’84年に京都で結成されたダムタイプ。
世界ツアー中のダムタイプの近作パフォーマンス「S/N」は、どこへ行っても喝釆の渦に巻かれている。
スクリーンに映し出されるディスクール。暗闇のなか、ストロボが照らし出す身体の影が、舞台の上を横断してゆき、現われては背後へと倒れ込んでいく……。
ダムタイプは、新たな世紀へのステップをゆっくり昇っているようだ。
’93年の春に「S/Nの為のセミナーショー」として、パフォーマンスとトークをつないだかなり実験的な、セミナー形式による公演が京都で行われてから、丸3年目、オーストラリアのアデレードでの初演から2年目にして、やっと地元でパフォーマンス「S/N」をみることができるというのは、ファンとしても喜びに絶えない訳ですが。初演からこれまでの時間の経過とともに、内容に変化が生じたりしているのでしょうか。
小山田 基本的な部分で内容は、変わっていません。ディテールの表現とか映像の見せ方やパフォーマンスの構成には手は加えられてきましたけどね。
――「S/N」について、また、つくられた背景のようなものを話してもらえますか。
小山田 まずタイトルの説明から入ると、作品のコンセプトがわかりやすいと思うのですが。S/Nというのは、シグナル/ノイズのS/N比、これは音響関係の用語で、全体的なカオスのなかからどのノイズを取り出すか、どのノイズのレベルが高いとか低いとか、示す用語なんです。世界全体を構成するカオティックなものはノイズでできていて、クリアにノイズが消されてしまうと、味気なさを感じるだろうし、ノイズはそれとして存在したほうが、趣き深いと思っているんです。世の中のすべてのものを、ノイズとしてとらえることからはじめたら、ヒエラルキーなんかもメチャクチャになるし、面白いんじゃないか、と思ったんですね。でもS/N比への置き換えだけじゃなくて、SとNではじまる言葉のいろいろな関係を考えてみたりしたんです。対比構造ではなく、二項並列の組み合わせでことばを並べていってみたんです。そういう作業をするなかで、自分たち自身をみつめ直してみたらどうなんだろうとか考えていったんです。
セクシャリティなどをいかに自分のなかでアイデンティファイしていくか、そのことをもっていかに他者とつきあっていくか、社会といわれるシステムとの関係とか、そういった観点からいろんなものを見つめ直してみるといったことをしていったんですね。
そこには、われわれにとって分かち難い問題として—-やはり10月末に亡くなったメンバーの古橋悌二から彼の病について告白されてからは—-必然的にAIDSの問題もでてきました。それはメンバーそれぞれのアイデンティティの可能性を探っていく作業でもあったのですが。
――前作の「pH」との関係性のようなものはどう考えておられるのでしょう。
小山田 「pH」のようなコンセプトのもの、大きなテーマで、“社会と個人”とか、“テクノロジーと人間”といったような、僕らは“大文字”的なとかいっていたんですけど、抽象的概念を大事にしたようなもの。そういったものの組み合わせというのは、ポストモダン以降、手を変え、品を変えして、全世界でいろいろな人々がやってきたことだけれども、僕らも80年代後半から90年代はじめにかけて、そういう文脈のなかでの「pH」という作品をつくってしまったんです。
「pH」のシリーズを続けていくうちに、メンパーもそういった表現に興味を失っていったんです。次の自分たちのプロジェクトは“小文字”でいきたいね、という話をしていたんですよ。で、“小文字”っていったい何なんやろ。そうすると、個人というのはいったい何なのか、結構レアなところから、話がすすんでいって、自分の生活における人間の環境のありかたみたいなところにいって。こういう話は、悌二が病気のことをまわりに伝える以前から、していましたよね。次の舞台は、壁をつくるような装置をつくろう、なんてこともその当時から考えていたしね。
‘92年の秋に、デンマークのグループと「The Enigma of the late afternoon」というコラボレーションの作品をつくるために、2カ月ほど向こうに滞在していたんです。悌二は体調を悪くして日本にいたんだけど、そのときに皆に手紙をくれたんですよ。ほんとうにそれからは「S/N」をつくることに引き寄せられていきましたよね。まあ、実際一年くらいパフォーマンス作品はできませんでしたが。ミーティングを重ねていって。延々と、話ばかりしていました。その頃までは、ダムタイプのメンバーだけで行っていたミーティングに、他の人にも入ってもらうようなこともはじまったんですよ。例えば、アートとかとはまるで関わりのないところにいる人とかね。それは、かなり僕たちにとつても新鮮でした。そういうエネルギーの高まりのなかで作品ができあがっていったんです。エキサイティングなものがありました。
最初に京都で「S/Nの為のセミナーショー」をやった頃など、自分たちのやっている方法論に全く自信がなくて、エネルギーは自分たちのなかにあるものの、それをどうやって作品化していけばいいのか、とても悩んでいました。でも、確信の持てないものに対する期待感はあつたし、ほんとうに自分たちでもああいったオープンな場っていうのは新鮮でしたね。
――あのときは、連続して行われていたセミナーに私も参加しましたが、とんでもないところに来てしまったなあ、と思いました。
小山田 ダムタイプのそれまでの作品の作り方からしたら、絶対に自分の尻尾やしどろもどろのところは、見せないでひた隠しにしていたのに、あそこで全部さらけ出してしまったんですよね。実際は、自信がないところも表面にはそれが出ないように削ぎ落としていたんですけどね。
――スマートで、カッコイイのダムタイプだと皆んな思ってますからね。
小山田 それが、80年代のポストモダンのスタイルだったというところもあるし。でも、「S/N」をはじめてからは、全部さらけ出してやることに、それはそれで快感がありました。興味深いいろんな関係を派生させてもくれたし。自分たちも、それを表現として見ていなかったものが、見れるようになるという広がりも出てきたし、それが表現として非常に強いものだとも実感しました。
パフォーミング・アートというのは自由な表現ができるものだと思っていたけれど、実はそうでもなかったんですね。どこかにサンプルがあって、そこに近づけていくことや、あるフレームのなかにおさめるようなことをしてきたんです。
作品というのは重要なファクターで、そこで表現できる最大のものを、求めていかなければいけないのですが、その不可能性というのも、何となく感じていて。不可能性を可能性に変えるのに、作品に頼っていても駄目なのではないかと考えるようになってきましたね。自分の生活を含めたところで、作品はその一部であって、全体ですすんでいかなければならないんじゃないかって。
――いままでは作品が全てを語れると思っていたわけですよね。
小山田 ええ。これまでは、それしか見えていないようなところでやっていましたからね。
最近では、生活レベルでいろいろなプロジェクトに、ダムタイプの活動としてではなく、メンバーがそれぞれに関わっていたりする。そんな他の活動を通しても同じ時間を過ごすことが多くなってきて、違う側面からお互いのいろいろな面がみえるようになってきましたしね。
だから、いまはどこかで誰かとなにかをやることを、僕のなかでは“ダムタイプ”だと思っているようなところがあるんです。他のプロジェクトを実現化したり、そこで話し合われていくもの、非営利のカフェを運営するなどの「場」づくりなど、そんななかにもダムタイプ的なものを感じたくなってきたんです。ダムタイプではなくなってもいいのかもしれないけれど。
――そのダムタイプ的なものっていうのは?
小山田 言語によるシステム化が不可能な状態で、あるベクトルの方向の同一性だけをひろって生まれた運動。ベクトルの方向性を感応しあう部分で、情報交換や意見の交換がいかにスムーズにできるか。協調し合えるか、そういう関係のなかで共同作業で作品をつくっていけるような、そういうのをダムタイプ的と僕らは呼んでいるんです。明確なヒエラルキーもないなかで、何かをつくり上げていくことができる。
――悌二さんが、個人から出てきたものをダムタイプというアンプを通して作品化していく、といった言い方をしていましたが。
小山田 そうですね。増幅させることができたりね。
常に他者と自分の伝えたいことやアイデアを共有しなければならないんです。互いにいろいろな影響を与えあいながら、しかし、かけひきはあっても競争の生まれ得ない空間なんです。
――いよいよ京都公演ですが。
小山田 作品へのリアクションとして僕たちの望んでいるものは、「良かった」とかそんな言葉ではなくて、行動そのものなんです。様々なコミュニケーションが作品との間に介在することこそ芸術のもつ可能性だと思うので。そんな関係が生れればいいと思っています。
最近痛感することは、コミュニケーションはexchange(交換)で、相手から与えられるものと、こちらから提供できるものの、交換によって成立するようなところがありますよね。80年代にはなかった、結構フラットな関係のなかでのコミュニケーションが90年代は可能になったのですから、楽しみです。
――次の作品の構想もすすめているんですか。
小山田 「S/N」のシリーズからはみ出してきた問題などを、今後は、次の作品へと結び付けていきたい、と僕自身は考えているんですけどね。
(インタビュー:原久子)
(「花形文化通信」NO.80/1996年1月1日/繁昌花形本舗株式会社 発行)
東京都現代美術館(東京都江東区)にて「ダムタイプ|アクション+リフレクション」を開催中。2020年2月16日(日)まで。2019年に結成35周年を迎え、2018年フランスのポンピドゥー・センター・メッス分館で開催された大規模な個展をヴァージョン・アップした展覧会。
ICC(東京都新宿区)では、上記展覧会にあわせ、1986年以降の舞台作品の記録映像7作品を上映中。「特別上映 ダムタイプ」2020年3月1日(日)まで。※Peatixによる事前予約制。
2020年3月29日にはロームシアター京都にて約18年ぶりとなる新作パフォーマンス《2020》が上演される。追加公演のチケットは2月9日(日)10AMより発売開始。