・渡辺昭二2017年逝去。
  • 福本タダシ:Oh!MORO、AUGEN各作品ほかの編集制作を担当。Videgram主宰。
  • HöREN/AUGEN:東瀬戸悟主宰レーベル。前者が〈耳〉、後者が〈目〉を表す。
  • 赤痢:80年代から活躍するギャルバンにしてアルケミーの看板バンド。みゆはそのvo。
  • 中嶋昭文:AUBEほかで活躍。G.R.O.S.S.主宰。2013年逝去。
  • ひろしNa:だててんりゅう、頭脳警察、裸のラリーズに在籍した伝説のロッカー。さらにニプリッツ、ポートカスほかを経、ソロは燻裕理(くんゆうり)名義で活動。

 

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